ジェイ叔父さん
ぼくと兄貴は屈んで採光窓を叩くジェイ叔父さんに手を振った。
「手紙はご飯の上に載せて届けたから、読んでいるはずなのに研究室に籠ったまま、もう何年も出て来ないんだ」
ボリスがそう言うと、兄貴がため息をついた。
「食事を届けなければ出てくるんじゃないの?」
「三日も出て来なければ衰弱しているんじゃないかと心配になってしまうので、つい差し入れしてしまうんだよ」
精霊たちを見に来た寮長が口を挟んだ。
籠城している人が鍵を開けられる状態じゃなければ、中で倒れていたら助けることもできないのか。
「可愛い甥っ子が来たんだから、開けてくれますよ。入り口に案内してください」
兄貴の言葉に寮監が眉をひそめた。
「お母さんからの手紙を渡しても出て来なかったんだよ。私はここに来て五年目だけど、会ったことも声を聞いたこともないんだ」
話によるとジェイ叔父さんはかれこれ十年近く研究所の半地下に籠り、誰もその姿を見たことはないが、地下から魔術具を申請する書類が次々と登録されているが、本人は頑なに連絡に応えない生活をしているようだ。
ぼくたちが研究所の入り口まで来ると、兄貴が言った。
「大勢で押し掛けるとドアを開けてくれる確率が下がるので、ここで別れてぼくたちでいきます」
兄貴はぼくの手を取ってみぃちゃんとキュアとシロと精霊たちを引き連れ、半地下の部屋に向かう階段を駆け下りた。
薄暗い階段を精霊たちが導くように照らした。
目的の扉の前に空になった食器が載ったお盆が置かれており、一目見るだけでここがジェイ叔父さんの研究室だとすぐにわかった。
ぼくは強めに扉を叩いた。
「ジェイ叔父さん。ジュエルの養子だけど長男のカイルです」
「ジェイ叔父さん。ジュエルの死んでしまった長男だけど、なぜか奇跡が起こり実体化できてしまったジョシュアです」
ぼくと兄貴が簡単な自己紹介をすると、扉の向こうで大きな物音がした後、反応は何もなくなった。
兄貴の衝撃的過ぎる自己紹介に、ジェイ叔父さんが腰でも抜かしよろめいた先に鈍器があって頭を打って倒れているような、不穏な想像をしてしまった。
「ご主人様。部屋を守る結界に、内部にいる人間を過度に心配するよう誘導する魔法陣が使われています」
人目のない半地下の廊下でシロは妖精型に変身して魔法陣を読み解いた。
ジェイ叔父さんは差し入れが止められて餓死しないために、そんな工夫をしていたのか!
「ジェイ叔父さん!ぼくは実体があって実体がないので、この扉も護りの結界も関係なく中に入れます。でも、強引に押し入るのは躊躇われるので、ぼくの侵入を拒否するなら床を一回、まあ会ってみてもいい、というのなら二回叩いて……ああ、精霊たちが先に侵入したようですね」
廊下の精霊の数が減り、扉の向こうからドタバタした足音と、物をいくつか落としたような音がしてから、床を二回足で踏み鳴らす鈍い音がした。
兄貴がニヤッと笑うと、黒いモヤに姿を変えて扉の隙間にスッと消えた。
ぼくのスライムが平たくなって後に続こうとしたが部屋を守る結界に結界に跳ね除けられた。
「ご主人様。ジョシュアは結界の魔力を使って結界を無効化して侵入しました」
そんなやり方ができてしまうのなら、兄貴には侵入できない場所はないのではないか?
「精霊魔法と同じように魔法を行使していますから、邪神の欠片が関係する箇所ではうまく魔法を使えなくなる可能性があります」
兄貴の力を万能として頼ってはいけないのか。
「吹けば飛ぶような結界だから飛ばしてもいい?」
「「「止めときなさい!」」」
キュアの言葉にみぃちゃんとスライムたちが速攻で否定した。
キュアが本気で結界を飛ばすように息を吹けば、研究所が破壊されるイメージしか沸かない。
「まあ、兄貴の交渉を待つとしようよ」
扉の向こうは静かになった。
兄貴の容姿は目元が父さんそのもので、口元と髪質が母さんそっくりだから、二人を良く知っているジェイ叔父さんなら、兄貴を見ただけで二人の息子だと信じられるはずだ。
「黒いモヤに変身して、扉の隙間から侵入できる高度な魔法使いが、まやかしの魔法を使った、なんて推測もできるよね」
「そんな魔法使いがいるわけないって言いたいけど、アネモネさんなら出来そうだね」
「アネモネさんは黒いモヤには変身できないよ」
ぼくのスライムとみぃちゃんとキュアがそんな話をしていると、ガチャリと鍵を開ける音がして閉ざされていた扉が開いた。
シロが咄嗟に犬型に戻った。
「はじめまして、ジェイ叔父さん」
「よく来たね、カイル。話はジョシュアから聞いたよ。さあ、中にお入り」
ジェイ叔父さんは父さんと同じくらい背が高く、父さんより痩せており、少し疲れたような柔和な笑顔はお婆に似た、びっくりするほど美青年だった。
「ジェイ叔父さんはこの顔でだいぶん苦労をしたようで、外に出ることを諦めていたようだよ」
兄貴がぼくたちを部屋に招き入れながら、ジェイ叔父さんが引きこもり研究者になったきっかけを教えてくれた。
「イケメンすぎて苦労するってあるのかなぁ?」
ぼくのスライムが扉を閉めて用心するかのように鍵をかけると、ジェイ叔父さんが安心したような笑顔になった。
ジェイ叔父さんが引きこもっていた部屋は応接間と研究室とトイレがあるだけで、全部の面積を合わせてもウィルの個室より狭かった。
応接間の床に数冊の本が落ちているのは精霊たちが侵入した際に驚いた叔父さんが落としたものだろう。
応接間と言ってもテーブルと長椅子一つしかない狭い場所なので、ぼくは亜空間を経由して小さな丸椅子をシロに出してもらい、長椅子に兄貴とジェイ叔父さんが並んで座った。
ぼくの膝の上にみぃちゃんが座り、足元に犬のシロが伏した。
スライムたちとキュアが落ちた本や、脱ぎ散らかされた叔父さんの服を集めて片付け始めた。
ジェイ叔父さんは、よく働く魔獣だね、とニコニコしながらスライムたちを褒めた。
「いくらジョシュア兄さんが父さんと母さんに似ているからとはいえ、よくこんな短時間でドアをあけてもらえるくらい信用してもらえたね」
ぼくがそう言うと、ジェイ叔父さんは苦笑いした。
「いやあ、ジョシュアが部屋に入ってくる前から動転していたんだけど、入って来るなり俺が口もきけないほど驚いていたから、物凄い情報量の挨拶を脳に直接送りつけてきたんだ」
精霊言語で挨拶をしたってことかな?
兄貴はいたずらっ子のように瞳を輝かせると、ぼくと魔獣たちに叔父さんにした挨拶の精霊言語を送り付けてきた。
自分は生後ひと月で高熱に侵されて命を落としたのに、父さんと母さんとお婆が死んでしまった事実を受け止めきれずに名前を呼んでしまったから、魂が天界の門を潜ることができなくなり、自宅にさまよう魂になり、カイルが引き取られてから起こった様々な騒動が神々の目に留まったことで、世界の理から外れてしまっていた自分を精霊のようなものとして神々に存在することを認められた、ジュエルとジーンの長男です、と長い自己紹介を映像付きで送ったのだ。
短くまとめ過ぎだよ、とスライムたちは自分たちの活躍が省略されたことを笑いながら抗議した。
みぃちゃんはぼくの膝の上で、自分の活躍をまとめた精霊言語のプロモーションビデオのようなものを考え出しみんなに送ると、キュアも即座に真似をした。
「都合のいいとこだけまとめている気がするけれど、間違っているところは無いようね」
ぼくのスライムがそう言うと、自分が魔獣カード大会で優勝した場面を中心に、地下の分身が結界を強化しに魔術具に乗り込むところまで盛り込んだ自己紹介の精霊言語を送った。
「ああ、もう凄すぎて、なんて言ったらいいのかわからないよ」
ジェイ叔父さんが笑いながら頭を抱えると、みぃちゃんのスライムはジェイ叔父さんの肘をポンポンと叩き。控えめに自分が誕生したいきさつをまとめた自己紹介をした。
自己紹介はハリウッド映画の超大作の予告みたいに派手じゃなく、こういうのがいい。
あんまり派手だと脳が疲れるんだよね。
「ああ、母さんからの手紙にもあった、賢いスライムたちだね。ガンガイル王国の、いや、辺境伯領の発展は俺の常識を超える魔術具だらけだから、帰って来いって書いてあった……」
ジェイ叔父さん楽しそうに笑ったあと、力ないから笑いになった。
「外に出ないことと叔父さんの容姿は何か関係があるの?」
ぼくのスライムが兄貴に聞くと、ジェイ叔父さんは隣に座る兄貴の頭を優しく撫でた。
「ジョシュアは俺に自己紹介を送り付けた後に、それでもドアを開けることを躊躇った、俺の想像した嫌な出来事を読み取ったんだろう。ああ、心を読んだことを気にしなくていい。犬が嫌いな人が犬を見たら嫌だというにおいを出すように、俺が強い否定の気持ちを出したのを、ジョシュアが読み取っただけなんだろう?」
兄貴が頷くと、ジェイ叔父さんはそうか、と深い息を吐いた。
「容姿でトラブルがあるのは、まあ、母さんもそうだったから、仕方ないとは思っているよ。さっさと結婚してしまえばいい、と押し掛けてくる自称婚約者がいたのも事実だ。ライバルだと勝手に決めつけて、牽制しあった女性たちが毒を盛る事件まであったんだ」
魔獣たちがテーブルに身をのり出して、詳しい話を聞きたがった。
「そういう女性たちの中にスパイも紛れていて、俺に毒を盛ろうとした女もいた。口に入れる前にテーブルクロスに仕込んだ魔法陣が反応したから被害者は出さなかったんだが、女子寮の人間関係が破綻するほどの騒ぎになってしまってね。俺は原因になった人間として、半地下に籠る生活をすることにしたんだ」
「恋が絡むと女の友情は破綻するだろうから、女子寮がぎすぎすしたのが想像つくわ」
王都の辺境伯寮で女子寮に出入りしていたみぃちゃんが、しみじみと言った。
「愛だの恋だのは、女性は適齢期が来たらサッサと結婚してしまうから、数年引きこもればなんとかなると考えていたんだが、その後も刺客が送り込まれるのが続くと、ここを出たら即座に殺されてしまうのではないか、という強迫観念に囚われるようになってしまったんだ」
「女性たちの嫉妬からの毒殺未遂だけじゃなく、叔父さん自身を狙って毒を盛られ、その後引きこもって世間から隔絶された生活を送っているのに、まだ狙われたということですか?」
ぼくの問いにジェイ叔父さんは頷いた。
「俺が死んだら帝国軍が喜ぶんだ」
帝国軍にとってのメリット……ジェイ叔父さんが開発した魔術具の権利の取得か、使用制限か……そこらへんの撤廃か何かかな?




