学び直し
「孤児院を片っ端から襲撃して救出することも考えたんだけど、うちの子がなかなか場所を特定できなかったのよ。そうこう探っている間に孤児院から脱走した子どもを連れて帰ってきちゃったの」
あんドーナッツを頬張るアネモネさんの話を聞きながら、孤児院を物理的に破壊して子どもたちを全員連れて帰ってきたぼくと魔獣たちをウィルがじっとと見つめた。
「まさか、孤児院を破壊してあの子を救出したの!」
「アネモネさん。ぼくたちは見た目通りの年齢ですよ。ガンガイル王国から攫われた子どもたちがいた孤児院を襲撃した魔獣がいたけれど、アネモネさんが孤児院を探っていたころ、ぼくたちはまだ生まれていませんよ」
ウィルは謎の魔獣が襲撃したという設定のまま、クラインとぼくたちの年の差を説明した。
「あら、そうなの?……まあ♡これはカスタードクリームの方が美味しいわ。ちょっと待って……うん。謎の親子みたいな男性と子どもと猫とスライムたちもいるようだけど、あなたたちとは限らないってことね。……フフフ。あら、この飛竜ったら大きくなり過ぎよ!」
口の周りに粉砂糖とはみ出たカスタードクリームをつけたアネモネさんは、大きくなったキュアの画像を妖精から精霊言語で見せてもらったのだろう、足をバタバタさせて喜んだ。
「子どもたちを全員連れて帰って、後は大人たちにお任せかぁ。これはあなたたちが子どもだから後先考えずにできたことであって、全員保護するなんてなかなか難しいわよ」
アネモネさんは口の周りを綺麗にしてからため息をついた。
「長く生きているいるとねぇ、失ってしまう命が多くてガッカリすることばかりよ。あたしは自分で魔法を使えないから全部うちの子にやってもらうだけなんだもん。自分一人では何にもできないわ」
アネモネさんは自分が魔法学校に通えなかったことを気にしていたから、保護した子どもたちを全員魔法学校に通わせたのかも。
「市民カードに上書きできるんだから、今から魔法学校に通えばいいじゃないか」
兄貴がそう言うと、アネモネとその妖精の顔が輝いた。
「アネモネさんの妖精は太陽柱から良さそうな未来を見つけるのが物凄く下手なのかなぁ」
ぼくのスライムがおかわりのお茶を注ぎながら言った。
「あれだけたくさんの映像が散らばっているんだもん、目につくのはどうしても自分の願望が反映されちゃうよ」
みぃちゃんが、かつて見た自分の未来にうっとりしたように目を細めると、ウィルがみぃちゃんとスライムたちに太陽柱の説明を尋ねていた。
「魔法学校に行かなくても今まで困っていなかったけれど、カイルのように妖精をすぐ見つけてしまう人がいて、この子が捕まってしまったら、あたしはただの無力な幼児だもん。魔法学校に行きたいわ!」
「アネモネ自身がもう少し学習すべきだ、という意見は賛成だよ」
アネモネさんの妖精も自身が拘束されて初めてアネモネさん自身が魔法を学ぶべきだ、と気が付いたようだ。
「東方から移転ではなく陸路で移動して、土壌改良の魔術具を東方連合国の周辺地域に普及させる口添えをしてほしいんだ。アネモネさんは東方に伝手がたくさんあるでしょう?」
東方の連合国の護りが鉄壁でも、帝国の拡大した領地の護りの結界が失われている現状を、アネモネさんと妖精に説明した。
「護りの結界を受け継ぐ者たちがいなくならないように、東の砦を護る一族たちを東の魔女がなんとか守っているのに、管轄外までなんてとても手に負えなかったのよね」
幼児椅子で足をプラプラさせて卵サンドに手を伸ばしながらアネモネさんが言うと、兄貴がぼくの話を補足した。
「いい魔術具があるという噂を権力者の間で広めてくれるだけでいいんだ。実際の販売は冒険者たちに依頼したから、話が通りやすいようにしてくれるだけでいいんだ」
成功への道筋が太陽柱で見えたらしい妖精の顔が輝いた。
「ほらほら、上手くいかない映像も探して対策をたてるのが先読みの役目でしょう」
事情を理解したウィルが妖精の頭をなでながら言った。
大事な話をしている場なのに、東の魔女は栗鼠のように食べ物をまるいほっぺに入れ続ける幼女で、その参謀が砂鼠より小さい妖精なので、ウィルは可愛らしい、と思う気持ちを抑えきれないような優しい目をしている。
「陸路を移動するにはお金もかかるけれど、冒険者になった子どもたちが稼いでくれたから、貯金に問題はないよ。強盗や死霊系魔獣は避けて行動することもできるし、宿の食事だけで足りなかったら家に帰ればいいもん。大丈夫だよ!」
妖精が胸を張ってそう言うと、頑張れよ、とウィルが小指で握手をした。
「エリザベスに妖精がいたらなって思った?」
みぃちゃんのスライムがウィルに訊くと、ウィルは首を横に振った。
「妖精は可愛いけれど危険すぎる。お人形でも作ってあげようかと考えただけだよ」
妖精は可愛い、という言葉に妖精が嬉しさを爆発させて飛び回った。
「人間に見つかることはほとんどないから、褒められ慣れていないのよ」
「アネモネさんがもっと褒めてあげればいいじゃないか」
兄貴に言われて、そうかしら、とアネモネさんが小首を傾げた。
「一緒に居るのが当たり前すぎて、お互いを褒め合うことがなくなっているんじゃないかな。カイルはいつも魔獣たちを褒めているよ。さすがだね、とか、よくやった、とか、可愛いね、っていわれるだけで嬉しくなるもんだよ」
兄貴の言葉に魔獣たちが頷いた。
「そうだね。アネモネさんは普通の人たちと行動を共にしてみると良いかもしれないね。普通の人の喜びや悲しみに、学ぶところがあるはずだよ」
ハチドリに変形したスライムたちがキュアと一緒に妖精と飛び回っているのを見ながら、アネモネさんはウィルの言葉にフフっと笑った。
「あんなスライムを使役する子どもたちに、普通の人から学べって言われても笑っちゃうんだけど、なんだかしっくりするところもあるのよね。あたしが妖精と契約したのは、元気になってお父様とお母様と遊びたかった、一緒にご飯を食べたかっただけなの。だけど、みんな死んじゃった。あたしはどんどん人とかかわるのが嫌になっちゃって、山奥に引きこもっちゃった。みんながあたしに教えようとしていたことを、見ないふりをしていた。繋がっていくものを見届けていけるのは幸せなことだって、先代の東の魔女もカカシも言っていたのよ。その時はよくわからなかったけれど、あたしが今ここに居るのはクラインとの繋がりだし、今年の東方連合国の留学生の中にあたしの親族がいるの。普通の人が普通に生きて、繋がって、続いているのよね。……この話、乗るわ。東方連合留学生に紛れて帝都の魔法学校に入学する!」
真っ白い亜空間を飛び回る妖精に手を振ってアネモネさんは元気よく叫んだ。
「あたし、秋から魔法学校生になるわ!」
数百歳の初級魔法学校生かぁ。
入学試験に間に合うのかな?
「ご主人様。まだ試験を行っていない地域もありますから、間に合います」
みぃちゃんのしっぽを撫でながらシロが言った。
「話がまとまったようだから、食堂に帰りますよ!」
上空からはーい、と元気のいい声がした。
「焼きビーフンを食べる直前に戻しますね」
「やったー!」
山盛りのパンを食べたアネモネさんが一番喜んだ。
話が終わった?
アネモネさんの探していたあの子の話は何もしていないぞ。
“……ご主人様。いずれかかわりが出てきますが、今は放置しておきましょう”
まあ、いい年をした大人だろうから、ぼくが積極的にかかわる必要はないのかな?
今はそれでよしとしておこう。
「フフフ。いい香りのビーフンね。……ダッハッ……」
アネモネさんがビーフンを飲み込んでむせると、額から汗がドッと出た。
幼女に劇物を食べさせたようにしか見えない状態に、さすがのベンさんも慌ててヨーグルトドリンクを取りに行った。
「ありがとう。大丈夫よ。予想以上に辛かったから油断しただけよ。辛いけどとても美味しいわ。帝都でもこの味を食べられるのかと思うと楽しみだわ」
「帝都にはよくおみえになるのですか?」
商会の代表者が意外だという口調で聞くと、アネモネさんは首を横に振りながら言った。
「いいえ。滅多に行かないわ。だけど、今回の話を受けようと考えているから、帝都でも会いましょうね。そうだわ。魔法学校に入学するのならどんな容姿にしようかしら♡」
アネモネさんの話が飛躍しすぎたように感じた食堂に残っていた面々が、魔法学校?入学?と困惑して言った。
ぼくは掌に閉じ込めていた妖精を解き放つと、妖精はアネモネさんの元へ一直線に飛んで行き、まやかしの魔法をアネモネさんにかけた。
アネモネさんは黒髪に緑の瞳の十歳前後のマナさんに変身した。
「異議あり!ぼくの親族に似すぎていて違和感があるよ」
「アネモネさんは初級魔法学校から入学しなくてはいけないから、七歳くらいの大きさじゃないと不自然だよ」
ぼくとウィルが抗議すると商会の代表者が苦笑した。
「いつの間にか話がついていたかのようですね」
「そうよ。あたしは時折、東の魔女になる魔法使いですもの。おほほほほ」
十歳の少女の声でアネモネさんは笑って言ったが、話し合いの亜空間を作ったのは、今は犬の姿でぼくの脇に居るシロだ。
「伝説の東の魔女の端くれのアネモネさんは、事情があって魔法学校に通っていなかったので、東方連合国の留学生一行に紛れて、旅路の周辺国で土壌改良の魔術具の噂を流してくれることになったんだよ」
「なるほど、東に向かう冒険者たちが動きやすいように画策してくださるのですね」
商会の人たちはテーブルを片付けて地図を広げて作戦会議を始めた。
今度は金髪碧眼の七歳に変身したアネモネさんに、ぼくたちは、赤毛の方が可愛い、となるべく本人の容姿に似せるように助言をした。
「赤毛のアネモネさんの方が表情も自然だし可愛いよね」
ぼくがそう言うと、アネモネさんだけでなくクラインも顔を赤らめた。
少女趣味に見えてしまうが、クラインはアネモネさんがどんな姿でも愛おしいのだだろう。
「……帝都かぁ」
帝都でアネモネさんと再会の約束をしたぼくたちに、羨ましそうな視線を向けたクラインの耳元で、ウィルが呟いた。
「毎晩美味しいご飯をつくれば、アネモネさんなら転移してでも食べに来るかもしれないよ」
毎食いろんなところで食べ歩きしたら、大食漢なのを誤魔化せるのかもしれない。
作戦会議が終わるとアネモネさんは自宅に帰った。
帝都周辺の結界強化の見通しが立ったので、ぼくたちは翌日この町を出ることにした。
五つの村への挨拶は冒険者たちに任せて旅立つぼくたちを宿の夫婦は、いろいろありがとう、と涙涙で見送ってくれた。
アネモネさんが時折ふらっとやって来るかもしれないから、と地下に食品保存庫を急遽作ったのだ。
実際、昨晩自宅に帰ったアネモネさんは朝食の食堂の席にしれっと座っていた。
お金を払ってくれたらお客さんだ、と宿の夫婦は喜んでもてなした。
「料理の腕を磨くから、あなたたちもふらっと立ち寄ってね」
宿の奥さんはぼくたちなら魔法を使ってどこからでも来れると信じ込んでいる。
「ぼくたちはまだまだ勉強が足りないから、アネモネさんのようにはできませんよ。でも、留学の帰りに立ち寄ります」
宿の奥さんはその言葉にまた泣きだし、約束だよ、と一人一人に握手した。
「別れは悲しいけれど、なんだか美しい光景なのね」
普通に生きることを学ぶってこういうことなのね、と赤毛の少女の姿のアネモネさんは呟いて、ぼくたちの馬車に乗り込んだ。
「なんで一緒に行く気なの!」
ウィルが突っ込むと、アネモネさんはケタケタ笑って、いいじゃない、と補助椅子を出した。
「東方連合国には留学生一行に同行する根回しの手紙を出しているから、ちゃんと東方から帝都に入るわよ。それまでの間、みんなと一緒に居る方が美味しいものが食べられるものいいでしょう」
両手を口元で握りしめて小首を傾げたアネモネさんは、可愛い仕草を完璧に身につけている。
太陽柱でみぃちゃんのおねだりの仕方を学んだようだ。
「どうせ食事時に現れるんだから、同行したってかまわないとは思うけれど、男子集団の中にいるんだから男装してね」
マルコの前例もあるので、ぼくたちはアネモネさんが男装することで手を打った。




