仮面の男
たらふくご馳走を食べ歓談をしても、夕の刻にはみんなを送り届けた。
またね、と言うだけで本当にまたすぐ会えると信じているから家族たちは笑顔で手を振って別れた。
「王都から辺境伯領領都や王都から港町まで高速馬車の定期便が出ているから、その気になれば誰でもふらっと遊びに来れるんだ。ケインたちも高速馬車で港町まで行っていたんだよ。今回の寿司は転移で運んだが、冷凍された海の魚も高速馬車や、飛竜を模した飛行の魔術具で運搬しているよ」
「……はぁ、ガンガイル王国は眼を見張るほどの発展を遂げたんだ」
父さんの説明にジェイ叔父さんが感嘆したように言った。
「明日早朝から遊びにおいで、始発だったらそんなに混んでいないから、もっとすごいのを見せてあげるよ」
ハルトおじさんはニヤリと笑った。
市電や地下鉄の話は実物を見せるまで内緒にしたいのだろう。
また明日、と約束して寮の研究室に帰った。
ジェイ叔父さんの研究室の扉の外からカレーの匂いがした。
美味しい匂いで扉の外に誘い出そうとしているかのようだ。
ぼくとジェイ叔父さんは満腹のお腹を擦って顔を見合わせた。
「あたしが食べるよ!」
アネモネさんに引けを取らない大食漢のキュアの言葉に、兄貴が扉を開けて配膳ワゴンを中に入れるとカツカレーが三人分あった。
「これ、好きなんだ。この肉を一切れ最後まで取っておいて皿をふき取るようにこのソースをぜんぶ掬って食べると満足感が格別なんだ」
「一口食べる?」
キュアがそう言うと条件反射のように頷いたジェイ叔父さんは、カレーをたっぷり絡めたカツを一切れ食べた。
「いつもより美味い!肉とカリカリした衣がいつもより密着していて、肉の旨味が噛むと溢れ出る。このソースもいつもより美味い!」
ぼくと兄貴の分の二つの皿を綺麗に平らげたキュアが、いつもと同じだよ、と言った。
「ベンさんが厨房にいるんだ!」
そうだった。
商会の人たちも今日は寮の三階に泊まるんだった。
「ベンさん?」
「ぼくたちの旅の料理人で元騎士団員の冒険者です。帝都で食堂を出店する予定でぼくたちの旅に同行してくれたんだ」
兄貴がそう言うと、これからは街に出ないと食べられないのか、と残念がった。
「すぐに出店するわけじゃないだろうからしばらくは寮で食べれるよ。食堂まで行けば自由にメニューを選べるから、もしかしたら叔父さんがまだ食べたことのないメニューもあるかもしれないよ」
食事を運んできてもらっている生活では自分でメニューは決めていなかったのだろう、ジェイ叔父さんの口角があがった。
「寿司……」
「生寿司はたぶんないだろうけど、稲荷寿司ならありそうだな」
宴会のお寿司を気に入ったジェイ叔父さんは、未知のお寿司の名前に耳がぴくっと動いた。
「お腹いっぱいならこのカツカレー食べてもいい?」
ジェイ叔父さんは名残惜しそうにカツカレーを見た後、お腹を擦って頷いた。
キュアがぺろりと平らげると、兄貴が空の皿を載せたワゴンを引いてジェイ叔父さんの肩を叩いた。
「さあ、寮に帰ろうよ」
「寮のトイレは全て改装済みだし、大浴場も出来たんだよ!」
兄貴とぼくの言葉に、覚悟を決めたジェイ叔父さんの背中が伸びた。
「ああ、行こう!」
行こう、行こうと魔獣たちも囃し立てた。
ぼくたちは元気よく扉の外に出ると、兄貴が出口と反対方向にワゴンを押した。
「なんでこっちなの?」
ジェイ叔父さんが小首を傾げてそう言うと兄貴が笑った。
「物資運搬のエレベーターがこっちにあるからだよ」
十年前はなかったのに、と呟くジェイ叔父さんにぼくたちが笑った。
増築された研究所の運搬用エレベーターにワゴンを入れて搬出のボタンを押すと、扉が閉まって動く音がした。
ジェイ叔父さんは自分が引き籠っている間に起こった変化に驚いていたが、こんなのは序の口だ。
ぼくたちが階段に向かって歩き出していたころ、地下から搬出のエレベーターが動いた音に寮生たちが驚いて寮を飛び出し、研究所に向かっていたのだった。
「今日中にでてくる方に賭けたやつが勝ちだ!」
ジェイ叔父さんを見たケニーが叫ぶと、寮生たちの五分の三ほどの人数が雄叫びを上げ、寮長や上級魔法学校生と思しき上級生たちが、ありえないと呟いていた。
「まったく、人の叔父さんの行動に何を賭けていたんだよ!」
「お土産の飴細工だよ」
笑いながらウィルが近づいて来た。
「はじめまして。ぼくはカイルの親友のウィリアムです。みんなにはウィルと呼ばれています。よろしくお願いします」
ウィルはジェイ叔父さんが仮面をつけていることを全く気にすることなく自己紹介を始めた。
「フフ。君がウィル君ですか。話はカイルとジョシュアから聞きました。ラウンドール公爵の御子息なのにもかかわらず、いつもカイルたちの冒険に付き合ってくれていたそうですね。私はカイルの叔父のジェイです。毒を口にしてしまった影響で顔に痣ができてしまったので、こんな姿で申し訳ありません」
さっきまで対人恐怖症気味だったとは思えない快活な微笑を口元に浮かべたジェイ叔父さんが自己紹介をした。
「ああ、それは大変でしたね。こうして研究室から出られるまで回復されて何よりです」
ウィルは茶番だと察しただろうにこの小芝居に乗った。さすがだ。
寮生たちをかき分けて寮長がやってきて話に割り込んだが、小芝居の設定を維持したまま会話が進んでいった。
多くの寮生が集まる場で話したことで、この設定の説明は今後不要になるだろう。
「薄暮の時間に野外で長話をするのはどうかと思うので中に入りませんか」
ぼくが寮長の話を遮ると、我に返った寮長が、全員寮に帰れ、と号令をかけて場を治めた。
兄貴が寮長に話しかけた。
「寮長。旅の途中で頂いた苗木を植樹したいのですが、いいですか?」
「ああ、ウィリアム君から聞いている。手早く済ませるんだぞ」
根回しを済ませていたウィルが小さく親指を立てた。
「ありがとう」
「精霊神の祠を挟んで二本植えたらどうだろうかとケニーたちと話していたんだ」
寮に戻る人の流れと反対側の精霊神の像の方に、今回の旅の仲間たちとボリスたち辺境伯領出身者たちは移動した。
精霊言語の説明ですでにみんなを見知っていたジェイ叔父さんは、和やかに皆と自己紹介をして打ち解けた。
「これが精霊神の像か」
白い丸い像に手を触れてジェイ叔父さんが魔力奉納をすると、精霊たちが歓迎するように現れた。
「ああ、これが精霊たちか。綺麗だな。カイルたちを守ってくれてありがとう」
ジェイ叔父さんが精霊たちに声掛けすると、喜んでいるかのように叔父さんの周りをぐるぐる回りながら光を点滅させた。
十年も引き籠っていながらも健康でいられたのは、精霊たちのご加護があってのことなのかもしれない。
「ここでいいかな」
大きくなったら根が広がることを考慮して幅を開けた移植位置にケニーとロブが立った。
いいね、とみんなから賛同を得ると、ぼくは魔法の杖を取り出し一振りして移植用の穴を掘った。
旅を共にしたメンバーが手早くで腐葉土を移植用の穴に交ぜて苗木を移植すると、みんなが苗木から少し下がった。
魔法の杖を再び振って苗木の上だけに雨を降らせた。
「手際が良いのは慣れているからか。みんな凄いな。その杖は魔法陣を仕込んであるのか。カッコいいな」
ジェイ叔父さんはぼくの魔法の杖の仕組みを即座に理解した。
「魔法の杖で移植地に魔法陣をいくつか重ね掛けしてあるので、明日の朝にはかなり大きくなっていますよ」
ウィルがそう説明すると、ジェイ叔父さんは、それは楽しみだ、と言いながらこめかみをこつんと叩いた。
薄暗い中庭で精霊たちが漂いながら時折二本のオレンジの苗木の周りをクルクル回った。
ぼくたちは精霊たちに手を振って寮に戻った。
上級魔法学校生に割り当てられているジェイ叔父さんの寮の部屋に戻ると、二階の一番ランクの低い六人部屋で、ベッドや机はジェイ叔父さんが引き籠る前の十年前のままだったが、当然ルームメイトは変わっていた。
恐縮するルームメイトたちを前に、踵を翻して研究所に戻ろうとしたジェイ叔父さんに、ぼくたちと同室にしようと提案した。
「ぼくたちの部屋はベッドが広いからくっつけてしまえば三人寝れるし、何ならスライムがベッドに変身できるから問題ないよ」
そう言いながらも、ジェイ叔父さんだけに兄貴が実体を消せる上に、夜中に家に帰ってしまうことを精霊言語で伝えた。
「ああ、そうだね。カイルとは積もる話もあることだし、暫くそっちに行くよ」
「わかりました。寮監に報告しに行きます」
ジェイ叔父さんと同室の上級魔法学校生の一人が一階の寮監室に走った。
ルームメイトたちが露骨にホッとしたのは、ジェイ叔父さんが嫌われているからではなく、毒殺騒動の話が伝説ではなく本当だったことに恐怖を感じていたようで、辺境伯領の寵児の部屋なら大丈夫だ、と口々に言った。
「……いい子たちだな」
廊下を移動しながらジェイ叔父さんが呟いた。
「そうですね。寮の雰囲気はすごく良い状態ですよ。王国単独チームで競技会の予選を突破したり、みんなが実験農場に日参したりしていることも影響していますね」
ウィルが説明するとジェイ叔父さんが苦笑した。
「十年間で変わったところだらけだな」
「大浴場に行きましょう。魔獣たちの混浴は認められているのでスライムたちも入れますよ」
ウィルと大浴場で合流することを約束してぼくたちの部屋に戻ると、ジェイ叔父さんが座り込んだ。
「緊張したけれど、意外といけた!」
明るい声でそう言って座ったまま伸びをすると、ジェイ叔父さんの仮面が外れた。
魔術具の仮面はジェイ叔父さんが外したいと本気で思わなければ外れない設定になっている。
「「お疲れ様!」」
スライムたちがジェイ叔父さんの肩を揉んだ。
キュアが魔法でベッドを寄せて三人で寝るかのように工作した。
「大浴場には他の人もいるかもしれないけれど大丈夫?」
「疲れてはいるけれど、好奇心の方が勝っているんだ。このまま寮内を探索するよ」
気遣いの言葉をジェイ叔父さんが答えると、仮面が顔に戻った。
便利だね、と言ったみぃちゃんがジェイ叔父さんの膝に飛び乗って仮面をペシペシ叩いた。
「色々機能をつけたけど、まだ拡張できる余地があるから楽しみが続くよ」
ジェイ叔父さんはみぃちゃんを撫でながら、大浴場とやらに行こうか、と腰を上げた。
大浴場でベンさんや商会の人たちに会って挨拶をすると、ジェイ叔父さんはカツカレーの美味しさを嬉しそうに話していた。
浴槽でスライムたちと戯れて、ジェットバスに大喜びする姿にぼくたちも楽しくなった。
「十年間研究室に引きこもっていたのに意外と筋肉がしっかりしているんだな。一体どんな鍛え方をしていたんだ?」
脱いだら細マッチョだったジェイ叔父さんに、何をして筋肉を維持したのか根掘り葉掘りベンさんが尋ねた。




