嵐のあと
魔法学校に着くと午後に入っていた魔獣学の講義が休講になっていたぼくたちは、ホクホク笑顔で午前中の講義を終えると上級魔法学校の校舎を後にした……直後にマリアとデイジーに両側から挟み込まれた。
「本日はグルメツアーとの情報を得たので、私たちも同行してもよろしいでしょうか?」
マリアが恥ずかしそうに言った。
ぼくたちと行動すれば魔法学校の敷地内までついてこられない護衛のエンリケさんに心配をかけずに王族としてではなく、一般生徒として街探索ができるという下心を恥ずかしがっている様子が可愛らしい。
「お店のメニューを端から順に頼むようなことはしないから一緒に行ってもいいかしら?」
普通の女の子の食事量に抑えるから連れて行ってほしい、とデイシーが頼み込んだ。
こっちは食い倒れツアーで初日から出禁にならないために猫を被ると宣言している。
「女の子が増えるのは大歓迎よ」
お婆が微笑めばオーレンハイム卿が反対するはずもなく、ウィルもアーロンもジェイ叔父さんもこれといって反対はしなかった。
「マリア姫とデイジー姫は午後の講義はどうなっているのですか?」
「二人で同じ講座を受講する予定でしたが、先生方のご都合で休講になってしまったのです」
嵐の三日間の間に国税局の調査が入り、魔獣学以外にも軍属学校に単位優遇をしていた教員たちが消えてしまったのだ。
帝都粛清の三日間の嵐は魔法学校でも大規模に吹き荒れたようで、代行する教員が見つからない講座の多くが休講になっていた。
「ウフフフフフ。可愛い女の子たちと、頼もしい男性たちを引き連れて街を探索できるなんて、楽しいでしょうね」
第二の青春を謳歌しようとするお婆にオーレンハイム卿の目尻が下がりっぱなしだ。
なんだろう?孫を見るような優しい視線で、マリアもデイジーもストーカー貴族だと警戒していない。
いや、ぼくもオーレンハイム卿がお婆の信頼を損なう行動をするはずがない、といつの間にか信用してしまっている。
お婆がデイジーの手を引いて、まずは腹ごしらえをしましょうか、と誘うとデイジーが嬉しそうにスキップした。
脳裏に二人の実年齢がよぎるぼくは微笑ましい絵面なのにちょっと笑ってしまう。
そんな二人の後を楽しそうについていくマリアに、せっかくの機会だからどこか行きたいところはないか訊いてみた。
「フフ。いけない楽しみなのですが、護衛のエンリケを連れずに街に繰り出すだけでドキドしてしまうので、今話題のカフェにいち早く行けるだけで十分なのです」
こういう初々しい反応は可愛すぎる、と思っているとマリアがスッと右手を差し出した。
ウィルのように涼しい笑顔でエスコートはできないけれど、ぼくが左手で迎え入れようと指先がマリアの手をかすめると、一瞬躊躇うかのようにマリアが手を引っ込めようとしたので素早く捕まえた。
不器用なぼくのエスコートにマリアの頬が赤くなった。
女の子に恥ずかしい思いをさせるようではぼくのエスコート技術はまだまだ未熟だ。
鞄やポーチやポケットの中で魔獣たちが見悶えているのは、経験不足のぼくの不器用さにじれているのだろう。
「今日はお姫様ではなく普通の女の子として楽しみましょう」
ぼくの言葉に歩みを止めてしまったマリアの左側にウィルが回り込んで背中にそっと手を当てて歩き出すように促した。
うーん。
さり気なくこんな風に女の子の腰に手を回すなんてぼくにはできない。
女の子をエスコートするのは難しい。
ウィルの所作を観察しながら魔法学校の敷地を出て街に繰り出した。
花屋の店先に並ぶ花一つにもキャアキャア言う女の子たちを見て、三日間も物流が止まっていたはずなのに満開の花がずらりと並んでいるのはどんな魔法だろう、と考えてしまう自分と女の子たちのギャップを楽しみながら、ベンさんが監修した大衆食堂を目指して散歩を楽しんだ。
魔法学校の生徒用門からほどなくしたところに開店した大衆食堂は、メニューこそラーメン、定食、蕎麦、饂飩といわゆる日本の大衆食堂なのだが、客層に肉体労働者はおらず、魔法学校の職員や平民街でも地位のありそうな服装の男性たちに占められていた。
昼時で席を確保するのが難しそうな店内は、食べ終えてトレーを下げる人の流れも悪くなく、食券を買う列に並んでいる間に空席ができそうだった。
「一緒に来てよかったわ」
女の子だけでは入りづらい、とマリアがこぼすと、オーレンハイム卿が笑った。
「開店当初、食券を買って並ぶ仕組みの説明を若くて可愛い女の子たちがやっていたから男性客ばかりになってしまったというのは本当だったようだ」
三人娘が看板娘だったのに他店に移動してしまったけれど、味が良くて繁盛しているようだ。
食券販売機のボタンを押せるようにお婆に抱きあげられたデイジーが大盛り醤油チャーシューチャーハンセットに唐揚げ大盛りのボタンを迷わず押した。
控えめにしたのですね、と褒めたお婆が温玉カレーを選び食券販売機に市民カードをかざす直前に大盛りのボタンをデイジーが押した。
責任もって半分食べてくれるのよね、とお婆がデイジーに微笑むと、お婆のカレーを半分食べるデイジーを羨ましそうに横目で見るオーレンハイム卿はやっぱりヘンタイだと確信した。
カキフライ定食を選んだマリアまで大盛りのボタンを押すから、ぼくたちも競ったわけではないが大盛りのボタンを押してしまった。
カウンターに食券を出すと、たくさん食べるね、学生さん、と声を掛けられた。
年齢に幅があるけれど全員魔法学校の制服を着ているので驚かれた。
全員一緒に座れる空いている席はなかったけれど、真ん中の大きなテーブルに座っていたおじさんたちが声を掛け合って詰めてくれた。
「御親切にありがとうございます。助かります」
オーレンハイム卿が丁寧に礼を言うと、卿のタウンハウスに出入りしている業者の人だったようで、早く食べます、と恐縮していた。
「魔法学校の制服を着ている時はただの一般の生徒ですよ。老齢で再び青春を楽しんでいるだけですから、お気を使わず味わって食べてください」
第二の青春ですか、と目を丸くする男性は、オーレンハイム卿がお婆のために椅子を引く様子を見て、ああ、と笑顔になった。
ウィルがデイジーに椅子を引く様子を真似して、ぼくがこんな感じかな、と言ってマリアの椅子を引くと、引き過ぎだと注意するかのようにウィルに少し椅子をもどされた。
「デイジーちゃんにはこうやって優雅に椅子に座るために手を貸してあげる隙間が必要で、座った後に椅子を押すのに音が出ないように少し浮かせてもデイジーちゃんはまだ小さいから気になりませんが、マリアさんが座るにはテーブルと椅子が離れすぎていると座ってから椅子を押される乙女心に配慮しないといけませんよ」
オーレンハイム卿のささやかな紳士教育の場面に遭遇した店内の男性たちはそうだね、と笑みを浮かべた。
カンターからぼくたちの食券番号を呼ぶ声がしたので男性陣が出来上がった料理を運ぶと、大盛りばかり載ったトレーを見た業者の男性が、若い子はよく食べる、と言った。
正解だ!
一番若いデイジーの前に置かれたトレーを見て口をポカンと開けた。
ここからはデイジー無双だった。
大盛りラーメンを平らげてチャーハンをラーメンスープで流し込む傍ら、隣のお婆のカレーを半分食べ、ぼくの天婦羅蕎麦の追加のかき揚げを頬張り、マリアのどんぶりご飯の半分にジェイ叔父さんが差し出した生姜焼きを載せて食べ、オーレンハイム卿の茶碗蒸しを丸々一個貰い、アーロンがオムライスの半分をどうぞとスライドさせると笑顔でお礼を言った。
「お嬢ちゃん……良い食べっぷりだね」
テーブルに同席になった客だけでなく、食べ終わってトレーを片付けた客たちまでぼくたちのテーブルを囲んでデイジーがどこまで食べるかを見守った。
アーロンのオムライスを米粒一つ残さずに平らげると食堂中から拍手が起こった。
「午前中に実習でたくさん魔力を使ったので、お腹が空いていたのです」
口の周りのケチャップをハンカチで拭い、小首をかしげて言ったデイジーに、小さいのに頑張るね、と温かい言葉がかけられていた。
「早くて安くて美味しいお店で大変満足しました。ごちそうさまでした」
トレーを下げたデイジーがカウンターの奥に声を掛けると、大盛りメニューを増やして待っています、と声が返ってきた。
たくさん食べることを印象付けて大盛りメニューの拡大を狙っていたのか!
満面の笑みで出口に向かうデイジーのお腹をまじまじとおじさんたちに見つめられながら、ぼくたちは食堂を出た。
キュアは食べた分だけお腹が膨れるのにデイジーはいくら食べてもぺったんこのお腹なのだ。
デイジーの胃袋は亜空間に繋がっていると言われたら信じてしまいそうだよ。
いくらでも食べられるデイジーとは違うぼくたちは小腹がすくまで商店街を散策した。
本屋やギャラリーや魔術具販売店を冷やかして回っていると、どの店でもカウンターの奥が騒がしく聴力強化をして聞き取ると、返品、契約解除、買い取り、と言う言葉ばかりで、帝都のタウンハウスを引き払う貴族に振り回されているようだった。
オーレンハイム卿は和やかな笑顔で、お忙しいようなのでまた来ます、と声を掛けていた。
「近日中に掘り出し物の魔術具が出て来そうですね」
貴族の屋敷に眠る年代物の魔術具が大量放出されそうだ、とジェイ叔父さんもいい笑顔だ。
粛清の三日間の影響は商店街にも波及していたのだ。
ブラブラ街歩きするのも久しぶりなので、素材屋さんに顔を出すとジェイ叔父さんが爆買いした。
デイジーも興味深そうにしていたけれど時折カフェの方角を見るので、購入した品を収納の魔術具に押し込んで劇場街に行くことにした。
昼の部の公演が始まっている劇場街は人通りが少なかった。
観劇前にカフェに立ち寄る人たちがはけた時間帯に行くつもりだったので丁度良かった。
目抜き通りの角地のレストランの二階にあるカフェは横道側に直通の階段があり、人目につかずに出入りできるから、デートに良さそうな感じがした。
入り口の扉にはベルがついており、扉を開けるとチリンチリンと鳴った。
「「「いらっしゃいませ!」」」
三人娘の声がして挨拶をしようとカウンターの方に目をやると、ぼくとウィルが声を揃えた。
「「イシマールさん!」」
「久しぶりだな!カイル、ウィリアム君」
真っ白い調理服を着たイシマールさんはサプライズが成功したことを喜んでいるような笑顔だった。
 




