鍵騒動
大司祭は闇の神の位置にいた寮長のところまでやってきて、礼拝への参加の謝礼を述べた。
寮長がポイントの増加率の解析が済んだら報告する、と大司祭に約束して退出しようとした時、バタバタと走って職員が飛び込んできた。
「司祭様!司祭様!ど、どどどうして教会が光ったのですか!市民や憲兵が正面玄関にたくさん来ていて、どうしようもなくなり門番が扉を閉めて押さえておりますが、押し破られそうな勢いです。鍵をかけてください!」
飛び込んできた職員は日没の閉門直前に訳のわからないことを言う市民や憲兵たちに閉門時間だから、と押し返したけれど、後から後から来る人が扉を押すのでもう施錠をしたいと申し出ていた。
「もしもし。大神官様。つかぬことをお伺いしますが、教会で施錠を意味する言葉は何でしょうか?」
「シユウ」
寮長の問いに大司祭が答えるとバタンバタンと、扉も雨戸も一斉に閉まり礼拝所が真っ暗になった。
スライムたちが主人の頭の上に飛び乗り体を光らせると、おおーと参拝者たちの低い声が響いた。
「ああ、なんてこった。その呪文は教会内の全ての扉と窓を閉める呪文ではないですか。今トイレに入っている人がいたならトイレに閉じ込められている状態になっていますよ!」
寮長は例えとしてトイレをあげたけれど礼拝所の全ての扉と窓が施錠された状態になっており、近くにいる人が明けようと試みるもびくともせず、閉じ込められているのはぼくたちも同じだ。
「もっと場所を限定して現す言葉があるはずです……」
ぼくは大司祭のメンツを保つために魔法の杖を一振りして内緒話の結界を張った。
兄貴にアシストされたジェイ叔父さんとウィルとロブと魔獣たちが、魔法の杖を取り出すと同時に内緒話の結界の中に滑り込んだ。
「ぼくは今はもう消滅してしまった某王国の王族の末裔です。けっして大司祭様の力量不足を疑っているわけではないのです。この教会で継承されていない重要事項に心当たりはありませんか?我々一族にも失われた伝承があり研究しています。流行り病による一家滅亡、急な人事異動、明文化されない口頭継承事項が不意に途絶えることは、ままあることなのです」
上位貴族にコンプレックスのありそうな大神官に、亡国の王族末裔だとを枕詞をつけることで上位貴族であるはずだったのに、一貴族の自分ということを強調して、大司祭の立場に似ていると同情心を誘うようにして話を聞くよう誘導し、よく意味の分からない呪文があるはずだ、とウィルが訊いた。
「王族として助言すると、古くからある立派な建物はそれ自体が魔術具で、城の場合は呪文ではなく魔法陣が仕掛けられている場所を、資格のある人間が触れる事で施錠や照明の点灯ができるのです。教会ならば呪文だろうと踏んだのですが、何か伝わっていませんか?」
大司祭は首を横に振ったが、心当たりがあったように右眉をあげて斜め上を見た。
「私が引き継ぐ前から、この教会の施錠は手動でした。呪文に心当たりはありませんが、呪文の代用は祝詞でできます。少々長いのが欠点ですが、扉を開ける祝詞ならわかります」
祝詞の略語が呪文なら、呪文を知らないのなら祝詞を唱えればいいのか。
「ええ、神に祈る神聖な祝詞を省略することなく唱えることこそ、神を称える行為です」
大司祭の面子をつぶさないように寮長は祭壇の方におおげさに掌を広げて、さっさと扉を開けろ、と促した。
魔法の杖を一振りし内緒話の結界を解除すると、大司祭は祭壇の前に向かい、両手を握りしめて長々と祝詞を唱え始めた。
大司祭の祝詞が始まると、扉や窓を開けようとしていた神官や司祭たちは即座に整列して大司祭と同じように両手を胸の前で握りしめた。
ぼくたちも真似して両手を握りしめ、何を言っているかわからない祝詞を聞き入っているふりをした。
大司祭の祝詞が終わると同時に、ガチャガチャバタンバタン、と扉と窓の施錠が自動的に解除され、大きな扉や雨戸が開いた。
「助けてください。扉が市民たちに破られます!」
正門の方から門番の悲鳴のような声がすると、魔法学校生たちが扉を押さえる応援に駆け出した。
大司祭の横にすり寄った寮長が耳元で囁いた。
「正面玄関だけ施錠できる祝詞を唱えていただけませんか?」
大司祭は再び祭壇に向き合い長々と祝詞を唱え始めた。
まどろっこしいから呪文が開発されたんだろうに、伝承が途絶えてしまったなんて、もったいないな。
こうして正面玄関は憲兵の応援部隊が来る前に施錠することができた。
「教会が光ったとはどういうことでしょうかね」
事態が落ち着いたことで、ようやく市民や憲兵たちが押しかけてきた原因について考えることができた寮長が、大司祭に尋ねた。
「礼拝所が光ったように教会の建物の外装まで光ったのかもしれないが、我々は礼拝しているので確認のしようがない」
インターホンで外にいる憲兵にそう伝えるように、大司祭は職員に指示を出した。
「どのように光ったのか孤児院の職員たちに訊いてみてはいかがでしょう?」
ウィルがそう言うと、神官たちがバタバタと裏口へ続くと思われる扉から出て行った。
一般参拝者が立ち入り禁止の場所があったはずだから、ぼくたちは裏口からは帰れない。
正面玄関の騒ぎが収まるまで出られないのか、と寮長がため息をつくと、大司祭は申し訳なさそうな顔をして、決して軽んじているわけではないのですが、と前置きしてから言った。
「高貴な方々が使用する通路ではないのですが、駐車場に出られる通路があります」
かまいません、と寮長が答えると、今朝、裏口で対応した司祭がぼくたちに平謝りした後、業者が使う通路に案内してくれた。
遠回りになってしまったがなんとか駐車場に出ることができた。
駐車係の人も今朝の無作法を謝罪した。
今朝と夕方で違ったのは教会関係者の態度だけでなく、裏門の柵までが自動で開閉したことだ。
どうやら大司祭は祝詞を使いこなせるようになったようだ。
「継承されていないのなら、サッサと新しい呪文を開発しなければ、大司祭は一日中祝詞を唱え続けなくてはならないだろうな」
ジェイ叔父さんの感想に、礼拝所から出られない大司祭を想像し、アリスの馬車に乗るみんなは堪らず噴き出した。
「結局、今までと同じように職員が開閉するんでしょうね」
「祝詞は神々に感謝して魔法を行使する喜びを語り、それから行使する魔法の内容を唱えるから、省略せずに詠唱するとご加護が増える、と大伯父が言っていたよ。王家から必ず数人、教会に親族を送り込むのは教会内の派閥の人数を確保するためかと考えていたが、それだけではなく、現在の教会の矜持や体制を把握できる利点があったんだな。大伯父も守秘義務に関わる所は教えてくれなかったが、祝詞の重要性を会うたびに語ってくれたんだ」
寮長が昔を懐かしむように感慨深げに言った。
「だったら、大司祭が一日中祝詞を唱え続けていることは良いことじゃないかな?もしかしたら七大神の祠巡りを一日でする方が個人の魔力量が増えるように、声に出して神に感謝する祝詞の方が、簡略化した呪文で魔法を使うより、圧倒的にご加護がありそうだもん」
ぼくがそう言うと、馬車のみんなもそうかもしれない、と唸った。
「大司祭が開門から閉門まで、いや、消灯まで、全てあの長い祝詞を唱えて教会を維持したら、大司祭の魔力量が増えるとすれば、一回の礼拝で奉納する魔力量が増える。中央教会の結界が強化されると帝都の結界にも恩恵がある。いいことずくめじゃないか!」
寮に帰ったら大司祭に励ましの手紙を書く、と寮長が息巻いた。
「呪文より祝詞の方がご加護が得られるなら、上級魔導士は祝詞を使った方がレベルアップもできて一石二鳥なのに、呪文が多いのは祝詞が長すぎて唱えている間に瘴気に冒されてしまうからかな?」
「そうだろうね」
ケニーの疑問にロブがあれは長すぎだ、と答えると、騎士コース履修の面々が魔導師の戦い方に興味を持った。
「魔導師に会うことがそうないから、実戦でどうしているのかは想像でしかないけれど、今日の大司祭の様子を見ていると祝詞は実戦向きではないよね」
「廃鉱の研修で会った上級魔導士は、現場の判断で組み合わせて使っていたような気がするよね」
ボリスがディーを思い出していった。
「一緒に活動していた上級魔術師のランスさんなら本人より詳しく語ってくれるかもしれないから、手紙を書いてみるよ」
魔導士は守秘義務で多くは語れないだろうから、魔導士と仕事を共にした魔術師に訊いてみよう、と話しているうちに馬車は寮に着いた。
食堂では教会が光った話でもちきりだった。
商会の人たちが貸し出した白いローブを回収するため中央広場にいたので目撃したようだ。
「日没を知らせる鐘が鳴ると、広場から北にあたる場所にある中央教会の方から、西日のような黄金色の光が見えたので振り返ると、教会の建物が下から黄金色に輝いていました」
礼拝所で床に手をついて魔力奉納をして光らせたから、建物の下から光っていたのだろうか?
「神々しい光に中央広場は騒然となりました。鐘が止むとちょっとした喪失感を感じました。あの光を浴びるべきだったのに失ってしまった、というような感じです。そんななか、誰かが教会の内部ならまだ光っているかもしれない、と言い出したのです。私たちは見ていただけでしたが、一人二人と教会の方に走り出すと、集団の流れになったのです」
それで憲兵たちも教会の正門に集まってしまったのか。
「ぼくたちは正面玄関が閉ざされてしまったので、教会に出入りする業者さんの通路を通って裏口から出たんですよ」
ウィルがそう言うと、商会の人たちは、私たちが商品を納入する時に使う通路ですね、と笑った。
「外からそんなに目立つんだったら見てみたいよね」
「明日の夕方は中央広場に、もっと人が溢れることが予想されます」
「何かと危なそうだから、明日の門限を早めなくてはいけませんね」
商会の人の指摘に、寮監が眉を寄せて言った。
寮生たちは輝く教会を見てみたかったので残念がったが、入学式の一件もまだ正式に決定していないので、仕方ないかな、とあきらめの雰囲気が漂った。
「寮長!寮監!早朝礼拝に合わせて中央広場へ行くのはどうでしょう。日の出直ぐの中央広場には人はほとんど集まっていません!」
ぼくの言葉に寮長と寮監が満面の笑みになった。
反対されるかと思ったのに、二人とも輝く教会が見たかったようだ。




