ストーキング?推し活?
“……猿たちのためにこんなに尽くしてくれてありがとう”
脳内に直接聞こえてきた声に魔法の絨毯の上の皆が、なんなんだ、と辺りを見回した。
キュアは自分じゃないよと首を横に振って光の環の中心に影が入る位置からずれた。
姿を現さずに精霊言語で感謝を示したボス猿は雲海の下にいる気配がする。
ぼくの精霊の亜空間で会いませんか?
“……ご主人様。雲海に隠れていますが山の神の祠の正面まで出てきてくれています”
“……私を見つけたのかい。カイル君になら会いたい……”
ボス猿の返答が終わる前にウィルに気付かれることなくシロは亜空間にぼくとボス猿を転移させた。
ゆったりとしたソファーには色鮮やかな布がかけられており、サイドテーブルの上にはハンスの木のオレンジや茶器が載っていた。
シロは魔猿の村の精霊におもてなしの格差を見せつけたくて張り切ったようだ。
ソファーにちょこんと腰を掛けたボス猿は真っ白な冬毛に覆われた青い目の中型の大きさの猿だった。
青い瞳の猿は珍しい。
痛ましいのは左目が白内障なのか白く濁っている。
亜空間にいるのはぼくと妖精型のシロとぼくの魔獣たちとボス猿だけのようだが姿を隠しているが兄貴とボス猿と契約している中級精霊もいる。
「ああ、本当によく来てくれた。うちの精霊が七年前に希望が見えた、と言った時にはカイル君はまだ三歳だった。その後ご両親を亡くされたと聞いた時にはこの世界が終わってしまうのかと絶望を感じたよ」
ボス猿の目が涙で滲んだ。
話の展開が予想外でぼくは動揺した。
ぼくの両親が死ぬ前にボス猿の中級精霊はぼくを救世主かのようにボス猿に伝えていたのか!?
「ご主人様。ご両親が殺害されなかった未来を現在の太陽柱で確認することはできません」
「ジュエル一家に引き取られない場合でも、ご主人様は神々の依頼を受けて世界の理と土地を護る結界を繋ぐことになったってことなのかい?」
ぼくのスライムが単刀直入にボス猿に訊いた。
「三歳の時の未来予想では神々からの依頼を受けるのはカイル君が成人後、この世界がいよいよ崩壊の一途をたどると言う時点だったから、ご両親が亡くなる事件があったせいで前世の記憶を思い出すのが早まったのだろう。あの悲劇でこうなったかと思うと私も心苦しいよ」
魔猿のボスがぼくに注目し始めたきっかけを語りだした。
家族そろって辺境伯領に引っ越し、洗礼式で鐘を鳴らしたぼくは王都の魔法学校に通い、好成績で帝国留学を勧められ、帝国で波乱万丈な人生を送る、という未来があったようだ。
「悲劇というものは起こってしまってからじゃなければ予兆を見つけにくい。ここらあたりの山々が枯れ始めたのはここの領主が交代した十数年前の話なんだ。あったはずの予兆を見逃し、私と中級精霊は村人たちが北山と呼んだこの地を守るだけで精一杯だった」
世界の理から護りの結界が外れると植物は外来種に極端に弱くなってしまうらしく、枯れた山を再生する力もなくなってしまう恐ろしさを体験しなければ、あれが予兆だったのか、と気付かなかったそうだ。
起こり得る未来の中の映像の中に山枯れがあったのに、神々のご加護が篤い自分たちなら何とかできるに違いない、と当初は深刻に考えていなかった、とボス猿は嘆いた。
「一介の猿には到底持ちえない神々のご加護と魔力を賜って、わたしはすっかり驕っていたんだね」
声を震わせたボス猿の言葉に、キュアも声を震わせて言った。
「うちのお母さんも一人で何とかできると思ったから、大怪我を負っちゃったんだ。早く仲間を呼べばよかったのに!」
「ああ……そうだね、飛竜の雌は情の深さを隠す性格があるのよね。あなたの父と喧嘩別れしたから、あの時、悲鳴をあげれば飛んでくるのがわかっていたからつい、意地を張って堪えてしまったんだろう」
衝撃の事実にキュアが言葉を失うと、スライムたちとみぃちゃんが、もっと詳しく、と即座にボス猿に突っ込んだ。
「あんたの父さんが駆けつけてくる前にイシマールの新婚飛竜たちに救われるのもなんだか凄い縁だよ」
ボス猿の話を魔獣たちがうんうんと聞き入っている。
「やけに詳しく太陽柱を観察したのね」
ぼくのスライムがお茶を啜りながらボス猿に訊いた。
「カイル君がね、世界を救う人物になる、と踏んだうちの中級精霊は太陽柱の映像からカイル君に関わる人物や魔獣たちを虱潰しに探したんだ」
ウィルやオーレンハイム卿を超える究極のストーカーはボス猿の中級精霊だったのか!
「あんたの父さんは褒め上手な飛竜で、自分の嫁以外も良く褒めていたから痴話げんかが絶えなかったんだ。ある日あんたの母さんが強く怒り過ぎてしまうと、あんたの父さんは感情にまかせて出て行ってしまったんだ。なにせ飛竜の時間経過はゆったりと過ぎるから、あんたの両親は頭を冷やす時間が長すぎただけだよ」
そうなんだ、とぼくと魔獣たちが納得するとボス猿は爆弾発言をした。
「あんたの母さんが大怪我をするきっかけになったのはイシマールが頑張り過ぎたからなんて、私も驚いたね」
思いもよらない人物の名前が出てぼくたちは後ろに仰け反った。
「なんでここにイシマールさんの名前が出てくるのですか!」
「ゴール砂漠の戦いでイシマールは左腕を失ったが、あのときイシマールが飛竜を庇わなければ飛竜の左翼に深手を負ってしまい、当時恋人だった飛竜が停戦合図を無視して怒り狂い、停戦するはずが殲滅させてしまい、戦線が一気に南下してしまうところだったんだよ。見方によってはイシマールが左手を失ったことでそれを防いだともいえる。一時停戦したことで追加の飛竜騎士を戦線に送らなくなり、そして、カイルがイシマールの飛竜と親交を持ったことでガンガイル王国は飛竜の扱いを見直して、帝国軍に飛竜騎士師団の派遣を停止することになったのだ。それで、飛竜を欲した帝国軍が飛竜狩りを強行することに繋がったんだよ」
「騎士団の飛竜の扱いがよくなったのだから、これでいいんだよ」
ボス猿の話に、飛竜を襲う帝国軍が悪いだけでイシマールさんは関係ない、とキュアはきっぱりと言った。
「ゴール砂漠の戦いが終結したのは、あの国でクーデターが起こったからなんだけど、何だったかしら、名前が出てこないわ……オーレンハイム卿夫人のところの女の子……」
「ノーラのことかな?」
お婆さん猿らしく物忘れで名前が出てこなかったボス猿にぼくのスライムが口を挟んだ。
「そうそう、ノーラが道端で拾った男の子がゴール砂漠の国にいたのよ。あの男の子はなかなか太陽柱に映らないから悪いものが憑いているんだろうが、時折、素に戻る時に太陽柱に映るようだ。山暮らしで暇だったから私もくまなく探したが、まあ、見つからないね」
「その目で見えるの?」
「あんな細かい映像を視力で探したりしないわよ」
みぃちゃんが遠慮なく言うと、姿を消していた中級精霊が現れて、魔力で見るに決まってるじゃない、とみぃちゃんを小馬鹿にしたように言った。
「そんなにすぐにカッカしちゃ駄目よ。言葉の裏をきちんと読みなさい。この猫ちゃんは私の暮らしの不便を気遣って言ってくれたんだよ。年寄りを馬鹿にする猫なんかじゃない」
ボス猿の言葉にみぃちゃんは、そうだよ、と頷いた。
「狭い世界に暮らしていて、ここに来る連中はあわよくば猿を誘拐しようとするろくでなしが多いからうちの中級精霊はよそ者に厳しいんだよ。ごめんね」
「その割にはうちのご主人様の周辺をずいぶんと嗅ぎまわっているのね」
シロは中級精霊に詰め寄った。
「仕方ないでしょう。砦を護る一族たちがパッとしないから、救世主になるのはカイルしかいないじゃない!」
救世主!?
話の飛躍について行けない!
「北は不死鳥の貴公子に、西は覚醒待ちのアーロン、東はポンコツだけどアネモネ、南は自分の砦を護るのに必死よ。うちのご主人様が帝国を崩壊させて世界を救う可能性なんて、すっごく低いのよ!勝手に期待しないでちょうだい!」
テーブルの上で二人の中級精霊が顔をつき合わせてにらみ合った。
「ぼくの将来をめぐって啖呵を切ってないで、目の前にいるんだから直接訊けばいいじゃないか」
二人の中級精霊は同時にぼくを見た。
「成人してからぼくが救世主として活躍するきっかけになった出来事って何なんだい?」
ぼくに訊けと言いながら、先にぼくがボス猿の中級精霊に質問した。
「もうその可能性はなくなったのだけど、皇帝の第三夫人が暗殺されると、皇帝が逆上して大粛清を始めるのよ。あれだけたくさん嫁を取っているのに、恋女房は第三夫人だけなのよ。ああ、そうだ、第三夫人の暗殺を止めたのもカイルよ。怪鳥チーンの猛毒の流出を防いだでしょう」
ボス猿の中級精霊は、ぼくとかかわらなければユゴーさんは最終的に怪鳥チーンを探し出し毒を入手して第三夫人暗殺に使われてしまうことになっていた、と言った。
「カイルは自分のことを救世主とは考えていないようだけど、幼少期からもう何回も、世界の危機に繋がりそうになることを回避させているのよ」
「大活躍しているのに自覚がないところも可愛いんだよ」
お茶を啜りながらボス猿も言った。
「誘拐事件の時にカイル君を攫った冒険者は悪いやつでね、皇帝の諜報員でもあったのに欲をかいてカイル君の誘拐事件にも手を出した。まあ、一般の依頼を受けて冒険者らしい実績を作るという言い訳もあったのだろうが、カイル君の誘拐は冒険者の私利私欲のためで帝国は関係ない。皇帝が冒険者に扮した諜報員に依頼していたのは魔力を通さない白い布だったんだよ。あれを使って辺境伯領主が封印している邪神の欠片を奪うことが目的だったんだ」
ぼくの誘拐は冒険者の勝手な行動で、皇帝の狙いは邪神の欠片だったのか!
「カイルが邪神の欠片の流出を防いで、世界の崩壊のきっかけの一つを潰したのよ。その後もカイルは順調に邪神の欠片を封印してしまったわ」
ボス猿と彼女の中級精霊は思い出話でもするように、あれもあったこれもあったと、と逸話を語りだした。
西の砦を崩すにもガンガイル王国が庇っているから、クラーケンが生息する南洋で魔術具の実験を繰り返してクラーケンをガンガイル王国に向かうようにけしかけてガンガイル王国の南西部に被害を出し、南方戦線を西に動かす予定を阻止し、ガンガイル王国の王家に放った東の魔女を追い出し、ガンガイル王国の内紛を阻止したらしい。
ガンガイル王国内の内政に関してはハルトおじさんを信頼しているけれど、確かにあのままハロハロが覚醒しなかったなら王国の未来はさぞかし混乱しただろう。
「外から見ていても、小さいヒーローの大活躍に胸がスーッとしたんだよ。会ってみたいと思っていたら、絶好の機会がやってきて楽しみにしていたんだ」
ボス猿はにこにこしながらぼくを見た。
「うちの精霊は期待しすぎているけれど、私はカイル君がどんな未来を選択しても私はカイル君を応援するよ」
全面的にぼくを応援してくれるのはありがたいけれど、複雑な気分がする。
ぼくのスライムが上級精霊を見る時のように、ボス猿の白濁した瞳にハートが浮かんでいるような強烈な推しへの愛が見えるのは気のせいじゃないだろう。




