城壁の外
「カエルの歌が祝詞に近い!?」
ジェイ叔父さんが声を裏返して驚くと、食堂に居合わせた寮生たちは、ゲロゲロケロケロと口々に言っては首を傾げた。
カエルの歌は辺境伯領の学習館では子どもたちが始終歌って踊っている曲だ。
「神事には地方独特のものが多くある。冬が厳しく長いガンガイル王国では春の神事がたくさんあるように、帝都もこの地域独特の神事がかつてあったのに失伝してしまっていたとしたら、少し似てるくらいで精霊たちも喜ぶだろう?」
寮長は正確に推測した。
魔本の要約によると大司祭の祝詞を司祭たちが追いかけて唱え、神官たちが歌い踊る神事だったようだ。
今のところ神官希望ではないぼくは本文を読んで祝詞を知ってしまうと進路選択が狭まってしまうので、魔本の要約で知るしかないのだ。
「そういえば、魔獣カード大会の前夜祭で見た神事でも精霊たちが喜んでいるようでした。神事を特別な場所ですることに意味があるような気がします」
ウィルの言葉に新入生たちが頷いた。
ゲロゲロやケロケロに意味がなさそうだと気付いた寮生たちは、そりゃそうだ、と納得したようだ。
「孤児院の慰問の手紙の返信がまだないから、この推測を少しだけ匂わせて、いい返事を引き出してやろう」
寮長の笑顔がハルトおじさんの企んでいる時の表情に似ている。
「また教会内部に入れるかと思うと、がぜん朝食が美味しく感じますね」
ウィルが生姜焼き定食のキャベツをモリモリ頬張った。
「ああ、お前さんたち新入生は王都の魔法学校の制服では目立ちすぎる。私服に祠巡りのローブを着用しないと外出は認められないぞ」
完全外出禁止にならなかったことに、新入生たちは胸をなでおろした。
今日はばあちゃんの家の子どもたちと魔力奉納をした後、ボリスたちの試験農場に行く予定でお弁当を注文していた……。
「おお、予備のお弁当をデイジー姫にあげるつもりだったのに、忘れていた」
中央広場で間違いなく会うだろうと予測してデイジーを懐柔するための予備のお弁当を用意していたのに、カエルの歌騒動ですっかり忘れていた。
「ああ、それだったら、農場でいつも働いている人たちに差し入れしてもいいよ。デイジー姫一人分で全員に行き渡る分くらいあるよ」
ああそうだね、と在校生たちが笑った。
村人の人数分あるのかなぁ、居合わせた人の分だけでいいかな、と考えていたんだ。
この時はね。
私服の上に祠巡り用のローブを身にまとい、残り五つの大神の祠巡りをしても、特段市民たちに騒がれることはなかった。
祠巡りのローブはたった二日余りの間に量産されており、ぼくたち以外にもたくさんの人々が着用していた。
その上ぼくとウィルのローブには顔や髪色の認識をあやふやにする魔法陣を仕込んであるのだ。
薄い魔法なので親しい人には効かず、見知らぬ人には印象が残らない魔法陣だから、三人娘や子どもたちにも違和感をもたらすこともなく魔力奉納ができた。
中央広場は早朝礼拝に参加しなかった生徒たちに任せて、ぼくたちは寮に戻った。
帝都外の農場に行くためローブではなく、私服にお揃いの緑色のスカーフをすることで、ガンガイル王国の新入生たちという統一感を出した。
スカーフは、ぼくたちが祠巡りをしている間に商会の人たちが用意していてくれた物で、色の指定はしていなかったが、ぼくのスライムと同じ色になり、ぼくのスライムがたいそう喜んだ。
商会の人たちは魔法の絨毯の色を再現しようとした、ということだから偶然ではなく、ぼくのスライムの色が採用されたことになる。
アリスの馬車とボリスの驢馬クーが引くむき出しの荷台に魔術具を積み込んで、ぼくたちは帝都を出た。
城壁の門ではボリスたちがいつも収穫物をおすそ分けしているから門番に顔を覚えてもらっており、人数の確認と積み荷の魔術具の申請だけですんなりと門を出ることができた。
「お前たちの社交性が恐ろしい……」
ジェイ叔父さんの呟きは帝都を行き来する馬車の騒音にかき消された。
「雑草が生えている……」
ケニーが驚いたように、たった数日しか経過していないのに帝都の城壁を出るとその変化にぼくたちは気付いた。
城壁の外は土埃が上がる砂漠のような土地だったのに、辺りには背丈の低い雑草が点在していた。
「俺からしたら始めて帝都に来た時には、もっとこう木々がそれなりに生えていてこんなに見晴らしが良くなかったんだよな……」
ジェイ叔父さんの呟きにビンスが反応した。
「十年の間の変化の詳細を知りたいな。例年より悪い、という記録だけでは決定的な転機がわからないんだ」
「例年より悪い記録は隠そうとする傾向があるから具体的に悪くなった特段な事件、ガンガイル王国の魔獣暴走のような隠しようのない明らかな事変がない限り、大抵の悪化は前年よりやや悪いと処理されるから厄介なんだ。税収から辿ろうとしても袖の下で税率に手心を加えられていたりすると、後世で検証するのが困難になるんだ」
ガンガイル王国内でも大きな領地を占めているラウンドール公爵子息のウィルの言葉には重みがあった。
「ぼくたちが帝都に着いた時はすでに周辺に低木一つありませんでしたね。それでも農地を借りる交渉の時には新しい神の誕生で緑が増えたと言われていましたから。十年間の間に劇的に魔力が減った時期があるはずです」
マークの言葉にジェイ叔父さんが頷いた。
「祠巡りを流行させて教会を光らせると帝都の城壁の外まで恩恵があったということは、大司祭の人事異動を調べてみるのもいいな」
「貴族の移動も調べた方が良さそうですね。帝都を支える魔力が少なくなった理由は、教会だけではないはずです」
“……目の付け所がなかなか良い。帝都の魔力が失われた要因はあり過ぎて、ひどい有様になったようだ”
ジェイ叔父さんとウィルの考察に魔本がその他の原因を上げていった。
教会内の派閥争いで失脚した大司祭派を排除するための引継ぎなしの人事異動、宮廷内の派閥争いによる毒殺の流行、長引く戦争のために起こった成人男性の減少……。
中でも気になったのが、国境線がころころ変わる状況なのに国を護る結界を張りなおしていない箇所がいくつもある、ということだった。
“……国境線が変わるたびに皇族を派遣して結界を張りなおさなくてはいけないのに、転移の途中で行方不明になったり、勅命が出ても行ったふりをして行っていない、もしくは張りなおしていないようなことを臭わせる怪文書があったりするんだ”
行方不明はともかくとして、勅命を無視するなんて反逆罪じゃないか。
そのまま誤魔化して生活するなんて無理だろう。
“……カイルは苦手だろうからかいつまんで言うと、辛うじて息をしているという状態にされている。そういう状態から察して、勅命を無視したのではなく、勅命を果たせないような状況に追い込まれて失脚させられているんだろう”
身内で足を引っ張り合う状況に宮廷内が陥っているのだろうが、国を護る結界に皇帝自身が毎日魔力奉納をしていたら結界の状況がわかるだろうに……。
「なんだか考え込んでいるね」
ウィルに声をかけられて考えるのを止めた。
「こうも帝国内が荒れているとロクでもないことを考えてしまってね。そもそも毎日国を護る結界に魔力を注いでいる****が国の結界が*******のに気付かないなんてありえない。もしかしたら****は*****いて、****ではないから放置されているのかもしれない、なんてあほなことを考えていたんだ」
アリスの馬車の中は内緒話の結界が機能しているのに、口に出して言うことで何か呪いのように、いや、帝都に集まった精霊たちが勝手に行動しないように、主要な個所の声を消す魔法使って話した。
「あああ、ぼくもなんで****がこんな状況を放置して****に明け暮れているのか、と考えたら****は********で****が****のふりをしているのかと妄想したことはある」
ウィルもぼくの真似をして声を消しながら同じような推測をした。
「公式行事に*******はご出席されているから、****で*****いることはなさそうだよ」
マークが声を消して話しているのに理解して会話についてきた。
「なんだか連想ゲームのような面白そうなことをしているが、*******に会いたければ上級魔法学校を首席で卒業したら卒業式前の前夜祭のパーティーで近い席に座れるぞ」
なんだかんだ言いつつもジェイ叔父さんもこのノリについてきたが、上級魔法学校の卒業式前には帰国する、と全員に突っ込まれた。
そうこうしているうちに試験農場のある村に到着した。
「遅かったじゃない!」
妖精に転移させてもらったであろうデイジーが、シン、ユン、ポーの三人を引きつれて、先回りしていた。
どうやらボリスたちの友だちだと言って試験農場に入れてもらったらしい。
試験農場に来るガンガイル王国の魔法学校生の名前と特徴を全員分すらすら言ったので、村民たちも信じたようだ。
詳しいことを聞きたいから魔法の杖を一振りした。
「どうやってここまで来た言い訳をしたのですか?」
馬車がない状況を見たウィルが尋ねた。
「乗合馬車の時間帯に合わせて転移したのよ。馬車の御者と乗客の記憶をあやふやにしておいたから問題ないわ」
「小国とはいえ一国のお姫様が乗合馬車ですか!」
ぼくたちがデイジーの設定に驚くと、デイジーと三人組が笑った。
「ガンガイル王国の留学生の方が突拍子もないことをしでかしているから、この程度のことではそう驚かれませんよ」
魔法の絨毯で中央広場を飛行するより、乗合馬車に乗る方がどう考えても常識的行動だ。
「お昼ご飯はもう食べたのかしら?私はまだだから、お弁当を持参しているのよ♡一緒に食べましょう」
勝手知ったるかのように事務所に入っていこうとする様子や、三人組の嘘つけ、というようなあきれ顔からしても、デイジーは試験農場に着いてからすでにお弁当を食べているに違いない。
「お弁当を渡し忘れたのは精霊たちがノリノリになって市民を扇動したからだよな。デイジー姫は妖精使い……。中央広場にいた精霊たちは予備のお弁当をデイジー姫の昼食にするために市民を煽っていたのかと勘繰りたくなるな」
苦笑しながら言ったジェイ叔父さんの言葉に、ぼくたちもあながち間違っていないかもしれないと頷いた。




