家族って増えるものだから
初夏の太陽はとっくに山の稜線に沈んだが西の空はまだ明るい。オレンジ色の水彩絵の具が薄まり空の真ん中あたりから黄色くなっていくとその先は徐々に闇が広がっていく。
商店街の大通りの両側の足元にポツンポツンとまあるい小さな灯りがともる。
「この明かりはなあに?」
「石畳の間に照明の魔道具が埋まっているんだよ。この明かりがともっている間は夜間でも外出しても大丈夫なんだ。夜に出る魔獣は町の外壁を越えられる物もいる。魔獣の気配を察知すると明かりが点滅して危険を知らせてくれるからこの町は夜でも安心して暮らせるって訳さ」
「魔獣ってそんなに怖いの?」
「つい数十年前に一つの集落が大型の魔獣の襲撃によって壊滅した記録もある。王都すらかなりの被害を受けたことも……」
思わずぼくはそれを聞いて生唾をのんだ。
「…それにしても、町の暮らしってすごいね」
「領主様の差配がいいのさ。こういった魔道具に使用される魔力はさっきの祠で奉納した平民の少ない魔力だけだと、本来は真夜中までには消えてしまう」
「町の安全を市民も領主様も自らで守っているんだね」
「住宅街まで届ききっているわけじゃないから、これからの発展次第ってところだな。お前らちびは日が暮れる前に帰れよ」
「じゃあ、日中ならぼくも安心して出歩けるんだね!」
「お前ひとりでか?!」
「えっ、ダメなの?もしかして治安が悪い…とか?」
「治安は悪くないけど、場所にもよる。いや、そもそも幼児だけでは外出するもんじゃないだろ」
「その辺の常識は村と変わらないんだ」
「人としての常識だろ。ほらもうすぐ家だ」
「今日からうちの子になったカイルだ」
「あっ、おじゃm…じゃなかった、え、っと…ただいま…?」
「おかえりなさい。ご飯の前にお風呂がいいでしょ。カイル君も先にさっぱりしようね」
玄関を開けるなりすぐ迎えに出てくれた奥さんらしき人が向かい合わせの隣の玄関を開けてくれた。
「風呂はこっちからの方が近いんだ。二軒長屋をつなげて使っているんだ」
きれいにしてから母屋に来いってことなんだろうか、風呂場に向かって歩き出す。
「着替えはここに用意しておくからね。時間的に寝間着でいいでしょ?」
そういえば年の近い子どもがいるって言ってたっけ。
風呂は洗い場と浴槽が分かれていて結構広い。浴槽も大人二人が余裕で入れる広さがある。
「頭からお湯かけて大丈夫か?」
聞いてるくせに言い終わらないうちにざぶんとかけて、石鹼で全身を洗われた。さっきから思ってたけど、せっかち過ぎる。全然返事する隙もない。
「せっかく家に帰れたんだから早く妻と親しみたい」
何だそういうことか、と納得するや否や、湯につけられた。立っているのに肩までつかるたっぷりな湯量だ。
ジュエルも自身を洗ってからざぶんと入ってくると沈まないように脇をつかみ上げてくれた。幼児の入浴に手慣れている。
「奥さんと親しむために大きな浴槽を作ったの?」
「…親と同居だから慎ましい生活だぞ。まあ、大家族になりたかったてのはあるけどな」
「成り行きで子ども貰ってくるのはどうかと思うけど。よく理解してもらえたね?」
「…生きてたらお前くらいだったんだ。一番最初の子ども」
「いくつで亡くなったの?」
「生まれてひと月ぐらい」
「奥さんはぼくがいる方が辛いと思うよ」
「…カイル、お前はもう俺たちの家族なんだ。俺たちの家族はどんどん増える、これからも。……それでいいんだ」
のぼせそうなぼくの頭では、どうして、”それでいい”のかはわからない。
「上がって飯にするぞ」
ジュエルは手早く風呂から出ると自分の体より先にぼくを頭からわしわし拭いてくれた。
「自分で着れるよな?」
手渡された寝間着はぼくのサイズピッタリだった。
「だって、護衛騎士のヨハンが先に来て教えてくれたもの。生きのこった子どもがいるからジュエルなら連れて帰ってくるだろうって。ケインと同じくらいの大きさだから服も暫く共有で良さそうだって言うから」
食堂で奥さんと子どもとお婆さんを紹介された。誰もがぼくがここにいるのは当然だという顔をしている。
「ぼくのほうがおおきいよ」
「いや、カイルの方がお兄ちゃんだ。カイルは三才。ケイン、お前はまだ二才だぞ」
「ぼくさんさいになるもん」
「そん時にはカイルは四才だぞ」
ジュエルと同じ青紫の髪、奥さんのジーンと同じ緑の瞳で小さな指を両手で二本ずつ出して数を数える子どもがケインだ。二才にしては賢すぎる。
「ぼくもおにいちゃんになるもん」
「弟もいいもんだよ。お兄ちゃんが遊んでくれる」
「ほんと…?!じゃあ、ぼくおとうとでいい」
お婆さんのジェニエは小柄で腰が曲がっている。白髪がほんのりピンク色で可愛らしい年の取り方だ。
「ごはんたべたら、あそぶもん」
「カイル兄さんはもう疲れているから寝た方がいいのよ」
「いっしょにねるもん」
「一緒に寝ていいのかい?」
「いいよ。おねしょしないもん」
「今日は随分といい子だね」
「ぼくはいいこだもん」
とり肉のスープはお肉が口の中でほぐれるほど柔らかく、たくさんの種類の香草を使っている贅沢な香りがした。こんなに美味しいスープはいつぶりだろう。だが、だんだん咀嚼するのも面倒なほどの眠気に襲われて体が前後に揺れた気がしたところで意識を手放した。
温かい体がピッタリくっついている。温かいのは生きてるからだ。ちょっとべとつくのは汗のせい。寝息が早いのは小さい子だから。
真夜中に目覚めた時は少し混乱したが、ケインの温かさにジュエルのうちの子どもになった実感が湧いてきた。
かみさまはぼくをひとりぼっちにしなかった。これが祝福というやつなのかな。
真っ暗な部屋のベッドの中でケインの規則正しい寝息が可愛く思えた。弟ができた。家族って増えるものなんだ。それでいいんだ、という言葉が少しだけ理解できた気がした。
目頭が熱くなってきたからケインにぶつからないように気をつけて寝返りをうった、その時。
本当に真っ暗なはずの部屋の隅っこに何かがいる。モヤのようなものだ。
こっちを見ている。実際に目があるかは確認できなくとも、視線を感じる。
首筋から背中にかけて産毛ごと皮膚が逆立つような感覚と、ケインと密着しているのが原因ではない、明らかに冷や汗が額に滲んでくる。
暗いから見えないはずなのに、その存在がわかる。
『見えないけれどいるんだよ』
母さんが言ってた。魔獣除けの草の茎で編んだ帽子を被って、母さんの背中に負ぶわれて、森の中で採集する時に言ってた。
『森の中に平らな地面がないように、魔力もボコボコと薄まったり溜まったりしているの。魔力溜にはいい薬草が生えているからよくよく観察するんだよ。小さい頃から探すことで自然と見えない何かがわかるようになるよ。いいものばかりじゃないからね。瘴気もそこらに溜るから見えない悪いものにも気をつけようね』
その存在が母さんの言ってたものなのか、あれはいいやつなのか悪いやつなのか?
いろいろ考えていたら、それだけでまた疲れてきた。
背後でケインの寝息がする。何事も無いように、穏やかに。
ぼくはずっと隅っこを見ていたはずなのにやっぱりまた眠ってしまった。