上級精霊のお菓子
「話が壮大過ぎて理解したくないと脳が拒絶しています」
ぼくの言葉に兄貴も魔獣たちも頷いた。
「カイルの動揺も落ち着いたようだから、お茶にでもしよう」
上級精霊がそう言うといつものお茶の準備ができていた。
兄貴と魔獣たちの席もあり、ぼくたちが大人しく着席すると、上級精霊も姿を現した。
「その幼い体でよくあの精神的衝撃に耐えたね」
幼児のように泣き寝入りしたのが恥ずかしかったが、そうは言ってもぼくはまだ十歳なのだ。
いや、泣いて床を転がるには年を取り過ぎているかもしれない。それでも十歳の子どもが親の敵に遭遇してのたうち回るのは恥ずかしいことではないだろう。
「問題を放置していた自業自得な側面もなかったわけではないので、……耐え忍ぶしかないですね。それにしても上級精霊さんは今日あいつがカフェに来ることを予知して製菓技術を学ぶという名目で店に就職したのですか?」
湯気が立つお茶のカップの横に小皿に載ったオペラのケーキが現れた。
もしかして上級精霊様の手作り、とぼくのスライムが感激に打ち震えているけれど、みぃちゃんの前にある薄焼きせんべいが気になってしまう。
みぃちゃんのために上級精霊が新作を作ったのだろうか?
スライムたちとキュアが羨ましそうに顔を見合わせると、それぞれの目の前におせんべいの皿が現れた。
「猫用の海老せんを作ってみた。はははははは、いいじゃないか。製菓の技術を知識として知ったなら作ってみるのも一興だろう。新しい菓子は神々もお喜びになるうえ、地上の調査もできて効率的だっただけだ。邪神の欠片を携帯しているあのものの動きは一精霊でしかない私には把握しきれない。堕ちた神でも神は神なのだ」
真面目なことを言いつつも視線がぼくとぼくの前にあるオペラの皿に釘付けになっている上級精霊の様子に、早く賞味せよ、という圧力を感じた。
ムースやジュレがないからケーキの味だけでイシマールさんと真っ向勝負をしているようだ。
オペラにフォークを下まで入れて三層のケーキの味わいをしっかり口の中で確かめた。
「美味しいケーキです。口の中で三層の味わいが喧嘩することなく、それでいてそれぞれの層の味の違いを口の中で感じられるところも、イシマールさんのオペラと比べて遜色ないです」
「いい表現で誤魔化しているが、内心ではイシマールのケーキはカフェの室温に合わせてコーティングするチョコレートの油脂の量を加減していたのに、頭に血が上ったカイルに合わせて室温が下がっているこの亜空間では、口に入れた直後の表面上のチョコレートの口どけが遅く、存在が強すぎて三層のスポンジの味わいにたどり着くまでに、まずそのチョコレートの存在に組伏される、ということか」
心の奥底まで見透かす上級精霊にイシマールさんのケーキとの違いを詳細に分析したことを指摘されて顔が赤らむのがわかった。
「いや、気にしていないよ、カイル。こういう違いを実感したくてわざわざ自作したのだ。太陽柱で見る映像には温度も香りもわからない。邪神の欠片を追跡しようにも稀にしか太陽柱に映像の欠片が現れない。少ない情報だが、今まで太陽柱に映らなかったものが時折映るなら現場に行くべきだろう。イシマールの菓子は神々も好んでいるから潜伏場に選んだ。まあ、私が製菓を学ぶと神々が殊の外喜ばれたのは副次的効果もあった」
イシマールさんが帝都に呼ばれたから、上級精霊は地上の潜伏場をカフェにしたのか。
でもそのお陰で上級精霊がいる状態であいつと対峙したから、ぼくがあの程度の精神的な衝撃で済んだのは事実だ。
「ああ、カイルらしい反応だ。私が自分のために地上に降り立ったと奢ることもなく、それでいて自分が受けた恩恵を理解している。そのバランス感覚が神々の支持を得た。旅の道中に世界の理と千切れて浮いている結界を繋げと使命を与えられても、できる範囲だけ、と割り切りながらも全力を尽くしたことを神々は評価されている」
上級精霊が言い終わる前に亜空間の地面が帝国の地図になった。
ぼくたちが結界を繋いだところに赤く印が入り、帝都をぐるっと囲んだ。
「皇帝は生まれ変わるたびに消極的に世界を破壊しようとしていた。神々はそれも一興とお考えであったのだろう。ただ終末に向かう世界を観察されておられるだけだった。それがこうして私に邪神の欠片を封印するように命ぜられるということは、この世界の終わりをまだ望んでおられないということだろう。小さいカイルが山小屋で生きのこってから起こった変化を楽しまれているからに他ならないのだよ」
ああ、それなら自覚がある。
新しい神が誕生したり、精霊たちがそこら中に溢れさしたり、なかなかにぎやかに暮らしている。
「ははははは。全く自覚がないところがまた面白い。このまま情報を与えずに好き勝手にやればよい、と言いたいところだが、あいつについてはそうもいかないだろう。心と体が健全でないとカイルの周りからいい効果は波及しない。だが、あいつのことを語るのは私ではなくもっと適役がいるのだが……。まあ、もう少し時間がかかりそうだから、お茶とお菓子を味わいなさい」
ぼくが普通に暮らしていくことで変わっていくことを神々が楽しみにされている、ということなのかな。
お蔭でぼくは上級精霊に庇護されているので本当に助かっている。
上級精霊が早く全部食べろ、と待っているかのような笑顔で見つめている。
ぼくはお茶を口に含み口の中を温めてから、オペラを口にするとチョコレートの口どけが変わり、また味わいが違う。
「美味しいです」
「魔法で作れば簡単だが、イシマールのレシピ通りカフェの厨房で作ったんだ。なかなか面白かったぞ」
カフェの厨房にイシマールさんと上級精霊が並んでいる姿が想像できないが、本当に厨房で並んだのにイシマールさんが上級精霊を人間だと思っているなんて、擬態の精度がシロとは格段に違う。
「ご主人様。中級精霊になりたてだった私と比べないでください」
魔獣たちは笑いながらも、お菓子を食べる手が止まらない。
海老せんも美味しいようだ。
キュアが兄貴の分も食べ終わると、上級精霊は真顔になった。
「さて、どうしたものかな?カイルは自力で泣き止んだのに、そこそこ長生きしている幼児がまだ泣き止まない」
そこそこ長生きした幼児に心当たりがあるが、泣いている理由がわからない。
「人が心を平穏に保つには無条件に愛された記憶が必要なのかな?それにしてもあの幼児もそれなりに愛されておるのに、何故にああも拗らせておるのだろう」
カフェでデイジーが泣き崩れているとも思えないから、別の亜空間でギャン泣きしているのだろうか?
「様子を見て来ましょうか?」
「どうしたものかな。あれも一応女性なのだ。泣き崩れている姿を見せるのもどうかと別な亜空間に放り込んであるのだが、カイルが回復するまでの時間より倍以上経過しているのにまだ泣いている。妖精がそばにいるから体力が底をつかずに無駄に泣き続けているのかもしれないな」
状況を察したぼくのスライムが、妖精だけこっちの亜空間に呼び寄せたら、と提案するとテーブルの上の小さな椅子に座っていたシロが首を激しく横に振った。
「そこまで体力を消耗しているような状態で契約している妖精を引き離したら、アネモネは魔力枯渇を起こして死に至るでしょう」
「いや、私の亜空間の中だから死にはしない。だが、そんな状態の主を置いていくことを妖精が拒否をするだろう」
上級精霊の言葉にシロが頷いた。
「アネモネの姿なのでしたら、女性というよりは幼女です。泣き崩れていたって幼女なんだから仕方ないですよ」
実在年齢を無視した理論で醜態をさらすアネモネを見に行く提案をすると、上級精霊は顔をしかめた。
「……カイルの精神がやっと落ち着いたのに、アネモネに影響されるようならこっちに戻すぞ……」
アネモネはよほど埒が明かない状態なのか、上級精霊は渋い顔をしつつもアネモネのいる亜空間にぼくと魔獣たちを送り込んだ。
ウォウウォウと獣の泣くような声が真っ白い亜空間に響いていた。
うつ伏せで芋虫のようにお尻を上げた三歳児の姿のアネモネは、床に掌を押し付けて慟哭している。
本人は人に見せたくない姿だろうけれど、ぼくが寝落ちしていた時間のより長くこの状態が続いているのなら、介入した方が良いだろう。
「アネモネ、何で泣いているの?」
ぼくの声が聞こえないのか、アネモネの慟哭は止まらない。
ぼくと魔獣たちがアネモネに近づいて、しっかりしろ、と肩を揺さぶった。
顔を上げたアネモネは涙と鼻水と涎でぐちゃぐちゃになっていたが、嗚咽は止まった。
アネモネはぼくの方に顔を向けたが、虚ろな目で焦点があっていなかった。
「…………しにたい……」
泣き止んだアネモネは完全に闇落ちしているかのように呟いた。




