続いていく日常
「やられたな」
父さんに出し抜かれたジェイ叔父さんが朝食の食堂で悔しがった。
父さんと一緒に図面を引いていた兄貴はどのくらい長い間亜空間に籠っていたのか自覚がなかった。
「まあ、カイルとジェイ叔父さんは昨日一日が長かったんだから、ゆっくり休んでいた方がいいんだよ」
朝食の焼き魚定食のほとんどをキュアにあげている兄貴は、ぼくとジェイ叔父さんが早朝から亜空間に行ったことを知らないようだった。
“……ご主人様。太陽柱には亜空間での出来事の映像はありません。上級精霊様くらいの力がなくては他の精霊の亜空間の状況を把握できません”
兄貴が父さんと夢中になって作業していたから欠片になってついて来ることさえ忘れていたのかな?
“……親子水入らずの時間を堪能されたのでしょうね”
そっか、親子二人でいい時間を過したのか。
よかったね、兄貴、といった態でぼくが微笑むと、ジェイ叔父さんも察したように笑った。
ジェイ叔父さんから漏れ出る思考に親子水入らずという言葉を聞き取った兄貴が照れたように笑った。
「うわぁ、家族だけで何かわかり合っている」
ウィルが羨ましそうにいうと、家族が恋しいのかい?とボリスに突っ込まれた。
「朝一番にカイルの部屋に行ったのに出遅れた感じがするだけだよ。VRの魔術具も訓練所の増築が済むまで教えてもらえないだろうから、ちょっともどかしいな」
ああ、とボリスも魔獣たちもVRを説明できない難しさに首を小さく横に振った。
「あれはねぇ、体験するのが一番なんだよ。説明しても伝わりきらないよ。領主様のあの張り切り具合からすると、匂いと風は付けそうだな」
ジェイ叔父さんの話に頬をピクっと引きつらせた兄貴の表情から推測すると、叔父さんの想像以上の仕掛けがあるVR専用の訓練室が出来上がりそうだ。
オーレンハイム卿がお婆を連れて寮にくると、ノーラは大丈夫だ、というように卿はぼくたちを見て小さく頷いた。
食堂にガンガイル王国の魔法学校生が全員集まったところで、寮長から訓練所の改装があることが告知された。
中央広場で登校の魔法の絨毯に乗るメンバーにデイジーとマリアがいたが、いつもと同じように孤児院出身の寄宿舎生やばあちゃんの家の子どもたちに変わらぬ気遣いを見せた。
昨日は激動の一日だったが、関係者たちは何事もなかったかのようにいつもと同じ一日の始めの日課をこなした。
休校の講座はまだあったけれど代替の教員を急場であしらい課題だけ与える講座がいくつかあったようで図書館は大賑わいだった。
広域魔法魔術具講座も植物学の講座も嵐の三日間に全く差しさわりがなかったようで通常通りだった。
だけど、飛行魔法学のノア先生には嫌疑がなかったが、補助教員の数名がいなくなったようで雑務が大変だと溢していた。
授業で使用した魔術具を片付ける手伝いを申し出るとノア先生はたいそう喜んだ。
ぼくとウィルとアーロンは保管庫の中の魔術具に興味があったから手伝ったのに、ノア先生はお礼に素材を分けてやる、とぼくたちを職員室に連れて行った。
魔鳥の魔石を一人一つ貰いホクホク顔で職員室を出ようとすると、職員が減って見通しの良くなった遠くの席の職員から声を掛けられた。
「競技会で使用する魔術具の審査が終わったのだが、ガンガイル王国のチーム名簿の中に君たちの名前があった。魔術具制作だけの参加なのかい?」
はい、とぼくとウィルだけでなくアーロンも頷いた。
出るの?とぼくとウィルが驚いてアーロンを見ると、デイジーのチームに入れてもらった、と言った。
「ぼくも魔術具製作だけの予定なんだけれど、戦えるメンバーが少なくて競技にも出場させられそうなんだ」
アーロンが小声でこぼした。
職員室では、光と闇の貴公子たちは競技会そのものに出場予定はないのか?とさらにしつこく聞かれたが、先輩たちにお任せします、とだけ言ってぼくたちはそそくさと退室した。
魔法学校内の雰囲気を職員たちの粛清から競技会の華々しい話題にすり替えたいのだろうが、担ぎ上げられるのは御免だ。
放課後に魔獣カード倶楽部に顔を出して一勝負していると、生徒会長がこそこそと一人でやって来た。
「よかった!昨日から探していたんだよ。やっと会えた!」
生徒会長はぼくとウィルの前まで来ると両手を上げて盛大に喜んだ。
「どうしたんですか?急ぎの用でしたら寮に連絡をしてくれたら寮の職員がすぐにぼくたちに知らせてくれましたよ。昨日は休講の講座が多かったので街を散策していました」
ウィルの言葉に生徒会長が眉を寄せた。
「それがね、表立ってガンガイル王国寮に行ってしまうと差しさわりのあることを相談したかったんだ。偶然会って、愚痴を聞いてもらったことにしたいんだ」
内緒話にしたくないのかな?
「競技会の話なんだけれど、生徒会主催の行事だから、どこかのチームに肩入れしているように見られたくないだけなんだ。参加者名簿が今日発表されたから、公に話すことはもう問題ないよ」
昨日までは秘密にしなければならなかったけれど今日ならもう大っぴらにできるが、競技会の話をガンガイル王国寮に行ってするのは人目が気になってできないということか。
それなら内緒話の結界はいらないな。
ウィルが生徒会長に空いている席を勧めると、ぼくのスライムがお茶の用意を始めた。
ぼくとウィルが部室にお茶と茶菓子を差し入れしているが、茶葉は残っていたがお菓子はなくなっていた。
みんなで食べるために差し入れしているのだからなくなっているのは部員たちが遠慮しないで寛いでいてくれる証拠でいいことだ。
「ありがとう、スライム。この前の干し芋もおいしかったよ」
干し芋の差し入れはボリスですよ、とウィルが指摘すると生徒会長は席を立ってボリスに礼を言いに行った。
礼はいいから生徒会長も差し入れを持ってくるようにとボリスはそれとなく促した。
「そうだね、ここの居心地がいいのはみんなが善意を回しているからなんだよね。生徒会室は揚げ足を取ろうとするものばかりだから疲れるんだよ」
生徒会長は本題とは違う愚痴を言った。
「フフフ、誰とは知らない人が差し入れしたお菓子なんて怖くて口にできませんが、この部室には優秀なスライムたちがたくさんいるから異物混入の危険はありませんね」
殺伐とした内容を笑いながらウィルが言った。
「うん。ここのスライムたちは優秀過ぎて羨ましいよ。いや、猫も鼠も可愛いし、飛竜も存在しているだけでカッコいいよ」
他の魔獣たちの褒めろという圧力を感じた生徒会長が魔獣たちを褒めた。
みぃちゃんはそれでよいという表情をしたけれど、日当たりのいい窓辺に横たわったまま動かない。
どうやら生徒会長に撫でさせる気はないようだ。
生徒会長はウィルの砂鼠のおでこを撫でて癒されている。
「魔獣使役師の講座を申し込んだけれど定員いっぱいで断られたから予約だけ入れたんだよね」
話がどんどん脱線していくが、疲れた人に癒しの時間は必要だ。
生徒会長は小さいモフモフでも満足したようでスライムの入れたお茶を飲んで一息ついた。
「それで、競技会がどうしたんですか?」
待ちきれなかったウィルが話しの続きを促した。
「そうそう。それなんだけどね、出身地別でチームが組まれる中、混合チームができることはよくあることなのだけれど、今年は凄いチームが組まれてね」
具体的な競技会の話になると部員たちの動きが止まった。
競技会は情報合戦から始まる。
全員興味津々だ。
「東方連合国と教会の寄宿舎生たちのチームのことですか?魔導師の卵たちの技を見れるなんて楽しみですよね」
名簿を熟知しているであろう生徒会長にアーロンも参加することを言う必要がないと判断したウィルは、魔法学校では習わない魔導師の技が見れる貴重な機会だと話を振った。
「ああ、うん。それも十分驚きなんだけれど、その東方連合国の混合チームのメンバーが凄すぎて、今大会をどう運営すべきなのか悩ましいんだ」
生徒会長はアーロンを見て、君も王族なんだってね、とボヤくように言った。
「アーロンもデイジーも王族ですが、競技会に出場するにあたって他の参加者同様の対応で苦情をいうことはないはずですよ。出場することで怪我することがあっても抗議しないでしょう。そもそも大会規約の合意書に署名しているのだから気遣いは無用ではないですか?」
ぼくの言葉にアーロンも頷いた。
「承知の上で参加しますよ」
それでも生徒会長は眉間に皺を寄せたままだった。
「過去にも留学生の王族が参加することがあったから、そういった事例の申し送りはあるんだ。だけどね、軍属学校に所属していない皇子の参加は事例がなくって……合意書に署名があるんだから、何かあっても殿下の自己責任なんだけれど、生徒会としては何事もない方がいいんだよね」
殿下、という生徒会長の言葉に、部室にいる全員が硬直した。
「殿下、というのは、もしかして……」
「……オスカー殿下が東方連合国混合チームで参加することが決定したんだ」
ああ、と悲嘆の声がどこからともなくあがった。
軍属学校に所属していないということは、誰もオスカー殿下の実力を目にしたことがないのだろう。
未知数の能力ということも脅威だが、皇帝のご子息に攻撃を入れる勇気が一般参加者にあるのだろうか、という疑問も湧いてくる。
「……確かに、悩ましい事態ですね」
ウィルの言葉に全員が頷いた。
何も聞いていなかったのかアーロンの顔面は真っ白になった。




