修練の間
一見では腐っているかわからない食材が大聖堂内で流通している懸念は大聖堂側で解決してもらうことにして、ぼくたちはいよいよ教皇との面会する部屋に案内されることになったのだが、なぜか、枢機卿たち全員ついてきた。
大聖堂の塔の地下に下りる通路は人が近づくと明かりが灯るセンサー式の魔術具が壁に据え付けられており、ぼくたちが進むにつれて先が見えてきた。
「こちらのお部屋にお一人ずつお入りください」
かなり下まで降りたところで、案内役は一つの部屋の扉を示したが開けてくれなかった。
何か仕掛けがあるのか、とぼくたちが訝しがっていると、上級精霊は前に進み出た。
上級精霊がドアノブに手を触れる直前に扉が勝手に開いたように見えたが、上級精霊はがっちりドアノブを握り背中で扉を押さえた。
部屋の中を見た上級精霊が、どうぞ、と寮長を案内すると、枢機卿たちが怪訝な表情を一瞬見せた。
上級精霊が敷居をまたいで扉を押さえた状態で、司祭に言われた通りぼくたちは一人ずつ入室した。
案内役が眉をひそめ、枢機卿たちの頬が面白そうに上がっているところを見ると、ぼくたちは作法を間違えているのだろう。
「昼食会に招待したのも、実はこの先の部屋に入れるのか見たかったから、といっても過言ではないのですよ」
ぼくたちの後に続いて入室した枢機卿たちは、この部屋には入室条件があって簡単には入れない、と言った。
侍従が扉を押さえておくことができたのはぼくたち全員に入室資格があったからか?いや、そんなはずはない、と枢機卿たちは話し込んでいる。
ぼくたちが案内された部屋は『修練の間』と呼ばれる部屋で、応接セットの家具があるだけで正面にもう一つ扉があるだけの簡素な部屋だった。
「本来はお一人ずつ扉に手をかけ、開かないようでしたら入室資格がないという修練の成熟度を確認する部屋なのです。魔獣たちは使役者に資格があれば同時に入室できます」
案内役の説明に枢機卿たちは頷いた。
「主人と同質の魔力を有していると同時に入室できますよ」
「過去には双子が同時に入室したことがあります」
「入れなかった時はその場で教皇猊下をお待ちするのが作法なので、私たちは付き添う予定で一緒に来たのですよ」
恩着せがましい言い方をしているが、ぼくたちに入室資格があるかどうかが見たかっただけだろう。
「扉を押さえて開け放ったからといって、早々入室できるものじゃないだろう」
「寮生活で寝食を共にしているから魔力が似通っているのか?」
「いや、そんなに簡単な話じゃないだろう」
見本を見せるかのように北の枢機卿は次の部屋の扉を開けて、南の枢機卿に通過するように促した。
だが、南の枢機卿は見えない壁に阻まれるように跳ね返され隣の部屋に入ることができなかった。
北の枢機卿が隣の部屋に入ると自動的に扉が閉まった。
「第一の扉は基準が甘くなっていたのではありませんか?」
呼ばれたのに入れないなんて無礼なことがないように審査基準が下がっているのでは?と寮長が言うと案内役と枢機卿たちは、それはない、と首を横に振った。
上級精霊が扉の魔法を無効化している可能性を誰も考慮していないようだ。
五人の枢機卿の中に反精霊派や誘拐組織の首謀クラスがいるはずなのに、誰も上級精霊にもシロにも一向に関心を示さない。
演技なのだとしたら面の皮が厚い人物だ。
「今度は私から正しい手順で行こう」
面会時間が迫っているので寮長はサッサと審査を済ませよう、と扉に手をかけると、カチッと鍵が開くような音がして自動的に開いた。
「招待客なので勝手に開くのだろうか?」
枢機卿たちも見たことがない現象のようだったようで首を傾げた。
寮長が通り抜けると自動的に扉が閉まったということは、物理的に扉を押さえていなければ全員で通り抜けられないようだ、と枢機卿たちは話し合っている。
ごちゃごちゃ話し続けている枢機卿たちを放置して、ウィルが扉に手をかけると寮長と同じように勝手に開いた。
ウィルもウィルのスライムも砂鼠も無事に通過すると、止める間もなくバタンと扉が閉まった。
自動ドアを試してみたくなったぼくとボリスとロブは顔を見合わせると、即座に順番を決めるじゃんけんをした。
勝ちぬけしたのはロブだった。
ロブはドアノブを回さないと開かず、北の枢機卿と同じ開け方だった。
「扉を押さえましょうか?」
「いや、開き方の違いを見せてもらってもいいかな?」
全員で通過する是非について話し込んでいた枢機卿たちに気を利かせたボリスに、扉の開き方の違いに気付いた北の枢機卿は一人ずつ扉を開けてみようと提案した。
ロブが通過するとしまった扉にボリスが手を伸ばしても勝手に開くことはなく、ロブと同様にドアノブを回して扉を開けた。
先に行くね、とボリスがぼくに手を振って通過してしまうと閉まってしまった扉にぼくが手を伸ばすと、寮長とウィル同様に自動的に扉が開いた。
魔獣たちと一緒に隣の部屋に通り抜けると、隣の部屋は一つ目の部屋と同じような間取りの部屋だった。
「通り抜けられなかった人が鍛えなおして出直してくるから『修練の間』といわれるのでしょうか?」
ぼくの次に入ってきた上級精霊に尋ねると、そうかもしれませんね、と素知らぬ顔で言った。
枢機卿たちは上級精霊の後から入室したが、案内役はついてこなかった。
「案内役の彼が司祭補なので、まだ一つ目の部屋にしか入室できないからです」
あの人は司祭ではなく司祭補だったのか。
枢機卿たちの話を総合すると『修練の間』は七つあり、一つ目の部屋は上級魔法学校卒業相当の人物なら通過できるらしい。
案内役は司祭補なので上級魔法学校は卒業しているが神学校を優秀な成績で卒業したわけではない、という篩にかけられ、二つ目の部屋に入れなかったようだ。
ジュードさんがあんなに焦っていたのは司祭になれるか司祭補止まりになるかの瀬戸際で、司祭と司祭補ではだいぶ待遇が違うからなのだろう。
「この部屋に入室できたということは、君たちは上級魔術師として独り立ちできるレベルの実力者ということです。神学生たちは全ての祝詞に魔力を込められるようになれば上級魔導士として仕事ができるレベルなのですよ」
「案内役の司祭補は苦手な属性をまだ克服していないようだ」
「全ての属性に対応できなければ、司祭として独りで全ての儀式を執り行うことができないから、まだまだだね」
枢機卿たちの言葉に、修練を積んで出直してこいということか、とぼくたちは頷いた。
「その年で二つ目の部屋に全員入れることが驚きだよ」
大聖堂の枢機卿の言葉に、寮長は満面の笑みで言った。
「初級魔法学校に入学した年に、上級魔法学校の卒業制作としても何ら遜色のない魔術具を制作した生徒がいるのですよ。彼につられるようにみんなが切磋琢磨したお陰で、うちは全員レベルが高いのですよ」
枢機卿たちが一斉にぼくを見た。
その魔術具の制作者がぼくだとバレているようだ。
連れている魔獣の数も多いから、わかりやすいかもしれない。
まあ、このくらいはバレても仕方がない。
魔法の杖を取り出しただけで、おおおお、と枢機卿たちは唸った。
「あらかじめ複数の魔法陣を仕込んであるので、組み合わせ次第で無数の魔法が使える便利な魔術具ですよ」
枢機卿たちが魔法の杖を覗き込むように見るので、杖の先端の水晶の中にスノードームのように動いている小さな魔石に魔法陣が刻まれている、と説明した。
これを初級魔法学校の一年目で制作したのか!信じられない!と枢機卿たちが首を小さく横に振るので、改良したものですよ、と言い訳した。
「東方連合国の姫もなかなか凄い魔術具を制作していますよ」
競技会でデイジーと一騎打ちしたウィルが刺股の魔術具を説明すると、それに対抗する鞭の魔術具の原型を初級魔法学校二年生の時のウィルが製作していたことを寮長が暴露し、枢機卿たちは、優秀過ぎる、と頭を抱えた。
「神学に進む気はないかい?」
「洗礼式の頃からお誘いいただいていますが、勤務地が全世界なので地元に帰りたいぼくは遠慮しておきます」
毎度お断りする時の理由を持ち出すと枢機卿たちは、あんなにメシウマな地元なら帰りたくなるのも頷ける、とすんなりと納得した。
上級精霊が大盤振る舞いで枢機卿たちをもてなしたことが、こんなところで効果を発揮するとは思わなかった。
「次の部屋への入室基準は、魔術師ですと独自の上級の魔法陣の開発、魔導師ですと独自の呪文の開発です」
北の枢機卿の説明は、競技会用の魔術具の魔法陣開発にかかわっていたボリスもロブも問題ない基準だったので、ぼくたちは無言で頷いた。
扉の開き方の個人差は二つ目の部屋と同様で、ぼくたちは全員通過できた。
「次の部屋への入室基準は神々の祝福の数の違いになります」
「どの神から、どれだけたくさんの祝福を授かれば通過できるのか、といった具体的な数は明確にわかっておりません」
枢機卿たちの言葉に魔獣カード大会で確実に祝福を受けた記憶があるぼく以外は(いや、上級精霊は平常だった)どうしたものかと天を仰ぎ見た。
「通過できなければこちらの部屋まで猊下がいらしてくださいます」
枢機卿たちはぼくたちが通過できるのはここまでだ、とでもいうかのように説明した。
「はい!質問があります!」
元気よくウィルが挙手をすると、枢機卿たちが、かまわない、どうぞ、と先を促した。
「神々の祝福とは具体的にどういったもので、祝福を授かった、と実感できるものでしょうか?」
ウィルの素朴な疑問に大聖堂の枢機卿が答えた。
「うむ、祈りを捧げている時に神々からの呼びかけのようなものを感じることでわかります。この世界が神々から授かった魔力を循環させることで成り立っていることを悟る瞬間でもあります」
寮長とぼくたちは顔を見合わせた。
そんなのでいいのか!
合同礼拝で礼拝所内の魔法陣を光らせるたびに感じていることではないか!?
「なんだか全員通過できそうな気がしてきた」
寮長がそう言うと、ボリスが首を横に振った。
「帝都の中央教会での最初の夕方礼拝に参加していないぼくは回数が足りない気がします」
祝福を授かった自覚があるような口ぶりなので枢機卿たちは唖然とした表情でぼくたちを見た。
「取り敢えずボリス君から試してみよう」
寮長に促されたボリスが次の部屋への扉のドアノブに手をかけると、するりと回って扉が開いた。
「大丈夫だったようなので、先に行きます」
ボリスが通り抜けると扉は自動的に閉まった。
「いったいどういうことなんだ!」
頭を抱えた枢機卿たちに寮長がボソッと言った。
「行く先々で魔力奉納をして回っているので、我々は神々の覚えめでたかったのでしょうね」
合同礼拝だろうな、とぼくたちは当たりを付けていたが、神事を研究するのは教会の仕事だから、ぼくたちは口を噤んでいた。




