子どもの生まれない町
「適齢期の夫婦はいるのですよね?」
子どもが生まれない町だと聞いた寮長は町民に子どもを産める世帯があるのか尋ねた。
「現在子どもを望む新婚夫婦は婚姻したら町を出ます。当初は噂程度だったのです」
司祭は詳しく語りだした。
物価高が原因で町を出た若夫婦たちが町を出ると妊娠する、という噂が市井に出始めたらしい。
この町の賃金水準は他の町より高いが、それでも子供を望む夫婦には妊娠出産後、妻が働けなくなると家計が厳しいようで、子どもを望む若い世帯の転居が多いから、転居してから出産することになるのは当然だ、と教会関係者たちは考えていた。
だが、妻が働かなくても生活できる富裕層の町民も若夫婦まで親族を頼って町から出ると懐妊することが続いたのだ。
本家を離れたことで子宝を望む親族からの重圧から解放されてひょっこりできた、とも解釈できるが、町長一族まで跡取りが転居しなければ子宝に恵まれなかったことが決定的になって、子どもを望む世帯はこの町から転出するようになってしまったらしい。
「もう、十数年、三歳、五歳児登録も洗礼式もこの教会でしたことはありません」
それは酷い、とぼくたちは息をのんだ。
「学童期の世帯は学校の会期期間の晩秋から春先までこの町に戻ってきません」
学期末まで子ども世帯が孫を連れて戻ってこないから、なぜ今の時期に魔法学校の制服を着ている子どもが町にいるのか!ということで、ぼくたちは町民たちに声を掛けられたのだろうか?
町の守りの結界は不安定でも教会の結界が強固で、精霊たちも多いこの町で子どもが生まれないなんて……。
「「……人口調整?」」
ぼくとボリスが同時にボソッと呟くと上級精霊は面白そうに静かに微笑んだ。
「人口調整とは?」
寮長は身を乗り出してぼくとボリスに尋ねた。
仮説ですよ、と前置きしてぼくは話し出した。
「ガンガイル王国では昨今、衛生環境が向上し栄養状態も良いことから子どもたちの死亡率が飛躍的に低下しているので、ボリスたちと、このまま乳幼児の死亡率が下がれば豊作による収穫量の増加だけでは小さい農村では糊口を賄いきれないのではないか、と話していた時になんとなく思いついたのです」
乳幼児の死亡率が下がれば出生率も下がるのではないか?という過去に考えた仮説を話した。
「あくまで、ガンガイル王国内の話なのですが、市民の初級普通学校の進学率だけでなく魔法学校への進学率も上がっています。優秀な子どもには奨学金が出ますが、それでも親心としては少しでも子供をいい学校に通わせたいと思うでしょうから、子ども一人育てる資金がある程度必要になります。下の子には満足な教育ができないと考えるでしょうし、そもそも、出産は母体に大変な負荷がかかるからそう何人も産もうと思わなくなる、と子ども心に考えたのです」
「そんなものか?とぼくも話を聞いた時は懐疑的だったのですが、とある調査のため地元の人口統計を調査したのですが、収穫高が高止まりになるころ農村部の進学率、ここで言う進学率は平民の魔法学校に通う進学率です、そこが上がると出生率は穏やかに横ばいになります。もちろん同時に三歳児登録の登録者数が五歳児登録、洗礼式でほとんど減らなくなっています」
ぼくの仮説を辺境伯領の人口推移の数字を把握しているボリスが補足した。
司祭は三歳児登録からの五歳児登録や洗礼式までの子どもの減少率に心当たりがあるのか一瞬眉をひそめた。
「何でそんなに詳しいの?と言いたいところだけど、君たちの日ごろの研究を目の当たりにしていると、そのぐらいの数値は把握しているからだろうと想像つくよ」
寮長の言葉通り、収穫高の推移は長年の稲作の研究からの発展で集めた情報だし、子どもの死亡率は洗礼式前の子どもたちの誘拐事件の時に徹底的に調査した。
出生率についてはその後の調査のおまけで知った数値だ。
仲がいいんだね、とぼくとボリスをジト目で見たウィルに、ウィルだって自分の領の数値ぐらい把握しているでしょう?とボリスは冷めた目で言った。
ああ、そうだった。
キュアたちを連れて悪辣孤児院を破壊したころ、ぼくはウィルのことをまだストーカー扱いして具体的な話は誤魔化していたかもしれない。
いつの間にウィルとこんなに何でも話せる仲になったのだろう?
“……ご主人様がウィルの存在に慣れただけです”
犬の姿でぼくの足元に伏しているシロの、ストーカーなのは変わらない、という突っ込みにぼくの魔獣たちが精霊言語で笑った。
「うちの領でも同様の結果が出ていますね。出生率は三歳児登録からしか把握できていないので残念ながらわかりません。辺境伯領ではどうやって把握したのですか?」
ロブが真面目な顔でぼくとボリスに訊いた。
「「出産減税だよ」」
辺境伯領主が真面目に領内の児童誘拐を警戒した時に正確な出生率と乳幼児の人数を把握するために妊婦の住民税の減税を実行し、妊娠出産の死亡率まで把握できるようになったのだ。
「正確な人口統計の他に、出産時の母子の死亡率も地域ごとに数値化できて、なかなかいい政策ですよ」
妊婦や新生児の死亡率は市町村の収支報告書では見えてこないその地域の問題点を露呈するのだ。
「いやはや、最近の魔法学校生の研究はそんなことまでするのですか!」
目を丸くする司祭に、この生徒たちは国を代表する優秀生たちで将来を嘱望されていますから、と寮長は自慢気に笑った。
「ここからは、説明しにくいので……察してください。夫婦仲がよければ何かしらの策を講じない限り出生率が下がることはないだろうから、授かりもの子宝は偉大な御心のさじ加減があるのではないか、という仮説です。十分に魔力がいきわたった土地では見えざる人口調整があるのではないか、という推測です」
周期的に大繁殖すると集団で崖から落ちてでも移住する旅鼠レミングではないが、人間だって人口増加による集団移住の必要性がでてくるが、精霊たちはお気に入りの人間が引越すのを好まない。
それならば増やさなければいい、と極端なことを考え出しそうなのが精霊なので、幼い時この仮説を考えついた。
シロも上級精霊も否定も肯定もしないということは、あながちはずれじゃない気がする。
照明代わりに光っている精霊たちの光が心もち揺らいだ。
司祭はぼくの話に納得したように、ああ、と頷いた。
「この町には人々を生かすほどの動植物がないからこれ以上の人口増加は悲劇になる、と規制がかかっている状態なのか……」
自分たちが空にした皿を眺めて司祭が自嘲気味に言った。
「この町の外で生まれて、この町に折に触れて帰って来る程度の子どもたちは、成人してもこの町に定住しません。この町はゆるやかに高齢化しています……」
町の外にはこんなに美味しいものがあったら帰って来ないよな、という雰囲気を教会関係者たちが醸し出した。
帝国のご飯はガンガイル王国ほど美味しくないのは変わっていない……いや、ぼくたちが滞在した地域でだいぶ改善しているが、まだそんなに影響力はないだろう。
「みなさんは教会都市の魔力を世界中に届ける大事な仕事を生されています。それを支える体制を整えることは大切なことです。私からも領主様に口添えいたしましょう」
寮長は町の外の環境を整えないと少子高齢化の問題が解決しないことを強調した。
「神事以外に魔力を使用する余裕のなさはどうしましょう?」
ウィルがお風呂の湯沸かしをどうするかの話に戻した。
水が潤沢に湧くこの町で湯を沸かすのが贅沢だなんて残念な状態を何とかしたい。
「当番制でいいんじゃないですか?毎日の湯沸かしに教会関係者の誰かが魔力を使用しても、この教会で一日にする魔力奉納の量が減るとは思えません。むしろ皆さんの英気が養えるのなら教会全体の魔力奉納の量は増えると思いますよ」
ロブの提案に司祭はハッとした表情になった。
「一日のお勤めを終えた今、礼拝所を輝かせるほどの魔力奉納をしたのに体が疲れていないというか充実した高揚感があります」
「それは聖水をいただいたからだと考えておりました」
教会関係者たちは聖水の効能だと口々に言ったが、日頃から最高級の回復薬を口にしているせいかぼくたちは聖水の効果を実感できなかった。
「明日以降も入浴して定時礼拝を行なって聖水がたくさん溢れ出るようでしたら、素晴らしいではありませんか!やってみましょう」
寮長は聖水の効能を否定せず、霊験あらたかな聖水の大量入手のチャンスだとばかりに湯沸かしの魔術具の継続使用を提案した。
「やってみましょう」
冷水の沐浴より温かい入浴をしたい誘惑の正当性を見出した司祭は、力強く言った。
教会関係者たちが安堵の表情をしたところで、晩餐会はお開きになった。
翌朝の早朝礼拝にも参加したい、と寮長が申し出ると司祭たちは喜んで受け入れてくれた。
精霊たちはぼくたちが後片付けを終えるまで裏庭を照らし続け、馬車の寝室に入るころ徐々に姿を消した。
馬車を挟んで左側がぼくとウィル、右側がボリスとロブ、後方に寮長、前方にアリスと上級精霊の部屋割りになっている。
「おやすみなさい」
上級精霊はアリスの隣のベッドで寝るわけではないのだろうが、いたずらっ子のように左頬をあげて笑みを浮かべると自身の寝室に入っていった。
“……キャー!アリスが羨ましい!”
ぼくのスライムは一瞬だけでも上級精霊と同室になるアリスを羨んだ。
「何をしても、どんな状況でもカッコいいのが上級精霊だよね」
二段ベッドの上に横たわったウィルまでため息交じりに言った。
「ワイルドさんがいると自然と畏敬の念が溢れてくるんだよね。疲れる、いや、なんだろう、自分の力量以上のことができるような気がしてついやり過ぎちゃうんだ……」
販売でもするのか、というような量の飴を生産したウィルは即座に寝落ちした。
ぼくも瞼を開けていられず、そのまま深い眠りに落ちた。
早起きしたぼくたちは早朝礼拝の前に湯沸かしの魔術具を設置し、教会職員に湯を沸かしてもらい、冷水沐浴を入浴に変更して早朝礼拝に臨んだ。
礼拝所は光り輝き、水瓶から聖水がコンコンと湧き出たので、今後も入浴する方針になった。
朝から聖水をいただいたので次の町は飛ばせるかな?と考えていたのが表情に出てしまったようで、寮長に笑われた。
「手順は飛ばせないよ。朝食の片付けが終わったら出発しよう」
教会関係者たちと持ち寄りで朝食会を開いた。
ぼくたちが用意したホットケーキは大好評で、教会が用意した麦粥には肉味噌を添えるとそちらも評判がよかった。
別れの挨拶をして教会を出発する時に、教会職員一同が正門に並んでお見送りをしてくれた。
「仰々しすぎないかな?」
「教皇様の招待客だからこれぐらいはいいんじゃないかな」
ウィルの疑問に寮長は笑いながら答えた。
残り七つの教会でも給湯屋さんになるのかな?なんて思いながら子どもの生まれない町を後にした。
 




