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閑話#8 ~第三師団長の憂鬱~

精霊という存在には常識が通じない、いや、常識そのものを振り払わなければいけない。

 神々への畏怖は上級魔法の詠唱の際お名前をかたり、魔法を発動させることもあって、上位貴族ほど信仰も厚く、一般市民であっても失われていない。

 精霊神は建国王にお力添えをしていただいた有難い神なのだ。我が領では熱烈に信仰されなければならないはずなのだ。

 だが、王国が拡大するのに比例して、我が領の王国での立ち位置が下がってしまう。独立独歩で成り立つ領ではないので、王都の思想に領民たちも流されていってしまう。

 大々的に精霊王を奉っているのは我が領くらいのものだが、時代と共に見えない精霊を信仰する気持ちが薄れていってしまったのも仕方がないだろう。

 俺も三男が精霊に助けられて、精霊神の祠で実際に目撃するまで、精霊の存在自体を否定はしていなかったが、こんなにも近くにいるなんて思いもよらなかった。

 綺麗で神聖なものだと、その時はそう思っただけだった。

 緑の一族との謁見の警護はこちらが誘拐事件を小規模に改竄して発表してしまったがために公式に騎士団に表敬訪問できなかったが故の苦肉の策だ。

 緑の一族の失態によって、息子が攫われる一端になったのだから憤慨はしているが、領の治安を守る騎士団としてはこちら側も不甲斐なかったのは否めない。

 苦い思いはあったが、警護計画が完全に精霊任せになっていることを、領主様がお認めになったことにいささか驚いた。

 精霊神の祠のそばには実際に精霊が沢山いる。四阿の中を精霊の結界で守らせることは、実際に見た事のある俺には反対はできない。信じられないけどできるのだ。

 ごちゃごちゃ言ってくるやつらを、すべて四阿自体の警護をさせることで誤魔化して当日を迎えた。

 精霊の結界は完璧だった。

 結界の中と外では、時間の経過が違うので何時間話しても、外側ではものの数分程度しか経っていないし、外側からでは中の様子はわからないと説明されても理解が及ばなかった。

 カカシと名のる長老は、よく旅ができたものだと感心するほどよぼよぼの老婆であった。俺が理解しかねていると、老婆は外に出て確認すればいいと、詳しい説明は一切なかった。

 四阿の外に出て、警備の配置は大丈夫か、ともうすでに確認済の事項を質問して四阿の外に出た理由付けをした。やはり完璧だというのは認めていてもどうしても結界のもたらすその安心要素とその精度を確かめたいという不安感とも好奇心とも違う感覚があった。

 実際に外部から見た四阿の中は、カカシと連れが、跪いて拝謁していた、捏造の光景であった。

 予想以上の出来に動揺したのを顔に出さず、中に戻るとカカシは緑の一族が冒険者ギルドに依頼したことがきっかけで、誘拐事件が発生したことを詫びた。

 依頼を引き受けた冒険者たちの中に調査費用の前金を追加で請求したあげく行方不明になった者がいること、その上その者を唆した人物がいること、子どもたちが使った白い布の出所と、先日の洗礼式で発見された結界の僅かな歪みなど、濃い内容の情報が立て続けに出された。

 この老婆の情報が正しいのだとすると、考え直さなくてはいけないことが山積していることになる。領主様のお顔も曇っている。

 領主様はカイルのことは一領民としてご家族からは離さないこと、立て続けに事件に巻き込まれた子どもを不安にさせないよう、指摘しながらより具体的な追加情報を引き出そうと質問を工夫されている。

 緊迫したやり取りが続く中、前触れもなくジュエル一家がやってきた。

 カイルを見るなり、糸目だった老婆の目が見開かれた。

 その後はカイルに父方の親族のあり得ない振る舞いについての謝罪と至った経緯を丁寧に説明したが、話の〆が領政の失策が原因だと批判したことで場を凍り付かせた。真実でも本人の前でよく言えるものだ。

 だが、考え方が違えば決して失策ではないと、挙げられた具体例は俺には予想外な内容であった。

 そうはいっても、ここまでは俺でもそれなりに理解ができた。

 謁見が無礼講なのも、会話の内容が国家レベルの機密事項なのもが微細ながら含まれているのも、息子がそれを聞いているのも。

 あり得ないことだけど、まあ、ぼかして発言しているので、大人になるまで覚えていなければ問題ないだろうと、現実的な思考で処理可能な出来事だった。

 俺の頭が、目の前で起こっている出来事なのに、完全に理解不能なことだと事実を拒否し始めたのは、ここからだった。

 あれ程、本人に直接家族を選ばせるなと言っていたのにもかかわらず、老婆が強引に引き取りたいとカイルに迫った時、いつもとても行儀のよいカイルが大音声でクソババアと叫んだのだ。

 領主様の御前なのに、日頃からどんな困難な場面でも冷静さを失わない驚異の四才児が、感情むき出しで老婆を罵ったのだ。

 だが、カイルの話の内容が一切理解できない。

 両親の死の追体験?亜空間?…まったく何事なのかさっぱりわからない。

 カイルの話を聞いた老婆は、急に挙動不審になって、さらに訳の分からないことを言い出した。

 混乱するこの場を仕切りなおしたのは、驚異の四才児のカイルだった。なんて立ち直りが早いんだ。

 老婆が詳しい説明を始めると、自分の常識を今すぐ捨て去らなくては何度話を聞いても理解できないような事だった。


 120才から年を数えることを諦めた不老不死の老女。…不老不死なのに老婆とはこれいかに。

 跡継ぎ欲しさに素質のある子を探している。…自分で育てろ。

 素質ありと認定された中に息子がいる。…俺の息子はやらない、やるという親がいると思っているのか。

 精霊たちが、カイルに里心をつかせるために、両親の生前の幸せだった日々にカイル君を送り込んだ。……それでも、死んだ両親の幻を見せるなんて残酷だろ。

 カイルを懐柔できなかった精霊は暗黒空間にカイルを閉じ込めた。…拷問か?いや、よくここまではやく立ち直れたな。カイルの精神力は末恐ろしいな。

 ジュエル家にいる精霊がカイルの能力向上のために命の危機が迫っている、山小屋事件の直前にカイルを送り込む。……鬼畜の極みの所業。

 再び混乱に陥った精霊がカイルを暗黒世界に閉じ込めたのに“送り火”をカイルがしたことで上級精霊によって解放された。…死者を弔い冥府へと送る灯?


 決して俺の頭が悪くて理解できないわけではないはずだ。こんな説明では皆一様に理解できないだろう、と思っていたのに、領主様と女性陣は所々でツッコミを入れていた。

 上級精霊が謝罪を申し入れていると老婆が言い終わった時に、カイルはすでに上級精霊から謝罪を受けて亜空間とやらから戻ってきていた。

 こんな事態が目の前で起こっているのを、はいそうですかとは考えられない。

 だが、老女たちが白い光に包まれて若返ってしまったら、どんなことだってあり得るのだと納得するほかなかった。魔法に関して俺たちが知っていることは氷山の一角にも満たないんだな。

 こうなった経緯をカイルから聞くと、山小屋事件の真相が判明し、この事件はいずれ俺の手を離れてしまうことを悟った。

 取り敢えず今は、この場をどう切り抜けるかを検討することが最優先だ。二人ともタイプの違う絶世の美女となってしまった今、誰にも気づかれずに四阿を出ることは不可能だ。考えられる実現可能な案は、変装して出る以外の方法はなかった。

 騎士団の所持する隠密行動の魔方陣は一般市民のジェニエさんには使えない。

 子どもたちに俺のスライムを貸してやり、大人たちの話から遠ざけてやった。

 変装に使用可能な魔方陣を、各々が提示していくと、ジュエルが組み合わせ可能なものを選び出し新たな魔方陣を構築していく。

 こういうところは本当に天才的だ。

 意外にも領主様が使用可能な魔方陣を幾つも提示し、存在感を出していらした。このお方はどちらかと言えば騎士寄りの性格で、毎朝騎士団の練習に合流しては若手を吹っ飛ばしていたので、文官としての資質まで持たれているのには驚いた。

 精霊たちに、二人の表面上に微細な粒子の層を作らせ、そこに老婆時代の姿を映し出し、本人の動作に合わせて自然に映像を動かしていることでこの問題は解決した、ようだったが、俺にはその原理を聞いてもよくわからない。

 現在廃れてしまっている精霊魔法を使用しているので他の人に悪用されることはないとのことだった。声が若いままだということ以外は完璧なものだった。

 息子に貸したスライムが送り火を再現できたことに感動していると、領主様はすかさずご自身のスライムの調教を頼まれた。本当に負けず嫌いのお方だ。

 おかげでスライムの学習方法がわかった。

 スライムは互いに教えあうことで、学習意欲や成果を上げている。息子たちにもスライムを飼わせよう。領外に出せるかは上層部と相談だ。

 これが終われば焼肉パーティーだ。

 そう思えば頑張れるものだ。

 それにしても領主様のスライムの魔力量は凄まじい。カイルのスライムは技巧派だったが、圧倒的な魔力量のもとに敗れてしまった。

 俺のスライムも武者震いをしている。可愛いやつめ、帰ったら鍛えてやるぞ。

 ジェニエさんに一目ぼれした騎士には気の毒だが忘れてもらった。いくら未亡人だからといっても、おそらくそいつの母親より年上なんだ。

 ジェニエさんから若かりし日のオーレンハイム卿の失態を聞いて、妻がほどほどの美女で良かったと心底思った。俺が伯爵様の従者に路地裏に引きずり込まれたら、政治問題になるまでボコボコにしてしまっていただろう。

 午後は半休を取ってあるので気が楽だ。


 ジュエルの家で焼肉の準備をする前にごちそうになった軽食のサンドイッチはハム卵サンドといって人生史上一番美味しいパンだった。

 息子はケインと一緒に食後は昼寝をしていたが、カイルは上級精霊に癒しを施してもらったからと、焼肉の準備を手伝い始めた。本当によく働く子どもだ。

 部下から連絡用の鳩が飛んできた時には嫌な予感がした。

 第一師団が焼肉パーティーを嗅ぎまわっているらしい。

 ジュエルの決断は早かった。

 最悪に備えよ。

 会場を広い庭に移し、天幕やテーブル、椅子を増やす。子どもたちも合流して、まめまめしくはたらく。

 よちよちと少し運んでは椅子おき、また少し運んではおく。子どもが手伝いをする姿とはこんなに可愛らしい仕草をするものなのか。もう少しボリスが大きかったなら一休みせず運べただろうに…。

 ああ、俺は上の子たちの幼児期の成長過程を見逃していた。

 そうこうしていると伝令の早馬と同時に第一師団が乗り込んできた。

 俺は休暇だ。警備の頭数に入れるなよ。


 天幕に入った領主様と老婆に付き添ったのは俺だった。

 天幕の中には、応接用のテーブルと椅子の他に、長テーブルの上に七輪とたっぷりお肉が入っている保冷庫と、大きなピッチャーに氷を浮かべたお茶まで用意してある。

 俺がサービスを提供するのか?そうだよな。誰もいない。

 もうやけくそだ。

 タレや味塩の用意をして丸テーブルの真ん中程よい火加減の七輪をごとんとおく。作法なんか知ったもんか。

 領主様も席に着かず、保冷庫からお肉を取り出しては、どれから焼こうか思案している。

 美女に戻ったマナさんはお茶を全員に注いでくれた。

 ここは上下関係が全くなくなった空間になってしまった。

 いや、ある。

 領主様は切り分けられた肉の皿を持って、焼いてくれるよね、というお顔をされている。

 トングを使って牛タンを焼く。焼き方やおすすめの食べ方を書いた紙まで用意されている。ふむふむ。牛タンは焼き過ぎず“味塩”がお勧めか。

 三枚焼いた牛タンを各々の取り皿に取り分けると、領主様が俺を見ている。

 はい、わかりました。

 俺が毒見をすればいいのですね。

 香りのいいニンニクの味塩でいただく。

 ああ、旨い!

 それ以上の言葉は必要ない。旨いものはとにかく旨い。

 領主様も俺が口に入れるや否やサッサと口に放り込む。

 それでは毒見の意味がないだろう!

 そうか。毒見役がいた、という事実があればいいのか。

「牛タンは初めて食べた。旨いものだな。またこの塩がいい。全種類試してみたいから次々焼こう」

 貴方は会合に来たのですよね?

 人目を気にせずに食べたい物を食べたいだけ食べるために来たのですか。

「だから言ったであろう。書庫に文書があるじゃろと。上級精霊によると、初代王は大雑把なお人柄だったから、奥様が必ず記録をとって残しておられると」

 大事な会合を、焼肉を食べながらするのか!!

「うん。だがなあ、読めない文字が入っているのだ。声に出してもいけない、禁忌の文字だぞ。前後の文脈からある程度推測はできるのだが、正解かどうか誰にも相談できないのだ」

 これは俺が聞いていい話ではないだろう。

 カルビを真剣に焼いて聞かないふりをしよう。

 真剣に肉と向き合えば周りの声は聞こえなくなる……。

 …本当に聞こえない。

 四阿で魔方陣を構築していた時も領主様は時折口元を隠されていた。あの時も密談をされていたのか。

 これが精霊魔法なのか。

 魔力の発動を全く感じない。

「おおお、焼きすぎだろ。ここにカルビは焼き過ぎるなと書いてある。お勧めは塩でもタレでもいいそうだ」

 密談中も焼肉も見張っていたのか。

 さっきは塩だったから今度はタレでいってみよう。

 甘じょっぱいタレと脂の相性がいい。旨いものは旨い。それしか言えない。

 領主様はもう取り分けられるのを待っていたりはしない。小さめのトングで自らつまんで、どんどん食べ進めていく。

「これはタレが好みだ。酒が進みそうな味だが、キャロラインに嫌われるから、じいじは我慢するのだ」

 すっかりそのキャラクターになりきってらっしゃる。

「塩ホルが食べてみたい。カイルがカリカリになるまで焼くのがお勧めだって言っていたがジュエルは火がとおってすぐ食べる脂も美味いと言っていた。両方試そう」

 マナさんは七輪に張り付いて自分好みに焼いている。

 密談は終わったのだろう。

 俺は半休のはずなのに、仕事の延長に思えるのは天幕の警護は丸腰の俺一人だという事実のせいだ。

 第一師団長への貸しにしておこう。


 天幕から出ると、ほとんど時間が経過していなかった。

 今から焼き肉を始めるジュエル一家と合流するとホッとしてまた食欲がわいた。

 とにかく沢山食べてやる。

 七輪にサーロインをどんどん乗せてばんばん煙を出してやった。

 風魔法を使ったのは会場内の煙を拡散させるためであって、決して護衛騎士への嫌がらせではない。同僚だもん。無下にはしないぞ。


 焼肉パーティーの〆はスライムの伴奏でジュエル一家の合唱だった。

 美しい歌に感動ひとしおだったが、俺のスライムには楽器の演奏は無理だ。

 俺は致命的な音痴だからな。

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