ばあちゃんの家
子どもたちが順番に手洗いの後、水を飲んでいる間に、ケニーが外まで出てきて排水溝の設計を始めた。
ぼくたちが喧々諤々やっているうちに、子どもたちはスライムたちに指導され水を飲む手順を完全に理解していた。
子どもたちがぼくたちへの緊張を解くと、美味しい水を持ち帰りたい、と言い出した。
ウィルは土魔法で水瓶を製作したが、水を入れると子どもたちの力では重すぎて動かすことさえできなかった。
ぼくは水飲み専用の蛇口を精霊たちの演出の中取り付けると、水瓶を運ぶ専用カートを作った。
少し浮きあがるスケートボードの技術を使ったので洗礼式前の子どもの力でも運べる。
「水瓶を入れて運んでも壊れないかどうか、確かめなくてはいけないから、ぼくが運んであげるよ」
「お土産もあげるからぼくたちもついて行くよ」
ウィルまでそう言うと、ドルジさんがやっぱり施すんじゃないか、と呟いた。
ぼくたちは収穫した野菜とお弁当のお土産の荷物を持つ班と、万が一のために護衛に回る班に分かれて子どもたちが帰る場所に向かうことにした。
子どもたちと水瓶のカートを交代で押しながら、いつもは何をしているのか話を聞いた。
子どもたちは日中両親が仕事に出かけている間、『ばあちゃんの家』に預けられていた。
多い日は二十人近くばあちゃんの家に置いていかれるので、天気のいい日は大きい子が小さい子を連れて道路で遊んでいるらしい。
ばあちゃんの家では、腰の曲がった震える手で五人のヨチヨチ歩きの赤ん坊の面倒を老婆が一人で見ていた。
三歳児登録を終えた子どもたちは洗礼式前の大きな子どもたちに世話を任せるしか仕方ない状態だった。
保育料をろくにもらっていないばあちゃんは、子どもたちの昼食に水で薄めたような、具も少ない味もほとんどしないスープしか用意できていなかった。
屋台のおっちゃんは『ばあちゃんの家』に着くなり、台所で野菜を水煮してほんの少し顆粒出汁を塩と加えた離乳食を作り出した。
大きい子用にミネストローネの残りを野菜スープでかさ増ししたが、あまりの栄養の足りなさに、芋を植えないと、とケニーと相談していた。
ぼくは、ばあちゃんへの挨拶もそこそこに、回復薬を渡して今すぐ飲むように勧めた。
ばあちゃんはお貴族様の薬なんて、と尻込みしたが、あなたが倒れたら誰がこの子たちの世話をするのですか、と天使の笑顔でウィルが言った。
ぼくたちは子どもたち含めてあみだくじで班分けをすると、水瓶の水を小分けして運ぶ班と掃除をする班に分かれた。
帰ってきた子どもたちが小綺麗になって、急にお手伝いを熱心に始めたので、ばあちゃんの目に涙が浮かんだ。
近所に住んでいた孫の世話を日中引き受けていたら、子どもを預けていく人が増えて自分ではどうにもならない人数が毎日預けられるようになってしまった。
孫たちは学校に通う年齢になって休日しか来なくなったのに、無料託児所として毎朝子どもたちを置いていかれるので、昼食は一人分の食材を薄めて提供していたらしい。
それでも一日に必要な水汲みは、大きな子どもたちが率先してやってくれているからなんとなっていた、とばあちゃんが語った。
とてもマズい薬だけど、万病に効く、と回復薬を飲ませると、味覚が死んでいるからわからない、とばあちゃんは笑って言った。
躊躇うことなく回復薬を飲み干したばあちゃんは、味については何も言わず、体が軽くなった、と涙を流して喜んだ。
「ぼくの祖母が、長らく患っていながら研究に研究を重ねて開発した薬です。高齢の女性の痛みを和らげるために使われるのが本来の使用方法です」
ぼくはお婆の病気を思い出して涙ぐんで、ばあちゃんの手を取って言った。
「元気になったことはぼくたちとの秘密にしましょう。人のいいばあちゃんが元気になったと知れたら、今よりもっと社会奉仕をすることを要求されかねません」
兄貴が強めの口調で言うと、ばあちゃんは無言で頷いた。
「これは近所のよしみです。家で採れたお野菜をお裾分けしますね。子どもたちにはうちの敷地からはみ出して実った野菜をとって食べるのは問題がない、と言ってあります」
屋台のおっちゃんが作ったミネストローネの香りが辺りに漂った。
子どもたちが鼻をひくひくさせたが、全員が座れる食卓テーブルはなかった。
テーブルに座れる子と、床に座って食べる子を、見た目の大きさで振り分けると、お行儀よく食べることができたら、椅子席に格上げすると宣言した。
椅子席に選ばれた子は誇らしげだし、床にお座りになった子も食事の最中に立ち歩きをしたらいつまでも赤ちゃんの席だよ、と言われると大人しく座った。
子どもたちの見た目の年齢に合わせた具のサンドイッチを全員に行き渡るように小さくカットし、年齢に合わせたスープを配り、ばあちゃんの家に預けられた子どもたちの昼食が始まった。
ぼくたちが小さい子の食事の世話をしていると、ばあちゃんは目を細めて気が利くねぇ、と言った。
学習館では三歳児未満はいなかったが、お買い物ごっこや学習発表会で小さい子どもを見慣れていた辺境伯寮生たちは、ちょっとくらいのお世話なんてできて当然です、と胸を張った。
「お前さんたちのできて当然という基準がよくわからない。どっからどう見ても貴族の子弟たちじゃないか。世話するより、世話される方だろうに」
ドルジさんの呟きにジェイ叔父さんも頷いた。
子どもたちはジェイ叔父さんの仮面に、当初こそ直接見ないように目を逸らせていた。
それでも、みぃちゃんとシロがジェイ叔父さんの側で寛ぐようにお腹を見せると、見た目の恐怖よりみぃちゃんとシロをモフモフしたい方が勝り、警戒心はすぐに霧散した。
美味しい食事と可愛い魔獣たちに子どもたちはすっかりご機嫌になり、後片付けまで手伝った子どもたちから順に良いものを見せてあげる、とウィルが提案すると、子どもたちはすっかり張り切った。
早く早く、とせがむ子どもたちに小さい子のお世話が終わってからだと言うと、大きい子たちが積極的にお手伝いしてくれた。
魔法のようにいい子たちになったね、とばあちゃんが言うと照れたように顔を赤くする子もいた。
大きい子たちを魔獣カードで引きつけて、小さい子たちをスライムたちがあやし始めると、ぼくとウィルは、ばあちゃんに自分たちはただの慈善行為で水と食事を提供したのではなく、ここの子どもたちで実証実験をしたい旨を告げた。
「子どもたちの両親たちも対象にした魔力奉納の実証実験かい?ああ、たまげた検証だけど、やってみる価値があるのはわかったよ。まあ、ご丁寧に手紙まで書いてくれたのに……。この子たちの親の中には普通学校さえまともに通えずに文字を読めない人もいる。先に話を持ち掛けるのなら、この子とこの子の親がいいね」
ばあちゃんが話を持ち掛けやすい親御さんを選ぶと、屋台のおっちゃんは魔術具の鳩を飛ばして商会の人に応援を頼んだ。
「子どもたちの親御さんが迎えに来る頃に、詳しい説明ができる大人がやってきます。お婆さんに迷惑が掛からないようにしますよ」
おっちゃんがそう言うと、ばあちゃんはこうして子どもたちを気にかけた人が来てくれるだけで自分がどんなに助かるか、とまた涙ぐんだ。
ばあちゃんの助けになれるほど、ぼくたちも頻繁にここに来れるとは言えない。
辺境伯領の保育園関係の手筈を整えた母さんに後で訊いてみよう。
ぼくたちは手紙をばあちゃんに託し、年長の子どもたちに魔獣カードの基礎デッキを二セット預けてガンガイル王国の敷地に戻った。
スライムたちのお当番はガンガイル王国の敷地と、貸与した魔獣カードの管理のためばあちゃんの家も派遣の範囲に入った。
これで平民の強盗程度ならスライムたちの威圧で何とかなるだろう。
ガンガイル王国寮と魔法学校にもっとも近い土の神の祠の広場では、魔法学校の制服を着た生徒たちもたくさん魔力奉納に来ていた。
ポニーのアリスが牽く馬車から外見では想像つかない人数の生徒たちが降りると、あれは魔術具の馬車か?という囁きがあちこちから聞こえた。
あの制服はガンガイル王国の魔法学校生で、去年も入学手続きの前にあの制服で参拝している子がいた、と言われるとボリスの顔が赤くなった。
ウィルがボリスの肩を叩いた。
「ありがとう先輩。先輩たちの活躍の結果で、こうして魔法学校に一番近い土の神の祠には魔法学校生が多くいるんだろうね」
ウィルの言葉にマークとビンスも顔をほころばせた。
魔力奉納を終えたジェイ叔父さんは無言で右手をぼくに差し出して回復薬を要求した。
ばあちゃんにただであげたけれど、ジェイ叔父さんの分はちゃんとある。
「あんなばあさんに最高級の回復薬をあげてしまうなんて……」
ドルジさんはもったいないという言葉を飲み込んだが、ぼくたちにはドルジさんの言葉をさも聞いたかのように推測できた。
「そんなこと言われたって、貴重な未成年の、それも幼児の被検体を得られるかは、あのお婆さんにかかっているんですよ!」
ビンスがドルジさん言い寄るとドルジさんは苦笑した。
「ああ、お前たちがした施しは全てにおいて意味がある。言いたくないけれど、俺の心の深いところに砂袋でこすられるような小さな痕を残すんだ」
ジェイ叔父さんがドルジさんの肩を叩いた。
「長生きした分、目にしたことは多いのに、見なかったことにしていたことも同じくらいある。俺は自分のことで精一杯すぎて、当時の帝都をよく見ていなかった。ドルジさんは職務上見えていても気にしてはいけない立場だった。子どもたちは何も知らないからこそ切り込んでいける。大人の責任はこの子どもたちを守ることだよ」
中央広場に向かう馬車に乗り込む前に空を見上げたドルジさんが、俺にも志があったんだ、と呟いた。
気配を消してドルジさんに近づいた兄貴がそっと、今はその時じゃない、と囁いた。
太陽柱を見た兄貴のドルジさんへの警告は気になるが、無限にある未来の最悪を回避する行動なら、まだ訊かない方がいいのだろう。
帝都の中心地の光と闇の神の祠がある中央広場は賑やかだった。
広場の北側に大きな教会があり、教会の奥には、皇帝陛下の住まいと帝国の政治の中枢である宮殿に続く道があり、衛兵たちが等間隔に並んで警備をしていた。
中央広場の周辺と言えば商店街が広がり……というのはガンガイル王国の常識だったようで、帝都の中央広場の周辺は中央教会と各種ギルドの建物が取り囲んでいて商店街はその奥だった。
貴族らしいフリルのついた服装や手の込んだ刺繍の入った裕福な商人や衛兵しかいない中央広場に、ぼくたちは違和感を覚えて立ちすくんだ。
「十年前はもっと多国籍な衣装を見ることができる場所だったんだけどな……」
ドルジさんがジェイ叔父さんの上着の裾を引っ張って、口を閉じるよう警告を出した。
「繁栄を極める帝都の基準に沿った服装になっただけですよ。相応しくない装いのものは衛兵たちがきちんと警告を出しているから、この秩序が保たれているのですよ」
ドルジさんの言葉に帝国に入国してからそこはかとなく感じていた違和感の正体がわかった。
ご当地の料理は残っていたけれど、ご当地の衣装が何もなかった。特徴のある柄の布もなければ、見たことのない意匠の服もなかった。
女性たちの化粧もこれといって特徴はなく、化粧の文化がないのかとさえ思っていた。
併合した他民族の文化は野蛮なものとして消えさってしまったのだろうか?
光と闇の神の祠に魔力奉納を終えた後も、ぼくの心は霞がかかったかのようにモヤモヤとしていた。
 




