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女の嘘

 上級精霊は大型スクリーンを亜空間に出現させると、そこにはカフェの入り口とカウンターの一部が真ん丸の球体上に切り取られた状態で映っていた。

 入り口付近にいた一組のカップルと三人娘とカウンターにいたジェイ叔父さんとお婆とオーレンハイム卿とウィルとマリアにカウンターの中のイシマールさんまで亜空間に転移させられていた。

 “……イシマール、ジェイ、ジュンナ、オーレンハイム、ウィリアム、マリア、ココ、ヴィヴィ、ネネ、ノーラ。その男から離れろ”

 上級精霊が脳内に直接精霊言語で話しかけると、名前を呼ばれたメンバーはカウンターの端まで避けたが、ノーラと呼びかけられた女は男の腕をグッと掴んだ。

 イシマールさんは二人の元に駆け寄ると、ノーラはお前か、と声を掛けた。

 イシマールさんは狼狽えるノーラの脇の下に両腕を入れるとグッと持ち上げてそのままカウンターの端まで引きずる力技で避難させた。

 ノーラには男の腕を掴まえ続ける腕力はなく、結果、男から引き離された。

 カフェの入り口に立っていた男だけが別の亜空間に送られたようで、男がいた場所には誰もいなくなっていた。


「あの子が覚えている私の姿は東の魔女としての姿だから、カイルには申し訳ないけれど……」

 そう言って変身したアネモネの姿は緑の一族の成人女性のような姿になった。

「そっか。成人の姿の方が良いよね……」

 そう言って思案した兄貴は父さんそっくりの姿になった。

「もうちょっと母さんの要素を入れてくれるかな」

 あまりに父さんそっくりだと男と父さんが出会う機会はないだろうけれど何かしら誤解が起きそうだし、とにかく紛らわしい。

 兄貴はさらに考え込むと、目元と口元を母さんに似せることで柔和な顔つきに変身した。

「こうやって慎重に外見を決めれば良かったのにね」

 みぃちゃんがシロを見てそう言うと、あの時は余裕がなかったから、とシロは眉間に皺を寄せた。

 見慣れてしまったせいか、今ではシロはこの姿でも可愛いと思うようになってしまっている。

「私の亜空間で男がいきなり抜刀することはないだろうが、ジョシュアなら何かあっても殴れるだろう」

 自分が庇護していた少年は精霊魔法の効かない相手で、有事の際、直接対決するには物理攻撃になることを上級精霊はアネモネに自覚させた。

 兄貴は切られてもくっつくから大丈夫だろう。

 アネモネは深い息を吐くと、上級精霊を見据えて言った。

「あの子の脳みそがどこまで正常かを探ってきますわ」

「ああ、頼んだぞ」

 上級精霊の言葉が終わる前にアネモネと兄貴は消えていた。

「あいつには千人切りの記憶がないようだから、聴取には時間がかかるだろう。イシマールたちと合流してみるかい?」

 やっぱりそうだったか。

 記憶がない、とはっきり言われてしまうと胸にくるものがある。

 あいつが普通に暮らしていられるのは記憶がないからじゃないかとぼくの脳裏をよぎりはしたが、千人の命を奪ったのに忘れて普通に日常を過ごしているという事実に、言いようのない嫌悪感が胸に湧いてくる。

 ……あいつは自分の犯した罪に向き合うべきだ。

 それでも、記憶のないあいつと日常を過ごした人にはその罪は関係ない。

 ノーラと呼ばれた人から話を聞きたい。

 魔獣たちが心配そうにぼくを見たが、あっちにはお婆もジェイ叔父さんもいる。

 家族と一緒にいるなら、ノーラからあいつの現状を詳しく聞いても心を保っていられるだろう。

 ぼくの決意に納得した魔獣たちが頷くと、ぼくたちはさっきまで見ていた亜空間に切り取られたカフェの中にいた。

 上級精霊は仕事が早いよ。


 カフェのカウンターの端で団子状に身を寄せ合っているお婆たちは、男が突然消えてしまったことにギョッとし、ノーラが悲鳴を上げたところに、何事もなかったかのようにぼくと魔獣たちはカウンターの席に腰かけていた。

 突如として脳内に呼びかけられたメンバーの中にぼくの名前がなかったことで亜空間を行き来したんだろうとあたりをつけていたお婆とイシマールさんがぼくを見て安堵の息を吐いた。

 男が消えたことに悲鳴を上げていたノーラは、ぼくと魔獣たちが入り口近くから引きずられている時にいなかったことに気付たようで、ぼくを見て大きく目を見開き、なに?なに?どうなっているの?と大混乱を起こしていた。

 三人娘たちはそもそもぼくが一瞬いなかったことに気付かなかったようで、驚いているノーラは男が消えたことだけにパニックを起こしていると思ったようで、落ち着いてください、と声を掛けている。

 ジェイ叔父さんとウィルはカウンターの端の見えない行き止まりの壁をペタペタ触って、亜空間か?と呟くと、亜空間とはなんだい?と問うオーレンハイム卿に、力のある精霊が作り出す現実世界から切り離された空間だ、と説明していた。

「うーん。理解しがたいけれど、こうして切り取られた空間に閉じ込められた状態で不審な男だけ突然消えてしまったのだから、ここが現実世界ではないと言われても納得してしまうな」

「あのう。お会いするのが初めてだったので部外者扱いしてしまいましたが、というか、髪を下ろしたノーラさんに気付くのが遅れてしまったからノーラさんまで部外者扱いしてしまいましたが、あの方はノーラさんの弟さんだったようです。申しわけありません」

 ファッションショーでモデルを務めたココが、ノーラの雰囲気が違うからぱっと見でわからなかった、とノーラに謝罪した。

「ああ、二年前に激戦地から帰還した弟さんのことは妻から聞いている。なんでも記憶障害で塞ぎがちらしいね。この時間帯なら本来であったら妻たちが劇場に行ってしまっていたはずだったから、屋敷の従業員たちに交代でカフェに来るよう勧めたのは私だった。不審者扱いして済まなかった」

 オーレンハイム卿がノーラに謝罪すると、お騒がせして申し訳ありません旦那様、とノーラが恐縮した。

「ノーラさんの弟さんは傷痍軍人なのですね」

 まだお若いのに、とお婆が言うと、イシマールさんも眉間に皺を寄せた。

 どうなっているんだ?

 路上で拾った男を、本当の弟のように近所の人たちだけでなく勤め先のオーレンハイム卿のタウンハウスで紹介していたのか?

「弟さんはあまりあなたに似ていませんね」

 何も事情を知らないウィルが確認するようにノーラに聞くと、ノーラは肩をビクッと震わせた。

「君の身元調査をしたのは採用時だけで、現状確認はしていない。当時、弟さんは確かに軍に所属していた。その後の弟さんの部隊の派遣先までは把握していない」

 突如としてかなり力のある精霊の介入で消えたノーラの弟に不信感を拭えないオーレンハイム卿が、弟の調査不足を認めるとノーラは崩れ落ちるように床に座り込んだ。

「セシルは弟です。一つ年下だけど生まれたタイミングが悪くて私と同じ年に洗礼式を迎えてしまうことになり、魔法学校では同級生でした……」

 ああ、それは入学当初気まずいやつだ、と全員が気の毒な表情をした。

 生まれの不運の話は本当の弟のことを語っているのだから嘘はない。

 “……軍の入隊記録にセシルがあったぞ。濃紺の巻き毛に灰色がかった緑の瞳。髪色はともかく、目の色はノーラと一緒だ”

 魔本が本物のセシルの身体的特徴を教えてくれた。

「双子というほどそっくりでもなく、瞳の色が同じで、二人並べば姉弟だとわかるくらい弟さんとあなたは似ていたはずですよね」

 一人カウンターに座ったままのぼくが言うと、ノーラはぼくを見上げた。

 消えた男の瞳の色は青みがかった黒だった。

「セシルはセシルです!」

「あんたがそう名付けたんだから、あの男も今はセシルだろうね」

 この茶番にたまりかねたぼくのスライムがノーラに語り掛けた。

「ろくでもない家族でも生きていてほしい気持ちはわかるわよ。あんたのところに来るときはお金ばっかりせびっていたんでしょう。小さいころから、なんだかんだいってあんたが甘やかしていたもんね。まあ、誰かが尻拭いしなきゃいけなくて、それがあんただった。そこは気の毒だと思うよ」

 カウンターの上のスライムが喋りだしたことにノーラは腰を抜かすほど驚いた。

 三人娘たちは、喋った!可愛い声!と驚きつつもはしゃいでいる。

 ふう、と肺もないのに一息ついたぼくのスライムは、シロから精霊言語で貰った情報から自分の感想を続けざまに語った。

「自分のできない好き勝手をする弟に、腹を立てつつも生きていてほしいと願うくらい愛していたんだろうね。でもねぇ、あんたの弟はあんなにイケメンじゃないでしょう?」

 ノーラにとって耳障りのいい話から核心をつくのか、とふんふん頷きながら話を聞いていたみぃちゃんとキュアが噴き出した。

「近所の人が勘違いするくらい似ているんじゃないのかな?」

「あれは昔のセシルの目つきが悪くて柄が悪かったから、怖がった近所の人も顔をじっくり見ていなかったから間違えたのよ」

「若者が南方戦線に派遣されても生きて帰って来られると、ノーラの弟に微かな希望を見ただけよ。みんな都合の良いように自分の記憶を上書きしているのよ」

 キュアとみぃちゃんとみぃちゃんのスライムも好き勝手に感想を言い合った。

「セシルという人物が二人いるのか!」

 オーレンハイム卿が話の流れからノーラの弟が入れ代わっていることに気付いた。

 真実が明らかになったことか、魔獣たちがお喋りをしていることか、あるいは両方に動揺したのかノーラは座り込んだまま後退りし、亜空間の端でわなわなと首を横に振った。

「積極的に嘘をついていないところが憎めないのよね。南方戦線に派遣された弟が行方不明になった。傷痍軍人症候群の兆しのある男を保護した。近所の人が弟だと勘違いして声を掛けた。職場には除隊した弟が働ける状態じゃないと伝えた。こんな感じのながれでしょう?」

 ぼくのスライムがキュアのような羽を生やしてノーラの元に飛びながら言うと、あ、悪魔!とノーラが叫んだ。

 ぼくはカウンターの椅子から飛び降りると、みぃちゃんのスライムを掌に乗せて撫でながらノーラのところに歩み寄った。

 ぼくの左右にみぃちゃんとシロが、頭上にはキュアが飛んでいる。

「スライムは悪魔じゃありません。賢い魔獣です。あなたが保護した青年の方がよっぽど悪魔のような所業をしていましたよ」

 ぼくを守るかのように魔獣たちが寄り添っている状態にお婆が何かを察してぼくとノーラの間に入った。

「彼は何も覚えていないようですが、ぼくは覚えています。あの人はぼくの両親を殺害した実行犯です」

 感情を抑えて言ったが、内容が衝撃的過ぎたので全員が息を飲んでぼくを見た。

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