祭りの余波
オーレンハイム卿の発言にぼくたちは凍り付いたように固まった。
お婆を追って実在年齢のまま帝都の魔法学校に再入学しようと企むなんて、奇策の斜め上を行く行動だ。
「お年を召されてもさらに学ぼうとする姿勢は素晴らしいです。これがガンガイル王国の気質なのですね」
感心する孤児院長にウィルが冷めた目で説明した。
「領主を経験されているオーレンハイム卿でしたら建築士の資格は取得していなくても学習済みですよ。有事の際に城を移築できないわけがありません」
領主や軍に配属される上級魔術師は建築士の資格を取得していなくても現場で必要な勉強は履修しているものだ。
「フフフフ、そうですね。聖女は司祭の資格を取得していませんが、司祭の知識を持っていて、現場では代行をすることがあります。司祭の資格がないから教会運営の長にはなれませんが、実務は熟せるようなものですね」
教会の上層部に女性がいない理由をサラッと言ってのけた聖女マチルダこと孤児院長は、女性は神学では聖女コースしかないから司祭の資格取得なんてそもそもできないけど、年をとっても再受講で資格を取得できるなんて素晴らしい、とオーレンハイム卿を褒め称えた。
「フフフ。ガンガイル王国では資格ばかりあると就職時に足枷になることがあったので、履修だけして資格を取得せず、寸止めにしておいて余計な嫉妬を防ぐという自衛手段も流行っていましたわ」
下級貴族の仕事と職域が隣接しないように、母さんは敢えて上級魔術師の資格を取得しなかったな。
「……資格に拘らないのですか。そうですね。現場での仕事はできるものがやるしかないという状況では始末書を書く人が上手く事を収めてくれるだろう、という勢いでやるしかない場面が多々ありますよね」
遠い目をして語る孤児院長に、面倒なことは大人に押し付けてしまうぼくたちは頷いた。
戦争ばかりしている帝国で浄化や癒しができる聖女が前線に派遣されていないわけがない。
聖女マチルダもきっと修羅場を何度も潜ったのだろう。
「高位貴族にとって魔法学校は社交の場でしかなく、一族秘伝の魔法は公表しないのが常識ですから、下手に資格を多々取得すると家督を継ぐ前に国に使い潰される可能性があるので、嫡男は敢えて成績を落とすことが様式美とされて……なんて言い訳がまかり通ると、ボンクラ嫡男が爆誕することになるのですよ」
後半は声を潜めて左目だけ閉じて言ったオーレンハイム卿に、孤児院長は噴き出した。
お茶目な仕草で開け透けないことを言う卿に、ぼくたちから乾いた笑い声が漏れた。
そんな言い訳をまかり通そうとする王太子がいたような……。今は心を入れ替え別人のようになっているはず。
そんな際どい話をしつつも、孤児院の改装の留意点を孤児院長や職員も交えて話し合った。
お婆とジェイ叔父さんはオーレンハイム卿のタウンハウスでの昼食の招待を受けたので、午後からは別行動になった。
オーレンハイム卿夫人がお婆の化粧品をご友人に自慢する昼食会で、その後は観劇の予定を組んでいるらしい。
夫人は夫が別の女性を追っかけていることをアイドルの親衛隊隊長のようにとらえているのか、理解があるらしい。
蓼食う虫も好き好きなのか、貴族の政略結婚ではこのぐらいの夫婦の距離感の方が夫婦円満で良しと認識されているのだろうか?
ウィルが、あれは普通じゃないと思う、と呟いたから特殊な夫婦関係なのだろう。
ぼくたちはばあちゃんの家で昼食をとると、試験農場に向かった。
試験農場の収穫祭、ことオムライス祭りは、中央教会ほどたくさん作らなくていいので、ソースは三種類くらいに絞ろうか、と話し合っていると、デイジーが付き添いも連れずにやって来た。
昨日はありがとうございました、なんて挨拶をしていると上目遣いにぼくの収納ポーチをデイジーがじっと見た。
昨日のお稲荷さんの残りを収納してあることを妖精から聞いているのだろう。
無言の催促を察したぼくのスライムがデイジーの手土産の緑茶を入れた。
「昨日の夜食の残りの稲荷ずしがありますが、食べますか?」
「はい!」
収納ポーチから取り出してデイジーのテーブルの前に置くと、いただきまーす、と元気よく言ったデイジーはもぐもぐ食べ始めた。
「昨日のオムライスも美味でしたが夜食にこんなおいしいものが出るなんて、ガンガイル王国寮に暮らしたいわ」
ぼくの親族が転移魔法で帝都に来て作ってくれた特別な夜食だ、と説明すると妖精から話を聞いているデイジーはうんうんと頷いた。
「魔法学校に再入学するのはいいことだと思うわ。彼女が来てから帝都の貴族街の空気が良くなったもの。天然で精霊たちに好かれるタイプの人よね。カイルもそうなんだけど連れている魔獣が個性的過ぎて精霊たちはちょっと距離を置いているわ」
デイジー曰く、シロが睨みを利かせているから他の精霊たちはぼくに干渉しづらいらしい。
お婆は意思が固く精霊たちに誘導されにくい気質なのに、薬草を育てたり調合したりするときにちょっとした一言を加えるので、精霊たちもつい手を貸してしまうようだ。
「ああ、良くできたね、くらいの誰でも言いそうなことなんだけれど、タイミングが絶妙だから精霊たちはその気がないのに仕上がりが上質になる手助けをしちゃうのよ。そうね、煮込み料理のお鍋の蓋を開けた時に煮崩れしないで柔らかく炊けた時に、美味しくできたね、なんて言われたら味の沁み込みを手伝ってしまう程度よ」
味付けの調味料はもうすでに鍋に入っているなら、味の決め手は作り手が決定しているけれど、噛んだ時にじゅわっと口の中に広がる味の沁み込み具合を精霊たちが整えたなら、最高の料理になるだろう。
「そのくらい誰でも言っていることなのに、どうしてジュンナさんにだけ精霊たちが依怙贔屓をするかといったら、その方が面白いからなのよ」
やっぱりそこか、と聞いていた寮生たちは肩を落とした。
「ジュンナさんが美味しい料理を作ったら、まず家族が喜ぶでしょう?手のかかるレシピだったなら魔術具を作って日常的に気軽に作れる料理にしてしまうでしょうね」
まあ、そうなるだろう、と寮生たちは頷いた。
「日常的に作れるようになると、カイルの家族たちはみんなにご馳走してくれるでしょう?その広がりで、いつの間にか他国のお姫様がこうして賞味しているのよ。自分たちがほんの少し関与した事象が、水面に落とした石の波紋のように広がっていくことを楽しんでいる精霊たちが、ジュンナさんについて行くのは当然でしょう?」
ああ、そうだな、と寮生たちは遠い目をした。
「精霊たちはそこら中にいるけれど、影響力のある人のところに集まることは理解できるでしょう?だからねぇ、帝都の貴族街の精霊たちは性格が悪い子が多いのよね」
その言い方だと帝都の高位貴族は性格が悪く、あくどいことを喜ぶ精霊たちが集まっているように聞こえてしまう。
「……カイル。クラーケン撃退の叙勲式の空気を思い出せばいいよ。あの時はラインハルト殿下と辺境伯領領主夫妻がいたからマシだったけれど、昔のガンガイル王国もなかなか嫌な気配を漂わせる人たちがたくさんいたよ」
眉をひそめたウィルの言葉にぼくも納得をした。
「オーレンハイム卿夫妻は面白い精霊たちをまとわりつかせているし、ご友人たちもなかなか愉快な方々よ。文化的影響力の高い人たちが帝都の精霊たちの気質に影響を与えるでしょうね」
デイジーの話にぼくたちは顔を見合わせた。
「人の不幸を喜ぶような性格の悪い精霊たちに、もっと面白いことが起こる予感を感じさせて、悪さするより楽しいことをしようと、ジュンナに付きまとっている精霊たちが取り込んでしまうのね」
ぼくのスライムがデイジーのお茶のおかわりを注ぎながら言った。
「そうよ。ああ、そうだわ。昨日のあなたの活躍は帝都の精霊たちの度肝を抜いたのよ。スライムが空を飛んで大きなおうちに変形し、その中で子どもたちが美味しいものをたくさん食べて幸せそうに遊び、小さな子どもまで神々に感謝して魔力奉納をしたでしょう。それだけでも興味深いことなのに、感謝を伝えに行った精霊たちは神々の覚えめでたい精霊となり、精霊としての格が上がったのよ。悪巧みを唆しているなんてつまらなく感じるでしょうね」
上唇にすし飯を一粒つけたデイジーが楽しそうに笑った。
「ジュンナさんが連れて行った精霊たちの話を聞きたがる精霊はたくさんいるでしょうね。ガンガイル王国の精霊たちは、ここぞとばかりに愉快な話をするでしょう。魔獣カード大会の演出は素晴らしかったんですってね。王都の演劇の演出なんてスポットライトで役者を照らす程度よ」
「演劇の演出を精霊たちの気分次第で光ったり光らなかったりしたら、舞台監督は頭が痛いと思うよ」
「あら、役者がいい演技をしたときだけエンディングに光ったら、それは役者にも舞台監督にも名誉なことじゃないかしら」
デイジーとウィルの会話を聞きながら、今日のお婆たちの観劇で、そんなことが起こるのだろうか、とシロと兄貴を見ると、頷きながら首を横に振った。
可能性のある未来が無数にあって、なんとも言えない状態なのだろう。
「帝都の精霊たちはこれから変わっていくわ。いい方に行くとは言い切れないけれど、元々が酷すぎたからマシになる程度かもしれないわ」
「魔法学校入学前に貴族街に変化があると正直ありがたいよ」
「ガンガイル王国を馬鹿にする空気が変わるといいな」
ウィルとボリスが新学期の期待と不安を口にした。
「ああ……思い出した。そのために今日はここまで出向いたのよね」
お稲荷さんを食べに来ただけじゃないわ、とデイジーが話題を変えた。
「今年留学の女の子たちが到着してから、この村のオムライス祭りをするでしょう?当初は司祭の派遣も難しいとか言っていたのに、教会の総本山から司祭が派遣されそうなのよ」
シロは教会の総本山に行ったことがないから太陽柱の画像から見つけられなかったようだが、デイジーの妖精には見えたらしい。
「教会内の誰が組織にかかわっているかわからないけれど、子どもたちの『出荷』が止まってから、しゃしゃり出てくる人物は怪しすぎるわよね」
デイジーの言葉にぼくたちは頷いた。
「だからね、予定日よりも早く、女の子たちが到着した日に聖女マチルダに頼んで抜き打ちでオムライス祭りをしてしまったらどうかしら?」
デイジーは教会内がどうやって浄化されたかを総本山の奴らには知らせたくない、と鼻息を荒くして言った。




