土埃と地平線
「調べれば調べるほど、昔はできたという文献にあたるから、どうしても禁忌の魔法に触れたくなる誘惑に駆られてしまうんです。天罰は警告なしに突然起こると言われています。多感な時期の生徒たちの前ですべき会話ではありません」
ノア先生は口を酸っぱくして念を押した。
「ですが、図書館に関連本がありますよね。帝国魔法学校は蔵書の多さもそうですが、閲覧制限が緩いので閲覧者としては嬉しいのですが、やろうと思えば古代文字の研究もできちゃいますよね」
オカルト本のような信憑性のない古代魔法の研究本が専門書の間にポロンと紛れ込んでいる図書館なのだ。
そういった本があるのが当たり前だからなのか、閲覧制限が緩い、というウィルの言葉にみんなの頭に疑問符が浮かんだような表情をした。
「ガンガイル王国の中央図書館では書庫が魔術具なので探している本を関連本も含めて閲覧室に本棚ごとやって来るカッコいい仕掛けなのですが、閲覧資格のある本しか出してくれません。ですが帝都の図書館では閲覧資格がガンガイル王国ほど細かく規制されていない書架の区画ごとの規制だから、王国では資格なしとして閲覧できなかった資料に目を通せるので学習者としては欲が出てしまいますよね」
どんな風に運ばれてくるの?とグレイ先生は書庫が魔術具というところに、ノア先生は閲覧制限が緩いというところにさらに食いついた。
「グレイ先生!ちょっと黙っていてください!閲覧制限が厳しくて読める専門書が少ないのにガンガイル王国出身者が皆優秀なのはなぜなのですか!」
「閲覧資格のある関連本なら何でも揃えてくれるので、自分では考えつかなかったような資料も提示してくれるから視点が広がる利点もあるのですよ」
「図書館で関係がない本に夢中になることもないから集中して研究できますね」
ウィルとぼくがガンガイル王国の図書館の利点を述べると、どういった仕掛けなんだ、とグレイ先生がブツブツ呟いた。
「遷都のたびに移築しているようですから、図書館自体が魔術具なのでしょう。古代魔術具の維持にかけてガンガイル王国は頭一つ抜き出ていますよ。そんなこともあって、帝都の魔法学校では古代魔法への憧れを完全に排除しきれないのですよ。駄目ですよ。そっちに思考を持っていってしまっては」
ぼくとウィルと兄貴が顔を見合わせてキョトンとすると、どうした?とグレイ先生に心配された。
「いえ、ガンガイル王国は世界の外れの巨大冷凍庫なんて揶揄されることはあっても持ち上げられることはないと良く聞いていたものだから、ノア先生の言葉が意外だったんです」
ウィルの言葉に生徒たちは、まあそうだなあ、という表情になった。
「古代魔術具の研究をしていない人たちにはそうでしょうが、そもそも歴史上戦争に一度も負けたことのない国ですよ。帝都から遠すぎて認識していない、いや見ようとしていないだけですね」
ノア先生の言葉に軍属学校所属の飛行魔法学の生徒が真顔になった。
「北方戦線の歴史は口にできない雰囲気ですね」
負けた戦争の調停書を歪曲して公式発表している歴史を研究されたら困るからだろう。
とはいえ、ガンガイル王国が無敗というのは戦局が悪くなる前に調停に持ち込んでいる戦いもあるのだが、一応、建国以来負け戦をしていない。
まがりなりにも精霊神のご加護篤いガンガイル王国は王族の本能なのか勝てない喧嘩を買うことがなく、引き際を心得ているともいえるのだ。
「好き勝手言っていられたのは遠すぎて影響力がなかったからですよ。今年のガンガイル王国からの風が突風過ぎて、王宮も軍属学校も大わらわです。飛行魔法学がガンガイル王国の貴公子たちと共同研究をすることができたのに開発する魔術具が農業系なので軍属学校の職員が私に文句を言ってきていますよ」
申し訳ないです、とぼくたちが頭を下げると、地平線を指さしたノア先生が言った。
「見てください!この草一つ生えていない平原を!週に数回滑空場に向かっていた私たちは馬車に乗っていったって、現場に着くと土埃にまみれていた。こんな景色は帝都の城壁を出たらすぐずっと続いていたのですよ」
実習で帝都外に出ることの多い飛行魔法学の生徒が頷いた。
「それがいつの間にか帝都の周辺は下草が生え土埃も減っていました。生憎、気にも留めてなかったから変化の時期を言い当てることはできないが、帝都の魔力むらの話を聞いた時に思い出しました。教会が光ったあの日の午前中は間違いなく城壁の外は荒れていました。ええ、あの日の早朝礼拝から礼拝方法の仕方が変わったから魔力が満ちた、と言われていますが、あの日の早朝にガンガイル王国の寮生たちが早朝礼拝に参加されていましたね」
「出国前から旅の安全祈願をしていましたから、無事帝都に到着できたお礼参りです」
「ええ、そうでしょう。何らかの意図があったわけではないでしょうに、偶然、教会で礼拝方法を変えるようなことが起こったのでしょう。私だって飛竜の魔術具や魔法の絨毯の秘密を共同研究で盗み取ろうとは考えていませんよ。ただ、ガンガイル王国の光と闇の貴公子と共同研究をすればなにか思いがけない発見が起こるのではないか、という期待がないわけではないだけです。たとえ私が期待しているような発見が無くても、この何もない地平線には変化があるような気がしてならないのです」
魔法の絨毯に乗っている全員がノア先生の言葉に頷いた。
ぼくたちが帝都までやって来た旅路の地域は収穫量が増加し治安が劇的に良くなっている、とまことしやかに囁かれているらしい。
「光と闇の貴公子、という二つ名を話の頭につけることで信憑性を低くして胡散臭げな雰囲気を醸して語られていますが、軍属学校で胡散臭いと判断するような者は余程情報収集が下手くそか、情報分析ができない者でしょうね。蝗害の制圧に部隊を投入していたのは事実ですが、北部へ行った部隊がいるのはおかしいのです。北部には北部の問題があったから派遣されていたはずなのに、蝗害の終息後ほどなくして全部隊帰還しているなんて、内密にされてる北部の問題はどうやって解決したのでしょうね」
頭に脳味噌がちゃんと入っていて機能しているのならわかるはずだ、とノア先生はきっぱり言った。
デイジーたちの活躍もあって、結界の強化はぼくたちの旅路とはぴったりとは重ならないはずだが、時期まで正確に調べられたら、ぼくたちの旅路が事の始まりだとバレているのは間違いないだろう。
帝都で目立つのは本意ではないが、土埃に霞む地平線をこのままにしておけないと胸の奥に切ない感情がうずくのだ。
「ああ、見えてきましたあそこが滑空場です」
“……ご主人様、こっちです”
土埃でかすむ中、視力強化をかけようとしたら、シロの指示した場所はぼくが予想していたよりもずっと手前だった。
滑走路らしきものは何もなく、管理事務所と思しき四角い建物が砂漠の中にあるだけだった。
「墜落しても支障がない場所、というだけのような気がする……」
ウィルの感想はもっともだった。
魔法の絨毯が滑空場入り口で高度を下げた。
滑空場を囲う土壁が低いのは予算の都合こうなったのか砂に埋もれてしまったのかわからないほど低く身体強化をかけなくても飛び越えられそうだった。
「こんな所では襲って来る魔獣もいないから、塀を高くする必要がないのか」
グレイ先生の回答が正解なのだろうか。
着陸すると長身のノア先生は土壁をまたいで滑空場に入った。
「一応結界を張っているんですよ。解除しますから、ちょっと待っててください」
土埃を浴びたくないぼくたちは魔法の絨毯に乗ったまま待機した。
ノア先生は管理事務所の入口で竜巻のような魔法を使用して堆積した土を払うと事務所の中に入った。
魔獣たちはポーチや鞄やポケットに入り、ぼくは収納ポーチから祠巡りのローブを取り出してフードを深くかぶった。
雨に濡れないために仕込んでいる魔法陣が土埃を避けてくれることを期待したのだ。
ウィルも真似してローブを着ると、兄貴は三角に折った大きなハンカチで口と鼻を覆うように後頭部で縛り、自分のローブをアーロンに手渡した。
実際には呼吸をしていない兄貴は口と鼻を覆う必要はないが、アーロンに気を遣わせないように気遣ったようだ。
兄貴が対策をしたことで、遠慮しないでアーロンがローブを受け取った。
最近祠巡りを始めたばかりのアーロンは苦学生だった頃の癖が抜けずコンペで勝ち抜いた祠巡りの衣装を借りているだけで、自前の衣装もローブも持っていなかったのだ。
兄貴を真似してみんなが口元にハンカチを巻くと土壁の扉が開いたので、ぼくたちは魔法の絨毯を降りた。
「土埃を浴びて当然だと考えていたから、ろくな対策を取っていなかったよ」
耳の穴にまで土が入った、と飛行学の生徒が溢しながら清掃魔法をかけた。
管理事務に入ったぼくたちはローブを着用したぼくとウィルとアーロンはローブを脱ぐとまったく埃に汚れておらず、口元をハンカチで覆っただけのメンバーは清掃魔法をかけなければ口の中がジャリジャリするほど土埃に汚れていた。
アーロンが申し訳ないと兄貴に言うと兄貴は涼しい顔でハンカチに魔法陣を仕込んでいたから問題ない、と誤魔化した。
「ノア先生、護りの結界のレベルを上げてください。このままでは事務所ごと土の中に埋まってしまいますよ!」
ウィルがそう警告すると、ノア先生は首を横に振った。
「そんな丈夫な結界は貼っていませんよ」
「神々の祠と、管理事務所に礼拝室を作ってありますよね」
「祠は外にあるが、七大神の祠をすべて建立しているわけではないです」
ウィルとノア先生の話が微妙にかみ合っていない。
「ノア先生。この滑空場の地権者はどなたですか?魔法学校管理なのか軍属学校管理なのでしょうか?」
最高責任者でなくては礼拝室の存在を知らないかもしれないと思いノア先生に質問した。
「いや、安かったから私が購入しました。気兼ねなく実験も実習もできる場所だと考えて購入しましたが、なかなか厄介な土地でした」
ぼくとウィルとアーロンと兄貴が顔を見合わせた。
ここには土地を護る結界は張られておらず、進入禁止程度の結界が張られているに過ぎないだろう。
ぼくたち四人は頭を抱えた。
このままではこの滑空場が土に埋もれてしまうのは待ったなしだ。
「あー、逆を言えば、ノア先生の土地なのだから、ノア先生に許可を取れば何でもできると考えれば、広域魔法魔術具講座の試験場としては理想的かもしれない……」
「そうか!一から村を開拓するようなものか!」
「基礎結界の研究もできちゃうじゃないか!」
「失敗のしようがないくらい元々荒廃しているからね」
ぼくとウィルとアーロンと兄貴は絶望的な状態だからこそできることを捻り出した。
「ちょっと待って!状況を整理しましょう!!」
ぼくたちだけで納得している状況にグレイ先生が口を挟んだ。
「私の推測だと、ノア先生は、はした金で不毛の地を買わされて滑空場を作ったが、砂漠に飲まれそうになっている。君たちは農村を守っているような守護結界をノア先生がかけていないことを確認したのにここを農地にしようと話し合っているのか!」
「守護結界というのが土地を護る結界のことなら、ノア先生の土地なんだから自分たちで張ればいいだけじゃないですか」
「どんな結界にしようかな。ワクワクするね」
「死霊系魔獣が来たら雷がドーンと落ちるようなやつはどうだろう?」
ぼくとウィルとアーロンが意見を出し合うと、ノア先生とグレイ先生が顔を見合わせて困惑した。
「「君たちにそんなことができるのか!」」
「元ラウンドール王国で現在領地の規模が当時と変わらないラウンドール公爵家のご子息と、小国ながらムスタッチャ諸島諸国で六つの島を統治する国の王子様と、緑の一族の末裔ですからね。実家に伝わる魔法陣を魔改造できる機会を得て喜んでいるんじゃないですか?」
兄貴が護りの結界を構築できる理由を血筋のせいだと誤魔化すと、二人の先生は天井を仰ぎ見た。
「「一族秘伝の魔法陣なら、私たちが見ることができないじゃないか!」」
興味の対象に正直な姿勢がブレない先生たちだな。




