嫁取物語
「領主様はご自分に近い精霊に夢を乗っ取られがちですので、まず先にぼくたちにお話してくださるようになったことに感謝します」
ぼくは未来の嫁候補を領主が勝手に見繕ったことを責めず、やんわりと否定するにはどうしようかと頭を捻った。
テーブルの上でシャボン玉色に光る領主のスライムが触手を両手のようにテーブルに添えて、ぼくとみぃちゃんのスライムに平謝りしている。
スライムの世界では上下関係が捻じれているのか?
そうか、できるスライムの第一人者であるぼくのスライムは、スライムたちの後進の指導に当たっていたから、領主のスライムにも指導をつけていたのでほぼ師匠なのかな。
“……姐さん、申し訳ない!うちのご主人様はまだ精霊言語を取得しておらず、それでいて精霊たちに干渉されているのを楽しんでいるきらいがあって、カイル様の未来の嫁かもしれない存在を夢に見てワクワクされていました”
ぼくのスライムは姐さんと呼ばれているのか!
“……可愛い子だった?”
“……ご主人様から駄々洩れしていた思念では、可愛い子でした”
“……いくら可愛い子でも、まだ三歳にもなっていないということは年の差が七つ以上あるのね。あんたのご主人様の見た夢を映像として思い浮かべられる?”
“……姐さん。私にはまだ無理です”
“……鍛え方が足りないね。自分の記憶にとどめようとしないで、静止画だったら体の一部を写真の印画紙に変身することをイメージして……”
スライムたちはこうやって能力を高め合っているのか。
父さんとウィルのスライムまでテーブルに出てきて、映像記憶を留めておくには、と独自の手段を精霊言語で話し出した。
まだ精霊たちに振り回される領主はみぃちゃんとキュアとシロに呆れたような視線を向けられて、怒られた近所のじいじのように肩を竦めた。
いくら無礼講だとはいえ、辺境伯領の最上位者、いや、ガンガイル王国の王族本家の最上位者に、ぼくの魔獣たちは容赦ない。
「南方戦線に伴う荒廃の支援を帝国軍や南方諸国のどちらの勢力にも肩入れしないよう、教会の活動を支援という形でガンガイル王国は実行しています。見返りとして様々な素材を優先的に購入できるようになっているのに、南の砦を護る一族にカイルを婿に出す王国側の利点がないじゃないですか?」
ぼくの複雑な心境を察したウィルが具体的な国益を示せ、と領主に尋ねると、領主は気まずそうに目を逸らせた。
「……チョコレート農場が欲しいのですね?」
太陽柱で確認したらしい兄貴が突っ込むと素直に領主が頷いた。
領主は戦争終結後の復興の済んだ南方地域に広がるチョコレート農場の夢でも見たのだろうか。
そのようですね、とシロがぼくの疑問に頷いた。
「チョコレート農場でしたら事前準備として退役騎士たちが帝国の農業ギルドと商業ギルドに試験農場の登録を申請しています。もちろん試験農場ではカカオ栽培をしていません。現在はキャッサバという芋の木を栽培しています。毒抜きしなければ食べられないのですが、痩せた土地でも育つうえ、作付面積当たりの収穫高が良い作物です」
父さんが焦らなくても帝国南部にガンガイル王国出資の農場を作る計画が水面下で進んでいることを領主に念を押した。
カカオ豆からチョコレートができていることはまだ秘密で、土地の魔力や人件費等を搾取しない大規模農業ができないか模索している段階なのだ。
「その、キャッサバ芋とは美味いのか?」
焼いても揚げても美味しいけれど、ぼくはタピオカにしてフルーツカクテルに入れるのが一番好きだ。
「美味しいですよ。調理法は多々ありますが、ぼくはデザートにするのが好きです。……欠点は毒抜きすると日持ちしないのでガンガイル王国では加工したものしか輸入できません。キャッサバ自体はガンガイル王国で食用にするというより、農地にならないような荒れ地で税金として物納しない食材で復興を支える人たちのお腹を満たすことを目指しています」
「復興事業で農業ギルドや商業ギルドに加盟して実績を作り、帝都で大規模農場を所有する足がかりにします。研究所を設立したので、チョコレートは他の試験栽培の植物に紛れ込ませてそこで栽培しています。……焦りは禁物です」
ぼくの説明に父さんが補足した。
「外交の切り札にできないほど、ガンガイル王国国内でもチョコレートは品薄なのですね」
ぼくたちが帝都で消費してしまうと国内で楽しめなくなることを悲観して焦っているのでは、とウィルが領主に確認すると、領主は素直に、儂も食べたい、と頷いた。
「……ああ、儂の精霊たちへの突っ込みが甘かったのか。期間の突っ込みを忘れておった。カイルの土壌改良の魔術具を購入しなかった地域の周辺でキャッサバを栽培し、農民たちに当座食べるものを支援して、ガンガイル王国の農業技術の高さを見せつけて、帝国の派閥の末端から崩壊させていくから時間がかかるんだな」
父さんは無言で頷いた。
領主は夢の中で一応筋道を確認していたようで、現状認識は早かった。
「小難しいことはラインハルトと文官に任せきりではいかんのだが、ラインハルトが関わると新規事業が短期間に成功するので当たり前のように考えてしまう。南方戦線が終結しないとどうにもならんことなんだが、儂の根拠のない勘だと、一気に終結する気がしてならんのだ」
「……根拠のない楽観視は危険ですよ」
ウィルがすかさず突っ込んだ。
「辺境伯領の精霊たちはキャロラインお嬢様やケインたちが帝都に留学する前に片を付けたいと願うからそう誘導しているのでしょうね」
辺境伯領領主に干渉する精霊たちは昔から郷土愛に篤いから身勝手になりがちだ、と兄貴が指摘した。
「邪神の欠片が教会都市に複数集まっているのに、世界最大の帝国皇帝でも何もできずにいる状態です。ディミトリー王子の誘拐が教会関係者かどうかは置いておいても、邪神の欠片を手にした記憶喪失のディミトリー王子が皇帝暗殺を実行しようとしたのは事実で、最もきな臭いのが教会の謎の組織です。帝国で皇太子が決まらないのは立太子の礼を大司教に執り行ってもらうことを避けているからかもしれません」
「南方戦線が終結すれば皇太子が立つだろう、とは言われているが、なかなか決まらないから皇帝に暗殺者が送られたかと考えたんだが……皇太子候補にも常に暗殺者が送られているようなら選出されれば、そいつを狙えとばかりになるのか」
父さんの考察に領主も頷いた。
「現皇帝も兄の皇太子を退けて皇位に即位しましたね」
ウィルが現皇帝即位の経緯を思い出して口にすると、領主の顔が歪んだ。
「ああ、あれは……なんというか、儂も無関係ではないのだが、前ガンガイル国王次女姫が劇的に現皇帝に嫁ぐことになったことに端を発しているんだ」
ガンガイル王国を揺るがしたラブストーリーの詳細が聞けるとあって、魔獣たちが前のめりになって領主を取り囲んだ。
「現辺境伯領夫人の妹姫がじいじのかつて婚約者で、元辺境伯領主夫人は当時皇太子だった現皇帝の兄の婚約者候補だったのですよね」
ウィルも事情を知っていたようで、お互いに知っている情報を確認した。
次女姫が王都の魔法学校の下校時に護衛ごと、当時ガンガイル王国に短期留学していた現皇帝に攫われたことで、次女姫の名誉を守るために大恋愛の末婚約者を交換した、と言う台本が出来上がったのだ。
「まあ、ガンガイル王家が外交下手で、現皇帝との間の約束されたことをことごとく反故にされた。当時、皇太子ではなくたくさんいる皇子の一人でしかなかった現皇帝は帝国の派閥を気にする必要がないので、妹姫を第一夫人として迎えると約束したのに今では第三夫人だ」
最愛の妻なら形だけでも第一夫人に留めておくべきよね、とぼくのスライムが器用に鼻息を荒くして言った。
「一夫多妻の宮廷を持つ帝国で皇帝になってしまったら、国内の派閥に考慮して複数の夫人を娶らなければならないし、子どもが生まれなかった妹姫がまだ第三夫人に留まっているのですから、目くじらを立てるように抗議できなかったのでしょう」
ウィルが憤るスライムたちを宥めるように言った。
「まあ、約束を全部反故にされたわけではないけれど、良いように利用されてしまったのは確かだ。帝国北西部で紛争が起きないように助力する、と言う約束は守られた。だが、実兄の失脚のきっかけはガンガイル王国が帝国軍に軍事協力する際には飛竜騎士は一名しか貸し出さないのが慣例だったのに、次女姫の婿に助力するという名目で多数派遣せよ、と現皇帝がガンガイル王国との国境付近で軍事演習場を作り圧力をかけてきたのだ」
「前国王陛下は国境付近の領主たちに嘆願されて飛竜騎士師団を派遣することになったのですね」
ウィルの言葉に領主が頷いた。
「飛竜騎士たちは飛竜たちとの間にガンガイル王国の国土を守るため騎士団に所属する、として契約しているから、国境周辺に軍事演習所ができた状態を国土の危機、として派遣することになったのだ。現皇帝は実兄の立太子の礼の後の高貴な戦いで飛竜騎士を率いてボロ勝ちしてしまったんだ」
魔獣たちだけでなくぼくたちもドン引きした。
東方連合国の東南部では帝国と不文律の密約があり、帝国の立太子の礼の後慣習として出兵があるが、人的被害を出さないように攻撃する地域が決まっており、侵略されても皇帝即位の際、独立が認められる茶番戦争で、実兄の皇太子を差し置いてガチで攻め込んで勝利したのだ。
「まあ、当然東方連合国は立腹するが、それも武力で制圧した。武勲を立てれば領地を賜る将校が増えると軍閥派が宮廷内の主流派閥になり、当時の皇太子は面目を失い病気を理由に皇太子の座を降りて数年後に亡くなった」
「次女姫が現皇帝の元に嫁がなければ、飛竜騎士師団が派遣されることもなかったのかな?」
ぼくのスライムが素朴な疑問を口にすると、領主が顎を擦りながら首を傾げた。
「うちの嫁が死亡した皇太子の元に嫁いでいたなら、飛竜騎士団の派遣を依頼されても断っただろう。次女姫にはない行動力があるから、国境付近の演習場に自ら乗り込むことぐらいはしただろうな。まあ、前皇太子はいずれにしても暗殺されただろうな。そんな勢いが現皇帝にあるから何とも言えんな」
帝国の荒廃ぶりを知っているぼくたちはため息が出た。
内政そっちのけで戦争を続ける現皇帝が、一介の皇子として大人しくしているとは思えず、当時の皇太子はどうあっても死亡しただろうと想像に難くなかった。
「帝国に留学して身にしみて感じるのですが、ガンガイル王国の存在感の薄さです。ぼくたちが精霊たちを出現させて注目されるようになりましたが、飛竜騎士師団を派遣して、現皇帝の即位の一助になったのに、帝国でずっと王国がこの世界の冷凍庫扱いをされていたのか理解しかねます」
眉間に皺を寄せたウィルに父さんと領主が苦笑した。
「ガンガイル王国が帝都で存在感を出さない方針だったのだ。帝国をヘタに刺激して立太子の礼の後の出兵地に狙われると堪ったものじゃないからな。だが、四方の砦を護る一族としては現状を静観するわけにもいかん状況まで悪くなった。南の砦が崩壊したらおそらくこの世界は崩壊してしまうだろう」
南の砦の一族にぼくを婿に出したいと考えた辺境伯領大好きな精霊たちは、ぼくとぼくの魔獣たちの魔力が南の砦を補強してカカオ農場を作れば一気に解決するとでも思いついたのだろうか?
兄貴とシロが、あの野郎ども、と小さく首を横に振った。
“……ご主人様。その未来は茨の道で舗装されているように過酷で残酷な未来です”
まったく、この領主ときたら、精霊たちの誘導に簡単に引っ掛からないでほしいよ。
 




