マルクさんの手記
残酷な描写があります。
テーブルの上に飛び出した魔本に上級精霊は眉を寄せた。
「まだ十歳の少年に読ませるのは早いだろう」
魔獣たちも内容は気になるが、ぼくの心を心配して魔本を睨んでいる。
「成人するまで待つのもいいが、実行犯がそこにいるんだ。第三師団長の二回目の現場検証の報告書くらいなら大丈夫じゃないかい?ボリスの父、マルクが騎士団長やハルトおじさんや辺境伯領主に読ませるためだけに書いた割と私的な文章だから人間味があるぞ」
やっと活躍ができる場があった、と張り切る魔本を一瞥した上級精霊は視線を一瞬横にそらした後、それなら問題ないだろう、と即答した。
魔本がページを開くと上級精霊は兄貴たちの映像を一時停止し、スクリーンに魔本の開いたページを大きく映し出した。
魔獣たちと固唾をのんで見た文書はマルクさん直筆の筆跡だった。
*
これは山小屋襲撃事件の正式な報告書ではなく、報告書に記載できない私見の入った手記である。
事件当時、唯一の生きのこりであるカイル少年の親族により明らかになった内容は報告書に記載するには荒唐無稽すぎて省略されてしまったため、ここに私見として残す所存だ。
尚、本文は緑の一族の族長カカシの精霊の証言をカカシからの伝聞に基づき考察した手記だ。
カカシは精霊使いではなく、精霊の僕だということを明記しておく。
これは騎士団の公式見解ではないことを重ねて断っておく。
通常火葬されるはずの山小屋襲撃事件の被害者たちを遺体収納袋に入れたまま土葬したのは、この地に施された魔獣除けの結界が異様に完璧だったため、後に再検証するためにできるよう現場を保全したかったからだ。
いくつかの疑問により事件現場を再検証可能な状態に保つべきだと判断したのだ。
優秀な二人の騎士が抜刀することなく殺傷されたが、同一の武器による傷に見え複数犯の気配がなかったこと。
同日に殺害されたにもかかわらず発見時の遺体の腐敗の進行具合が屋内、屋外の環境の差を考慮しても不自然なほどの差があったこと。
母親のスカートの中に隠されたとはいえカイル少年が犯人に見逃されたこと、いや、これはカカシの精霊の証言を聞いてから疑問に思ったことだ。
事件発覚当初、私もカイル少年が生きのこったのは身を挺して隠した母の機転のお陰だとしか考えなかった。
犯人は子供の存在に気付かなかったから見逃されたのだとしかあの現場では判断しなかった。
カイル少年の記憶から夢の中で過去を再現させた白昼夢をカイル少年に見せた精霊がいたようで、カイル少年の精神に干渉したカカシの精霊も詳細を知ることができたようだ。
その精霊の証言から、犯人がカイル少年を目撃しながらも追わなかったことが発覚したのだ。
皆殺しではなく見逃されていたのだ。
それにしても緑の一族の族長を交えた二度目の現場検証ができたのは僥倖であった。
死後数日たっても荒らされていなかった現場の状況をカカシは山小屋の敷地に立ち入るなり見抜いた。
山小屋の管理人夫人ユナが植生による魔法陣を形成していたのだ。
植物の属性を神々の記号に見立てて施し、騎士団の護りの魔法陣と重ねても問題のないものだった。
報告書にこの魔法陣の詳細が記載されているので本文では省力するが、この魔法陣の特異点は文字と魔法陣を失った時代に苦肉の策として使用されたもので、今となっては失われた魔法陣であるということだ。
初級魔法学校在学時からユナが継続し、研究しこの現場に再現していたのだった。
カイル少年の出身地の村にも同じ植物による魔法陣が施されていたが、そちらはすでに薬草として採取され売り払われてしまっていた。
ユナの知識を継承し、あの失われた魔法陣を残し研究するために、今後もあの現場を保全する予算を割いてほしいと切に願う。
*
ここまで読んで、涙が出た。
洗礼式を終えて、父さんと墓参りに行った時に綺麗に整備されていたのは、マルクさんのように現場を保全しようとしてくれた人がいたからだったのだ。
「ああ、感激して涙が出ただけだから気にしなくていいよ」
ぼくの涙を見た魔獣たちが動揺してぼくに寄り添ってきた。
膝の上にみぃちゃんが、両肩にスライムたちが乗り、正面のテーブルの上にキュアが乗り、それぞれがぼくの顔を覗き込んだ。
「ぼくはね、優しい人たちに囲まれてぬくぬくと育ってきたんだなって、あらためて感動しちゃったんだ」
「マルクさんの優しさはわかりにくいけれど、先を見据えてみんなを守ってくれている人だよね」
「本人は、辺境伯領騎士団員として領民を守るのは当然だ、なんて思っていて、こんなことをしたぞ、なんて口にしないのよね」
そこがまたカッコいいと、みぃちゃんがべた褒めした。
「両親の死の原因を追究する文書を読んで、自分が守られていると感じる感性がカイルらしい」
上級精霊の一言にぼくは頷いた。
「生きのこった後の幸せは、優しい大人たちが環境を整えてくれたからです。ぼくは感謝を忘れてはいけないんですよ」
「ああ、そうだな。カイルはジュエルの家に引き取られたことで人生は好転した。かたや、七歳で誘拐された少年が暗殺者になったのは、少年が自ら望んでそうなったというより暗殺者に育て上げた大人が存在しているだろう。カイルは悲劇の中でも環境に恵まれた。それも事実だが、カイルが人の善意を引き出す行動をしたから、関係者たちも善意の行動が増えた。カイルの人徳もあるよ」
上級精霊の言葉に、さすが上級精霊様♡とスライムたちが目をハートにさせている気配がする。
「ありがとうございます。褒められると照れますが、ぼくの人徳というよりうちの家庭環境のお陰でしょう。だからこそ、魔獣たちも優しい子たちに育ちました。でも、上級精霊様に認められると、マルクさんの文章の続きを読み進めてもぼくの心は大丈夫だと根拠のない自信が湧いてきます」
フフフ、とみんなで笑ってからマルクさんの文章を再び読み進めた。
*
魔法陣が強化されていたことが判明して遺体が数日間放置されていたのにもかかわらず、魔獣にも死霊系魔獣にも現場が荒らされなかった理由が明確になった。
カイル少年が犯人の出現時と最初の犠牲者を目撃しただけで一目散に母のところに走り保護されたため、その後の犯人の行動を直接目撃しておらず、精霊が明言できる確証がないため、血痕の飛散した範囲や被害者の倒れていた位置、遺体を移動させた後がないことからの推測に過ぎない、とカカシは前置きして検証した。
現場警備の騎士二名を真っ先に殺害した後、盗難された大量のくず魔石が保管されていた保管庫ではなく、管理人室に向かいユナを殺害し、文官二名と管理人の殺害に至った、とカカシは推測した。
報告書では山小屋への侵入経路が裏口からだったため管理人夫人が先に殺害されたと記載したが、カカシは魔力が多く戦闘能力が高い人物から先に殺害されたのではと推測した。
ユナは緑の一族の中でも魔力が多い方で、研究好きで自身で素材採取をしたがり、支配階級に縁付くことを嫌い、山奥の寂れた村に縁付くことを選んだらしい。
戦闘能力はほぼないが単調な魔力攻撃ならできたはずだが、犯人の攻撃速度がユナの反応速度より早かったのかもしれないし、カイル少年をかくまうことに意識を集中させたのが、無抵抗だった原因かもしれないとのことだった。
全員を殺害した後犯人は保管庫からくず魔石を奪い逃走した。
侵入も遁走も転移魔法を使用したと推測されるが、現在広く知られている魔術具を使用しての転移魔法ではなく、地図上に座標を指定して転移する魔法ではないか、とカカシは推測した。
現在知られている魔術具での転移魔法の使用では、土地に魔法陣の痕跡が残るが何もないことから、未知の魔法か、最上位の上級魔導士が関与したかのどちらかだ、と指摘した。
どちらの可能性であっても報告書に記載できることではないので、最終報告書では侵入逃走経路不明となっている。
最上位の上級魔術師となれば、教会総本山の関与を疑うことになるので機密の公文書にでも記載することはできない。
未知の魔法が精霊使いを意味するのなら、精霊使い狩りは教会が発端となった歴史的経緯を鑑みても公文書に残したくない。
カカシは帝国の関与を臭わせたが、どうにも教会もきな臭い。
この考察はあくまで私の私見に過ぎない。
山小屋での再検証の後、被害者たちの墓を魔法で掘り返し、遺体の再検分を行なった。
墓の掘り返しも遺体袋の開封もカカシの魔法で行ったので誰も手を触れなかった。
ミイラ化している遺体を見るなりカカシは魔力が抜かれていると言った。
腐敗の進行具合の違いは遺体を腐らせる微生物の魔力まで抜かれて砂に還る寸前にまでされていたからだ、と主張した。
現場の戦闘力無効化を優先にしたため騎士たちは殺害を優先され腐敗が進んだが、ユナや文官たちは入念に魔力を抜かれたため腐敗の進行が遅かったようだ。
砂に還るほど魔力を抜き去れば周辺の土地の魔力まで奪うことになるから、その寸前で止めたのだろう、ということだった。
遺体の再検分を終えて墓を元通りに戻した後、カカシは山小屋の管理人室に戻り、ユナが倒れていた床を撫でた。
カカシに指摘されるまで気付かなかったが、ユナが倒れていた形に添って床板が経年劣化のように脆くなっていた。
自分の魔力を選別して床の魔力と出来るだけ同質な魔力の壁を作り、カイルの周りに覆って存在を隠したようだ、とカカシは分析した。
ユナは反撃より子どもの存在を隠すことに全力を注いだのだろう。
殺害時に魔力を吸い取られる際、同化させた山小屋の床の魔力も抜かれたようだった。
カイル少年が生きのこったのは偶々ではなく、母の愛と行動力の賜物だったのだ。
カカシはカイル少年を保護した礼として、教会だけではなく、帝国を警戒しろ、と強く警告した。
場所が特定されなければ転移魔法は使用できないのに、この山小屋を特定されたということは間諜がどこかに紛れている、との指摘を受けた。
王都は辺境伯領より酷いことになっている、と忠告されたが、あっちはどうしようもないとしか言いようがなかった。
私はこの事件をガンガイル王国が内側から崩壊させられる前兆としないことを一騎士団員として誓う。
同じような事件を未然に防ぎ、間諜を炙りだし見えざる外患を排除する。
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