魔猿の村へ
アリスが怪我もなく着陸したことを確認している間に、ウィルはカメラで撮影した土砂崩れを起こした山肌の写真を魔術具でプリントアウトした。
ぼくたちが街道脇で停車していたので反対側から復旧作業に当たっていた被災地の領の騎士団から早馬が駆けつけた。
「帝都から被災地を飛び越える通行許可を申請していたガンガイル王国の魔法学校生御一行様でしょうか?」
伝令騎士の言葉に反対側は帝国軍の部隊じゃなかったのか、と着地点側に直前の連絡が足りなかったことに気付いた。
ノア先生から魔猿の村に向かう途中生徒たちの跳躍魔法魔術具の検証をしていたと説明を受けると、優秀な生徒さんたちだ、と伝令騎士はぼくたちを手放しで褒めた。
寮長が根回しで災害復興義援金を領主に包んでいたようで、市民カードと学生証を見せるだけの簡単な身元確認だけで済んだ。
お婆とオーレンハイム卿の学生証を二度見した騎士は、成人後再入学されたのですか!と驚きの声を上げた。
「社会に出た後に学んでおけばよかったと思うことや、若い時には家業を継ぐ勉学を優先したから、責任ある仕事から引退した後、好奇心の赴くままに学び直しをすることにしたのですよ。魔法学校生活を再び体験することは楽しいですよ」
オーレンハイム卿の言葉に、素晴らしい人生の選択ですね、と騎士は笑顔になった。
「上空から見た山肌をスケッチしました。復旧作業にお役立てください」
プリントアウトした写真を、さも今車内で描いたかのように言ったウィルが騎士に差し出した。
緻密なスケッチだと感激する騎士を横目にオーレンハイム卿は即座に問題個所を拡大したスケッチをさらさらと描いて騎士に手渡した。
カメラと張り合えるほど細かい描写のスケッチを受け取った騎士の手が震えた。
オーレンハイム卿が拡大した箇所は発破の魔法で力任せに堆積物を除去したら堰を失った伐根や土が泥流となり二次被害を起こしそうな箇所だった。
取り急ぎ失礼します、と言うなり騎士は即座に引き返した。
「お見事です!」
お婆がオーレンハイム卿に拍手すると卿は満面の笑みになり、先を急ごうか、と言った。
「ここから離れてからお昼休みを取った方が良さそうですね」
去っていく騎士を見送りながら御者は言った。
これ以上ここにいたら復旧作業を手伝ってしまうだろうから、魔猿の村で指定された日程をずらせないぼくたちは被災地を見捨てて出発した。
被災地から離れたところでアリスを休憩させつつ持参したおにぎりと唐揚げの弁当で昼食を済ませ、ラヴェル先生たちと合流する町に急いだ。
被災地沿いに進んだせいか荒廃している土地が目についた。
休憩の合間に終末の植物を採取することができるほど土地が荒れているところもあり、日頃転移魔法で移動しているお婆とオーレンハイム卿は帝国の荒廃ぶりに驚いた。
サラサラの土を握ったノア先生は土地の魔力の少なさゆえに植物が根づかず、保水力のない土が集中豪雨に耐えられなかったことを実感したようだ。
「少し前までは帝都の周辺だってこんな感じだったのに衝撃を受けている自分に驚くよ」
滑空場周辺が緑あふれる土地に再生する前は同じような土地だった、と話すノア先生にアーロンも頷いた。
「劇的に一部の土地が回復しているのを知ってしまうと、すぐに全部良くなると思いたくなってしまうのですよね」
「なに、寮長も頑張っている。復興支援金の一部を土壌改良の魔術具を購入させる手はずを整えているよ。被災地の復興が早ければ周辺地域もいつまでも意地を張っていられなくなるさ」
オーレンハイム卿の言葉にお婆が頷いた。
根回しの域を超えたロビー活動を大人たちが頑張っているのだろう。
「この先の地域はもう積雪が確認されています。車内は温かいですが次の降車時に備えて防寒具を出してください」
アリスの蹄鉄の魔法陣を確認した御者がぼくたちに声を掛けて、アリスに防寒の馬着を着せた。
“……大丈夫よ、カイル。わたし村まで馬車を引くわ”
できる牝馬として魔猿の村に乗り込みたいアリスの意思を尊重することにした。
雪がちらつく街道を移動する馬車は少なくアリスの馬車は順調にラヴェル先生と待ち合わせた町に到着した。
この町で一泊する予定はないので時間までにラヴェル先生たちが到着しなければ先に行くことになっていた。
日没の時間が早まっているとはいえ午後のお茶の時間を少し過ぎた時刻でしかないのに、町の中心部にはほとんど人がいなかった。
門番の話では町の人たちは復旧作業の作業員に駆り出されているか、冬場の仕事を求めてもっと南の町に出稼ぎに行ってしまったらしい。
特段見るものもない町で祠巡りをしているとラヴェル先生と商会の人たちに合流できた。
商会の人たちはこの町を拠点に周辺の村や町で機織りの委託を斡旋する仕事をするようだ。
土地の魔力が回復した地域から麻を買い取り糸にするまでは現地で行い、時間がかかる機織りを冬に畑作業ができない地域に斡旋することにしたらしい。
前金に食料を付けているので、村に籠っても冬を越せる配慮をしている。
ノア先生が魔猿の村で受け入れを拒否されたら保護してくれるように頼んで商会の人たちと別れた。
商会の馬車と同行してきたラヴェル先生たちの馬車の馬にも魔術具の蹄鉄が施されていたので、積雪路面になった街道をアリスに遅れることなくついてきた。
日没に余裕をもって魔猿の村の近くに行くことができた。
魔猿の村が近いとわかったのは、うっすらと雪化粧をした街道脇に常緑樹の緑が見えたので明らかに今までと景色が違ったのだ。
村の境界を示す柵が視認できると門の前に村人が集まっているのが見えた。
部外者を拒否していたとは思えない歓迎ぶりで、見間違いじゃなければ手を振ってくれているようだ。
「大歓迎しているよ」
村人たちに拒否されたらさっきの町にとんぼ返りしなければいけないノア先生は、御者台の窓に張り付いて視力強化をかけて村人たちを凝視した。
「まあ、落ち着いて座ってください。事前に聞いていた人数と違えば村人たちがどういった反応をするのか、まだわかりませんよ」
ウィルがノア先生に指摘すると先生は大人しく席に戻った。
村に入ると門前から二列に並んだ村人たちが二台の馬車を歓迎してくれた。
代表者としてラヴェル先生が一歩前に歩み出ると、村長らしきお爺さんが笑みを浮かべてラヴェル先生に握手の手を差し出した。
「こんな山奥までようこそお越しくださいました」
学者の受け入れを長年拒否していたとは思えない歓迎ぶりにぼくたち全員がキョトンとなった。
「何事もなくこの村にたどり着けたということは山の神がお認めになった方々なのですよ」
村長の言葉にノア先生の表情が明るくなった。
拒否されることなく入村できたのだからもうノア先生は認められているということだ。
「受け入れてくださいましてありがとうございます。我々は帝都魔法学校の魔獣学指導教員ラヴェルと、年齢はまちまちですが受講生徒たちと、臨時で引率を買ってくれた飛行魔法学の教員です」
ラヴェル先生が引率してきた生徒三人とぼくたちを紹介した。
村長はぼくらひとりひとりと握手を交わし、村長宅に滞在するように招待してくれた。
「ありがとうございます。お世話になります」
野営も覚悟して装備をしていたラヴェル先生は村長の招待に大いに喜んだ。
「今まで多くの学者たちに訪問許可さえ下りなかったのに、我々が今回認められたのはどういった経緯があったのでしょうか?」
思いがけない親切に驚きつつもオーレンハイム卿は皆が気になって仕方なかったことを村長に質問した。
「まあ、そう言った話はここでは寒いですし私の自宅でいたしましょう」
村長の言葉にぼくたちを取り巻いていた村人たちは村で一番大きな建物の村長の自宅に歩き始めていた。
村長の自宅が公民館の役割を果たしているのだろう。
馬車を御者に任せてぼくたちも村長に促されて歩き始めた。
三センチほど積もった雪を踏みしめて歩くと、積雪のない地域出身のアーロンや先生たちが自分たちの足跡に喜んでいる。
そんな子供みたいな様子に村人たちは喜んでまだ足跡のないところを歩くように促した。
辺境伯領でうんざりするほど雪に囲まれていたぼくとお婆も懐かしい風景のような気がしてゆっくりと村の景色を楽しんだ。
村の周囲の柵を囲むように立っている常緑樹の高いところでこっちを見ている小さな猿と目が合った。
「小猿かな?」
ぼくの呟きを少し離れたところで雪と戯れていたラヴェル先生は聞き洩らさず、ぼくの視線の方向に目を向けた。
小さい猿はみんなの視線が集まると枝の陰に隠れた。
たくさんいるね、と魔力探査をしたウィルと兄貴がいうと、皆も視力ではなく魔力探査で猿を探し始めた。
「村の護りの結界の外側だと確認しにくいね」
ラヴェル先生が嘆いた。
七大神の祠に魔力奉納をして村の護りの結界に馴染めばラヴェル先生でも魔力探査で確認できるかもしれない。
「お誘いいただいているのにわがままを言わせていただけるのでしたら、村長のお宅にお邪魔する前に村の祠に魔力奉納をさせていただいてもよろしいでしょうか?」
ぼくの申し出に村長は喜んだ。
「ええ、よろしくお願いいたします。山の神様のお遣いがおっしゃる通りの人たちだ。村に魔力をもたらしてくださるなんてありがたい限りです」
山の神様のお遣い?
精霊たちがお告げでもしたというのだろうか?
気になったが、日没前に祠巡りを済ませたい、と村長に申し出ると若い青年を案内につけてくれた。
ラヴェル先生と先生が連れてきた魔獣学の生徒に先に回復薬を渡しておいた。
どうして回復薬が必要なのか?と首を傾げていたが、ぼくたちが身体強化で走り出すと置いていかれたくないラヴェル先生や生徒たちも身体強化を目一杯かけてついてきた。
村長の口ぶりから推測すると、山の神様のお遣いが魔力奉納を期待していたなら、ラヴェル先生たちの想像以上に魔力を搾り取られることになるだろう。
案の定、七つの祠に魔力奉納を終えたラヴェル先生と三人の生徒たちはフラフラになって回復薬を口にした。
あまりのまずさに咽る先生と生徒たちにオレンジ味の飴を配り、飴を口に入れた四人がとホッとした表情をした。
「ノア先生がピンピンしているのは、やはり飛行魔法には日頃から大量の魔力を使用するからでしょうか?」
「いや、私も滑空場で祠の補強をしたときビックリするほど魔力を奉納したし、その後も、この程度なら私なら耐えられるという神々の思し召しかのように、魔力奉納のたびたっぷりと搾り取られるようになったから、もう慣れているだけです」
これに慣れるのか、と呟いたラヴェル先生に、明日も早朝から祠巡りをしましょうね、とノア先生は笑顔で言った。
慣れる、というのは魔力奉納が当たり前になるということで毎日の日課にすべきなのだ。




