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サプライズは続く……

「驚いてくれてよかったよ。わざわざ転移屋まで使って帝都に来た甲斐がある」

「新店舗のために特別メニューの開発を依頼していたのだが、最高の一品を是非本人に作っていただくためにお越しいただきましたのよ」

 オーレンハイム卿夫人が自身のご友人に振る舞うために高額な転移魔法の使用料を払ってまでイシマールさんを招待したようだ。

 イシマールさんは従業員宿舎の敷地にある寮監の自宅に滞在していたらしい。

 広域魔法魔術具講座の魔術具の開発に夢中になっていたから、いや、嵐のせいもあるけれど、ばあちゃんの家に最近行っていなかったから全く気付いていなかった。

「身長はたいして変わっていないけれど、顔つきが精悍になったな。噂は聞いているぞ、帝都でも大活躍しているようじゃないか」

 テーブル席は満席だったので全員カウンターの席を勧めたイシマールさんはそう言うと、ぼくの頭をカウンター越しに撫でた。

 旅の大冒険をイシマールさんに聞いてもらいたい気持ちが湧いてきたが、パティシエの装いをしたイシマールさんにはイシマールさんの仕事があるから、出かかった言葉をぐっと飲み込んだ。

 ウィルもイシマールさんの顔を見るだけで目尻に涙が薄っすら浮かんでいるのは、王都の魔法学校で最初の実習の猪襲撃事件の際に真っ先に助けに来てくれたイシマールさんのことを思い出したからだろう。

 そんなぼくたちを見たイシマールさんもあの日もことを思い出したのだろう、断罪の仕方が思い付きじゃなくて用意周到になっている、とボソッと呟いた。

 嵐の三日間の粛清がいつか起こることは根回しをしていたから知っていたが、あんな劇的なタイミングで起こるとは思ってもいなかったぼくとウィルは腹筋だけで笑った。

 ウィルほどではないが表情筋が鍛えられたぼくを見てイシマールさんが頭をポンポンと優しく叩いた。

 よくやっていると言ってくれているようで嬉しい。

「今日は関係者しか来店していないから、魔獣たちを出していい……」

 イシマールさんお言葉が終わらないうちにスライムたちやみぃちゃんやキュアが飛び出した。

 ぼくのスライムは真っ先にイシマールさんの左腕に飛びつき、義手の接着剤になっているイシマールさんのスライムに挨拶した。

 カウンターに上がったみぃちゃんとみぃちゃんのスライムも右手で撫でてもらい、飛んでいたキュアも羨ましくなったのかみぃちゃんの隣のカウンターに座り撫でてもらう順番を待った。

「ずいぶん懐いていらっしゃるのですね」

 オーレンハイム卿夫人がすり寄っていく魔獣たちに目を丸くした。

 シロはぼくとウィルの間に大人しく伏せているので、魔獣全部がイシマールさんに突進したわけではない。

「菓子職人は副業で本職はカイルの家の厩舎で働いていますから、この子たちが小さい時からの知り合いです」

 オーレンハイム卿夫人の友人たちが、まあ、信じられない、と囁き合った。

「フフ。これほど素晴らしいお菓子を創作なさるのに、厩務員だなんて……いえ、ただの厩務員ではありませんわね」

 キュアがイシマールさんの右腕に顔をこすりつけるようにして撫でてもらおうとしているのを見て、ご婦人方はうちの厩舎が飛竜の里のような厩舎だと勘違いしているかのような発言をした。

「元飛竜騎士で国の英雄です。引退されてから製菓の才能を開花されましたが、いつもの日常も大切にされている方です。私共は彼の新作を心待ちにしていまして、チョコレートをケーキに取り入れた最新作はもう芸術と言っても過言ありません」

 オーレンハイム卿はイシマールさんの経歴をご婦人方に紹介しつつ、感動の再会よりメニュー表とにらめっこしているデイジーに今日のお勧めを指さした。

 ご婦人方は食べ終わった自分の皿に目をやり、芸術品と言って間違いないわ、と頷きあっていた。

 ほぼ毎日自宅に帰っているお婆はイシマールさんが帝都にいることも、新作のケーキもすでに知っているようで、チョコレートケーキも気になるけれどオレンジケーキも食べたい、と悩むマリアを穏やかな笑顔で見守っている。

「イシマールさん。魔獣用のお菓子をお出しした方がよろしいですか?」

 厨房から聞き馴染みのある低音の良く響く声がした。

 ぼくのスライムがカウンターの上で感激のあまりプルプルと震えている。

 シロはぼくの足元で完全に体を伏せてカウンターの方を見ようともしていない。

 カウンターの奥から山盛りのクッキーの入った籠を持って現れた長身の黒服の男性に、ご婦人方の目が釘付けになっている。

「ああ、窓際の空いているそこなら、ご婦人方にも魔獣たちを愛でられていいだろう」

 はい、とイシマールさんの指示にあの上級精霊がしたがっている!

 ぼくをチラッと見てウインクをした上級精霊にご婦人たちがため息をついて見とれている。

 ぼくのスライムはカウンターから飛び降りて上級精霊の後について行くが、みぃちゃんもキュアもぼくと同様ぽかんと口を開けて、ただ上級精霊を見つめることしかできなかった。

 どうなっているんだ?

 何でこんなところで上級精霊が働いているんだ?

「驚くほど男前だろう。製菓の技術を学びたいと商業ギルドの募集を見て応募してきたんだけど、厨房に閉じ込めておくにはもったいなさ過ぎて、営業時間はウエイターを頼んだら、ご婦人たちが劇場に行かずに居座ってしまったんだ」

 イシマールさんが声を殺して囁くと、オーレンハイム卿は、うちの妻がすまない、とこぼした。

「みぃちゃんもキュアも食べられるクッキーだよ。おいで」

 上級精霊に名前を呼ばれると二匹とも夢見心地の顔でフラフラと窓際に用意されたクッキーの方にひかれていった。

 現実世界の上級精霊は亜空間にいる時より輝くようなオーラを押さえているのだが、美しすぎる。

 新作のケーキは教会に献上するつもりでいたから、なにも製菓技術を学びに来なくてもいいだろうに、何ゆえに現実社会で働いているのだろう?

 “……ご主人さま。上級精霊様のお考えなど私にはわかりかねます”

 帝都で上級精霊が現れることまではシロも予測していたが、まさか人間のふりをして働いているとは太陽柱の映像の欠片の中から見つけ出せなかったようだ。

 不貞腐れるように伏しているシロの頭を撫でながら、上級精霊なら他の精霊に何をするのか推測されないような行動をするのは簡単なんじゃないかな、と慰めた。

「決めましたわ。全員新作のチョコレートケーキにしましょうよ!」

 みんなのオーダーを勝手に決めてしまったデイジーは上級精霊の正体に気付いていないはずはないのに、美青年より美味しいもの、という姿勢を崩していない。

 シロにも予測のつかなかった上級精霊の行動をデイジーの妖精には予測できていたということだろうか?

「難しいことは後回しにして、イシマールさんの新作ケーキに集中しようよ」

 目の前で起こった二回目のサプライズの状況がよくわからなくても、上級精霊の声に聞き覚えのあったウィルは、本人が状況を説明してくれない限り人間には理解できないこと、と割り切ったのか、今を楽しむことに意識を切り替えたようだ。

 ぼくは頷くと飲み物はミルクティーを注文した。

 イシマールさんはケーキの準備をするため厨房の奥に入り、上級精霊がカウンター越しにぼくたちのためにお茶のお湯を沸かしている。

 亜空間でいつも自動的に出ていたお茶を上級精霊手ずから淹れてくれている!

 ご婦人たちはポっとした顔で上級精霊の所作に見とれている。

 三人娘たちはそのすきにご婦人たちのテーブルを回り空いたお皿を下げている。

 厨房に下がった三人娘たちが大きな皿を運んで来るタイミングでそれぞれのお茶を提供した上級精霊は困惑するぼくの様子を楽しんでいるかのような笑顔をした。

 そんな上級精霊を気にしていたのに、イシマールさんの新作のケーキの皿が目の前に提供されると息をのんだ。

 白い大皿の端にちょこんと載ったチョコレートコーティングされたケーキに魔法をかけるかのようにムースやジュレが抽象画のように盛り付けられており、絵画のように美しかった。

「これは芸術品ですわ。食べてしまうのがもったいない」

 感激にマリアの声が震えている。

「いえ、これは食べることで完成する芸術なのです」

 オーレンハイム卿の言葉に頷いたぼくたちはチョコレートケーキにフォークを入れた。

 しっとりとしたチョコレートコーティングの中のケーキは三層のスポンジに別れており、まずは下までフォークを入れて三層全体を味わう。

 ほろ苦いチョコレートの口当たりの次にピスタチオのクリームの甘みが訪れ洋酒の香りが鼻に抜ける。噛むと一番下の固い層にたっぷりとチョコレートが練り込まれており、最後はチョコレートの満足感に浸れる贅沢なケーキだ。

「……これは歌劇(オペラ)だ」

 前世の記憶でチョココーティングされたケーキの名前を思い出して口に出すと、オーレンハイム卿夫人が、まさにそうですわ!とぼくの発言を比喩だととらえて大絶賛した。

 ケーキの名前にあまり詳しくはないが、パリのオペラ座にちなんだ名前で味の比喩ではなかった気がする。

「添えられたムースも濃厚ながらもチョコレートケーキの味を引き立てるものです。そして、このオレンジのジュレが口の中を爽やかにして、またこのチョコレートケーキを味わいたくなるのです。試作品の評判を聞いていましたが、皿の上でさらに一段と味わい深いものになっています。見た目の美しさもそうですが食べて消えてしまう儚さに心動くことさえ芸術品です!」

 自宅で試作品を食べたことがあったであろうお婆が大絶賛するとイシマールさんは照れたように俯いた。

「この新作ケーキの名前はオペラとすることにしたらいかがでしょう?」

 上級精霊がそう言うと全員が頷いて、カイル少年が名付けたのね、とご婦人たちが囁いた。

 オペラっぽいケーキがオペラと名付けられただけなのに、ぼくが名付け親だと言われると何か違うのに指摘できない。

 まあ、難しいことは考えず、美味しいケーキとお茶を楽しもう。

 三層のケーキを分離して食べていると、総合芸術を冒涜するのか、と言う目でウィルに見られた。

 ウィルは口の中でゆっくりと三層の味を楽しむのが好きなようだが、ぼくは食べ終わる前にそれぞれの層の味を一つずつ味わいたい。

 ぼくたちが美味しいケーキを堪能していると、扉を開けるチリンチリンという音がして一組のカップルが店内に入ってきた。

 三人娘たちが慌てて、本日は貸し切りです、と断っていた。

 関係者だけの貸し切りなのだから入ってきたカップルが素直に帰ってくれたらいいな、くらいの軽い気持ちで見やったら、フォークをカランと落としてしまった。

 美女と美青年の見栄えのいいが普通のカップルだ。


 だけど、男性の顔に見覚えがあった。


 ……どうして普通に暮らしているんだ……。

 邪悪の塊の気配を纏っていたはずなのに、カフェの入り口に立つその男はちょっと見た目が良い好青年にしか見えなかった。

 頭に一気に血が上るのを実感した時、ぼくは上級精霊の亜空間にいた。

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― 新着の感想 ―
[一言] ああ、上級精霊様この未来を見えたから、 事前に仕込んできたのか。 相変わらず優しい方だなぁ
[気になる点] 3歳の時以来、つ い に!? 一緒にいる美女もただの美女(一般市民)なのか、青年側の人(組織の人)なのか続きが気になります
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