嵐のなかで
三人娘たちを送り届け、魔法学校に戻ると雨にも関わらず全く濡れていないデイジーが上級魔法学校の校舎前で待ち構えていた。
「お弁当のお土産があるよ!」
やったー!とウィルの胸に飛び込んでいつも通りのアクロバティックな挨拶をして一同を驚かせた。
何故二人とも濡れないんだ、とデイジーの超高難易度の動きより雨粒がデイジーにあたる前に表面を滑り落ちる魔法にみんな興味津々だった。
「結界を張っていないのに、一緒にいるウィリアム君も濡れていないではないか!」
グレイ先生はどんな魔法陣を使っているのか!と頭を掻きむしったけれど、それは精霊魔法だから魔法陣は使っていないだろう。
「上級魔法学校の食堂も魔獣カード倶楽部も満席だからお昼はお空で食べませんか?」
デイジーは不敵な笑みを浮かべると魔法の絨毯を食堂代わりに使おうと提案した。
魔法の絨毯の快適さに慣れてしまった一同は素直に頷いた。
上級魔法学校の中庭で停滞飛行する魔法の絨毯は大雨も強風もものともしなかった。
デイジーは自らの横にウィルの差し入れのお弁当を積み上げながらも、ぼくたちが寮の食堂で注文していたお弁当を物欲しそうに見ていた。
今日の実習の参加者たちは前日からガンガイル王国寮の食堂のお弁当を発注していたから、全員オムライス弁当で統一されていたのだ。
ぼくのスライムが自分はいつでも食べられるから、とデイジーのお弁当一つと交換するとデイジーは穏やかな顔つきになった。
みぃちゃんとキュアはまっしぐら煮込みを食べている。
「滑空場を直接見には行っていませんが、あの土地が酷いことは想像に難くなかったので、今日はお疲れさまでした」
誰もデイジーに状況を説明していないのに事前情報から推測できたと言わんばかりの口調に二人の先生が、これが稀代の才媛姫か、と呟いた。
「お空の上でしか話せないことですが、あの滑空場周辺はガンガイル王国からの恵みの風を受けていない地域で、私も頭を悩ませていたのですわ」
デイジーは、自分は大食漢だから国を出る際に一番心配したことが帝都の食糧事情で帝都周辺の穀倉地帯を改善する魔術具があると聞いたから。留学を決意し旅路の間に魔術具を斡旋しながら帝都にたどり着いたのに、滑空場周辺の領主たちが購入に待ったをかけたため契約を解除されたのだと語った。
土壌改良の魔術具の話は魔法の絨毯に乗っている全員が知っていたようで、契約解除と言う言葉に、だからあんなに酷かったのかと納得した。
いや、ぼくの魔術具が無ければ国土全体があんな状態だったかもしれないという実情に着目してほしかったが、それを言ったら政権批判になってしまうのか。
積み上げられたお弁当を次々と平らげながらもデイジーは帝国の地図を広げて魔術具が販売完了したところと契約解除してしまった所の隙間を指さして冷笑した。
「決して私は帝国の内政批判をしているわけではありませんわ。ただ現状から考えられる可能性を幼い女児ながら推測しているだけですけれど、今年の夏の異常な暑さに温められすぎた海水が南方海域で異常に発達した雲を出現させているのをご存じですか?凄まじい嵐で村一つ消滅してしまっているそうですけれど、南方の人口が減り続けると異常気象を足止めする結界が減って嵐は帝都に近づいてくることもあり得るでしょうね」
デイジーの発言に軍属学校所属の生徒がゴクンと生唾を飲み込んだ。
民間の被害が熱波の影響だけではないことを軍関係の末端でも理解しているのだろう。
膠着している南方戦線の影響で死霊系魔獣が多発していることをディーにつけているスライムの報告から聞いている。
結界の弱い村がふっとんでしまうほどの被害を出した大雨の影響を最小限にするために、日中は感染症対策に清掃魔法をかけまくっているということだった。
頑張れ、ディー!
「東方連合国は大陸東南地域も加盟していますから、大嵐の被害を抑える緊急支援をしているということを本国から報告を受けておりますわ」
「ああ、うちは北国だから、熱波による嵐ではなく冬の大嵐の進路予測を立てるため広域魔法を駆使して計算しています」
ウィルがそう言うと戦禍の影響という話の方向に行かないことに軍属学校に所属している生徒たちがホッとした表情になった。
そんな雰囲気を気にすることなくグレイ先生は、広域魔法で何をしているのか?と質問した。
「天文学者たちが風の流れと雲の発達具合を計測して解析しています」
気象学者ではないのか?という疑問を抱きつつも、他国に事実を語るべきじゃないだろうという常識が湧き上がってきたので無表情でいられた。
「大きな渦巻き状になった巨大雲は当然中心付近に甚大な被害をもたらすのですが、進行方向に向かって付近の雲に力を分け与えて思いもよらぬ地域に被害をもたらすのです。ガンガイル王国では観測して予測を立てていますよ」
「熱波由来の大嵐でも人里では護りの結界が十分働いていたら即死人を出すことはないでしょうが、田畑には甚大な被害をもたらしますわ。……蝗害の被害も民間の雨乞いの儀式だけとは言い難いかもしれませんわね」
ウィルの発言を受けてデイジーはさらに一歩踏み込んだ発言をした。
「今年の稲の刈り入れには間に合ったのかな?」
ぼくは世界的な米の流通量を気にしてデイジーに尋ねた。
「東南地域では刈り入れはとっくに済んでいたから、今年の収穫には問題ないけれど、巻き上げられた海水による塩害で来年の作付けにきっと影響するでしょうね」
「上級魔術師を派遣してサクッと塩でも精製してもらえたらいいのだろうけれど、人員不足なのかな?」
ウィルの疑問にゴマ塩のかかった俵おむすびを頬張りながらデイジーは言った。
「今年は塩害の被害範囲が広大なのよね。派遣できる上級魔術師の数には限りがあるから、来年度の作付けまでに間に合うかどうかは私には何とも言えないところだわ。こうも南方地域で災害が続くと帝都に米が流通しないかもしれないわね」
飛行魔法学の生徒たちは強烈な帝国批判が起こるかと身構えていたのに、来年のお米が足りなくなるのでは、と大食漢の姫が嘆いているだけの状況に気が付いて目を丸くした。
「うーん土地の中から一定の植物にとって害になる物を排除する魔術具ね……。ついでに塩を精製して、にがりも欲しいな……」
「広域魔法魔術具で新作を作る気なのかい?」
グレイ先生が身を乗り出した。
「今考えている魔術具の応用でできると思います。授業を優先させるので心配しないでください」
ぼくの発言に新作も作るんだ、と広域魔法魔術具講座の生徒たちも目を丸くした。
デイジーが身を乗り出して地図を指さした。
「春までに開発してくれると助かるわ。まったく本当に今日あの滑空場の結界を強化してくれて助かったわ。南方から上がってくる嵐はキリシア公国付近の大山脈を沿うように移動するからこの辺りの地域の結界はキリシア公国の斡旋で強化済みなのよ。ここの地域の領主たちに魔術具の使用を止められたから、ほら、嵐の通り道になってしまいそうでしょう?取り敢えずカイルの結界が滑空場にドーンと出来たからここで嵐を弱体化できそうでしょう」
デイジーの発言にノア先生の顔面が蒼白になった。
「昼食が終わったら滑空場の領主に速達で書簡を送りましょう。滑空場だけ被害がなく周辺の農村に莫大な被害が及んだら軽減税率の話なんか持ち出せませんよぉ」
グレイ先生の言葉にノア先生が無言で頷いた。
地平線を覆いつくす土埃の広がり方に周辺地域の護りの結界が十分でないことは魔法の絨毯に乗っている全員が気付いていた。
難しい交渉が新学期の忙しい時期に重なったことでノア先生が胃の辺りを押さえた。
「ノア先生。お父様に口利きしてもらえるように手配いたしましょうか?幸い私は飛行魔法学を受講する予定はありませんから利害関係はまったくありません。いえ、東方連合国周辺地域に影響がありますから、魔法学校で利害関係がないだけですわね」
卵焼きを頬張りながらもおほほほほ、とノア先生にとって魅惑的な提案をした。
留学外交を鮮やかに進めるデイジーに皆が目を白黒させている間に、デイジーはいつどのタイミングで領主と交渉すべきかをノア先生に伝授した。
デイジーの父なんて百年以上前に死んでいるだろうからきっと親族なんだろう。
帝都の食糧事情のために動いていることはぼくたちには全く害がないので、凄いね、と言う温かい目でぼくと兄貴とウィルは見ていた。
せっかくの待望のオムライス弁当だったのに砂を噛むように食べているノア先生が気の毒になったので来年は滑空場でもオムライス祭りをしたいな、とつい考えてしまった。
結界が働いている魔法の絨毯の上には雨粒一つ垂れてくることはなかったが、帝都のあちこちで集中豪雨と雷が落ちている。
宮殿や軍関係施設に落雷が落ちたのを確認しながら、トマトのプランターで魔力の偏りを検証できなかったところばかりに雷が落ちているな、としか考えていなかったが、この雷雨が三日続いたことで、ノア先生の交渉はスムーズに進んでしまうのであった。
「帝都粛清の三日間って言われているらしいよ」
朝食にお刺身定食なんて豪勢なものを選択したジェイ叔父さんが言った。
三日三晩続いた暴風雨に魔法学校は臨時休校になった。
そんな嵐の中を寮長の馬車は何度も寮を往復していたので魔法学校や貴族街で動きがあったようだ。
不意に時間ができたぼくたちは広域魔法魔術具講座の魔術具を完成させ、塩害の地から塩やにがりを抜く方法を検討していたら、珪砂だけ選別できないかな?などと好奇心が湧き、ずぶ濡れの寮の中庭を掘り起こして寮長に見つかり怒られていた。
「宮廷や帝国軍本部にまで落雷があり、重要な魔術具の破損があったらしく貴族街は大わらわだったそうね。オーレンハイム卿夫人が意味深な笑いをしていらしたわ」
休校期間は実家にいたお婆がオーレンハイム卿のタウンハウスを経由して寮に戻ってくると、学校が再開する実感が湧いた。
「土壌改良の魔術具を購入しなかった派閥はオーレンハイム卿夫人に嫌がらせをしていた派閥とつながりがあったようだから、さぞ溜飲が下がったでしょうね」
帝都にもラウンドール公爵家の調査員がいるのか雷雨で身動きが取れなかった割にウィルは情報通だった。
「カフェのオープン前にお口の汚れた方々が自領に下がってくれることになって良かったですわ。チョコレートは悪魔の食べ物だ、なんて噂をされると営業妨害ですもの。午後の講座が終わったら、プレオープンに顔を出してみようかしら」
豪雨で伸びたカフェのオープンを心待ちにしていたお婆が楽しそうに微笑むと、食堂の男子生徒が顔を赤らめた。
午後の最後の講義が休講になっていればいいな、なんてぼくたちは期待しながら魔法学校に向かう支度をした。




