悪い話と一番悪い話
宿泊施設は巡礼者たちがお金持ちばかりなので、当然ながらとても豪華でコンシェルジュが待ち構えており、ぼくたちは各自一人寝室があたるスイートルームに案内された。
「部屋のランクを抑えるように願い出たのに、こうも広い部屋をあてがわれるとは思わなかったよ」
寮長はスイートルームのリビングでフカフカのソファーに腰かけると、私より偉い人が来た時にどこでもてなす気なのか、と深いため息を吐いた。
「最上級のお部屋ではありませんし、そちらのお部屋でしたら案内役は私ではなかったでしょうね」
最高級の部屋は最上階全てを貸し切りにする最上級プランがあり、それだと案内係は神学生ではなく大聖堂の司祭クラスになるらしい。
「私は王族の端くれだが、王位継承権は放棄しており、今回の訪問の報告を聞くであろう方は私より上位者で、おそらく近日中に来訪されることになるだろう。そのお方にはさらに上位の好奇心旺盛な方がおられるので、何らかの行動に移されるかもしれません。私たちの滞在を仰々しくされてしまうと差しさわりが出る恐れがあるのです」
教会都市での入浴場の件が大事になりそうなので、ハルトおじさんが介入して、ハロハロも首を突っ込みかねない、ということだろう。
寮長の説明に、王族でいらしたのですか!と腰が引けたジュードさんに、王族といっても末端だよと寮長が笑った。
ぼくとぼくの魔獣たちはそんな会話を横目にしながらバーカウンターの奥にいる上級精霊に一連のぼくたちの違和感を精霊言語で伝えた。
“……ああ、別行動で把握済みだ。悪い話と一番悪い話のどっちから先に聞きたいかい?”
その常套句はいい話と悪い話をどっちに先に聞くかというものだろう。
上級精霊はネルドリップコーヒーを寮長のために入れながら人の悪い笑顔をして精霊言語でぼくたちに迫った。
スライムたちだけでなくみぃちゃんもキュアまで、カッコいい♡とうっとりとしているけれど、これから聞く話は悪いことばかりなんだよね。
「一般礼拝者の方々は夕方礼拝の前に夕食をお召し上がりになりますが、皆さんは夕方礼拝の後で、と食堂に連絡してあります」
業務連絡をするジュードさんの話を聞き流しつつ、カウンターにどっかり座り込んで上級精霊と向き合った。
……最悪な話の前に悪い話の方でおねがいします。
“……中央教会の寄宿舎から神学生候補生になった学生たちは早くも苛められている”
ああ、内向き志向なガンガイル王国は教会総本山での勢力争いより教会に送り出した神学生たちを自国に呼び戻すことに全力を尽くしているから大聖堂内にコネがほとんどないので彼らを援助する伝手がない。
“……だが、それほど悪い結果をもたらしていない。彼らは帝都の中央教会の寄宿舎で平民出身者たちが生きるか死ぬかの酷い状況だったことに自分たちは目を向けず、見殺しにしてしまった罪悪感から、この程度ではへこたれない、という不屈の精神を手に入れたから乗り越えようとしているようだ”
自分たちの無関心で同じ釜の飯を食う仲間たちの苦境を知ろうとせず、結果、平民出身の寄宿舎生たちが死者として寄宿舎から消えてしまった経験から、彼らはあからさまな下位者に対する虐めに屈せず、あまつさえ、孤児院出身の神学生候補生たちを庇い、最下層出身者たちの希望の星のような活躍をしているらしかった。
上級精霊は元寄宿舎生たちの奮闘を映像付きの精霊言語でぼくと魔獣たちに見せた。
“……聖水の沐浴を温水スチームにして沐浴の順番を最後にさせられた不遇な神学生候補生たちを定時礼拝に遅れないように礼拝所に送り出すなんて、みんないい男になったねぇ”
“……お餞別にあげたマリアの国の非常食をみんなで分け合うなんてカッコいいね”
ぼくのスライムとみぃちゃんは寄宿舎生たちが最下層の神学生候補生に施しとしてではなく、世界をよくしようとする同志として支えている様子を見て感激している。
“……彼らはよくやっているよね。それは認めるけれど……何かおかしいよ”
感動的な話に水を差すのもどうかと思うけど、と前置きをしてキュアが言った。
“……組織が誘拐した子どもたちが上級魔導士になってしまうから、孤児院出身の神学生たちはいつまでもコネがなくて厳しい環境に置かれてしまうんだよね”
キュアの疑問に上級精霊は、最悪な孤児院から生きのこった子どもたちが上級魔導士としてディーのように使い捨てられた歴史をぼくと魔獣たちに映像付きの精霊言語で送ってきた。
ディーのような過酷な任務をこなしながら派遣先の子どもたちを拐かすリクルーターになるのはまだましな方で、死霊系魔獣と対峙できないレベルの実力と判断されてしまうと政敵を排除する自爆要員として簡単に自死させられていた。
あまりに重たい映像を直接脳に送り付けられたため、ぼくとぼくの魔獣たちはカウンターに突っ伏した。
ウィルとボリスがぼくの態度に、どうしたの?と素早く反応した。
「大聖堂で魔力奉納をすると世界の端まで魔力がいきわたることを実感できるのに、世界中のすべての地域に魔力が平均的に行き渡っていない現実に打ちのめされるんだよ」
新人の魔導士が過酷な任務に晒されるのは死霊系魔獣が人間の生活圏の近くで発生するからであり、死霊系魔獣が人間の生活圏の近いところで発生するのは土地の魔力が不均衡だからだ。
ジュードさんがいるこの場で主語を大きくして物を語れば、現時点でのぼくたちの悩みをぼかして真実を語れるので、なかば投げやりにそう言った。
寮長はぼくに思考を整理する時間が必要なのだろうと推測して、ジュードさんの気をそらすため大聖堂を訪問する前の八つの逗留地の聖職者を支える人間が少ないという問題点を語りだした。
……ああ、すでに悪い話なのに、一番悪い話って何だろう?
寮長がジュードさんの気をそらしてくれた時間を有効活用すべく上級精霊に尋ねた。
“……邪神の欠片を封印している倉庫から邪神の欠片のいくつかが持ち出されたようだ”
ああああああああ!!
ついこの間、苦心して一つ回収したばかりなのに……またばら撒かれた!
あれ?
土地の魔力が薄くなって地中から出現した邪神の欠片は未加工品だったけれど、ガンガイル公国の廃鉱で回収した邪神の欠片や、ノーラが匿っていた偽セシルことディミトリーが所持していた邪神の欠片は魔術具に加工されていた。
古代魔術具を管理する倉庫に邪神の欠片が集められていてそこに専任の研究者が常駐しているということは、ディミトリー王子を誘拐して邪神の欠片を魔術具に加工し携帯させ皇帝暗殺者に仕立て上げたのは聖職者のコスプレをした人物ではなく、大聖堂に所属する教会関係者で、組織的に活動しているという裏付けになるのではないか?
“……まあ、いずれにせよディミトリーは表に出せる状態ではないから、その件では教会を糾弾することはできない”
事件がないことになってしまえば責任を追及することもできない。
やはり、誘拐の現行犯を捕まえて教会関係者を追及する手段が正攻法なのだろう。
でも、帝都ではトカゲのしっぽ切のように頭を捕まえることができなかった。
“……その件は逗留地に残してきたスライムたちの調査を待てばいい。急ぎの懸案は、邪神の欠片が保管されている保管庫の禍々しい気配が半減しているということで、保管庫を補強したのでなければ持ち出されたと推測すべきだろう。調査の結果、保管庫は補強されていなかったので持ち出されている”
“……ご主人様。邪神の欠片は太陽柱に映らないのです。邪神の欠片が保管庫から持ち出され、時を同じくするように新米の魔導士たちが帝都に派遣されたのに太陽柱に映らなかったのです”
うーん。
この二つの出来事に繋がりがないと考えるほど呑気でいられないだろう。
“……ディミトリーの指輪はディミトリーの意思で邪気を抑え込んでいたが、邪気が完全に封じられていたわけではなかった。連中はノーラが保護したディミトリーをまだ皇帝の手足として拘束されたままだと判断して放置していたが、邪気を完全に追えなくなったから邪神の欠片の回収に動き出したのかもしれない”
ああ、廃鉱の時もそうだった。
邪気は大きな邪気に引き寄せられるから、複数の邪神の欠片を持ち出して帝都を囲い込み消えた邪神の気配を炙りだそうとしているのか!
“……問題は帝都に向かった新米魔導師たちが邪神の欠片を携帯しているとしても、ディミトリーほどの精神力がなければ邪気を制御できないだろう、ということだ”
帝都に危機が迫っているというのに上級精霊は平然とした表情でぼくたち子ども用にココアを入れてくれた。
うん。
甘くて美味しい。
“……さて、邪神の欠片を保持しながらも今まで秘密組織が育て上げた上級魔導士たちがそれを行使しなかったのか?なぜ、今、複数人の新米上級魔導士がいきなり所持することになったのか?”
上級精霊の問いにぼくの魔獣たちは、邪気の制御を強化した魔術具を開発した、とか、邪気を制御できる呪文を開発した、など思いつく可能性を精霊言語で連発した。
“……全ての可能性を排除せず対応する必要があるだろう”
帝都の護りの結界が強化されていて良かったな、と思いつつも、複数の邪心の欠片が持ち込まれた影響は太陽柱にも映らないから帝都がどうなるのか誰にも予想できない。
帝都の寮に残っているみんなや、ばあちゃんの家の子どもたちが心配になってきた。
寮生たちには万が一帝都の護りの結界が薄くなって都市型死霊系魔獣が発生した時の避難経路を伝えてあるし、VR訓練室で対処法の予習もしている。
だけど、商会の人たちやばあちゃんの家の関係者たちが襲われそうになっていたら寮生たちは見捨てられないだろうから訓練通りに動けるとは限らない。
美味しいココアを飲みながらも眉間に皺を寄せたぼくに、ウィルも怪訝な表情をした。
込み入った話をするにはジュードさんが邪魔だから亜空間にでも……。
体が浮く感覚がするとジュードさんを除いた全員が上級精霊の亜空間へと招待されていた。




