アーロン
今回は唐突に下ネタが入ります。ご注意ください。
魔獣学のガイダンスは続き、危険な魔獣を扱う過程で事故がないように定期的に行う試験の内容を話すたびに、教員はぼくたちを馬鹿にしたように見るので、大講堂の生徒たちにもぼくたちを侮るような視線を向けてくるものも出てきた。
だが、そんな生徒たちの使役魔獣たちはぼくたちと視線を合わさないように顔を背けている。
“……魔獣たちは格の違いを理解しているのに、使役者たちがお馬鹿さん過ぎて可哀想だわ”
“……どうせ貴族に販売するために繁殖させられた魔獣たちだから、本気で契約したのかどうかも怪しいわ”
“……あれ、しっかりしていそうな子もいるわ”
ぼくのスライムとキュアとみぃちゃんが値踏みをするかのように生徒たちの魔獣たちを評した。
一通りの説明を終えた教員が質疑応答を求めると、オーレンハイム卿が真っ先に挙手した。
「そこの爺さん。質問は何だ」
教員の横柄な態度を気にすることもなく、柔和な笑顔でオーレンハイム卿が言った。
「座学の試験を受けさせてください。老いぼれなので時間は貴重なのですよ。野外実習もなるべく早い方が良いですね」
ガンガイル王国の寮生たちが続けざまに挙手をし、オーレンハイム卿の尻馬に乗るように座学の試験を希望すると、講堂内のあちこちから同じような挙手が続いた。
面倒臭そうに生徒番号で呼ばれたぼくたちが壇上に上がると、授業を聞かずに終了テストを受けるくらいなら受講申し込みなんかするな、と教員が小声で悪態をついた。
「この魔獣学講座は範囲が広すぎて、すでに知っていることと未知のことがわかりにくい。先に試験を受けることで自分に足りないところが明白になる。年寄りは残りの時間が少ないのだから、できるだけ有意義に過ごしたいのさ」
悪びれないオーレンハイム卿の言い分に、教員が不機嫌そう鼻を鳴らしたが、さすが年の功!と寮生たちは先陣を切って突っ走るかのように話を進める老兵を称えた。
オーレンハイム卿の言葉に賛同して試験を希望する生徒たちが増えたので、ほぼ全員が座学の試験を受けることになった。
試験内容はオーレンハイム卿が指摘するように、帝国に生息する魔獣の種類や生息地、突然変異種や繁殖方法など多岐にわたっていた。
魔獣カードの新シリーズ発行のためのアルバイトや、既存カードの裏技を発見するためにカードに描かれた極小の魔法陣を探すより、魔獣の生態に詳しくなって同種のカードを並べて検証した方がレアカードを発見しやすいため、血眼になって魔獣本を読み漁っていたガンガイル王国寮生たちは、知らない問題に直面すると涙を流さんばかりに喜んだ。
ぼくたちの周りだけ異様に興奮度が高まっていることに、応援に来た職員たちがドン引きしたように顎を引いて机間巡視をしていた。
職員たちが試験用紙を回収するまで鼻息を荒くしていても興奮を口にすることがなかったぼくたちは、生徒全員の試験用紙が回収されると堰を切ったように話しだした。
寮生たちは七、八割方わからない問題はなかったようだが、判断に迷う問題はみんな同じで、魔獣の人工繁殖だった。
美味しいお肉をたくさん食べたい一心から試験農場で家畜の交配も研究していた寮生たちは、人工授精も行っておりその知識が邪魔をして冷静に推測できなかったのだ。
お婆も女子生徒たちも人工授精の知識だけはあったので、交配方法の手順の推測をみんなでしていると、スライムたちが、恥ずかしいでしょう、というかのようにプルプル震えて警告した。
家畜の繁殖なんて田舎者丸出しの話題だったと反省していると、ぼくのスライムが、畜産業の知識がなければただの下ネタなんだよね、と精霊言語でぼくに止めるように警告した。
毎日食べるお肉の話なのに、貴族の子弟ばかりいる上級魔法学校では家畜の交配も下ネタなのか!
お婆と女子生徒たちも講堂内の雰囲気に気付いたようで、ホホホホホ、とお上品に笑って誤魔化した。
授業終了を告げる鐘が鳴るとホッとしたようにジェイ叔父さんの制服の裾を掴むお婆が初々しく見えて、恋バナと誤解した女子生徒が顔を赤らめるのを、ぼくの魔獣たちが脂下がった顔で眺めるという不可解な絵面になった。
年齢を偽造して貴族だらけに魔法学校にいるだけで疲れてしまうお婆が、帝国の魔法学校の雰囲気に慣れている息子をつい頼ってしまっただけなのにね。
「ガンガイル王国の留学生のみなさん!」
ぼくたちが大講堂を出ようと出口の列に並んでいると一人の少年に声をかけられた。
“……まともな使役魔獣を所有している子だよ”
キュアにまともな使役魔獣と言われた小柄な銀狐を肩に巻き付けた少年は、十四、五歳とは思えないほど小柄で声も高く、ぼくたち同様に飛び級しているように見えた。
「俺は世界の西の果て、と言われているド田舎の出身で、金もないから平民街に下宿している苦学生のアーロンです。俺の使役魔獣がこの機会を逃すなと言っているようなんです。どうか、俺とお友達になってください!」
公衆の面前で少年が頭を下げて右手を差し出した。
帝国では初対面で友人になりたい時の手段として、こんな風に申し込みをするのが流行っているのか、とぼくが混乱している間に、寮生たちが次々とアーロン少年の右手に手を添えた。
他の学年に同胞の留学生はいるのかい?美しい銀狐だね、と寮生たちは気さくにアーロンに声をかけた。
西の砦を護る一族に近い国の情報を探っていた寮生たちには、渡りに船とでもいうか、船の上にトビウオが食べてくださいと飛び込んできたように見えるのだろうが、大丈夫何だろうか?
“……ご主人様。アーロンは西の砦を護る一族の国の出身ではありませんが、砦を護る一族の親戚です”
囲い込んでしまった方が良い人物だということか。
“……ご主人様。亜空間に招待いたしましょう。扱いにくい人物なら記憶を操作して誤魔化してしまいましょう”
シロが亜空間に移転する気配を感じたのか、ウィルがぼくの肘に抱きついた。
精霊言語を取得していないのに野生の勘を発揮したウィルと、アーロンを連れて真っ白な亜空間に転移した。
「ここは……どこなんだ?」
戸惑うアーロンにかまわずアーロンの銀狐はウィルの砂鼠を前にして前足二本を上げ、触っていいのかどうしようか?というかのように空中をちょんちょんと突いていた。
スライムたちとみぃちゃんとキュアが睨みを利かせているから、やるにやれないのかもしれない。
「この世界のどこでもないどこかで、ぼくたちは亜空間と呼んでいるよ」
「アーロン君と話をしたかったけれど、新学期の課題をこなすのに忙しいからゆっくり話せる場所と時間を捻り出しただけだよ。ぼくはカイル、あっちがウィリアム君」
「ウィルでいいよ」
「うわぁ。光と闇の貴公子に亜空間に招待された!?どっちが精霊使いなんだ!両方か?!」
ウィルとぼくのざっくりとした亜空間の説明に混乱することなく、話題を精霊使いに持っていくということはアーロンの出身地方の伝承の中に精霊使いの話が残っているのだろうか?
「ぼくたちは精霊使いではないけれど、精霊が協力してくれている状態だよ。現状、ぼくたちも精霊使いだ、と自称する人に会ったことはないけれど、それに近い人なら知っている。だけど、ぼくたちはその人ともちょっと違うから、説明のしようがないよ」
「ああ、精霊使いは邪教の信徒と因縁をつけられて根絶やしにされたというのは、本当の話だったのか!精霊が見える人たちは精霊がいるとは語らなくなったって、うちの地方では口伝で親から子に語り継がれているんだ!本の悪魔が情報を盗むから文章に残してはいけない、と教わったよ」
本の悪魔というパワーワードに魔獣たちが声を出して笑った。
アーロンの銀狐がビクッとして前足を下ろし、魔獣たちを見た。
悪魔と聞いて笑い出す強気な魔獣たちに取り囲まれて困惑しているようだ。
「本の悪魔ではなく魔術具だって聞いているよ。精霊使いのセクハラ、いや、ちょっとスケベな魔術師が死ぬ間際に完成させたって聞いているよ」
「えっ!なに!伝説の精霊使いはスケベなおっさんなの?……全ての文章を収集するのなら……個人的なラブレターとかも見れちゃうのか……嫌だな」
“……私は人格を得た時から真摯な対応を心掛けているから、不用意に恋文など読まない!”
魔本が必死になって否定しているが、読まないということは集めていないではない。
「スケベだと伝わっているのはうちの母方の家系が女系一族で、若い女性に鼻の下を伸ばしている姿を目撃されていたからだよ。伝説の精霊使いの人となりが変態かどうだったかはわからないよ」
ゲラゲラ笑う魔獣たちに、会ったこともない人を決めつけるわけにはいかないよ、と軽く注意した。
「……女系一族ということは緑の一族の末裔ですか!」
アーロンは姿勢を正してぼくを見たが、視線はぼくの股間に釘付けになった。
男装を疑うアーロンの様子にウィルまで堪らずに噴き出した。
「カイルは男の子だよ。一緒にお風呂に入っているからね。間違いないよ」
ぼくとウィルを見比べたアーロンは顔を赤らめた。
ちょっと待った!
ぼくたちは断じてカップルではない!!
「あー、なんか勘違いしているみたいだけど、寮に大浴場があって同性同士で風呂に入ることは珍しくないんだ」
「そうだよね、うちの国も騎士寮の浴場はそうなっているよ。国で寮が作れるほどの国力があるなら大浴場くらいあるのか」
胸をなでおろしたアーロンが、寮の設備が整っていて羨ましい、とこぼした。
「うーん。アーロンを寮に招待すると、面倒臭い人物がごね出しそうなんだよね」
ウィルがそう言うと、アーロンは眉間にしわを寄せた。
「ああ、心当たりある。オスカー殿下でしょう?俺も去年絡まれた。カイル君たちは皇女殿下にまだ遭遇していないのにもう絡まれたのかい?昨年俺が中級魔法学校に入学した時には、オスカー殿下はまだ初級魔法学校なのに皇女殿下の専門課程の学習にちょっとかかわったらえらい目に遭ったんだ」
なんてこった。昨日の上級魔法学校の中庭でのオスカー殿下の一件を知らないのに、アーロンは同じような告白まがいの行動をしたのか!
「オスカー殿下が異母姉弟の皇女殿下に執着しているのは知らなかったけれど、入学ガイダンスの後に、友だちになってください、とアーロンみたいに頭を下げられたよ」
殿下と同じような行動をしたのか、とアーロンは嫌そうに眉間の皺を深くした。
「今声を掛けなければ次の機会がない、といった緊迫感を感じて素早く行動に移してしまったんだよなぁ」
殿下と同じかぁ、とグチグチ言うアーロンに、ウィルがぶっちゃけた質問をした。
「アーロンは教会の建物が光る前から、精霊たちを見たことがあるよね?」
眉間の皺が取れたアーロンは、ぼくとウィルをややしばらくじっと見た後、観念したように小さく首を縦に振ると、口を開いた。
「見たことがあるよ。なにぶん本国では他人に精霊の話をするのは禁忌とされているから、家族以外に話したことはない……」
重い口を開いたアーロンにウィルが優しい笑顔で語り掛けた。
「今や帝都のいたるところで精霊たちが出現しているから、精霊たちについて語るのはもう禁忌ではないよ。ぼくの推測で、根拠なく語るけど、アーロンは王族の傍系かい?」
勘のいいウィルに、アーロンは顎を引いて考え込んでから頷いた。




