ちいさな異変
そんな和やかな昼食の終わりごろ、遠くから鐘の音が聞こえた。時間を知らせる定時の鐘の音とは鳴り方が違う。鐘の音にあわせるように、町の結界に小さなさざ波のように魔力がはしる。
「なんの鐘の音?」
「今日は教会の洗礼式だから、だれか魔力の多い子が居たんだよ。高位の貴族は自宅に司祭様を呼ぶから、今日鳴らしているのは下級貴族の子か平民の子どもだよ。あの鐘を鳴らすと、初等学校は王都の初級魔法学校に進学することを勧められるのよ」
「自分は洗礼式で鐘を鳴らしたので王都に進学が決まりました。それまでは領の学校で十分だと両親は考えていたようです」
「鐘を鳴らすと人生が変わってしまうんだ…」
「断ることはできるけど、まずいないね」
「洗礼式で魔力を測ったりするんですか?」
「魔力量をはかるわけではないんだ。司祭様が専用の魔術具で魔力の色を見てその子の学ぶべき方向を示してあげるだけだよ。動物のお世話をするのに向いているとか、力持ちだから兵士に向いているぐらいの簡単なもので、絶対兵士にならなくてはいけないというわけではない。学校に入って専攻を決めるのに参考にすればいい程度のものだよ。ただ一定以上の魔力があると祝福の鐘が鳴る。そういう子どもは見込みがあり、領主様が奨学金を出すから進学率が高いだけだ」
「洗礼式で鐘を鳴らさなくても領の学校に進学した後に魔力量を認められて王都の学校に編入する子もかなりいる。小さい頃の魔力量が絶対という訳ではないよ」
そんな話のさなかに再び鐘が鳴る。魔力のさざ波が走るけどさっきのより小さい。ちょこっと揺れたぐらいだ。
「この時間帯だと、地方の子どもというよりは下級貴族か豪商の子どもでしょうね。遠くから来た子から順に町の中心部の子は後になりますから」
「地方の子は早く終わらせて、帰るのですか?」
「午後から洗礼式の踊りを済ませてから帰るけど、洗礼式での適性を聞いた後学校の手続きをするから、遠くから来た子を先にするんだ」
「合理的な判断ですね」
「洗礼式時期は町の宿屋が足りなくなるから、村に帰れるようなら帰ってほしいというのが本音だよ」
また鐘が鳴った。魔力の多い平民の子どもって結構いるんだ。洗礼式の魔力さえ町の結界に使っちゃうんだから、この町の平民の魔力も侮れないのかもしれない。
誘拐されて町の外に出てから、町の結界の気配を感じると安堵感が湧く。朝晩の通勤の時間にこの町の人々は大神の祠に魔力奉納をしている。静かに結界が強化されるのを感じると、一人一人の魔力は大したことなくても集まった時の力強さを頼もしく思える。そんな中魔力の高い子どもを更に教育しようとする領主様は素晴らしいと思う。孫バカだけど。
黒いのが珍しくぼくのそばにやってきた。町の結界の揺れを感じているんだろうか?
「カイル?何か気になることがあるのかい?」
「鐘が鳴ると町の結界に魔力が少し流れるんです。よくできた仕組みですよね」
「洗礼式の子どもの魔力なんて微々たるものだろう。そんな小さな結界の魔力の流れがわかるのかい?」
「魔方陣を通っているから目立つだけなんでしょう。魔方陣の仕組みは全くわかりませんが、町全体を覆うものと、部分的に守るものと、いくつか重なっていることだけわかります。魔力が流れている気配がするんです」
「それは小さい頃からわかったのかい?」
ハルトおじさんが食いついてくる。誘拐事件はかん口令が敷かれているけどここに居る人たちで事件を知らない人はいない。
「原野を散策した後からです。町に帰って来た時、結界の存在に気が付いて物凄く安堵しました。それから癖になってしまったのか、結界の気配をちょくちょく探るというか、確認するようになってしまったんです」
「まあ、それは、怖い思いをした後にはよくあることだ。思い出して不安になるより、守られている安心感を確認する方がずっといい」
イシマールさんがぼくの頭をポンポンとしてくれた。大人に守られている安心感も好きだ。
ただいつもケインにべったりな黒いのがぼくの影の方に移動してきたのが気になる。筆談以外のコミュニケーション方法がないのがもどかしい。
「結界の効力みたいのはわからないの?」
「町に結界があるのだから守られているだろう、くらいにしかわかりません」
「ぼくはほこらの色がわかるよ」
ケインが無邪気に言うが、祠の見た目は真っ白だ。強いて言えば精霊神の祠は魔力奉納されるとうっすらと虹色に光っていた。あれが祠の色なのだろうか?
「すごいね。ケイン。何色に見えるの?」
「おしろのほこらは、にじ色。ひろばのほこらは黒と、白っぽい光!」
ぼくは広場の祠で色を感じたことはない。誘拐事件の後から得た能力だとしたら広場の祠はもう一度見てみたらケインのように色がわかるのだろうか。
「祠の神様の属性がその色だから、ケインは魔力の色がわかるんだろうね。町の安全が確保されたら祠を全部回ってみましょう」
「町の中に兵士の小さな詰所がいくつかあればいいのに。平常時はスリとか喧嘩の仲裁ぐらいの仕事しかないかもしれないけど、町の治安を見守る人がいたら、犯罪自体も減りそうだよね」
「門番以外にも街中に兵士を配備するのか…予算の問題があるが、今のように騎士団を動かす方が金もかかるし、これは面白い案だね」
交番をつくってほしかったんだが、人もお金も足りないよね。
「あんぜんになったら、またおでかけできるの?」
黒いのがぼくの影の上でぐるぐる回転している。街か?街が危ないのか?急に慌てだしたってことは今どうかなっているということか?
ぼくには町全体の気配を探れるような魔力はないだろう。こないだみたいな魔力枯渇は懲り懲りだ。
また鐘が鳴り結界の魔力が揺れる。そこにちょっぴりぼくの魔力をのせて、さざ波に運んでもらう。
ぼくの小さな魔力はどんどん薄く広がっていく。分子レベルまで小さく薄く遠くまで……。
この町は七つの大きな結界と、いくつか小さな結界が部分的に働いている。教会からの魔力の流れは町の隅々までいきわたっている。上空はどのぐらいまで効果を及ぼしているんだろう。
ぼくは地を這うように流れていった魔力を上方に拡散させていった。
なんだか違和感がある場所があった。なんだろう?
魔方陣の形に添って拡散した魔力なのに、上昇させたら魔力がゆがむ場所がある。
これはなんだろう?
ぼくの魔力が拒絶されているわけではなく、なんだか、均一に広がっていた結界の魔力にむらができていて、ぼくの小さな魔力がのりきらなくなっているようだ。風が吹いたら魔力が流されるなんてことがあるんだったら、もっとあちこちでむらがあるだろう。
「カイル?どうしたんだい?」
考え込んでいる間微動だにしなかったぼくを、お婆が揺さぶった。
魔力枯渇を心配されているのに魔力を使ったことを話したら怒られるかな。
「正直に言った方がいいと思うぞ。今やましいこと考えているって顔をしているぞ」
イシマールさんの勘がいいわけじゃなくて、ぼくがなんでも顔に出していたのか。
「鐘が鳴るときに揺れる魔方陣の魔力にほんのちょっぴりだけぼくの魔力をのせてみたんだ」
「「「「はぁ?」」」」
「魔力枯渇をおこしていないね?」
「魔力を使った気配はなかったぞ!」
「危ないことはしないで!」
「ちょっぴりってどのくらい?」
大人たちに詰め寄られるが、そんなにたいして魔力は使っていない。
「魔獣カード一枚を競技台に乗せるくらい…かな?」
「魔獣カードって何?いやそうじゃなくって、玩具を使うようなくらいってことか…」
ハルトおじさんはなにか考え込んでいる。
黒いのはさっきとは反対にぐるぐる回っている。さっさと言えってことかな?
「結界の魔力が町全体に広がっているのが分かったんだけど、なんだか偏っているというか薄くなっているところがあったんだよね。魔力って風とかに流されるものなの?」
「「「「……!!!!」」」」
「普通の風には流されないが、風魔法みたいな魔術なら流される」
「魔術で干渉したら流される」
「魔力除けの薬草なら薄くできる」
「いくつかの鉱物が魔力を吸収するわ」
「じゃあ、むらがあるのが普通なんだね」
ハルトおじさんがおでこをむき出しにして頭を掻きむしる。いわゆるM字型だ。
「町の結界はそんじょそこらの魔力干渉には影響されないようにできている。もし本当に魔力干渉されているとしたら大問題だ。どのあたりが薄くなっていたかわかるかい?」
ぼくは居間に引きずられるように連れていかれた。黒いのはついてこない。やはり町の魔力について騎士団に相談する、が正解だったようだ。
町の地図を見せられて、ハルトおじさんの護衛騎士と思われる六人の騎士に取り囲まれてしまった。
「街に出たことが少ないから地図を見てもよくわかりませんが、ぼくのうちがここで、教会がここ。魔方陣の魔力の揺らぎにのせたから、ここの間ではない。こっちに赤い祠があって、その先の…たぶんここらへん」
七つの大神の祠を目印にして魔力がゆがんだ辺りを指さした。
「北門付近の倉庫街ですね。出荷前の希少鉱石もあるので警備もしっかりしているところです。確認してみましょう」
「今日は洗礼式に合わせて鉱山は最小限しか稼働していない。いつもより人が少ないはずだ」
「警備の人数は変わらないはずだ。第三師団に問い合わせを!」
ハルトおじさんの護衛騎士だと思っていたのに、二人の騎士を残してあわただしく出かけていってしまった。
「洗礼式は町に人の出入りが多い日だから、警備は強化されているから問題ないはずだよ。それより、魔力が薄いって、どういう状態なの?」
「たぶん、瘴気だまりに似ています。ぼくは悪いものの気配があると近づかないからはっきり言いきれないのですが、悪いものがいるところはそもそも瘴気が他のところよりはあるわけで、そこにモヤモヤと集まっているのが、ぼくにとっての悪いやつなんです。それとは逆に、結界の魔力の拡散に偏りがあって、薄いところができている、そんな感じです」
「うーん。結界の魔力がどこかに吸収されているのではなく、不均衡に拡散されている、といったところか。現場見てみたいけど、怒られちゃうね」
残った二人の騎士がこくこくと頷いた。
「それにしたって、魔力の揺らぎって面白い表現だね。魔力が見えるわけじゃないんでしょう。どうやってわかるの?」
ハルトおじさんは説明しにくいことばかり説明させる。
「ハルトおじさん、腕をまくってください。肘までで十分です。優しく息を吹きかけてください。そうすると、息が当たっていないところにも空気の流れを感じるでしょう?」
「うわぁ…感じる!」
ハルトおじさんは首筋をぶるっと震わせた。
「まあ実際には気配としか言いようがないものなので、これ以上上手く説明できません」
「大体わかったよ。こんな気配が鐘が鳴ると結界に広がっていくんだね。うーん。私も気配を感じたい」
「蟻の足音は象には聞こえませんよ。ぼくの魔力が少ないからちょっとした変化に気がついただけですよ」
「かなりの特殊能力な気がするよ」
「死にたくないから身についた能力なので、他の人で試さないでくださいね」
騎士二人に、よく言ってくれた、という顔をされた。ハルトおじさんは実験好きそうだから、ほっといたらやるだろうな。




