黒い髪の女
「黒い髪で緑の瞳の女性なら、緑の一族なの?」
ウィルがぼくに尋ねたが、首を捻って唸ってしまった。
「うーん。ぼくが知っている親族は確かにみんな黒髪に緑の瞳だったけれど、世界中の黒髪に緑の瞳の女性がみんな緑の一族かと言われると、なんだか違うような気もするよ」
そうだよね、と留学生たちも言った。
「黒髪に緑の瞳は珍しいの?」
「俺は世界を股にかけて活動してきたが、黒髪や緑の瞳の奴はいるが、黒髪で緑の瞳の奴にはカイルの親戚以外では会ったことがないぞ」
ベンさんも見たことがないのか。
「髪や目の色だけじゃなく、その女性が緑の一族じゃないかと考えた根拠はなにかある?」
兄貴が容姿以外で判断した要素を聞き出そうとした。
「王侯貴族が使うような転移の魔法が使えたり、俺の市民カードをいつのまにか取り返していたり、そんな魔法が使えるのに貴族っぽくないなんてあり得ないだろう?」
拳で頭を叩きながらクラインは思い出そうと眉間にしわを寄せている。
はっきり思い出した記憶の近いところから聞いてみよう。
「結局その魚は美味しかったの?」
「ああ、美味かった。清掃魔法をかけられた後、胃腸が弱っているからって、回復魔法までかけてくれた。……馬鹿になる薬を盛られていたから、昔のことは思い出せなくなっている、と言われたが、孤児院のことを思い出せたのはこの時の回復魔法のお蔭だろうな。魚は依頼されて獲ったやつだから、ともう少し小ぶりのやつをスープにしてくれた」
「本当に魔法の達人だね。どんな家に住んでいたの?」
ウィルが暮らしぶりについて質問した。
「森の中の二階建てにこぢんまりとした木造住宅で……入ってはいけない保管室があったな。俺があんな時刻に町はずれの川沿いにいた理由も聞かずに、毎日三食も食わせてくれた。数日で丸々と太った俺に学校へ行け、と市民カードの名前を書き換えて、寮付きの小さな魔法学校に入学させてくれた。あの家で過ごした期間が短かったから、魔法学校での生活を思い出すことの方が簡単なんだ」
クラインは魔法学校の話になると頭を叩かなくなった。
「魔法学校生の半分は町の周辺の村の子どもたちで、寮生活だった。俺のように出身地をハッキリ言えない子供が数人いて、なんとなく親しくなった。みんな黒髪の若い女、と一言いうだけで話が通じたんだ。俺と同じように汚い孤児院を逃げ出した後、学費を出してもらってここに居る状況が、みんな同じだったんだ」
可哀想な子どもを拾っては、学校に通わせる聖人なのか?
「諸先輩の話を聞くと、学費や生活費は貸付ということでアルバイトを見つけて稼がないと、将来暮らしていけなくなる、と言われてね。五年の間に六人も保護していたようで、今後の見通しの説明は最初に保護された先輩以外、誰も黒髪の若い女から聞いてなかった」
「孤児を助け、金を貸し付け、学校に送り込む若い女性ですか。聞いたことがありませんね」
商会の代表者も首を傾げた。
「最初に保護された先輩も、魔法を身につけてガッツリ稼いで金を返せ、としか言われていないようで、学校に入学してから身を立てる方法を模索したらしいよ。俺たちは就職するにも身元保証人に女を当てすることもできないから、冒険者になることにしたんだ。長期休暇も寮に残りアルバイトばかりしていたから、女がどんな生活をしていたかよくわからないとしか言いようがない」
「それでその借り入れの返済はどうなっているのですか?」
商会の代表者はお金の動きから女の所在地を特定しようと質問した。
「市民カードのポイントから年単位で引かれている。じつは、借り入れした総額も利息の割合も知らないから、今でも引かれているぞ。一生払わなければいけないのを知っていたのなら、上級魔法学校まで行けばよかったよ」
「実際はどこまで履修したのですか?」
「その町は中級魔法学校までしかなかったから、そこまでだ。卒業式には見知らぬおっさんが……来て……冒険者ギルドの登録を一緒にした……はずだ」
再び頭を叩きだしたクラインは卒業式に来たおっさんの容姿を思い出そうと苦しんだ。
……頭を叩く?
……かつて、頭に物理的な衝撃があって正気に戻った大人がいたな!
ぼくがそう思いつくと、ウィルにも心当たりがあったようで、ポケットに片手を入れて自分のスライムを触った。
“……ウィルのスライムが、東の魔女って言っている”
ぼくのスライムが精霊言語で知らせると、兄貴も頷いた。
ハロハロが東の魔女に思考誘導されていたのは飴玉だったな。
「そのおじさんに卒業記念か何かで飴玉をもらったりしなかった?」
ぼくの質問にクラインは両手で頭を叩き始めた。
「……ああ、もらった。……美味しい飴だったぞ」
当たりか!
「クラインの市民カードを見せてもらっていいかな?」
ウィルはここまで符丁が合っても、慎重に東の魔女の痕跡を確認しようとした。
「たぶん偽造カードだぞ」
「いえ、本物に上書きしているだけでしょう。市民カードを偽造して生きている人の話はありません」
商会の代表者は、市民カードの偽造は神罰の対象になるから手を出すものはいない、と言った。
「上書きは神罰の対象にならないの?」
「上書きは洗礼式でもやっていますから、神罰の対象になりません。上書きは神々を欺く行為ではなく、騙す対象が人間ですからね」
神様にお見通しで人間たち同士の騙し合いならば、お咎めなし、ということか。
クラインは商会の代表者の言葉を聞いて安堵したのか、ウィルに市民カードを見せた。
ぼくも覗き込んだが、名前はクラインで登録されており、魔本の記録によれば魔法学校を卒業して冒険者登録をするときに上書きされた名前なのだろう。
ぼくはカードに手をかざして魔力を薄くぶつけてみた。
ほんのりとクライン以外の魔力を感じるが、ハロハロが持っていた魔法陣が描かれた飴玉の魔力と同じかどうかは確信が持てない。
“……ご主人様。この魔力はあの飴玉に残されていたものと同一人物で間違いありません。彼女の存在を太陽柱では見えないということは、邪神の欠片に関わっているのかもしれません”
東の魔女は、皇帝に無理強いさせられてガンガイル王家に干渉していた、と魔法の手紙を残してガンガイル王国から消えた。
……ガンガイル王国から消えた?!
東の魔女はガンガイル王国にハロハロの幼少期から滞在していたじゃないか!
「クラインって今何歳なの?」
ぼくの唐突な話題転換にクラインが眉をひそめた。
「だから、覚えていないから正確じゃない。洗礼式から何年経って魔法学校に入学したかがわからないが、自称35歳だ」
ハロハロの洗礼式後から王宮に潜り込んでいたと仮定したら、クラインを拾って魔法学校に送り出した後で辻褄が合う。
「卒業後、その謎の女性に会ったことは……」
「ない」
ウィルの質問にクラインは即答した。
「うーん。たぶん、その人は緑の一族じゃない」
ウィルは大げさにため息をついて言った。
「緑の一族は黒髪に緑の瞳の女性というのが一般的に言われている容姿だけど、族長はそこに拘っていないよ。カイルは黒髪に灰色の目の男の子だし、ぼくが知っている緑の一族の女の子は褐色の肌で、一般的な緑の一族という特徴の範疇から外れているその子も、一族の子として大切に扱われている。カイルの親戚は成人後結婚して一族を離れても、本家との交流が途絶えることがない。緑の一族は絆を大切にしているんだ。保護して学校に送り込むだけとか、貸し付けたお金をポイントから天引きするだけで連絡がない、なんてとてもその女が緑の一族とは思えない」
ウィルがフエの例えを出すと、魔法学校でも緑の一族の結束が固かったね、と辺境伯出身者たちが頷いた。
「緑の一族は、後継者候補を探す時に、血縁関係のないカイルの義弟を誘うくらい血縁より素質と人格を重視するよ。その女が話に聞くような魔法の使い手なら、族長が緑の一族をそばに派遣するはずだ。誰もいない状況は考えられないよ」
兄貴がそう言うと、血縁関係がなくても後継者候補になれる、という言葉に誰もが驚いた。
「ぞ、族長は後継者候補に血縁関係者以外からも探すのですか!」
もんじゃの村の村長の息子は誰よりも驚いたのか、声が完全に裏返っていた。
「緑の一族の族長候補の条件は、必要な素質があることと、精霊に認められることらしいけれど、なかなかこの条件を達成できる人物はいないからいい子がいたら育てたい、と族長はいつも言っているよ」
「責任の重い仕事があるから、それを熟せる人物を求めているんじゃないかな」
ぼくと兄貴がそう言うと、もんじゃの村の村長が頷いた。
「族長となればそうだろう。こんな小さな村だって責務を熟せないようではだめだ。これだけの畜舎を建てていただいて、村の結界も強化され、村の周辺も豊かになりつつある。ここからどう発展させていくかは儂らの行動次第だ。村を統率する儂が判断を誤ればここまで良くしていただいたのに、村一つなかったことにされてしまう。小さな村の村長だってその責任を忘れてはいけないんだ」
もんじゃの村の村長は息子の目を見て言った。
「自分たちの村のことばかり考えていては駄目なんだぞ。緑の一族という人たちはそれを、理解しているんだろう。彼らが滞在した地域の土地は魔力が増え、肥沃な大地になるという。そうしてその土地が安定したら、また違う土地に移動するんだ。豊かになった地を何故離れる必要があるのだ?」
村長は息子に尋ねた。
「……魔力の低い土地を改善しに行く?でも、豊かになった土地を放棄するなんて、そんなの一族にとって損失にしかならないじゃないか!」
村長の息子の言葉に、留学生たちは遠い目をした。
「歴史の長い一族なんだから、見ている先が一般の人たちと違うのかもしれないよ」
ケニーがボソッと呟いた。
「魔法を学べば誰でも知っていることだけど、世界は一度崩壊しかかった。使えない言葉や魔法陣のせいで世界が混乱した時代の前から続く一族なら、子々孫々まで穏やかに暮らしていくために世界の魔力の安定を密かに目指しているのかもしれない」
ロブが正解に近いことを言った。
「儂もそう思う。君たちがやっていることもそうだ。君たちは通った道筋がすでにそうなっているじゃないか。儂らは自分たちのことで精いっぱいだ。これまでもそうだったし、これからもそうだろう。だが、協力できることがあるはずだ。それを一緒に考えよう」
村長の息子は顔を上げて眉をひそめた。
「俺たちには何もできないと思い込んでいたということかい?」
「じっさい何もできないに等しいだろう。それでもできることを考え続け、やれることをやるんだ。儂もクラインさんを助けた女性は緑の一族の女性ではないと思う。だが、彼女は自分のできる範囲でできることだけやったんだろう。いなくなる子どもの噂を知っているかい?」
村民たちは首を横に振った。
「ああ、用心しているから、ここらではそうなくなった。いや、子どもの人数がそもそも少なくなったから、目が届くようになっただけかもしれない。魔力の多い子が町の教会に登録に行くと、帰ってこないことがしばしばあったんだ。だから近隣の村で合同で洗礼式に向かい、引率する大人を増やしているんだ」
村長の説明に村人や地は心当たりがあるのか、ああ、と頷いた。
「その女性はいなくなった子どもを探していて、偶々、違う子を保護したのだろう。放って置いたら野垂れ死ぬ子どもたちに金を貸し付けて自活させた。緑の一族なら手厚く保護できただろうけれど、彼女は自分のできることしかしなかったのだろうね。でも、彼女がいたからクラインさんは助かった。緑の一族のようにはできなくても、彼女のように儂らは儂らのできることをすればいい」
「魔力も金もないのに、クラインさんの恩人のようなことはできないよ」
村長の息子がそう言うと、村長はため息をついた。
「魔力も金もないけれど、親族の村を見殺しにしたくない。……もうあんな思いはしたくない。だったら知恵を出すしかないんだ!」
自分たちの村を守る見通しが立ったら、親族の村を心配するのはどこも一緒だ。
でも、この村長の口調からすると、親族のいる村が、きっとなかったことになってしまった村なのだろう。




