再会の味
ぼくたちは、朝食は寮で食べるからと戻ったが、仮面のおじさんたちはうちで朝食を食べていく気のようで、三つ子たちと一緒に笑顔で手を振って見送ってくれた。
厚かましい近所のおじさんのように振舞う上位貴族たちにジェイ叔父さんが苦笑した。
寮の部屋に戻ると丁度ウィルが扉をノックしていた。
どうぞ、と答えるとウィルとボリスが部屋に入ってきた。
「市電で領都を一周しただけだったけれど楽しかったよ」
ジェイ叔父さんが訊かれる前に感想を述べた。
市電ツアーのメンバーを語ると、さすがのウィルも苦笑した。
「お土産があるんだ」
ぼくがハルトおじさんから預かった木箱を収納ポーチから取り出すと、チョコレートの香りに二人が鼻をひくひくさせた。
「香りもいいけど、味もいいのよ」
「あたしも味見は二粒しか食べていないよ」
ぼくのスライムとキュアは貴重なものだから食べ過ぎていない、と強調した。
箱を開けると二種類、四個しか残っていないチョコレートを見て、二人だけで様子を見に来てよかった、と喜んだ。
ミルクチョコレートを口にした二人は口の中のチョコレートが解け消えるまで黙ってその味を堪能した。
「「これは反則級に美味しすぎる!」」
「貴重な材料で作るから寮生たちが試験に合格した時のご褒美にしようかと検討中なんだ」
これがご褒美?とウィルが両眼を見開き、ボリスが爆笑した。
「こんな凄いご褒美があるなら、みんな人が変わったように勉強するね。王都の辺境伯寮にカイルが来た時より熱心に勉強すること間違いなしだよ!」
「辺境伯寮生たちが優秀だったのはご褒美があったからなのかい?」
ジェイ叔父さんが尋ねると、ボリスが照れたように笑った。
「みんなが一発で合格するのに、自分だけ落ちたらカッコ悪いから必死だっただけだよ。面倒見の良い寮生たちが教えてくれたりしたから、頑張れたんだよね」
その雰囲気がこの寮でも引き継がれたら良いな、と言いながら、ウィルとボリスはビターチョコレートを口に入れた。
口の中でゆっくりと溶かしながら味わって食べた二人は、大人の味だ、甘い方が好きだ、と言った。
「特別なご褒美っていう言葉の響きがいいよね。もうみんなに話して良いの?」
「チョコレートの在庫は留学生たちに優先してくれるうえ、費用も仮面のおじさんたちが出してくれるから特別なご褒美がチョコレートだと言わなければ話しても問題ないよ」
王都の貴婦人たちが自分だけは特別に、と無理を言ってくる場合を考えるとカカオの在庫が心配だ、とぼくがこぼすと、あり得るね、とボリスたちも頷いた。
ぼくたちは食堂に行く前に寮内の七大神の像に魔力奉納に行くと、すでに先客がいて、おはよう、と声をかけられた。
辺境伯領出身者が多いが残りはラウンドール公爵領出身者らしくウィルを見るなり姿勢を正した。
「十年の歳月を実感するよ」
三大公爵家のご子息にこんなに寮生たちが気さくに声をかけるんだ、と小声でジェイ叔父さんが言った。
ぼくたちはこれでもまだウィルにみんなが打ち解けていないと感じるのに、ジェイ叔父さんには衝撃的な距離の近さを感じたようだ。
覚醒前のハロハロと一つ屋根の下で暮らすのは嫌だな。
ぼくの表情から察したジェイ叔父さんは、首を横に振った。
「殿下は貴族街の屋敷に滞在されていたよ。側近たちが寮内で幅を利かせて、下級貴族を召使のように扱っていたから、俺はなるべく気付かれないように必死に隠れていたなぁ。」
「ぼくがこの寮に来た時には三大公爵家の派閥が瓦解していたので、そこまで露骨に上位貴族の身分を振りかざす人はいませんでしたよ」
ボリスがそう言うと、ウィルが頷いた。
「寮長は王位継承権を放棄した旧王族だから、身分を振りかざして偉そうにできなくなったんだ。兄上が留学している間に父上が寮の人事に介入したんだ」
「そう言えばウィルのお兄さんはどうしたの?」
「次兄はぼくたちと入れ替わるように帰国したよ。あの人は逃げ足だけは早いから転移の魔法陣の使用許可を取り付けて一昨日帰国したらしいよ」
ウィルの部屋には荷物も残っていたようで、ブツブツ文句を言った。
「うちの次兄は女の子たちの海路の移動の護衛に出発したよ。蝗害の被災地を迂回するから早めに出発したらしいよ」
「蝗害はもう収束したようだから、ひとまず安心だね」
「え!!終息したの!……緊急食糧支援にハロルド王太子がお出ましになり、飛蝗の駆除にも参加されたの!!」
ボリスの兄が現地に行っているのなら秘密にするほどでもないから、魔力奉納の合間にハロハロのヤンチャを暴露した。
食堂では香辛料の入手がたやすいせいか、食堂内はスパイスの香りが漂い、羊やヤギが一番安価で牛や豚肉料理の価格が高かった。
伝統料理の復活に力を入れている影響で入手しやすいのかな?
ジェイ叔父さんは端からメニューを読んで、食べているかもしれないけれど名前を知らない、と嘆いた。
「お刺身定食があるのはカイルたちが食材を届けてくれたからだ♡」
ボリスたち辺境伯領出身者たちが満面の笑顔になっている。
昨夜お寿司で生魚の美味しさを知ったジェイ叔父さんは、お刺身定食を選んだ。
ぼくは香辛料の香りに誘われてガパオライスを選択すると、厨房から舌打ちが聞こえた。
なんだか選択を間違えたようだ。
“……あたいが食べるから、もう一品選びなよ”
ぼくのスライムが精霊言語でそう言うと、ガパオライスの食券を兄貴が無言で掴んだ。
……厨房の方から期待を込めた思念があるような気がする。
ぼくは真剣にメニューを眺めた。
『本日限定、特製朝ラーメン』
本日限定、という文字に引っ掛かり、朝から醤油ラーメンの食券を買った。
朝食はご飯派のぼくが麺を選んだことに、ウィルが怪訝そうに左眉毛をグッと上げた。
この選択は間違いないはずだ。
引き籠っていたジェイ叔父さんには見たことのない麺料理は食べ方がわからないから提供されなかったはずだ。
蕎麦でも饂飩でもいいが、ラーメンにしろという強い思念を受け取ったのだ。
食券をカウンターに出すと、ジェイ叔父さんは周囲の会話に耳をそばだててニコニコしている。
実験農場に手伝いに行った生徒は小鉢が一品増えるようで、今日の小鉢の内容を訊いてつけるかどうか決めている子も居る。
先に来ていたマークとビンスが席を取っておいてくれたので、ぼくたちは相席をした。
二人は天婦羅蕎麦に稲荷寿司で、初見のジェイ叔父さんは二人にしきりと味の感想を聞いた。
「食堂に来たら毎日自分で選べるんだよね。お昼はどうしているの?」
「時間があれば寮まで帰ってきますが、大抵の人は前日にお弁当を注文しています」
「ぼくも昼のお弁当はもう注文しました」
二人は競技会用の魔術具の制作を寮の研究室でする予定で、昼に食堂まで戻ってくる手間を省くためお弁当を注文したようだ。
引き籠っていたジェイ叔父さんの食事のようにお昼になったら研究所まで運んでくれるらしい。
「同じ建物に居たのに初対面だね」
「ぼくたちの研究室にもぜひ足を運んでください。ジェイさんの意見が聞きたいです」
そんな話をしている間にぼくたちの番号が呼ばれた。
お刺身定食はマグロと茹で蛸とエビの刺身に青菜の胡麻和えと大根とひじきの煮つけの小鉢に卵焼きとご飯とお味噌汁が付いていた。
「どの順番から食べたら良いの?」
「好みの順番でいいですよ。でも、あいだにご飯と味噌汁を挟むのが定番の食べ方かな」
ウィルは味噌汁から先に食べて、味噌が美味しい!と笑顔になった。
醬油ラーメンを頼んだぼくは味噌が良かったか、と一瞬だけ後悔した。
真っ黒な醤油ラーメンのスープを一口飲むなり、鳥と魚介の出汁の旨味はもちろんだけど醤油の美味さに感動した。
「醤油が美味しい!」
ぼくとウィルはお椀とどんぶりを交換して味見しあった。
ガンガイル王国で流通している味噌と醤油ではないが、香りも味も遜色ない美味しいものだった。
「帝国でも味噌と醤油の醸造を始めたんだね」
「ああ、そうなんだよ。それまでは味噌と醤油は貴重品で、ぼくたちが去年寮に到着した時は味噌と醤油とお米の在庫が切れていたから、歓迎されたのは持ち込んだ食材の方だったよ」
ボリスの話を聞きながら、ぼくは麺を啜った。
あっさりした出汁に合わせた硬めの細縮れ麵は相性が良く、刻み玉葱のアクセントが食欲をそそった。
薄切りの肩肉のチャーシューもこのスープに合っている。
メンマの味付けの特徴が懐かしい屋台の味に似ている。
ジェイ叔父さんもラーメンを食べたいというので、味噌汁を先に飲み干してもらい、空になったお椀に取り分けた。
お刺身定食のマグロを交換してもらって食べると、メイ伯母さんからの仕入れだったから鮮度も抜群だった。
夢中になってラーメンスープの最後の一滴まで飲み干すと、厨房から懐かしい人物が現れた。
「カイルの帝都で食わせる最初のラーメンは俺が作りたかったんだ」
「やっぱりおっちゃんのラーメンだったんだ!」
ぼくは目尻に涙を浮かべておっちゃんとの再会を喜んだ。
「帝都でも味噌と醤油を食べたい、という要望を受けてラインハルト様の出資で工房を立ち上げたんだ。消費するのはガンガイル王国の出身者たちだけだから、量より質を追求して良いものができたんだ。帝都の原点回帰主義の流行りやらで、地方の香辛料や雑穀や豆類の価格が下がっているから、この食堂も恩恵を受けているが、安心できる食材はガンガイル王国からの直送品だな」
カビた食品でさえ表面上の体裁を整えて流通させている商会もあるから、帝都では外食も買い食いもするなよ、と釘を刺された。
おいおい。毒の混入がどうこうの以前に食の安全を確立しようよ。
ハンスの村の惨状を思い出してぼくたちはうんざりした顔になった。
「飯が不味くなるような話題にして悪かった」
「いいえ、ぼくたちの旅路にかなり状態の悪い穀物しか領民に残らない地域があって穀物を浄化させるお祭りをしたんです」
「そりゃあすげえな。……今日の予定はそうなっているんだ。時間があったら一緒に下町に行こう。俺はあの惨状に我慢ならないんだ」
魔法学校への手続きは寮長に任せて、ぼくたちは今日の帝都の祠巡りを午前中にするつもりだ、と告げるとおっちゃんも一緒に行くことになった。
「帝都の治安の悪い地域も通過するから身分を保証する魔法学校の制服で行くのが好ましいんだけど、入学式前なら身分詐称になりかねないよ」
マークが心配して言うと、ウィルが貴公子の笑みを浮かべて言った。
「新入生はガンガイル王国の魔法学校の制服で行こう。途中どんな施しをしたとしても、それはガンガイル王国の留学生たちの慈悲だ。ぼくたちが帝都で最初に交流する人々が神々に魔力を捧げる途中で出会った市井の人々なのは当然のことだろう?」
貴族階級のお茶会やサロンに顔を出す事より、神々に感謝することを最優先することは魔法を学ぶ魔法学校生として至極当然のことだ、とウィルが声高に言い切った。
誰とお茶会をするか、どこのサロンに出入りするかが重要視される魔法学校の社交を無視することになるが、帝都で真っ先にすることが祠巡りなのはぼくたちらしい選択だ。
「ぼくたちも午前中は祠巡りを先にすることにするよ。馬車を手配するね」
マークが席を立って寮監室に向かった。
治安の問題で馬車から降りられない場所があるらしい。




