薄明の帝都
「基本的に精霊が従うのは神々の声だけです。自我を持っても他愛の精神を理解していないものです。より経験を積み神々の御心に添えるようになると中級、上級精霊へと進化します。そこら辺の精霊だった頃の私の一部の性格が悪かったとしても、それは精霊だからとしか言いようがないのです」
精霊の常識を知らないぼくたちはシロの説明に頷くことしかできなかった。
「光の粒の精霊たちは自分の心の赴くままに行動するということなんだね」
我儘な精霊たちとは言わず、綺麗な言葉でウィルが言った。
「ええ、そうです。教会に吸収された精霊は、いつの日にか教会が自我を持つために、その身を吸収させたのでしょう」
「教会の建物に吸収される?教会が自我を持つ?」
ジェイ叔父さんは首を傾げるし、ウィルとボリスはキョトンとした顔をしている。
あれ?
魔術具が自我を持つなんてことに凄く心当たりある。
「世間でいうところの魔剣や魔鏡と呼ばれる人間と会話できる魔術具は、優秀な魔術具に精霊たちが取り込まれて自我を形成したものです。伝承の中でなぜ魔剣がそこでそんなことをしでかす、というくだりがあるのは、成長していない精霊たちの集合体だからなのです」
“……私にだって青い時代はあった。焚書の時代を乗り越える中でした愚かな行為を反省して今の私がいる”
魔本の過ちを追求する気はないけれど、厳重な管理の書庫に収納されるようなやらかしをしたのだろう。
「古来より継承されている伝説の魔術具を、ここぞという場面で見たことがあるけれど精霊たちに気に入られなければ自我を獲得することはないんだね」
ウィルが廃鉱の浄化のときに王家から提供された教務用冷蔵庫のような魔術具を思い出して言うと、ボリスが残念そうに首を横に振った。
「あれも中央教会と同じように古の魔法陣に新しい魔法陣を重ね掛けしていたけれど、稼働させるには危険すぎて長年放置されていたじゃないか。街や国を護る機能を果たしていた教会と比較対象にもならないよ」
ウィルとボリスの話について行けないジェイ叔父さんに、廃鉱での実習の一件をまとめた情報を精霊言語で兄貴がジェイ叔父さんに送り付けると、王家は何をやっているんだ、と叔父さんは頭を抱えた。
「古い魔術具が大切に保管されていても精霊たちの心をくすぐりません。未来にそれが大活躍する見込みがあるなら、気に入る精霊もいるでしょうが、あの魔術具は負けるために賭けるような代物です」
魔本もぼくが来るまでずっと待ったというようなことを言っていた。
ということは、一部の精霊たちは太陽柱の情報の中から数百年以上先の未来を見据えて、世界が動き出す鍵になるような魔術具に吸収されて、時代が動き出すのを待っているのだろう。
「ううんと、俺はそんなに頭がよくないから重ねて質問するけれど、使用者の命の保証がないような伝説の王家の秘宝は、将来確約する機会があまりに少なすぎて吸収されるような精霊は居なかったけど、後世で何故か引っ張り出されて活躍したということかな?」
ボリスが頭を抱えながら言うと、活躍するまでの間に死人が出過ぎる魔術具でしたからね、とシロが身も蓋もない言い方をした。
「精霊たちは定まっていない、あまたある未来の中から自分が希望を見出した未来に賭けます。欠点の多い魔術具に未来を見出す精霊たちはいないから、意思を獲得できるほどの精霊たちを集めることができません」
古い魔術具だからといって魔術具が意思を持つことはない。
中央教会の未来に希望を見出した精霊が中央教会に吸収されたということだろう。
「精霊が興味を持つような未来に確変をもたらす魔術具に自我が芽生えるということだね」
ぼくの発言に、教会の建物自体が意思を持つことに真っ先に気付いたジェイ叔父さんが、唸った。
「教会の建物が参拝者を、いや、教会職員を選ぶようになるということか!」
意志を持つ建物なんて、お化け屋敷か?と想像したぼくとは違い、大司祭を教会の建物が拒否できるようになる、と叔父さんは危惧した。
「あり得ない未来ではないですね。中央教会が魔力不足に陥っていたのを嘆いていた精霊が転機を目の当たりにして、教会になることを選んだのですから」
シロは上を向いてから深く息を吐いた。
「世界は混沌としていて、無数にある未来がどうなるのかは精霊の自分にもわかりません。ただ、この世界の終末の可能性を目にした精霊たちが極端な行動に出ています。近年、いえ、時間の感覚が人間と違うのでしたね、精霊たちにとっては近しい時間帯で世界はゆっくりとおかしくなっています。魔力が極端に少なくなっているのです」
シロの告白はぼくたちが実感していることだったのですんなりと理解できた。
「これ以上魔力が喪失する世界が続けば、創造神は世界を作り直されるでしょう。でも精霊たちは世界が再創造されない未来も見えている。それゆえに短絡的な行動をしているように見えてしまうのです。教会の自我が芽生えるまでの時間は人間にとってはとても長い時間かかりますが、キュアならあの教会が自我を獲得するまで生きていられるでしょうね」
「俺たちが生きている間に起こる出来事じゃないことを心配しても仕方ないな」
遠い目をしたジェイ叔父さんが言った。
「ないとは言い切れないので、その時はその時です」
新しい神だって急に誕生したんだ、教会が自我を獲得することだってあるだろう。
「話が済んだなら、この魔法陣の記録を魔術具に移さないと、あたいが細部を忘れちゃうよ」
ぼくのスライムが催促したので、記録用の魔術具を取り出した。
精霊言語で情報を移すことができるので、即座に保存できたが、魔本が紙に描けと強く主張した。
ぼくは日中開発した紙とインクをテーブルの上に広げ、魔法の杖を一振りして礼拝所の展開図を描いた。
おおお、と驚くみんなに、ぼくのスライムが不敵に笑った。
「いくわよ!それ!!」
ぼくのスライムがぼくの真似をして触手を魔法の杖に見立てて一振りすると、インクが紙の上に広がって魔法陣を描き出した。
「これは便利だね。」
ジェイ叔父さんがインクを手に取り、描きあがった魔法陣と交互に矯めつ眇めつ眺めた。
「ちょっと歪んでいるから、この魔法陣に魔力を流さない方が良いね。封じの魔法陣を書き足した方が良い」
ジェイ叔父さんの言葉にぼくとぼくのスライムが頷いた。
コピーが歪むのは当然だ。
「この方法は魔法陣の解読用でしかないのか」
「ここまで再現できる便利さの方が勝るよ」
残念そうにウィルが言うと、ボリスは魔法陣の細部まで記録できる便利さを主張した。
「自分で描いた魔法陣じゃないから歪みが出たんだろう。現場で魔法陣に書き足す時は便利なのには違いないよ。ただ、これは脳内で完璧な魔法陣を思い描けなければ使えない、特殊なものだな」
ジェイ叔父さんが精霊言語を駆使するための本質を掴んだ発言をすると、難しそうだ、とウィルとボリスが頷いた。
“……人よりたくさん精霊言語を受け取ったから、ジェイ叔父さんは精霊言語の性質を理解しかかっているんだろうね”
兄貴の感想にぼくと魔獣たちが笑った。
何々、と絡んでくるウィルに、結局はスライムが優秀だということだよ、と言うとスライムたちが喜んだ。
教会の魔法陣の記録を整理して、ぼくたちは寮の自室に戻った。
翌朝の寮内は夜空が白みだす前からバタバタと大騒ぎだった。
慌ただしく中庭の神々の像に魔力奉納をしたり、中央広場での朝食会用の荷物を収納の魔術具に入れて馬車に積み込むのを手伝ったりと、寮の全員が忙しく働いた。
騎士コースの生徒たちが魔力探査を駆使して、通りに瘴気が湧いていないか確認した後、薄明の空が朝霧を照らす中、十数台の馬車が寮を出発し、体力に自信のある寮生たちが馬車の両側を走った。
中央広場に到着しても日の出にはまだ時間があったので、朝食会の会場を設営した。
ぼくたちは順番に光と闇の神の祠に魔力奉納をした後、中央教会の正門に移動した。
正門は鉄柵の門に閉ざされていたが、柵の内側の端に沿って祭壇が設けられていた。
ぼくたちは柵の隙間から、ひっくり返さないように気をつけて全種類のお弁当と今朝採れたオレンジを奉納した。
全員が祭壇に魔力奉納ができるよう作戦を立てた。
横並びにぎゅうぎゅうになると後ろの人と交代するのに手間取るので、少し間隔を開けて並び、先に魔力奉納をする人は圧縮した魔力を祭壇に叩きつけるように奉納し、急いで後方に下がることにした。
商会の人たちが手配した冒険者たちも合流し段取りを説明していると、見回りの憲兵がやって来た。
「何を始めるんだ!」
「早朝礼拝が始まると教会が光り輝くと聞いたので、ご利益にあやかりに来ました。大司祭に相談したところ、せっかくだから一緒に祈ると良い、ということになりまして、こうして祭壇を用意していただきました」
寮長がそう説明していると日の出の時刻になったので、ぼくたちは打ち合わせ通りに祭壇の前に並び跪いた。
教会の鐘が鳴る直前に祭壇に触れ、勢いよく魔力を奉納すると教会の建物の下の方が微かに光った。
日の出を告げる教会の鐘が鳴る中、ぼくたちは訓練された騎士たちのように手際よく祭壇に触れる人たちを交代して魔力奉納を続けた。
教会がゆっくりと輝きを増すと、姿を現した精霊たちはぼくたちの魔力奉納リレーを面白がるようについて回り、目撃した憲兵たちや冒険者たちを口をポカンと開けて見とれさせた。
呆けた顔をしている冒険者たちの肩を叩いて魔力奉納をするように促すと、最後の魔力奉納の列に間に合い、鐘の音が止む直前に予定していた全員の魔力奉納を終わらせることができた。
奉納が終わると教会の光が消え、鉄柵の門がゆっくりと自動で横に動いた。
一連の流れを茫然と見ていた憲兵たちが再び寮長を尋問しようと近づくと、教会の正門の扉が開き大司祭が直々にやって来た。
「本日もたくさんの供物をありがとうございます。皆さんにも神々のご加護があるでしょう」
大司祭が寮長に挨拶を始めると憲兵たちは口籠った。
ぼくたちは大司祭に会釈して、踵を返して中央広場に戻った。
精霊たちは中央広場までついて来た。
朝食会の席で留守番していた一部の商会の人たちが憲兵に質問されていたが、精霊たちを引きつれたぼくたちが戻ると口籠った。
「だから、ご説明した通りでしょう?教会が光り輝くのを見学するのなら、誰もいない早朝礼拝が空いているからここでも見れて一番良かったでしょう?この情報が市民たちに知れ渡ってしまったら、明日からは早朝も混むかもしれないので、ガンガイル王国の寮では今朝は職員たちも見学できるように朝食を中央広場で取ることにしたのですよ。私は祭壇に魔力奉納ができなかったので、夕方も来ますよ」
留守番していた商会の人の言葉に喜ぶように精霊たちが光った。
「おや、留守番をしていた私たちにも精霊神のご加護が頂けそうですね」
尋問していた憲兵が困惑した顔で精霊たちを眺めていた。




