今そこにある差別
飛竜の里の司祭が過ごした部屋は二階と三階だった。
王族らしく一番奥で、風呂とトイレは専用だった。
これだけ隔離されていたら平民出身者の暮らしぶりが記憶にないのも仕方がないだろう。
角部屋と言うだけで部屋の広さは変わらず、貴族間に身分の差別はないと言っていいのだろうか、専用バスルームがある時点で優遇されているのかな?という微妙な優遇があった。
飛竜の里の司祭は上級魔法学校の最終学年の前に帰国し、最終学歴をガンガイル王国魔法学校としたため、三階の奥の部屋は二年しか住んでいなかった。
夫人がたくさんいる皇帝の子息はたくさんいるはずなのに、現在は空き部屋になっていた。
国のトップが教会にいい人材を派遣していないから中央教会の魔力が足りなかったんだ。
教会関係者が内心で貴族を毛嫌いしているように、宮廷側も教会に入ることを負け組とでも考えている節があるのだろうか?
「寄宿舎生のみなさんが、簡素な暮らしで日々神に祈り、神学を学んでいることがよくわかりました。ありがとうございます」
寮長は腹に一物思うところがあっても顔に出さずに職員に礼を言い、一階の応接室に向かった。
寄宿舎職員の行動はぼくたちの予想以上に早かった。
応接室には初級魔法学校の寄宿舎生全員が集められていた。
デイジーのように急にもよおしたら最寄りのトイレを使用することがあり得るので、貴族の子弟まで列に並んでおり顔色の悪い平民の子どもたちが最後方だった。
この並び順で食事の配膳も受け取っているのなら、平民の子どもたちは食事の量が少なく配膳されているのかもしれない。
うんざりした気分で案内されるままぼくたちは応接室の奥に入った。
デイジーたちはまだ来ていない。
見るからに不平等な並び順にデイジーが激怒することがわかりきった状況なので、何とかしなければと考えていたら、目が笑っていない笑顔の寮長がいつもより低い声で拡声魔法を使った。
「奥に並んで廊下にはみ出ている子も中に入りなさい!手前の子は詰めて、全員室内に入りなさい!」
すし詰め状態になった応接室に満足したような笑みを浮かべた寮長とジェイ叔父さんは、ぼくとウィルを見て頷いた。
六人部屋での打ち合わせを無視してやっちまえ、ということだろう。
症状の傾向は先に治療した五人が同じような状態だったので、まとめて一気に治癒させてよし、というサインと判断したぼくが魔法の杖を手に取ると、寮長とジェイ叔父さんとウィルが頷いた。
誰が魔法を発動したかを誤魔化すためにウィルが顔の正面で両手を広げて三角を作った。
ぼくは魔法の杖でその三角の中心部分を叩いていかにも二人の魔力を組み合わせて魔法を発動させたかのように見せた。
この演出を気に入った精霊たちが、ウィルの指で作った三角から応接室に溢れ出した。
応接室中に溢れた精霊たちは症状の重い子どものところに集まり、祝福を与えるかのように煌めいた。
驚くべきことは当初列の先頭付近にいた貴族の子弟と思しき少年少女の数人にも精霊たちが集まって煌めいていたのだ。
しまった!集団で一気に癒しをかけたから原因究明ができない!
ぼくがそう思った時にウィルが指で作った三角を裏返し、下向きの三角を作った。
ぼくは反射的にその下向き三角の真ん中に魔法の杖を振ると、精霊たちが紙テープを飛ばすように軌道を描きながら貴族の子弟と思しき寄宿舎生と平民出身者らしき少年少女に癒しの道筋を示した。
「呪詛追跡魔法……」
「姫たちの到着を待たずに男子だけで広域な癒しの魔法を使うなんて、この、早*野郎ども!」
ウィルが自分の魔法陣の種明かしを呟いていたのに、応接室に飛び込んできたデイジーは美幼女が発してはいけない衝撃的な言葉を吐いた。
「ブフォッ。*漏野郎!」
唐突なデイジーの下ネタに寮長は堪らずに噴出した。
第二次性徴前のぼくは何も知らないふりをするため、表情筋を硬直させた。
精霊たちの一部がデイジーの下ネタに喜んでいるのかクリスマスイルミネーションのように点滅した。
点滅させなかった下ネタ嫌いの精霊たちの数は半々といった所かな。
「……苦しみからできるだけ早く解放してあげるためには、お姫様たちのご到着を待っている余裕はありませんでした」
むせかえるような笑いから立ち直った寮長の言葉に、それは仕方ありませんね、とデイジーが答えた。
「わかりました。ここは男性陣に譲りましょう。ですが、明日の孤児院慰問では私たち女子が最初に癒しを行ないます!」
唐突に宣言したデイジーに、マリアがこの状況でデイジーの表の顔を取り繕うのは自分だと気付いて青ざめた。
「中級、上級の寄宿舎生がまだ残っているよ」
「あれはほっといて良いわ。ほとんど害がないもの。いちいち気にしていたら卒業生まで探し出すことになるわ」
デイジーの発言に寮長も頷いた。
「ここまで大規模な癒しをかけてもらえるとは考えていませんでした。ありがとうございます」
天啓騒動から正気に戻ったペドロさんが寄宿舎生たちをかき分けて寮長に声をかけた。
精霊たちは役目が終わったとばかりに二回揃って点滅すると消えてしまった。
「教会は精霊たちが集まりやすい場になったようだな」
寮長はぼくとウィルの聖魔法は精霊たちの支援を受けて成功した、という方向に持っていくようだ。
「ここに集まった寄宿舎生一人一人に聞き取り調査をしてください。健康状態とあわせて一日に何回あのトイレや風呂場を使用したか。ああ、食事が足りているかも聞いてください。見るからに栄養不足に見える子がいます」
ジェイ叔父さんはすし詰め状態の応接室から寄宿舎生を出そうとする職員に声をかけた。
「このままでは来ていただいた本来の目的が果たせません」
王家の秘宝で梱包されたオムライス祭りの調理器具を開封するために来たのに、この人口密度では無理だ、とペドロさんは気を揉んでいる。
そもそも室内で巨大フライパンなど出せやしない。
「ここで魔術具を開けるのは無理ですよ。中庭で開封しますよ」
ぼくたちは混雑した応接室を後にした。
後を追ってきたペドロさんが手にしているのはミカン箱ほどの大きさの収納の魔術具で、カッコいいバックルのついた梱包の紐がついている。
アレが王家の秘宝か。
ジェイ叔父さんがペドロさんの手にしている魔術具を観察している間に、ぼくとウィルは中庭をお祭り会場にするためには花壇や植木を移動させた方がいいと寮長に相談した。
「お祭りなんだから屋台もあったらいいわ」
デイジーが口元で両手を握りしめて小首を傾げた可愛いポーズをして寮長におねだりした。
「何の屋台か訊かなくても食べ物の屋台なのはわかる」
「アイスクリームの屋台でも出しましょうか?」
マリアは帝都に来るなり近隣の村の牧場を一つ買い取ったらしく、砂糖の都合がつくのならアイスクリームは量産できる、と言うとデイジーが満面の笑みになった。
「砂糖の都合はつくよ。ぼくたちも飴細工でも用意しようかな?」
砂糖は実家から直接取り寄せれば何とかなる。
オムライスをデイジーに食べつくされないためにも食べ物の種類はたくさんあった方が良いだろう。
「大司祭から許可が出るなら良いだろう」
ぼくたちがポンポンと意見を出すと、収納の魔術具をジェイ叔父さんに横取りされたペドロさんが頭を抱えた。
「開封する前に会場設営をするから、人手を増やしていいかな?」
どうせ大司祭が許可を出しているのだろうと、諦めたペドロさんが頷くと、寮長は鳩の魔術具を馬車で待機しているメンバーに向けて飛ばした。
ボリスとロブとエンリケさんとシンが合流すると、ぼくたちは測量をしながら土魔法を駆使して花壇や植木を建物の際まで寄せて真ん中に大きなスペースを作った。
「調理場と井戸も作っちゃおうか?」
「原状回復の時に埋め戻すの?」
旅を共にしたロブは水がすぐ使える方が良いと井戸掘りを提案すると、一日で埋め戻してしまうのをウィルが残念がった。
「噴水とかにできたらオムライス祭りの記念になりそうだな」
寮長がノリノリになって提案すると、即座に大司祭に手紙を書き鳩の魔術具を飛ばした。
中庭の大改装を遠巻きに眺めていた教会関係者たちは、見る見るうちに調理場や井戸だけでなく椅子やテーブルまでできあがっていくことに呆気に取られていた。
「全員が座れないから入れ替え制にした方が良いのか?」
子ども用のイスとテーブルが少ないことを心配した寮長が訊いた。
「孤児院の子どもたちは魔法の絨毯でお座りして食べたらいいかな。寄宿舎生は学年ごとに入れ代わってもらおうよ」
ぼくの提案に寮長とジェイ叔父さんがいい顔で笑った。
教会内で一番身分の低い孤児たちが特等席に座るのだ。
「子どもたちを元気にするお祭りなんだからそれがいいな」
「中央の何もない部分にイスやテーブルを増やせばいいのではないですか?」
ペドロさんの疑問に中央にぽつんと置かれた収納の魔術具をジェイ叔父さんが指さした。
「アレを開けてみればわかりますよ」
だいたいの会場設営が済んだのでぼくたちは収納の魔術具を開けることにした。
「王族直系の子孫だから開けられるのではなく、指名された王族だから開けれられるのですか?」
ジェイ叔父さんの疑問に寮長は頷いた。
「この魔術具の凄いところは封じた人間が開封者を遠隔で指定できることだ。開封時期も指定できる。本来は後ろ盾の弱い王子が他の王子たちより群を抜いて優れていた、例えば完全な全属性だったりする場合に、王太子選定時期まで王太子の冠を封じておくのに使用されるものだ。暗殺でもされたら永遠に冠は封印されてしまう。現在、冠はハロルド殿下に帰属しているから今回使用可能だったのだ。この大きさのガンガイル鋼鉄はそれだけ価値があるものだ」
王家の秘宝を使用するに値するほどガンガイル王国、いや辺境伯領の鉄鉱石の価値が高いようだ。
寮長が秘宝のバックルに触れると収納の魔術具を縛っていた紐がするするとバックルに収納されていった。
寮長はバックルを拾い上げると上着のポケットに無造作にしまった。
ぼくは寮長の上着の仕掛けが気になったけれど、みんなの視線は収納の魔術具に釘付けだったので箱を開けて巨大フライパンを取り出した。
応接室では壁を壊すことになっただろうと簡単に推測できるフライパンの大きさに、ペドロさんはようやくオムライス祭りの規模の大きさを理解した。




