スライムはセラピスト?
「ああ、カイル!」
お婆はノーラに詰め寄ったぼくの両手を捕まえて、ぼくの目を覗き込んだ。
「ぼくは大丈夫だよ。別の亜空間で心を落ち着かせてきたから」
ぼくの両親が殺害されて孤児になったことを知っているメンバーが、ああなんてことだ!と嘆息すると、三人娘やノーラがぼくの言葉がどうやら真実らしいと確信して顎を引いた。
「セシルはあなたの弟ですよね。七年前、帝国軍人のセシルがガンガイル王国の辺境伯領と呼ばれる地で極秘任務を遂行してぼくの両親を殺害したなんて言ったら国際問題ですよね。でも、彼の容貌はあなたと同じ瞳の色ではなかった」
顎を引いたノーラはぼくから視線を逸らせた後、首を横に振った。
「七年前のセシルは軍人じゃなかったわ……だからと言ってもう一人のセシルとは限らない……」
お婆の手を振りほどいたぼくは亜空間のギリギリ端まで後退したノーラの顔の真横に手を置いてゆっくり深く息を吐いた。
「あなたは七年前のあのセシルを知らない。そしてぼくは今のセシルを知らない。ただ、あの日平穏だったぼくの日常を破壊したセシルの姿を忘れることができない。見間違えることは……したくてもできない。脳裏にこびりついている」
拳一つ分まで顔を寄せたぼくは真っすぐノーラの瞳を見た。
詰め寄るぼくと魔獣たちに囲まれたノーラは瞳を潤しながら観念したように一度下を向いた後、ぼくを見据えて目を伏せた。
「私はセシルの過去のことは何も知らない……」
「あなたを責めたいわけではない……。でも、彼は純真無垢なあなたの弟じゃない」
真面目な場面だったのに、純真無垢な弟、という言葉があまりに本物のセシルとかけ離れていたから、魔獣たちだけじゃなくノーラまで噴きだした。
ぼくの背後で心配していたお婆が言葉の選択肢を間違えたぼくの肩を、言い過ぎだ、とバシバシ叩いた。
ここで笑いが起きて良かった。ノーラを責めてはいけないのだ。
金をせびる為だけに会いに来ていたノーラの本当の弟が純真無垢なはずがなく、ぼくのスライムの暴露話を聞いていたので全員が苦笑した。
ぼくは成り代わったセシルがイケメンで誠実そうに見えても善人ではないと言いたかっただけだ。
ぼくの弟たちが真面目で誠実だからといって世の弟たちが純真無垢ではないのだから言い方が悪かった。
泣きながら笑ったノーラは深く息を吐くと、セシルを拾った日のことを語りだした。
ノーラは傷痍軍人症候群の兆しを示す全裸の男を拾い、知り合いの軍関係者に相談するつもりだった。
隣人にセシルだと誤解された時に否定の言葉がでず、セシルとして男を保護し続けることで、自分の心の隙間を埋めていた、と独白した。
ノーラの話の終盤から、三年前から軍に所属する兄が安否不明なの、とネネがたまらず嗚咽した。
帰って来ない身内を思いノーラの話に涙したネネにココとヴィヴィが両側から寄り添った。
ぼくたちは下唇を噛みしめてどうしようもないやるせなさを口にせずに黙り込んだ。
長く続く戦争は広く民兵を募るから帝都の市民たちで身内を戦地に送り込んでいない人の方が珍しいだろう。
それでもノーラに真実を告げなければいけない。
「……あなたの弟さんは生きていない。……精霊たちはそう言っています」
ぼくの言葉に伏せていた顔を上げて天井を見たノーラが涙を一粒こぼしてからぼくに向き合った。
「そうですか……。時にわかりきっている嘘に酔いたくなるのです。セシルはろくでもない男でした。それでも私と実家を繋ぐ細い糸だったのです。いい職場に勤めて、人間関係にも恵まれていながら、それでも、私を待っている人がいることに安らぎを見出してしまったのです。……私が田舎の家族を見捨てたのに……誰かにいてほしかった」
「……今のセシルを愛しているのね」
お婆がぼくの後ろから声を掛けるとノーラは考え込んだあと首を横に振った。
「……私たちは男女の関係ではないです。……男性として意識していないわけではないのだけど、セシルと深い仲になりたいと思ったことはないのです。彼は純真過ぎて……一緒にいられるだけで幸せでした……」
「わかるわよ。推しと暮らしているようなものよね。尊過ぎて男女の仲になるなんて考えられなくなるの」
悪魔と呼ばれたのにノーラの顔の横をパタパタと飛びながらぼくのスライムが呑気に言った。
「一緒の空間にいられるだけで幸せなんでしょう?」
「それって恋じゃないの?」
「恋とはちょっと違うわね」
みぃちゃんとキュアとお婆が話し出すとノーラの表情が和らいだので、ノーラから話を聞き出すのはお婆と魔獣たちに任せることにしてぼくはそっと後退った。
「仕事が終わって家に帰るのが楽しくなったでしょう?」
ノーラがコクンと頷くと、恋バナの雰囲気に三人娘とマリアまで集まって床に座ってガッツリ話し込む体制になった。
ぼくはカウンターに戻るとジェイ叔父さんとウィルとオーレンハイム卿とイシマールさんに囲まれた。
大丈夫だったかい、と心配されたので、亜空間でのたうち回ってすっきりした後、成り代わりのセシルが東方連合国出身者でデイジーの関係者だったのを知った、とアネモネの正体を知らないオーレンハイム卿に話せる範囲で説明した。
「……確信は持てないが心当たりはある。東方連合国の東の端の国の王子が帝国留学に向かう途中で行方不明になった事件があるのだが……。年齢が合わないのは精霊たちが関与したなら、あり得ないわけではないだろう」
オーレンハイム卿は東方連合国からの留学生が減った原因として知っていた。
成り代わりのセシルは二十代前半に見えるが、おっさんそのものの外見の冒険者のドルジさんより年上なはずだから、年齢が合わない。
お婆が若返ったことが精霊のお陰だと知っているオーレンハイム卿は精霊の干渉を疑った。
「魔力が充実していると外見上は青年で止まることも稀ですがあります。帝国軍の将校にいましたね」
オーレンハイム卿の話に精霊の関与だけではない可能性をイシマールさんが匂わせた。
ぼくは邪神の欠片を携帯していることが成り代わりのセシルの外見上の年齢に左右しているのでは、と疑っている。
「この場にデイジーとジョシュアがいないのは偽物のセシルのいる亜空間に行ったからなのかい?」
「そうです。あの男はぼくの両親の事件だけでなく多くの人々を殺害しているので、このまま東方連合国に身柄を引き渡すことはできないでしょうね」
ジェイ叔父さんの質問にぼくが推測で答えるとオーレンハイム卿とイシマールさんが首を傾げた。
「この亜空間を作り出した精霊はとても上位の精霊で、その精霊には目的があって偽物セシルを拘束しています。人間の裁きの前に精霊が彼をどうするのかはぼくには見当もつきません」
この状況ではひとまず偽物セシルは上級精霊預かりになっているのだ。
「……皇帝直属暗殺部隊の噂を聞いたことがあります。敵国に宣戦布告する数年前から敵国に潜伏し内政を混乱に陥れて戦争を有利に進めようとする部隊らしいです。そうしてお膳立てされた地域の作戦に参入するために宮廷内の派閥が軍閥に影響を与えているといった内容でした」
「そんな皇帝の懐刀が記憶喪失で路上に全裸で倒れてたのか……。従業員の家族も定期的に調査しなくては我が家に鼠が走ることになるのか」
イシマールさんは噂があると言っただけなのに、オーレンハイム卿は偽物セシルを皇帝直属の暗殺者だったなら、という仮定で対策をたてようとしている。
「カイルがいるから、この情報では辺境伯領主に恩を売ることはできないが、なんとかしてスライムを飼う許可をもらおう。私のスライムなら屋敷内のどこにいても問題ない。悪い鼠を探し出すにはうってつけだろう」
間諜を鼠に例えたことに不満を呈するようにウィルの砂鼠がウィルのポケットから顔を出してオーレンハイム卿を睨みつけると、オーレンハイム卿は悪い鼠という部分を強調した。
魔獣たちが寛ぐことを許されたカフェでも、飲食店に鼠は場違いだと遠慮していたのに不埒なものの例えに鼠を出されるのは勘弁ならないようだ。
特別な亜空間だから出ておいで、というようにイシマールさんが魔獣用のクッキーをカウンターの下の棚から出すと、いいのかい?とウィルに窺うように見た砂鼠はウィルが頷いたのを確認してからカウンターに飛び乗った。
小さい手で大きなクッキーを掴んでもぐもぐ食べる姿は可愛らしく、オーレンハイム卿も頬が緩んだ。
あらあら、と呆れたようなお婆の声にオーレンハイム卿が反応して振り返ったので、ぼくたちも女性陣の話に聞き耳を立てた。
「まあ、そんな実家なら縁を切って正解ですよ。後ろ盾がない状態で子どもを育てる不安は理解できるけれど、実家に後ろ髪を引かれないようにした方が良いわ」
お婆がノーラに助言すると女性陣が全員頷いた。
「人生に不幸が続いて、努力して何とか這い上がって恵まれた環境になっても、この幸せは続かないのでは、という焦りみたいのが心の奥にフッと湧いてくるのはよくわかるわ」
ヴィヴィの発言にうんうんとココとネネが頷いた。
「いい職場に恵まれて可愛がってもらっているけれど、年増女になってしまえば可愛い制服でお客さんを呼ぶことはできなくなるでしょう。魔法学校に通って初級魔術師になって一生食いっぱぐれないように手に職をつけたいわ」
鼻息荒く言うココに、言葉が乱れている、とネネが突っ込んだ。
「幸せだから不安になるのは誰にでもあることよ。脚本家としてオーレンハイム卿夫人に飽きられても、あなたなら他にも自立するすべがあるから大丈夫よ。お子さんのことを考えたら実家とは一切かかわらない方が良いわ。子どもの魔力を当てにして生活しようとする人たちは孫の魔力も当てにするわ」
魔獣たちが頷いた。
お前たちはぼくが小さいころから家事に魔力で貢献していたじゃないか。
うちの家族は魔獣たちを大事にしているから比較してはいけないな。
娘を領主一族に引き渡して辛い思いをさせながら一切の助力をしないような家族なら逃げ出す方が良いだろう。
「頼りにしていた叔父さんがいなくなったら、子どもが寂しいでしょうけど、ばあちゃんの家に通ったら、誰か彼か見習いのシェフがいるし、魔獣カードで遊ぶ仲間もいるから大丈夫よ」
ネネの言葉に女性陣全員が頷いた。
「ノーラの心の隙間は埋まらないけれど、そのやるせなさを、オーレンハイム卿夫人好みではない、ノーラ自身のための物語として書いてみてほしいわ。あたい、そういう物語も好きなんだよね」
ぼくのスライムはノーラの心の隙間を作品で昇華させたらいい、と勧めながらも自分好みの読み物を増やそうと企んでいる。
「ノーラさんは偽物セシルと決別しても何とかなりそうだね」
女性陣のやり取りをぼんやり見ていたウィルがそう呟くと、ぼくたち男性陣は頷いた。




