控えおろう!
ほとんど飲み干したはずのココアがカップいっぱいに残っている。
美味しいものをもう一度味わえるのはちょっと得した気分になる。
「皆さん優秀だとは伺っていましたが、私とは着眼点が違いますね。教会を支える町を支える村まで必要なのですか」
寮長の町と教会の説明を受けたところで、ジュードさんは恥ずかしそうに笑っていた。
「こうして祈りに特化した生活ができるのも支えてくださる人々あってのことなのに、言われるまで気付かないなんて私は愚かですね」
「まあ、そう卑下なさることはないですよ。他のことに気が回らないくらい熱心に神学の勉強に励まれているのですよ。さあ、温かいうちにココアを召し上がってください」
美声の上級精霊に促されてジュードさんはココアのカップに手を付けると、いい香りだ、とうっとりとした表情になった。
ココアを口に含んだジュードさんの目がぱっちり開き、小さく身震いをした。
「熱かったですか?」
「いえ、あまりの美味しさに戦慄が走りました!これほど美味しい飲み物を口にしたことがありません!!独特の香ばしい匂いと濃厚なミルク、ふんだんに使われたお砂糖の甘みと完璧に調和する、この茶色いものは全く初めて遭遇する味で……」
ジュードさんが上級精霊にココアの味について饒舌に語りだす間に、寮長とボリスとロブは、会議室からいきなり戻されたうえ、少し時間が巻き戻っていることに動揺し、上級精霊がジュードさんにココアを勧めたことで前回とは違う展開になっていることの混乱から立ち直ろうと深呼吸をしていた。
「これを固形状に加工したチョコレート菓子を夕方礼拝の供物に寄贈いたしましたので、神々もお喜びになられるでしょう」
ココアを固形状にした菓子、という上級精霊の言葉に、ジュードさんはゴクンと喉を鳴らした。
「皆さんの祭壇のお供えは本殿の方に奉納されました。夕方礼拝は一般巡礼者用の会場になるので違う祭壇で魔力奉納をする運びになっています」
ジュードさんが残念そうに言うと、事態を理解していなくても話を合わせた寮長が、想定済みだよ、と言った。
「世界中から集まっている巡礼者用の祭壇に案内されることは事前に聞いている。一般巡礼者の祭壇の供物をそれはそれで用意してあるから問題ない」
「別の祭壇用に供物を用意したのですか!」
ガンガイル王国の財力が羨ましい、とジュードさんがこぼした。
「神々は美味しいものを供物に備えるとたいそうお喜びになるんだよ」
見ればわかるよ、と寮長が含み笑いをすると、まだ動揺から立ち直っていないボリスとロブも引きつった笑顔で頷いた。
精霊素と精霊たちが多いこの大聖堂の夕方礼拝で何も起こらずいつも通りだろうと思っているのはジュードさんだけだろう。
宿泊施設から程ない距離にある一般礼拝所は、横に長い祭壇に十数人が列になって魔力奉納をする帝都の中央教会の正面玄関脇に設けられた一般用祭壇のような参拝方式だった。
帝都の中央教会の祭壇が大聖堂の方式の真似をしたのだろう。
ぼくたちは保存の魔術具で鮮度抜群のまま運んできた寿司折りを供物として、礼拝を取り仕切る司祭に託した。
世界の中心の聖地で神々にお供えするのだから、と飾り寿司の海苔巻きだけでなく港町から取り寄せた海鮮をふんだんに使用した生寿司まで大奮発して用意していたのだ。
「生ものですから礼拝後すぐ下げ渡して、皆さんでお召し上がりください」
寮長が司祭に耳打ちすると司祭は笑顔で頷いた。
こういった足の早い供物の場合は本殿に上げずにこの礼拝所の職員たちだけで食べられるのですよ、とぼくたちと一緒に行動すると美味しいものにありつけることを実感しているジュードさんが司祭の笑顔の理由を教えてくれた。
寮長は魔獣たちも魔力奉納をするから帯同しても良いか、と司祭に尋ねると、寿司折りの上の封書が功を奏したのか、かまいません、と即座に認められた。
受付を済ませたぼくたちはVIP待遇なのか後から来たのに前方に案内された。
寮長を真ん中に左側にウィルとロブ、右側にぼくとボリスが一列に並ぶと、ガンガイル王国のラウンドール公爵家派と辺境伯領派に分かれてしまい王国内の二大派閥を示しているかのようだった。
スライムたちはそれぞれの主の肩に乗りウィルの砂鼠もちゃっかりウィルの肩の上に乗っていた。
ぼくは左右にみぃちゃんとシロを従え、キュアはぼくの頭上に飛んでいた。
後方から一般礼拝者の、可愛い、カッコいい、という囁き声が聞こえた。
御者のワイルドこと上級精霊は宿泊施設で留守番だが、じっとしていないで何かしら調査をしているはずだ。
参拝者の人数が多いからか、日没の鐘が鳴る前から司祭の祝詞が始まった。
司祭の祝詞を聞きながら教会関係者たちが祭壇に横一列に並んで魔力奉納をしたので、その魔力の流れにぼくの微細な魔力を流し礼拝所内の魔法陣を探った。
この礼拝所にも床にも壁にもびっしりと魔法陣が施されており魔力奉納をする祭壇と繋がっていた。
ぼくが頷くと寮長をはじめとしてぼくたち全員が跪いて両手を床につけた。
スライムたちも肩から飛び降り、みぃちゃんとシロは床に伏し、キュアも床に降り立ち両手を床につけた。
教会関係者たちの奉納する魔力に載せて、ぼくたちも魔力奉納をすると、ぼくたちが触れている場所から床が黄金色の光が広がった。
「皆さんも跪いて魔力奉納してください!」
寮長の言葉に、おおおおお、と動揺していたぼくたちの真後ろにいたジュードさんも跪いて魔力奉納を始めた。
ジュードさんを倣って跪いて魔力奉納をする人たちが増えるにつれて礼拝所内の結界の輝きが増した。
礼拝所内の参拝者が全員跪くと、この瞬間を待ってましたとばかりに集まっていた精霊たちが輝きだした。
その光量は今まで遭遇した精霊たちの輝きの中でも最も多く、ぼくたちは顔を上げることができないほどだった。
日没の鐘が鳴る礼拝所内は凄まじい光に包まれていた。
魔力奉納を終えた教会関係者たちも目を腕で覆いおろおろしているのが気配でわかった。
精霊たちの存在を蔑ろにしている大聖堂に上級精霊と中級精霊を連れたぼくたちがやって来たことを精霊たちが喜んでいるのは理解できるが、いかんせん、眩しすぎる。
頼むから、光量を減らしてくれ!
伏していたみぃちゃんとシロが二本足で立ち上がりキュアは光量を気にすることなく礼拝所の天井付近まで飛びたった。
“……控えおろう!このお方をどなたと心得る!!”
ぼくのスライムが精霊言語で精霊たちを一喝した。
このお方とは?
上級精霊はここにいないぞ?!
光量が収まった礼拝所内で立ち上がったぼくたちにスライムたちが肩に飛び乗り、少しでも威厳を出すかのようにスライムたちも光った。
“……齢四歳にして新しい神の誕生の一助を果たし、中級精霊を誕生させて僕とし、その後も、名だたる聖獣たちと親睦を深め種族を超えて愛される我がご主人様に迷惑をかけるな!”
神々や上級精霊に祝福された威光を最大限に発揮したのかぼくのスライムは虹色に輝きながら精霊たちに喝を入れた。
こうやって幼少期からのぼくのやらかしを羅列されるとなんだか一角の人物のようだが、一人で成し遂げたことじゃないよ。
それに、いろいろな魔獣たちと知り合ったがクラーケンとは親しんでいない。
控えめな光量で点滅しだした精霊たちはてんでバラバラに精霊言語でお喋りしているようで、シャットダウンできるぼくの魔獣たち以外のスライムたちや砂鼠が体を震わせて不快感を示した。
“……あのね、みんながいっぺんに自分の要求を話すと、ただうるさいだけでカイルは聞いちゃくれないよ”
“……あんたたちの心配事は上級精霊が何とかしてくれるから落ち着きなさい”
みぃちゃんとキュアが精霊たちを窘めた。
“……ご主人様。精霊たちの要求は主に二つですね。精霊使いを邪道とする勢力が教会内にあり精霊を軽んじるから不快だ、ということと、聖地に邪神の欠片が保管されていることの不快感です。他にも細かい文句を言っていますが、それは自分たちで何とかできる範疇の案件です”
シロが精霊たちの要求をまとめて代弁すると、正解!とでもいうかのようにぼくの横で二本足立ちしたシロを起点に精霊たちが球体に光りを点滅させた。
明日教皇との面会があるから直接聞いてみるよ。
ぼくが精霊たちにそう答えると、よろしく、よろしく、という精霊たちの思念がぼくの防御を超えて届いた。
精霊たちの思いが一つになれば防御を突破されてしまうのか、と眉をひそめていると、精霊たちの突然の大襲来の衝撃から正気になった司祭が、どういうことか、と寮長を問い詰めていた。
「定時礼拝で合同礼拝をすれば礼拝所内の結界に大量の魔力が流れ結界が輝く話は、帝都の中央教会から聞いていませんでしたか?」
大聖堂からも何人か視察にいらしていたでしょう?と寮長はこともなげに話した。
「ええ、本殿や神学生たちの定時礼拝ではすでに実施して、各礼拝所内の魔法陣を確認しております。ですが、礼拝所内にこのような大量の光の物体があふれ出すことはありませんでした!」
司祭の言葉に教会関係者たちは頷いた。
「大聖堂では全ての神々に祈りを捧げていらっしゃるから意識なさることはないでしょうが、ガンガイル王国では建国を助けたとされる精霊神を祀る祠が数多くあり、近年では礼拝や神事の際に精霊たちが出現するのは珍しくないのですよ。それに、ご覧になったでしょう?うちの生徒たちの魔獣たちは精霊たちに愛されております。彼らを連れて旅をすると滞在先でも精霊たちが歓迎してくれるのですよ」
寮長は大活躍したぼくの魔獣たちを見遣って、ぼくたちではなく、進化した魔獣たちが精霊たちを呼び寄せる一助となったかのように話した。
今日の夕方礼拝でこんなに魔獣たちが活躍する予定ではなかったが、打ち合わせでは魔力奉納をする魔獣たちの素晴らしさを強調し教皇との面会時にも帯同できるように司祭と交渉することになっていたのだ。
精霊たちを一瞥するだけで手懐けたように見えただろうから、結果的に、並みの魔獣ではないことを誇示することになった。
「雨かな?」
「雲一つない夕焼け空だったのにね」
精霊たちが点滅し続けているので礼拝者たちが騒めく礼拝所内でも聞こえる水が叩きつけられる音に、変だね、とぼくたちは顔を見合わせた。
定時礼拝では教会関係者たちは立場に合わせた礼拝所で一斉に魔力奉納をしているので、一般礼拝所内の大騒ぎを全く感知していなかった。
だが、大聖堂から教会都市に帰る露店主たちは一般礼拝所が爆発したのではないかというほどの光量で光り輝いたのを目撃しており、五つの教会都市から緊急派遣された治安警察隊員たちが消火の魔術具をフル装備で運び込み一般礼拝所に一斉放水をしていたのだった。




