月白色の上級精霊
「ハハハハハハハハ!スライムの癖に猪口才な!」
微動だにしない教皇背後に突如として出現した長髪の青みがかった白色とでも表現するような月白色の髪の美青年は成人男性と同じ身長だったので一目で上級精霊だとわかった。
「「「「「「「「「「「「「あたいたちのすることに楽しんでいたくせに、いきなり現れて威張り散らすんじゃないわよ!」」」」」」」」」」」」
粉砕されたぼくのスライムはゼリービーンズの大きさになった複数の個体のまま一斉に文句を言った。
「まったく、もう!強引に分裂させられたら痛いから、先にバラバラになってやったわよ」
やられる前に分裂して難を逃れたぼくのスライムは応接テーブルの上で一塊に集まると、元のサイズに戻った。
「お知り合いですか?」
ぼくの背後にいる今はワイルドと名のっている上級精霊に尋ねると、知っている、数千年来の友人だ、と二人の上級精霊が同時に答えた。
二人の距離感の違いに、ブフッとぼくの魔獣たちは吹き出した。
「上級精霊になった時期が近いだけで、これといって親睦を深めた記憶はない」
「お主が人間と戯れていない時は、連れ立っていたことがあったじゃないか!」
二人の上級精霊の温度差にぼくと魔獣たちは唖然として月白色の髪の上級精霊を見た。
「神々の依頼が偶々重なった時だけだろう」
温度差はあれど、旧来の知人なのは間違いないようだ。
「なにしにこの部屋に来た?」
素っ気ないワイルド上級精霊に対し月白色の髪の上級精霊は不服そうに眉を八の字にした。
「お主が人間の従者に化けて、人間に奉仕しているのが面白いからではないか」
「人間への干渉を最小限にして神々の依頼に応えるためだ。便宜上そうしているだけで人間に奉仕しているわけではない」
「それにしては甲斐甲斐しく世話していたじゃないか!」
こぶしを振り上げて激怒する月白色の髪の上級精霊を見て、なんだ、友人だと思っている知人に自分は素っ気なくされているのに、手厚く庇護されているぼくたちを見て焼きもちを焼いていたのか、と魔獣たちが呆れている。
「おまえが何もしないからこんな面倒な事態になったんだろうが。何百年かけて邪神の欠片を教会関係者たちが集めていたのを、ここまで放置したからだろう」
やれやれ、とワイルド上級精霊が肩を竦めた。
「人類が滅びるなら勝手に滅びたらいい。創造神が新に創り給う新しい世界を見てみたいじゃないか!」
ああ、終末思想の上級精霊なら、滅びに向かって行動している人間をあるがままの世界として観察するだろう。
箱を開けなければ猫の生死がわからない、シュレディンガーの猫じゃないけれど、観測されることで事象が決定づけられるとするならば、観測者が観測されない存在だった場合は箱の中の猫はどうなっているのだろうか?
観測者が確認しようがしまいが猫には寿命がある。
寿命以外にも箱の中の餌を食い尽くしたり、日照不足でビタミン欠乏症になったりするのに、箱の中で猫が勝手に死のうが生きようが観測者が気にしなければ箱は箱でしかなく猫の生死などなにもないのだ。
人間が精霊たちを無視していても魔法を行使できているし、世界はそれでも動いており、精霊たちが夏休みの自由研究のアリの巣が死滅しても気にしないように人間に無関心ならば、この状態を放置して新しい世界を見たくなるだろうな。
観測者が関心のない箱庭の世界で、箱庭の住人が観測者から魔法を行使できるという恩恵を受けていながら、それを意識せず勝手に使用し、聖典というルールブックに載っていない邪な魔力を聖典で禁止されていないからと使用し、それで箱庭が破滅に向かっていたとしても、勝手に自滅しようがどうしようが気にしない、ということだろうか?
「うーん。そんなに難しい話じゃないよ。あの上級精霊は、ただ単純にこの世の中がどうなろうともかまわないだけよ。麗しの上級精霊様に無視され続けている状態で、上級精霊様の関心がご主人様やあたいたちに向いていたことに腹を立てていただけよ。その証拠にあたいが分裂するまで空気の刀を使用するのを待っていたんだもの」
「ワイルド上級精霊のお気に入りを直接害して嫌われたくないから手加減したっていうのかい?」
「そうなのよ。あたいの呼吸を読んでいるかのように絶妙なタイミングだったのよね。ああいうのが恋愛小説で言うところのツンデレで、麗しのワイルド上級精霊の気を引きたくて、お気に入りのご主人様の魔獣にちょっかい出しちゃったよ的な、こう、むず痒くなるような萌え感があるのよね」
「ツンデレってなあに?」
「ツンデレはねぇ……」
二人の上級精霊が大聖堂内に邪神の欠片が大量に貯蔵されている事態について口論しているのに、どんな恋愛小説から発想を飛ばしたのか、と疑いたくなるような推測をぼくの魔獣たちはして、勝手に盛り上がっていた。
「滅びてもいいと考えているのなら何でこの面会に立ち会おうとしたんだ?」
ワイルド上級精霊の言葉に月白色の髪の上級精霊は言い淀んだ。
面会に立ち会った、とわざわざ限定しているということは、昼食会の食集毒騒動に関係がないのかな?
シロが黙って首を横に振ったということは、かかわっているけれど言語化したくないということだろう。
「いや、世界が滅びようとどうしようと気にしていなくても、教皇との面談が世界を変えるかもしれない重要な転機なのだから注目して当たり前だろう?」
月白色の髪の上級精霊は固まっている教皇の頬をペシペシ叩きながら不敵な笑みを浮かべた。
その言い方だとこの世界の行方をすごく気にしていると言っているようなものではないか。
「うん。邪神の欠片や子どもの誘拐に全く関係していない人物を教皇にしたことは、褒めてやろう。だが、まったく知らないなんてアホの子を神々に祈りを捧げる教会の頂点に据え置くなんて、お前がアホだからに違いないだろう」
歯に衣着せぬワイルド上級精霊の言葉は月白色の髪の上級精霊に刺さったようだけれど、ぼくたちにも強烈に刺さった。
はあぁ、完全純粋無垢、という存在は世俗から切り離されて成長したから成し得たことのなのかな。
ユゴーさんの一族は裏国王として監禁する『見せしめの子』を一人用意しながら、教会に差し出す裏で『見せかけの子』を用意して、世俗から完全に切り離して、世間の悪意から完全に隔絶された善意だけを享受して育った、教皇候補を輩出することで一族の存続を図っていたのだとしたら、子を攫う組織が悪いのか、子を差し出す一族が悪いのか判断のしようがない。
「うん。特殊な育ち方をしたこの子しか残らなかったことを理解するなんて、聡い子だね。異世界転生者で幼少期に記憶の一部を思い出す人間は見たことがないから、ああ、今はワイルドと名のっているんだったね、お主が気にかけるのもわかる気がするよ」
うん、まあ、そうだね。
ぼくの特徴は前世の記憶があることだ。
ぼくがワイルド上級精霊に注目されたのも異世界転生者として覚醒してからだから、月白色の髪の上級精霊の言わんとしていることは間違いではない。
「お前の縄張がここだから生と死に疎くなっているだけだ。例えカイルが三歳で死と直面する悲劇に前世の記憶を思い出さなかったとしても、あの場でカイルは生きのこっただろう。そしてカイルは前世の記憶がなかったとしても面白い子であることは変わらなかっただろう」
暴れるなんて無駄なエネルギーを使わずにじっと耐えていただけで、ぼくは父さんやマルクさんに救助されていただろう。
ただ、母を盾にして生きのこった罪悪感を前世成人していた記憶なしに耐えられたかどうかは正直わからない。
「ご主人様には温かい新しい家族がいたから、結果はおなじだったはずです。たとえ前世の記憶がなくただの普通の三歳児だったとしても、ジュエル一家は温かく受け入れていてくれたでしょう。前世の記憶がない普通の三歳児だったとしても、両親の愛情を一身に受けた記憶を持ち合わせて、ジュエル一家の養子になっていたら、やはり精霊たちは放ってはおかなかったでしょうね」
犬型から妖精型になったシロは、素質と環境が人間を育てるのだ、と月白色の髪の上級精霊に訴えかけた。
真面目に訴えかけるシロの形相に月白色の髪の上級精霊は天を仰いだ後頷いた。
「ああ、そうだね。ここには選別された家柄や魔力や学力が選別された人間しかいない。ハハハハハ、そうだね。選別されて思考がおかしくなっている奴らばかりの中から教皇を選ぶなんてやってられないから洗礼式でめぼしい子どもを幾人か選んでみたんだけど、みんなアホな思想に染まってしまうんだ。アホな思想のない子がこの子しか残らなかったのだから仕方ないだろう」
月白色の髪の上級精霊は教皇の頬をムニムニと触りながら言った。
「カイル君だっけ。教皇にならないかい?この子が引退した後の次の子が見つからないんだよね」
「遠慮しておきます」
即答したぼくに、いつも跡継ぎに指名されるな、とワイルド上級精霊が笑った。
「人間に関与しない、と言うわりに、教皇の選定には関与しているのねぇ」
ぼくのスライムの素朴な疑問に月白色の髪の上級精霊は教皇の横で胸を張った。
「そのために大聖堂にいるのだから当然だ!」
「えー、教皇を選定するのに教皇の教育はしないのね?」
みぃちゃんも遠慮なく月白色の髪の上級精霊に質問した。
「創造神に一番近い場所で祈りを捧げる人間を選んでいるだけだ。必要なことは全て聖典に書かれているのに、なんで私が教育しなければならんのだ」
当たり前といえば当たり前だが、任命責任という考え方は……ないのだろうな。
月白色の髪の上級精霊はニコニコしながら、カイルが教皇になったらお主は大聖堂に注目するし邪神の欠片も見張っていられるからいいことずくめじゃないか、と発言して、このドアホが!とワイルド上級精霊に即座に叱られている。
“……精霊たちの中にアホな子がいるとは思っていたけれど、上級精霊の中にもアホな子がいるのね”
ぼくのスライムは声に出さない分別を発揮したが、思考を隠さず本音を駄々洩れの状態にして残念な子を見るように月白色の髪の上級精霊を見た。
魔獣たちもぼくのスライムの思考に同調して頷いた。
「純真無垢な教皇猊下が誕生した理由がわかったけれど、枢機卿たちがこうなっているのを長年放置していたのだから教皇の後釜がいないのは……必然的なことだよね」
キュアは教会内部がおかしくなっているのを長年放置してきた月白色の髪の上級精霊のせいじゃないか、と口に出してハッキリと言った。
「飛竜の幼体は上級精霊をもっと敬いなさい。お前の周りから精霊素を奪えばお前は床に落ちてしまうんだぞ」
月白色の髪の上級精霊がキュアを睨みつけると、幼体を苛める悪い上級精霊だ、とスライムたちが囃し立てた。
「お主が人間の世話などするから、スライムたちまで上級精霊への敬意を失っておるじゃないか!」
月白色の髪の上級精霊はスライムたちにバカにされたことをワイルド上級精霊に責任を擦り付けた。
「魔獣たちは私には敬意を払っているから、お前が馬鹿にされているだけだ。神々への祈りの場の結界が維持されているからといって、他のことを蔑ろにし続けていたからこうなったのだ。邪神の欠片を一所に集めておくと精霊や神々まで創り返されるレベルで新世界が再構築されたら、お前の存在は消失するぞ」
月白色の髪の上級精霊の無関心さがこの事態を招いた一端だ、とワイルド上級精霊に指摘された月白色の髪の上級精霊は両手を膝について項垂れた。




