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忘却の王子

 防御もせずにぼくを守ることに徹した母は死を覚悟してぼくを守った。

 母の愛で助かったことは自覚していたが、そんな器用な魔力の細工をしてぼくを隠していたのに、ぼくは前世の記憶とカイルとしての記憶が混沌としていたから何も気付かなかった。

 もう泣いてばかりいない。

 繋がれた命でぼくはやるべきことをやるだけだ。

「……母は偉大だね。今度墓参りに行ったら結界の確認をしてみなきゃいけないな」

 ふっ切れたように明るく言うと、魔獣たちが心配げにぼくを見た。

「めそめそしていられないよ。ユナ母さんはぼくと同い年で北方薬草の研究をするため父方の親族の村に単身乗り込み周囲の理解を十分に得られない中、研究を続けて形にしたんだもん。ぼくだって頑張らなくちゃ」

 同い年だった頃の母の健闘振りを持ち出すと、魔獣たちはホッとした表情になった。

「あの村は本当に腹が立ちますよ。一族がユナに持たせた持参金を村長が村に還元する金だと言って接収しておきながら、緑の一族は女腹だからユナは息子の嫁にはむかないと縁談は村人に押し付けたのですよ!村長宅の食客だった時にユナが育てた薬草畑はユナの結婚後、使用を禁じて薬草を売り払おうとしてユナの義姉妹の夫の行商人に、ユナの処理した薬草じゃないから質が悪い、と買い叩かれて激怒したのですよ」

 母を慕っていた精霊の一部がシロを構成しているので、ぼくが少女時代の母の話を持ち出すと、母が虐げられていたことを思い出したシロが激怒した。

 ぼくは村長の息子が父親にならなかったことに安堵するよ。

「落ち着きなさい、シロ。被害者のカイルが未来に希望を見出そうとしているのに、太陽柱を見ることができる精霊のお前が過去に囚われていたらいけない。確かにユナはあの村で苦労をしたが、栽培できないとされていた魔獣除けの薬草の栽培に成功したのは、村長宅の薬草畑の使用を断られたので、一から畑を開墾したからできたことだ」

 上級精霊が過酷な環境だったから成功した一面を上げると、シロは不貞腐れたように唇をとがらせた。

「それはユナが努力家だったから成し得たことです」

「カイルのお母さんらしいよね」

 身を挺して母に庇われた記憶のあるキュアが言うと、みぃちゃんもスライムたちも頷いた。

「生きているって、辛く苦しいことも、時に理不尽なことがあっても、人生は続いて行くんだからなんとかしようと足掻き続けることが必要なんだよ。だからこそ、あの偽セシルはあんな状態で本人が生きているといえるのかなって考えちゃうんだ」

 他人の魔力を奪わないと人形のように動けないような状況なんて、箱を開けなくては猫の生死がわからないが箱を開けたら猫は死んでしまうという、シュレーディンガーの猫の話の逆、いや、人間に観測されることで事象が決定するのならシュレーディンガーの猫の思考実験の具象化そのものなのだろうか。

「小難しいことを考えているようだが、精神的に生きているかどうかという当人の心のうちは別として、少なくとも生物としてあの男は生きている」

 思考の漏れを防御する壁を乗り越えてぼくの考えを理解した上級精霊の発言に、魔獣たちが、小難しいことって何、と首を傾げた。

 シュレーディンガーの猫の話はあとで魔獣たちにも考えてもらうこととして、喫緊の問題としては偽セシルをどうするのかということだろう。

 兄貴とアネモネがぼくの魔力で偽セシルを起動させたとしても、あの魔石の魔力量で何時間動かすことができるのだろう?

「結局のところ、邪神の欠片は瘴気を集めてそれを魔力として使うのだから、瘴気がない上級精霊さんの亜空間では偽セシルは邪神の欠片を使えないのじゃないのかな?起きているにせよ寝ているにせよ上級精霊さんが閉じ込めていてくれたら問題ないでしょう」

 廃鉱で大活躍したキュアは瘴気と分断されている状況で邪神の欠片が力を発揮できなかったことを思い出したのか、偽セシルを死ぬまで亜空間で放置すれば邪神の欠片だけ回収できるのでは、と提案した。

 寿命の感覚が違う飛竜らしい提案だったが、上級精霊の返答はさらに上をいくえげつないことを言った。

「あの男の存在を考慮しなければ今すぐ地中深くに送り込んで世界の理に縛り付けてしまえばいい。だが、この世界にはまだあの男を必要として待っている人々がいる。邪神の欠片を携帯しているからあの男の未来は見えないゆえに、この先のことは口にしない。ただ、邪神の欠片を所持したことにより心神喪失した状態であったなら、あの男が起こした殺人の罪はあの男が負うべきものなのか?」

 上級精霊の問いに魔獣たちは思いあぐねるように首を傾げた。

「できることなら邪神の欠片と偽セシルを離した状態で、偽セシルにどこまで記憶があるかということを確認してからじゃないと話にならないでしょうね」

「まあ、そういうことだ。魔本で確認した山小屋襲撃事件は斬りつけられた時に魔力を抜かれたようだが、ノーラとの暮らしでは日常生活の単純な接触で魔力を抜いていたようだな。アネモネとジョシュアの検証では接触したものから魔力を抜いている。砂に還る直前まで魔力を抜いていることから鑑みても、男の意識のない状態の方が容赦なく魔力を抜くのかもしれない。アネモネとジョシュアの亜空間での続きを見てみよう」

 ぼくたちがいる亜空間のスクリーンに、鶏の卵サイズの魔石を持つ兄貴と駝鳥の卵サイズの魔石を持つアネモネが映し出された。


『サッサと男の目を覚まさせたいからといって、さすがにその大きさの魔石をぶつけたら怪我をさせてしまうよ』

『転がしてお尻にぶつけたら問題なさそうじゃないかしら?』

 二人は横向きに倒れている男を見ながら臀部なら大丈夫かな?と話し合っている。

 アネモネは両手で不器用にボーリングの玉を転がすように魔石を男の尻にめがけて転がした。

 ゴロゴロと転がった魔石が男の尻に直撃すると魔石はみるみる間に色を変えた。

 次の瞬間、どこの筋肉を使ったらそんな起き方ができるのかと思う動きで男が飛び起き、アネモネに向けて真っ黒な長剣を構えた。

『皇帝の呪いが解けたのじゃなく、皇帝の呪いを跳ね返しただけなのね!』

『アネモネかこいつかが条件を達成すれば解ける呪いがアネモネも解けているのだから、こいつのこの行動は皇帝の呪いではなく条件反射だよ』

 兄貴はアネモネを突き飛ばすように男から引き離すとアネモネと男の間に割って入った。

 “……セシルと呼び掛けて!兄貴”

 映像を止めていたから現在進行形じゃないのにもかかわらず、緊迫した状況に堪らず精霊言語で兄貴に話しかけた。

『セシル。この人は敵じゃない。刀を下げろ!』

 なんで兄貴に伝わるんだ?と上級精霊を見ると、どうした?というかのような表情をした。

 そうだった。

 上級精霊は時間を戻せるのだった。

『あなたは今セシルと呼ばれているのね。私が知っているあなたは七歳の時までで、帝国留学に行くことを楽しみにしていたわ。最後に聞いた言葉は、アネモネ先生にお手紙を書きますからお返事をください、だったわ』

 兄貴の言葉には動じなかった男がアネモネの言葉に動揺したのか剣先を揺らした。

 アネモネのことを覚えているのか、それとも自分の過去を知る人物がいきなり登場したことに動揺したのか男の表情からは読み取れなかった。

『アネモネは当時少年だったこの男をなんと呼んでいたの?』

 アネモネは男の瞳をじっと見つめて呼びかけた。

『ディミトリー王子』

 呼びかけられた男は無表情のまま兄貴を挟んでいるのにもかかわらずアネモネに剣先を向けたままだった。

『ディミトリー王子。あなたは何か思い出しましたか?』

 兄貴の問いかけにも男は表情を変えることはなかった。

『ディミトリー王子。あなたは聡明で活発な男の子でした。お勉強ばかりの日々の楽しみはご褒美に海釣りに出かけることでしたね。城を出ると表情が急に豊かになる男の子でした』

 アネモネが幼少期の逸話を持ち出して男の記憶を掘り起こそうとすると、男の体から瘴気がゆらゆらと立ち上がった。

 瘴気と対決したことがある兄貴がアネモネを庇うように両手を広げて、さがらせたアネモネの前に立ち塞いだ。

 思考が単純な死霊系魔獣なら簡単に撃退できる兄貴だが、人間に取りついている瘴気が相手では攻撃されたら防ぐくらいしかできないだろう。

 “……収納ポーチに網鉄砲の魔術具があるよ!”

 帝都の治安が悪かった時の早朝礼拝で中央教会に行くときに用心してみんなで携帯していたままになっていたはずだ。

 兄貴なら携帯していなくても実家の魔術具保管庫から勝手に持ちだせる。

 兄貴は収納ポーチから網鉄砲を取り出し、男に向けて網を放った。

 男が網を切り払おうとするが闇属性の死霊系魔獣を捕らえるために開発された網は黒い刃ごと男をすっぽりと覆いつくした。

 男から漏れ出ていた瘴気は網の目から漏れることはなかった。

『やだ、なにこれ!簡単に邪神の欠片の瘴気を抑え込めちゃったわ!』

『過去に実際に邪神の欠片と対峙したことがあったから、魔術具を色々と開発していたんだけど、正直ぼくもこんなに簡単に閉じ込められるとは思わなかった。どうやら父さんが魔術具を魔改造していたようだ』

 兄貴は実家の魔術具保管庫から網鉄砲を拝借したようだ。

 網の中の男は瘴気が抑えられたようで刀をしまって座り込んでいる。

『さて、どうしようかな?死霊系魔獣ならば浄化の魔術具に放り込めば済むけれど、人間だから網の中に放置しておいても小さくならないから魔術具の中に入らないよ』

 “……人間は浄化の魔術具に入れたら駄目だよ!!”

 浄化の魔術具の原理は遠心分離機だから生き物を入れてはいけない。

「わたしがあっちの亜空間に行って、浄化の魔法をかけ続けたら何とかなるかな?」

 キュアの提案に上級精霊が声を出して笑った。

「はははははははは、試してみるのも悪くないだろう。簡単に効果が出なくてもめげなくていいぞ。過去に邪神の欠片と対峙した飛竜たちは世界中から集結して交代で浄化したのだ。それでも完全に浄化をすることができずに穴を掘って地中深くに封印した。今回はディミトリーと邪神の欠片が分離すればいいだけだから、無茶せず気長にやればいい」

 はい、と元気良くキュアが返事した。

「回復薬の補給係としてぼくもあっちの亜空間に行ってもいいですか?」

「ああ、かまわない。危ないことがあれば即座に戻してや……」

 上級精霊の言葉が終わらないうちに、ぼくと魔獣たちは兄貴とアネモネのいる亜空間に転移していた。

 気長にやればいいなどと言いながら相変わらずの上級精霊のせっかちぶりに思わず笑ってしまった。

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