赤毛の幼女
「ウフフ。これは美味しいわ。辛さと酸味と甘みが丁度いい上にコクのあるスープが麺に絡んで、口の中はまさに幸福。つるんと飲み込めるのど越しの良さも堪らないわ。フフフ、クラインもこの程度の辛さでは昏倒しなくなったのね。これをもう一杯ちょうだい」
東の魔女はトムヤムクン風フォーを堪能しながら、ビュッフェから給仕するクラインにおかわりの催促をしている。
「気持ちがいいほどの健啖家だが、これには手を付けないのかい」
激辛焼きビーフンの皿に手を付けない東の魔女にベンさんが突っ込んだ。
「これに手を付けると他のお料理の味が飛んでしまうから最後の手前で食べるのが一番いいじゃない。最後はそこのお芋を食べるわ」
東の魔女は大学芋を指さして、おほほほほ、と高笑いした。
激辛がいける幼児なんて珍しいな、と思いながらテーブルに残っていた料理を吸い込むかのように食べる東の魔女を見ていた。
“……キュアより食べるのかな?”
“……キュアの方が食べるよ”
“……皿まで舐める勢いで食べているから、どっこいどっこいじゃない?”
スライムたちとみぃちゃんが言いたい放題に精霊言語で言っている。
東の魔女が精霊使いなら、精霊言語は聞きたい放題なんだよな。
“……中途半端なクラインの合言葉に応えてここに来たのって、米麵パーティーの食事を食べに来たの?”
ぼくが不意打ちに送った精霊言語に、牛テールスープを豪快に飲んでいた東の魔女が激しく咽せた。
「失礼、小葱が喉の奥に当たったの」
東の魔女はハンカチで口元を隠しながら清掃魔法をかけた。
“……保護したんだったら魔法学校の最初の夏休みくらいは一緒に過ごしてあげて、お風呂に入れなければ清掃魔法を使うくらいの衛生観念を教えてあげたらよかったのにね”
“……初対面のクラインは宿全体が匂うかと思うほど臭かったね”
“……悪臭って、鼻が慣れてくるはずなのに人の心を抉るのかな。宿の人たちも殺伐としていたよねぇ”
“……東の魔女は嗅覚が鈍いんじゃない”
スライムたちとみぃちゃんとキュアは精霊言語で畳みかけるように、出会ったばかりのクラインの惨状を語った。
「あのねぇ。冒険者が臭いのはあたしの責任じゃないの!魔法学校時代のクラインはちゃんと清潔だったもん!!」
“……清潔にできる条件下でじゃない時に、どうすればいいかっていうことよねぇ”
“……常識や習慣は人から教わって身につけるものよ。お勉強だけさせればいいってものじゃないでしょってことなのにねぇ”
“……常識がない人が常識を教えられないのは仕方ないんじゃないかな”
井戸端会議をしているようなぼくの魔獣たちを指さして東の魔女が叫んだ。
「ガタガタいうな!この畜生め!!」
その言葉をぼくの魔獣たちは宣戦布告と受け取り、素早く東の魔女を取り囲んだ。
緊迫した雰囲気に、ぼくは魔法の杖を振り、僅かに残っていた料理が載ったテーブルを風魔法で食堂の壁にピタリと寄せ、防御の結界を食堂内に張った。
念のための処置であり、喧嘩を推奨しているわけではない。
準備が整ったことを察知したキュアが歓喜の精霊言語の雄叫びをあげた。
“……ヒャホー!思いあがった東の魔女をちょっとだけ懲らしめてあげるね”
キュアはすぐさま東の魔女の椅子の周りに魔法陣を出現させ、スノードームのように閉じ込めた。
東の魔女が精霊魔法で全てを無効化しようとキュアの魔法陣からキュアの魔力を使おうとするが、シロや兄貴の魔法を見慣れているキュアは奪われそうになった魔力を東の魔女に皮膚すれすれにあつめて、東の魔女から滲み出る魔力の下に潜り込ませた。
技ありだけど、これはマズい。
精霊魔法を使い続ければ東の魔女は自分の魔力を使い果たしてしまい、まやかしの魔法が解けてしまうだろう。
ぼくはキュアの魔法陣の中に滑り込むと、東の魔女を後ろから抱きかかえた。
「口げんかに魔力で反撃することは我が家のルールに反するよ。それに、女性のすっぴんを公衆の面前に晒すのは、悪口への意趣返しにしてはきつすぎるよ」
キュアは即座にぼくの意図を理解して魔法陣を消した。
「一番きれいな姿でいたいっていうのには男女の差はないでしょう。隠しておきたい真実をいきなり暴露することは個人の尊厳にかかわることです。駄目ですよ、キュア」
東の魔女に歩み寄りながら、ウィルが貴公子然とした笑顔で言った。
「やだ、違うもん。あたしはすっぴんでも可愛いし、本当の姿も愛くるしいわ」
うーん。幼女はどんな容姿でも可愛くて愛らしいぞ。
「あたしはちゃんとしているのよ。問題行動も起こしていないし、時代に合わせて行動しようと努力だってしているもん!」
幼児の癇癪が炸裂する気配を察したぼくのスライムが、体を膨らまして東の魔女を包み込んだ。
無敵に見えた精霊使いを排除するのって、案外簡単なのか!
“……ご主人様。東の魔女は精霊使いではありません”
“……彼女は妖精使いだよ”
シロと兄貴が呆れたようにため息を一つついて東の魔女の正体を明かした。
そっちだったのか!
カカシが高齢で精霊と契約を結び不老不死になったのだから、三歳で精霊と契約をすれば幼女で不老不死になるのではないかと推測していたのに、契約したのは精霊じゃなく妖精だったのか!
“……ご主人様。駆け出しの妖精が可愛らしい幼女とうっかり契約をしてしまったために、彼女は波乱万丈な人生を送ることになりました”
うわぁ。
三歳から外見が成長しないなんて、家族もあせっただろうな。
“……ご主人様。東の魔女が百年眠った逸話があるのは、百年かけて駆け出しの妖精と見せかけの魔術を完成させたからです”
“……一時期、先代のカカシに保護されたので、若き日のマナさんと知り合ったようだよ”
兄貴とシロは、姿を変える東の魔女をかつて太陽柱で見つけられなかったが、赤毛の幼女と緑の一族に的を絞って探し、見つけたらしい。
中級精霊になりたてのシロも常識がなくて、イシマールさんに教育してもらったんだ。
駆け出しの妖精なんて厄介なものと幼い時に契約してしまったら苦労したんだろうな。
そう言えば、うちの三つ子たちが庭で妖精を捕まえた時は、まだ一歳になったばかりだったような……。
“……ご主人様。あの子たちには捕縛された時に、すぐ釘を刺しておいたから大丈夫です”
“……うちには忠告する精霊たちが多いから、妖精が三人いても何とかなっていたんだよ”
三つ子たちが健全に育っているのは、たくさんの精霊たちが見守っていてくれたのか。
ぼくがホッとして胸を撫で下ろすと、ウィルが心配そうにぼくを見た。
大きなバランスボールのようなぼくのスライムの中に閉じ込められた状態で、東の魔女が暴れている。
クラインが心配そうにバランスボール状のスライムの横でおろおろしている。
ぼくは目を凝らして東の魔女の妖精を探したが見当たらない。
キュアが食堂の隅にちょこんと座っている。
口げんかに魔法陣を持ち出したことを反省しているにしては、存在感を消そうとしているのが不自然だ。
「キュア。お尻の下に何か隠していないかい?」
“……東の魔女は妖精に頼り過ぎているんだよ。小さい頃から何でも妖精にやってもらっているから、何にもできなくて何にも知らないのをわかっていないんだよ”
“……説明がへたっぴだよ。キュア。本人は長い期間を生きているから何でも知っているつもりになっているけれど、幼いころに妖精と契約したせいで、本来得られるべき家族からの愛情を得られなかったから、愛情を持って躾するってことを知らないんだよ”
三歳児が思い通りにいかないだけで妖精魔法を連発したら、家族だって手に負えないだろう。
“……家族の愛を知らないから、保護した子どもたちから向けられる愛情をどうしていいかわからなくなる。そうしたモヤモヤした気持ちに折り合いがつかなくなると、教育は魔法学校に任せてしまえばいい、と放り投げてしまうことで、問題がなかったようにしてしまったんじゃないかな”
みぃちゃんとみぃちゃんのスライムがそう分析すると、キュアが鼻息を荒くした。
“……結局一番悪いのは、契約したい相手の成長を待てなかった、この妖精が一番悪いんじゃないか!”
キュアがお尻を少し上げると妖精が飛び出してきた。
ぼくが両手でパッと捕まえると、カテリーナ妃の一件を思い出した留学生一行が、妖精か!とざわついた。
妖精本体を押さえてしまえば東の魔女はどうとでもなると判断したぼくのスライムが、バランスボールの変形を解いて魔女を放した。
突如解放された赤毛の幼女は、バランスボール状のスライムを蹴り上げた勢いのまま倒れ込みそうになり、クラインが抱え込んだ。
妖精と離したら東の魔女はまやかしの魔法が使えないのか。
「何百年も生きているんだから、もうちょっと落ち着いて、大人の余裕をみせようよ」
幼女に向かって語り掛ける言葉ではないけれど、マナさんと同じくらい生きている女性として扱いたい。
でも、やっぱり言動がマナさんより幼い東の魔女には、子どもに言い聞かせるようになってしまう。
「あなたは、ぼくの魔獣たちの心のうちを読んで、勝手に怒って返り討ちに遭っただけじゃないか。ほら、キュア。きちんと話し合いをする前に魔法で解決しようとしたことを謝ってね。東のま……。お名前を聞いていなかったね。まずは名のってくれるかな?」
和解を勧めようとしていたぼくは、改めて東の魔女の名前を訊いた。
「……ア……アネモネ」
花の名前じゃないか。
偽名っぽいがそれでもよしとしよう。
「アネモネさんか、可愛い名前だね。アネモネさんは、魔獣とはいえ心を読むことはやめた方がいいよ。ぼくの魔獣たちは愛想笑いをしながら、平気で相手を罵っていることがあるからね。人間だって笑顔で話していても心の中で悪態をついている人がいるけれど、心の中くらい自由でいていいじゃないか。人間は嘘つきだけど、嘘をつくことで喧嘩をしないで上手く人付き合いをしているところもあるんだ。いちいちそんなことに腹を立てないで、ぼくの魔獣たちを罵ったことを謝ってね」
クラインの腕の中から歩きでたアネモネさんは、一列に並んだぼくの魔獣たちに頭を下げた。
「ごめんなさい」
“……わたしも、先制攻撃しようとして、ごめんね”
“……あたいもあんたを包み込んで素顔を晒して悪かったね”
アネモネとキュアとぼくのスライムが握手をして和解が成立した。
幼女が飛竜の幼体とスライムと戯れているような絵面に、ひと騒ぎがあった事も忘れて、可愛い、と一同が和んだ。
「あたしはどんな姿でも可愛いでしょう。でも、この体だとたくさん食べられないから、あたしの妖精を返してくれないかな?」
「たくさん食べることであの姿を維持していたのか!」
低身長のロブがアネモネの発言に喰いつ入った。
「見せかけの魔法はたくさん(周囲の)魔力を使うから、食べて補っている面も確かにあるわ」
たくさん食べるだけでは大きくみせる魔法が使えないのはわかっているくせに、そうだよね、とロブが頷いた。
「たくさん食べるためにはたくさんの食糧が必要だよね」
「そんなの当たり前じゃない」
ぼくにバカにしてるでしょう、と目で訴えながらアネモネが言った。
「ぼくたちの事業に協力してくれたら、たくさんの美味しい食材が作れるよ!」
「あたしの妖精を人質みたいに掌に閉じ込めておきながら、美味しいものの話を始めるのは反則技でしょう!」
アネモネは頬を膨らませて怒ったが、話が終わるまで妖精を解放する気はなかった。
妖精に影響されていないアネモネさんの話が聞きたいのだ。




