懐かしい顔ぶれ
近くで見てもオリハルコンの壁と異名を持つ城壁は確かに大きいが、土魔法の工作物にしか見えない。
「ようこそ帝都へ!ガンガイル王国の留学生一行とお付きの商会ですね。今年も素晴らしい馬車ですね」
門番たちの扱いは丁寧で、歓迎されている印象を持った。
「ガンガイル王国から難民は出ていないから、扱いが悪いことはないって話だったよ」
ボリスたちの報告書を読んでいたロブが小声で言った。
要注意国ではないから門番も気楽ということか。
馬車の大きさと申請した積み荷の量で商会の人たちの馬車が入念に検査されたが、最後は笑顔で通されたということは、いつもの飴細工以上の袖の下があったのかもしれない。
障壁を抜けて帝都の風を馬車の中から感じた感想は、臭かった。
「何だろうこの匂い!香辛料の香りと、きつい香料……体臭?土の匂い?」
独特な匂いが混ざり合った空気にぼくたちは咳き込んだ。
「異国情緒漂うと文献にあったけど、実際に臭うとは全く想像していかなかったよ」
ウィルは苦笑してそう言ったが、情緒は匂いの表現ではない。
スパイシーな香辛料の香りに、雪道を履きつぶした皮長靴の匂いと、舞い上がる泥臭い土の匂いが混ざっている。
「百聞は一見に如かずって言うのは匂いが伝わらないからなのかな」
ボリスのお守りにつけたスライムたちの精霊言語の報告でも、この独特の匂いを報告していなかった。
ぼくたちは心底この匂いに心を折られ、行きかう人々の服装の変化に心躍らせる余裕はなかった。
城壁の検問を抜けると道が分かれており、ぼくたちが進んだ道は土魔法の塀が続く静かな高級住宅街で、だんだん鼻が慣れてきたのか匂いも気にならなくなった。
「北門は帝都の北東に位置していて、地方領主のタウンハウス街から帝都の中心地に向かうので、比較的治安がいいようだね」
ウィルが車窓の風景を解説した。
「宮殿に向かう方角へは今は迂回するけれど、ここは帝都の大通りに接続する主要道路のようだね」
北門から進むにつれて建物が豪華になっていく街並みに、中心部が高級住宅地なのだとわかった。
「貨物馬車はこの道を通行できないので、身分による住み分けが徹底されていることを念頭に置いて生活するようにね」
ウィルが帝都での暮らしの基本情報を留学生一行に改めて認識させた。
商会の馬車が止められたのは迂回路に行けと言われたのかな?
ベンさんは貴族階級だから問題なく通過できたようで、商会の馬車もぼくたちの後ろにピッタリついている。
帝都での一等地は当然ながら光と闇の神の祠がある中央広場付近で、中心部から北に貴族街が広がっている。
中央広場から北西に宮殿があり、北門から入場した平民は城壁の縁に沿って西に一旦移動する必要があるようだ。
それで、高級住宅地である北側も北西部の城壁の周辺は貴族の使用人の平民の集合住宅になっている。
ある程度身元がしっかりした平民たちの居住区であるにもかかわらず、いつの間にかスラム化が進んでいるため悪臭が漂い治安が悪い地域になってしまったようだ。
ガンガイル王国の留学生たちには近づいてはいけない地域と認識されている。
予備知識として知っていても現実を目にすると、帝都の周辺の荒廃に帝都も影響を受けているのを肌で感じた。
身分や貧富の差で居住地が別れるのは地方都市でも普通にあるが、貴族街の端がスラム化しているなんて、貴族街の屋敷を維持できない貴族が増え、平民の使用人が減ったからだろう。
中央広場を抜けて商店街の目抜き通りに出ると、ぼくたちの馬車は混雑を避けるため裏通りに入った。
中央広場から東側に魔法学校があり、貴族街と平民街の境目に立地している。
魔法学校の敷地内では身分の差がないとされているが、地方出身者や平民が侮られるのはよくあることで、平民の生徒はできるだけ存在感を消すようにしているらしい。
そんな校風にガンガイル王国出身者たちには居心地が悪い思いをしているようだ。
週末に帝都を出て畑に通う生徒が多いのも、そういう理由もあるらしい。
ガンガイル王国の留学生寮があるのは魔法学校の敷地の南端の平民街で、西門を利用して畑に通っているようだ。
貴族街に王家が所有する屋敷があるが、魔法学校横の寮は寮生の安全を担保するため治外法権が認められており、留学生たちは帝都で難癖をつけられても寮まで逃げ込めば身の安全が保障されるから、高位の貴族もあまり利用しないらしい。
まあ、トラブルに巻き込まれないことが一番大切なんだよね。
裏道から寮にたどり着くと、先輩たちが門で待ち構えていた。
その奥には懐かしい顔も見えた。ボリスだ。
「待ってました!ガンガイル王国きっての秀才学年!」
ボリスとの感動の再会の間に入ってきて、真っ先にからかうように声をかけて来た男性が寮長だった。
「帝都の魔法学校で無双できるかどうかはわかりませんが、精いっぱい努力します。どうぞよろしくお願いします」
ウィルが新入生代表として挨拶をすると、出迎えてくれた先輩たちは、間違いなく優秀だよ、と太鼓判を押した。
寮はH型の建物で、左翼が女子寮で右翼が男子寮に別れており、それぞれに寮監がいた。
中央部分が共有スペースで、二階が食堂、三階が増築されて大浴場になっていた。
各部屋の風呂とトイレも改装されており快適な寮生活が送れそうだ。
挨拶もそこそこに、ぼくたちはあてがわれた部屋に荷物を運び込んだ。
ぼくは二人部屋を選択して兄貴と同室にした。
ウィルは一人部屋でぼくたちの隣の部屋の一番広い部屋だった。
ガンガイル王国寮で現在一番身分が高い生徒だから、ウィルが使用しなければ空き部屋になるらしい。
「不死鳥の貴公子の同級生は、ウィルの妹と王太子殿下のご子息までいるんだぞ。凄いことになるよね」
ボリスが笑いながら荷物の搬入を手伝ってくれた。
みぃちゃんが懐かしそうにボリスの後をついて回った。
収納の魔術具の鞄からスライムたちがせっせと仕分けて片付けてくれた。
キュアはベッドの寝心地を確かめている。
早々に片付けが済んだので、寮内をボリスに案内してもらおうと部屋を出ると、新入生たちがみんな同じ考えだったようで、ぼくの部屋の前に集まっていた。
みぃちゃんやキュアやシロも連れてぼくたちは寮内を移動した。
一階と二階が留学生たちの部屋でぼくたちは二階だった。
三階は使用人を連れて留学した生徒の使用人たちの私室になっていたが、ぼくたちの学年で使用人を連れて来た生徒はいない。
マークとビンスの学年辺りから、使用人を連れて留学するのは自立できていない我儘貴族の子弟、という雰囲気になったらしい。
上の学年で使用人を連れて来た生徒たちも、個人の雇用関係を終了させて、ガンガイル王国寮で雇用する形にして、直接の雇用主が王家に変わった。
三階は職員と来客用の部屋になっていた。
数人いる職員は領の図書室の司書や、食堂や大浴場の管理や、寮監たちの助手になったのだ。
「年々食事は美味しくなるし、身分を鼻にかけることはカッコ悪い、という風潮になって本当に暮らしやすくなったんだよ」
中庭で合流したマークとビンスが寮の変化話を詳しく語ってくれた。
中庭の中央には光と闇の神の魔法陣が描かれた二本の柱があった。
柱というよりはぼくの膝までの高さしかないので、杭みたいだ。
「やっぱりそれに目が行くよね。この寮の護りの結界に繋がっているかもしれないと思って、毎日魔力奉納をしているんだ」
ビンスの言葉に促されるようにぼくたち新入生も、代わる代わる柱に触れた。
祠の魔力奉納と同様に柱に触れた掌から魔力が吸い出され、市民カードのポイントが増えた。
ここはまるで小さなガンガイル王国のようだ。
寮の護りの結界の形が王都の護りの結界とほとんど同じだった。
「七大神の柱と精霊神の柱が寮の敷地内にあるのかぁ」
ぼくがそう言うと、集まってきていた在校生たちがキョトンとした顔をした。
「全部の柱を毎日回っていないの?」
ウィルがそう言うと、在校生たちは、柱がない、と首を横に振った。
「ああ……そうだよね。結界じゃないか、と考えたら七つ全部を探すべきだった」
マークがそう言うと寮の敷地の捜索が始まった。
王都の七大神の祠の位置から寮内の敷地を位置を推測すると柱の場所は簡単に見つかった。
ただ、それが柱に見えなかったから、在校生たちに気付かれなかったようだ。
土の神は土竜の像、水の神が蛙の像で、風の神が鷹の像、空の神が蝶の像、火の神が蜥蜴の像だったのだ。
「これではわからないよ」
ぼくが苦笑しながら言うと、全員が頷いた。
それぞれの像は手を触れるだけで魔力奉納ができた。
「精霊神の祠はどこだろう?」
七大神の像に魔力奉納を終えたあと、ウィルが首を傾げながら言うと、辺境伯領出身者たちは研究所が立っている別棟の方を見た。
寮内の敷地を辺境伯領の領都に置き換えると推測できる場所はそこだ。
「辺境伯領がガンガイル王国の要だって、こういうところでわかるよね」
ウィルがそう言うと、在校生たちがハッとした顔になった。
「受け継がなければいけない知識が継続されていると考えると頼もしいよね」
ケニーの言葉に、今回の留学生一行の旅路はいろいろあったんだろうな、とボリスが呟いた。
研究所の裏に移動すると、まん丸い球体の像が台座に鎮座していた。
キュアとみぃちゃんは早速魔力奉納をしている。
「……これが精霊神の像なのか」
「わからないのは仕方ないよ」
ぼくの言葉にウィルも同じような呆れた口調で言った。
せめて寮長の間で祠巡りの大切さが口頭でも引き継がれていたのなら、寮生たちが魔力奉納をしただろうに……。
知識の断絶を嘆きつつも、数年前までガンガイル王国の国内でさえ、祠巡りは平民のお小遣い稼ぎ程度にしか考えられていなかったことを思い出した。
今まで忘れ去られていてごめんなさい、という気持ちを込めてぼくが魔力奉納をすると、精霊たちが一つ二つと集まり出した。
「やっぱりこうなるよね」
「久しぶりに精霊たちを見た」
マークとビンスが呟くと、そうだそうだ、と在校生たちが喜んだ。
みんなが代わる代わる魔力奉納をすると、精霊たちがどんどん増えていき、色とりどりの光がガンガイル王国寮の敷地全体に広がっていった。
「ああ、カイルが来たんだなって実感するよ」
ボリスがしみじみと言うと、ボリスの足元の研究所の半地下の窓を激しく叩く音がした。
あれ?
手紙を出しても返事を書いてくれない父さんの弟って、研究所の地下に引きこもっているんだったよね。
“……ご主人様。あの方が叔父さんのジェイさんです”
ぼくの足元に控えているシロが精霊言語で教えてくれた。




