生と死がない都市
ぼくたちが礼拝所の外の大騒ぎに気付いたのは、大丈夫ですか!と正面玄関から放水の援護を受けて突入してきた治安警察隊員たちの慌てぶりを見たからだった。
「爆破したのはどこですか!」
火災もなければ爆発もなかった、と教会関係者たちの説明と、精霊たちの発光だったのか、と安堵する白い制服の治安警察隊員の言葉に、他の教会都市の治安警察隊員たちは礼拝室に漂っている色とりどりの光たちが爆発の影響の火の粉ではなく謎の発光体だと気付いた。
「……これが……精霊なのですか!?」
初めて見るとビックリするよね、と笑う白い制服の治安隊員は差し入れのアイスクリームを届けに行った詰所にいた隊員だった。
「ぼくたちもびっくりする量の光でしたよ」
「さすが!大聖堂での礼拝所だ、と言いたくなるほどの凄さでしたね」
ぼくとウィルの言葉に反応するように数体の精霊たちが閃光を放った。
ああ、これか、と治安警察隊員たちは閃光を放った精霊たちから顔を背けて言った。
「お騒がせいたしまして、申し訳ありません」
寮長が治安警察隊員たちに謝罪した。
「いえいえ、慶事の輝きでよかったです。万が一に備えるのが我々の仕事ですからどんな出動でも問題ありません。大惨事がなかったならそれはそれでいいのです」
都市型死霊系魔獣の心配のない教会都市に住む治安警察隊員たちは、火事や事故の対応が主で凶悪な魔獣との対決の恐れがないせいか、騎士団や軍関係者たちより爽やかな印象がする。
引き上げていく治安警察隊員たちに精霊たちが取り囲んで、悪かったね、とでも挨拶するかのように二回点滅してスッと消えた。
本当にお騒がせしました、と教会関係者たちに詫びると魔法の杖を一振りして水浸しになった礼拝所に清掃魔法を施し、ぼくたちは宿泊施設にそそくさと帰った。
「こんなに美味しい短粒種の米料理は初めてです!」
ジュードさんの出身地ではお米は長粒種が主体で香辛料の効いたスープとあわせて食べる習慣があり、寿司飯に衝撃を受け、中トロの旨味に感動した。
久しぶりに食べた米と、思いがけない衝撃的な美味しさに、ジュードさんは涙を浮かべていた。
「帝国では北部の不作のせいで小麦栽培が優先されているので、お米の作付面積が減っていますからね」
足りない小麦の作付けが奨励されていることと、領主がころころと挿げ替えられていることから北部出身者が食べ慣れていない作物は米以外にも多く作付面積を減らされている。
「口に入るものなら何でもいいと思っていた時期が長かったので、ありがたくて涙が出てきます」
食堂で用意されていたのはパンとハムとチーズと野菜スープだけという味気ない物だったので、ぼくたちが持ち込んだ寿司折りにジュードさんはひたすら感激していた。
用意されていた食事はキュアが全部食べてくれた。
「やっぱり育ち盛りの食事はある程度量がなくてはならないでしょう。帝都の中央教会から神学生候補生になった友人たちに差し入れをしたいのだけど、ジュードさんに頼んでもいいかい?」
寮長は大聖堂の神学生たちの継続的な情報入手のため、帝都の中央教会の元寄宿舎生たちへの差し入れを用意していた。
それは美味しいものなのか!と首が伸びたジュードさんに、美味しくないけれど日持ちする保存食だよ、と寮長が言うとジュードさんの首が引っ込んだ。
「急ぎでないのでしたら可能です。お預かりいたしますよ」
キリシア公国から購入した木の枝みたいな保存食をジュードさんに託すことになった。
「早朝礼拝に間に合う時間にお迎えに参ります」
夕飯を一緒に堪能したジュードさんはぼくたちを食堂から部屋まで送り届けると、自分の宿舎に戻っていった。
はぁー、と寮長は大きな溜息をつくとソファーに横たわった。
「皆さんの注目していた、大聖堂の教会関係者の死亡率を探ってみました」
大聖堂で邪神の欠片を大量に加工しているのだとしたら犠牲者が出ているだろう、と緊急円卓会議で話題になっていたことを調べたらしい上級精霊が応接間に来ると、だらしなく伸び切っていた寮長は姿勢を正した。
「大聖堂の住人たちに未成年は神学生候補生しかおらず、年配者も壮年の年齢です。人間が一番死ににくい年齢の男性しかいないのです」
祈りと魔力奉納に特化した大聖堂では生と死から切り離されているのか、女性と老人を排除しているらしい。
「魔術具の暴走や巡礼者たちが持ち込む病原菌による流行り病もありますが、基本的には治癒魔法の使い手も常住しているので、大聖堂内では死亡者はいませんが、魔力奉納不可とされる脱落者がいるようです」
大聖堂に死者はいないのではなく、魔力奉納ができないほど衰えたものは大聖堂内に留めておくことをせず、教会都市に移しているらしい。
「ジュードの証言にもあるように、環境が悪いからか後ろ盾のない神学生たちが毎年一定数脱落しているようです」
教会関係者の名簿の写しです、と差し出した紙の束に脱落者の名前に赤いインクで出自が書き加えられていた。
どこからこんな詳細な資料を、と王家の密偵のロブが悔しがった。
上級精霊が立ち入れない場所はおそらく邪神の欠片の保管庫だけだ。
“……格が違うのよね”
緑色に戻っているぼくのスライムが精霊言語で、上級精霊様は凄いのよ、と高笑いすると、ロブのスライムが慰めるようにロブの手にすり寄った。
「名簿の脱落者は孤児院出身者が他の関係者より比較にならないほど多いな」
寮長は眉間に皺を寄せて顎を擦りながら唸った。
「邪神の欠片を魔術具として加工する際、人体実験として後ろ盾のない孤児院出身者たちが利用されたのでしょうか?」
「大聖堂の神学校に推薦されるように特殊な教育を受けた孤児が、耐性のある人物として選ばれているのかもしれないね」
飛竜の里で保護された子どもたちを知っているボリスとウィルが眉間の皺を深くした。
「……ディーって優秀だったんだね」
こんな熾烈な環境で生きのこったディーにウィルは思いを馳せた。
「ディー自体は悪い人ではなかったのに、明らかに劣悪な環境下に子どもたちを送り込むことを保護しているとしか考えられなくなる、凝り固まった思想だったね。大聖堂内でそんな教育がされているのかな?」
むかつくわ!と発声魔法で口に出したぼくのスライムの言葉に、ぼくの魔獣たちは、ジュードさんは何も知らなそうだね、と首を傾げた。
「あんなに素直な反応をするジュードさんだって、案内役と称しながらも我々を偵察するためにつけられた優秀な間諜かもしれないから知っていてもおかしくない」
寮長の言葉にロブは頷いた。
スパイはスパイらしく見えない方が一流のスパイなのだろう。
「それでは、明日の教皇との面談でお聞きしたいことをまとめておきましょうか」
上級精霊に促されるがまま、予想される質問への応答やこちらから聞き出したいことを寮長はメモにまとめ上げた。
「おはようございます!」
ジュードさんが元気よく応接間に現れた時には、ぼくたちは身支度を済ませて上級精霊が用意したフルーツカクテルを食べていた。
ヨーグルトドリンクの中に刻まれたスイカやオレンジや苺が入っていて甘くて酸っぱくて美味しい。
お出かけ前にジュードさんもいかかですか?とカクテルグラスを上級精霊から勧められると、ジュードさんは満面の笑みになった。
「昨日は遅い時間だったのにもかかわらず、神学生候補生の宿舎に入れてもらえたので、差し入れをお渡しすることができました」
しっぽ全力で振って仕事の成果を褒めてもらいたがっている犬のような笑顔で報告したジュードさんに、ありがとう、と寮長が礼を言った。
日没の鐘が鳴った後に面会なんて通常はありえないだろうから、ジュードさんが交渉上手だと見るべきか、間諜ならではの仕事の手際よさなのか判断しかねるが、いずれにしても、ただの愚痴の多い泣き虫ではないだろう。
「もしかして、この美味しい食べ物も今朝の早朝礼拝の供物なのですか?」
フルーツカクテルをぺろりと平らげたジュードさんが寮長の魔術具の鞄を見て言った。
「美味しいものをお供えすると神々がお喜びになるのだよ」
ジュードさんは昨日の礼拝所の騒動を思い出して、そういうことだったのですね、と苦笑をした。
一般礼拝所では教会関係者の服装の人物が大半を占めており一般礼拝者は少なかった。
早朝礼拝は日の出前から身支度をしなければならないので、夕方礼拝より一般参拝者が少ないのは帝都でも同じだったが、昨日の今日のことなので一般参拝者の人数制限でもされたのでは、と勘繰ってしまう。
昨日同様、寮長は礼拝を取り仕切る司祭に心付けを添えた供物を手渡すと、今度は最前列に案内された。
真っ先に魔力奉納をさせることでぼくたちを跪かせない配慮をした、ととらえるべきか、それとも、祭壇の魔力奉納だけで礼拝所内の結界の魔法陣を光らせることができるかどうか試そうとしているのかもしれない。
日の出の鐘が鳴る前に司祭の祝詞が始まった。
ぼくたちに魔力奉納をするように司祭補が手を広げて祭壇に向かうように促した。
ぼくたちは後頭部に教会関係者たちの熱い視線を感じながら両手を祭壇に乗せて、この世界の安定と孤児院出身の神学生たちの安全と、帝都で何事も起こらないことを願った。
……やらかしたのは魔獣たちだった。
教会関係者たちの熱い視線に遠慮するかのように祭壇に上がらずにぼくたちの真後ろで床に両足や触手をついて魔力奉納をした魔獣たちを起点に、礼拝所内の魔法陣が黄金色に輝き広がっていく気配がした。
ぼくたちが魔力奉納を終えて振り返ると、昨日ほどの量ではないが精霊たちが、おはよう、と挨拶するかのように優しい柔らかい光で輝きながら魔獣たちの周辺を漂っていた。
祭壇の場所を空け渡すために端に移動して後方に下ると、ぼくたちの後をついてくる魔獣たちの動きに合わせて精霊たちも後方に下った。
ぼくたちの後方に並んでいた人たちは跪いて魔力奉納をしなかったので、参拝者たちが祭壇に一列に並んで魔力奉納を続けると礼拝所内の魔法陣の輝きは次第に弱くなっていった。
参拝者全員が魔力奉納を終える頃には魔法陣の輝きはすっかり消え、精霊たちも二、三体しか残っていなかった。
合同礼拝の方が神々のご利益がありそうなのにどうして教会関係者たちは魔力奉納の形式をすぐに変えないのだろう?
儀式を執り行った司祭が教会関係者たちに囲まれて何やら聴取されているから、今日の早朝礼拝は何かしら検証をしていたのだろうか?
面倒な質問をされる前に退散しよう!と考えたのはぼくだけではなかったようで、ぼくたちは顔を見合わせると無言で頷いて、そろりそろりと忍び足で礼拝所を後にした。




