見えざる牽制
「星の数ほど精霊たちがいる中で中級精霊は特別輝く星のようなものです」
「一等星のように美しいですよ」
綺麗な星だけれどそれなりにたくさんあると匂わせたぼくの言葉の裏に村長は気付いていないようだ。
「中級精霊をご存じとはお見逸れしました」
村長は頬をあげてぼくを見た。
「実母が緑の一族出身なので族長は自称『精霊の僕』ですから族長の中級精霊は見たことがあります」
露天風呂のガンガイル王国出身者たち以外が、おおお、とどよめいた。
どうやら山の神のお遣いと思しき中級精霊はぼくについての情報を村長に告げていないようだ。
“……ご主人様。村長を亜空間に招待して問い詰めましょうか?”
姿を消しているシロがまどろっこしくなったのか一気に片を付けようとしたが、真っ裸の状態で亜空間に招待するのは嫌だ。
“……山の神のお遣いらしき中級精霊はシロのことを生まれたての赤子のようにしか見ていないだろうから、もう少し泳がせておこうよ”
悠久の時を過ごす精霊たちから見れば生まれたてにしか見えないシロのことを魔猿の村を守護する中級精霊に油断させておこう、と兄貴は精霊言語で言った。
「緑の一族は……失礼ですが女性しか生まれないのでは……」
村長は白濁した湯につかるぼくの下半身をチラッと見た。
「伝説の一族なのだから逸話が色々あるでしょうが、ぼくは男の子として生まれたので何とも言えませんね」
村人たちがケタケタと笑った。
「サルの群れといえば雄が群れを率いるものですが、北山の猿たちのボス猿は雌なのですよ。学者さんたちはそれを確認にくるのですが、誰も確認できませんでした。当然ですよ。ボス猿は村の人たちでさえほとんど見たことがないのです」
村人の言葉に、ラヴェル先生がいなくて良かった、とノア先生が呟くとぼくたちは苦笑した。
「村長。ここまで良くしていただいて隠し立てするようなことはいけませんよ」
村人たちは頷きあった。
村長はのぼせるからと浴槽の縁に腰を掛けると天を見上げて、そうだなぁ、と静かに言った。
「高地に生息する猿としても母系の猿としても珍しく、かねてから学者の間で注目されていたのですが、変異種として聖魔法を使う個体がいると噂されるようになったのです」
村人たちは小さく頷いた。
「村の言い伝えに山で滑落した際に猿に助けられたという話はいくつかありますが、ずっと昔の先祖の話で私たちの世代で猿に治癒魔法をかけられた村人はいません。そもそも山小屋の避難所ができてから狩猟採取で無茶な計画を立てる村人はいなくなりました」
ぼくたちものぼせないように浴槽の縁に腰かけると冷えた風が気持ちよかった。
「安全祈願で山の神の祠に魔力奉納をすると、欲をかいて無茶をしようとする気が起きなくなるんですよ」
村長は山の恵みを採取しすぎてはいけない、だけどもう少し欲しい、という気持ちが収まるようだと続けた。
「うちの領でも入山前に山の神の祠に魔力奉納する習慣がありますね」
ウィルが山と言うと火山口に閉じ込められていたクレメント氏を思い出して、ぼくは思わずくすっと笑った。
「うちの国にも山にまつわる逸話はいろいろありますが、飛竜でもないのに聖魔法を使う魔獣が山にいるのなら学者たちは目の色が変わるでしょうね」
「ええ、そうです。先の領主一族はそこのところを匙加減が上手な方で、学者の人柄を精査したうえで入山許可を出していました。ですが、そうなるとあくどい連中が密入山を試みて手あたりしだいに猿を攫うようになったのです。ええ、あの木喰いを持ち込んだ学者たちが連れていた冒険者の中にも、よそ者に興味を示した猿を密猟しようとした輩がいました」
体が冷えた村長が再び湯につかるとぼくたちもつられて湯に入った。
「猿たちが一斉に威嚇をしたので連中はうちの北山には入れず、木喰い虫の被害を抑えることができました。ですが、生息地域の狭くなった猿たちは村に依存せざる得なくなったのです。我々としても年々収穫量が少なくなるのに猿たちまで養わなければならないのはきついのですが、この村だって北山の恵みを当てにして生活しているので山を守る猿と共存しなければならず、村人たちは猿と共に生きる決断を下したのです」
魔獣風呂との仕切りから自分たちの話題だと気が付いた魔猿たちが数匹顔を出している。
村長と数人の村人が笑顔になった。
「猿たちと使役契約をされているのですか?」
ウィルの疑問に村長と村人たちは即座に首を横に振った。
魔猿との使役契約について村長に質問した時には、どちらとも言えないという膝を叩くジェスチャーをしていた。
「猿に名付けをしたのですか?」
ぼくとシロの関係から名付けによる主従関係を思い出した。
村長と村人たちは大きく目を見開いてぼくを見ると唇をわなわなと震わせた。
「……上がりましょうか。のぼせてしまいますよ。隣の魔獣風呂でも見に行きましょう」
オーレンハイム卿は村人たちを追い詰めないように話題を打ち切った。
精霊たちはオーレンハイム卿の言葉に応えるように露天風呂の出入り口付近の足元を照らした。
明らかにホッとした表情をした村長と村人たちが脱衣所に向かうと、どうして村長たちが動揺したのかわからない実習生三人がぼくたちの方に寄ってきた。
「よくわからないのだけど、どうして彼らはあんなに動揺したの?」
「自分たちは帝国きっての魔法学校のエリート校に所属する優秀な生徒だって自覚はないの?」
実習生の質問にウィルは質問返しをすると、ぼくたちが優秀過ぎなのであって自分たちは凡人だ、と実習生たちが言った。
「魔獣使役講座は受講したかい?」
兄貴の質問に三人は首を横に振り、申し込んでいるけれど順番待ちだ、と言った。
「この村には帝都ではなくとも魔法学校に通った魔術師がいるかもしれない。でも、おそらく数人だろうね。帝都の上級魔法学校に通うぼくたちは魔法の知識だけなら、この村の誰よりもあるかもしれないんだよ」
三人ともそれはそうだと頷いた。
「村長や村人たちとの話で見えてくるのは魔猿の価値なんだよ。種として珍しいことにも価値があるうえ人と暮らすことに慣れている猿だよ。ペット市場に出せばそれだけで価値がある。村人たちは魔猿を猿として一括りにしか呼んでいないが、群れで威嚇しただけで地質学者一行と木喰い虫を撃退する魔力がある魔猿だよ」
ウィルが詳しく説明してようやく魔猿たちが上級魔術師や冒険者たちを撃退した事実に三人は気付いた。
「魔猿の観測に来たわりに、魔猿の生態の事前知識が足りないよね」
三人は湯につかりなおしたばかりでのぼせたわけではないのに一気に顔が赤くなった。
「……魔猿にそれ程興味がなかったので、今回の実習は見送るつもりだったのに君たちがいくなら参加しろ、と親から命じられたんだ」
一人が告白すると残りの二人も頷いた。
三人の話を総合すると魔獣学を専攻したのは大型魔獣の研究をしたかったからであって、魔力があるかないかハッキリしていない猿の研究には興味がない、とのことだった。
不正発覚で魔獣学の職員が総入れ替えになったため、指導内容が変わってしまったことを三人は嘆いた。
「よくわかっている魔獣を研究しても新しい発見はそうないだろうに。よくわからないものを観察すればどんな些細な発見でも成果として明確に示せるじゃないか」
「魔猿は単体で魔法を発動できるのか?魔法の種類は?威圧はどの程度きついの?といったことは魔猿が魔法を使わなければ調べられないけれど、何を食べて、いつ活動するのか?という些細なことを調べていれば獲物を捕る際に威嚇をする機会に遭遇できるかもしれないよ。考えるだけワクワクするよね」
ウィルとぼくがそう言うとノア先生がケタケタと笑った。
「親御さんたちが今回のガンガイル王国生たちの実習について行けと言った気持ちがわかるよ。この実習で君たちが何を学ぶのかが楽しみだ」
担当指導教員ではないノア先生に笑われてもプレッシャーがかからない三人は自分たちもフフと自嘲気味に笑った。
「村人たちが隠れていたのは私たちが信用されていなかったからなのですね。村人たちが村に残れば猿たちも村をうろついてしまう。私たちには猿を密猟したとしても完全に隠せる魔法技術があるから、村人たちが自衛したとしても仕方ないのですね」
「うん、そうだね。それにぼくたちが使役魔獣をたくさん連れていたから、名付け済みの猿でさえ魔力に任せて使役契約されかねない危機感を持たれたかもしれない」
使役契約以外にも強引に名前を奪う方法があることは口にしなかった。
「ああ、それもあるね。君たちの使役魔獣がよく躾けられているからこそ村人たちは心を開いてくれたところもあるよ」
実習生とぼくとのやり取りを聞いていたノア先生が言うと、実習生の三人は、お土産の量とお風呂の力だ、と即座に突っ込んだ。
ぼくたちの周りの精霊たちが、そうだよ、と言うかのように点滅すると全員で笑った。
「……本当に何もかもありがとう。私はラヴェル先生が全てを取り仕切っているから実習の受け入れ先に何も気遣いをしなくていいと考えていた。魔猿の研究をこれからもラヴェル先生がするためには私たちがしっかりしていなければいけないのだという自覚がなかった」
「その気持ちに気付いてくれてよかったよ。まだ到着した当日だから、村人や魔猿たちを尊重しようね」
ウィルの言葉に三人とも頷いた。
ぼくたちも上がって、魔獣風呂を見に行くことにした。
大きめに作った魔獣風呂には先に上がっていたお婆たちも見に来ていたので大賑わいだった。
精霊たちが照明のように光る中、スライムたちがぷかぷかと浮かぶ露天風呂に魔猿たちが交じって温かいお湯にほっこりした顔をしている。
腹ばいになって湯に浮かぶキュアのお腹を小猿がツンツン触っているのも可愛らしかった。
ラヴェル先生は興奮してスケッチを描いているが、メルヘンチックな絵本の挿絵のようで、これが論文の資料になるのかと思うと微笑ましい。
オーレンハイム卿は土魔法でベンチを作りお婆と村長夫人を座らせて、七輪で火を起こして鳩燗で日本酒を温めている。
ほんのりと漂ってくる酒の匂いにノア先生が引き寄せられていった。
“……ご主人様。このタイミングならどうでしょ……”
先方もそう考えたようでシロの言葉が終わる前に体が浮く感覚がすると、ウィルにがっちりと後ろから抱きしめられた。
置いていかれたくないのはわかるけど腕が首に入っているよ!
 




