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高貴なる焼肉

「雪だ!まだ雪が残っている!!」

 助手席のウィルがはしゃいでいるのをぼくの足元で丸まった犬型のシロが、それがどうした、という顔で見ている。

 “……マルコも雪に喜んでいるよ”

 山の渓谷の残雪に喜んでいるのはガンガイル王国の領都では積雪するほど雪が降らないウィルと、ガンガイル王国よりさらに南の地方の出身のマルコだ。

 ウィルの領地の山でも雪は降るだろうに、年間通して王都暮らしをしていたウィルらしい反応だ。

 先行して飛ぶキュアが山頂を越えて国境を越えた状況を、視覚を共有して伝えてきた。

 衝撃的な国境線だった。

 ほどなくしてぼくたちの馬車が国境を越えると、ウィルもその境界線に息をのんだ。

 山頂の稜線を越えても残雪はある風景に差はないのだが、麓の緑の濃さが違った。

 この山は生きている。

 春と初夏を同時に迎えた山には魔獣たちの活動の気配がする。

 ぼくたち辺境伯領出身者たちには初めて見るのにどこか懐かしい、胸の奥をぎゅっと握られるような苦しさに襲われた。

 ……世界はこうあるべきなんだ。

 植物が新芽をだし、新芽を求めて低級草食魔獣が活動を始め、肉食魔獣たちが冬眠から目覚めて狩りを始める。

 食物連鎖の頂点のキュアは魔獣たちの活発な生態系に本能で興奮している。

 マルコの叔母さんの国は砂漠の中のオアシスのように安定した治世の国のようだ。

 兄貴がマルコに良い土地だね、と声掛けすると、国境線でハッキリと分かれた豊かな大地を目にしたマルコが涙目で頷く様子を兄貴が伝えた。

 この国では神々の依頼を気にせず、普通の観光旅行ができるかもしれないという期待に心が浮き立った。

 キュアは登山口近辺の整地が可能な場所を探しぼくたちを誘導した。

 濃い緑の深淵の中に秘密の着陸地点を整地すると、秘密基地のような状況にぼくもわくわくした。

 深い緑に精霊たちがたくさんいるこの国らしく、二台の馬車が着陸態勢に入ると精霊たちが誘導するかのように飛行経路に集まってきた。

 歓迎してくれるのはありがたいけれど、隠密に着陸しようとしていたのに厚い雲の隙間から一筋の光が差し込む『天使の梯子』のように、精霊たちが集まって来て二台の馬車?を誘導した。

 ああ、目立たずコッソリ入国するという計画が霧散したじゃないか。

 足元に伏しているシロはこの状況にも反応することなく、組んだ両前足の上に顎を乗せてぼくと目を合わせない。

 歓迎されているのに拒否するのも野暮だろう。

「お出迎えに応じることにしようか」

 ぼくがそう言うと、兄貴が苦笑しながら了解、と思念を送ってきた。


 着陸して馬車をもとの形に戻していると、マルコとアルドさんが着替えるために馬車に籠り、ぼくたちは昼食の準備をし、商会の人たちは地図を広げて王都へのルートを確認していた。

 派手な着陸をしてしまったので、国境警備の騎士団の分隊が派遣されたようだ。

 十人ほどの人馬の気配が近づいてくる。

「ああ、お出迎えが来てしまったようだね」

 ウィルとベンさんが同時に気付き、人の気配のする方向を見た。

「このまま彼らと合流した方がすみやかに王都に移動できそうですよ」

 地図を畳んで商会の代表者はそう言ったが、不法入国者として護送されるということだってあり得る。

 “……ご主人様。マルコはそれなりの地位の方ですから、丁重に護送されることになるだけです”

 そうなると普通の馬車の速度で移動することになるから、今日中に王都に行くのは無理かな。

「お待たせいたしました。あらまあ、焼肉ですか?七輪を囲むのでしたらドレスの選択を間違えてしまったようですわ」

 マルコは、マリアになっていた。

 繊細なレースのフリルがたくさん使われたふんわりと膨らんだドレスは、七輪の前に座るのは明らかに場違いだが、凄く可愛らしい。

 オレンジ色の長い髪をピンクの大きなリボンのヘアーバンドでおさえているので顔がはっきり見えた。

 下手な男装だと思っていたけれど、今まで髪が短く見えるようにしたり、目つきを鋭くしたりと魔法で変装していたのに、美少女の輝きを抑えきれていなかっただけだったようだ。

「凄く可愛いから、今日はそれでいいよ。七輪はエンリケさんに任せてお姫様のように給仕してもらおうよ」

 ウィルに可愛いといわれて頬を染めたマルコ、いやマリアは一層可愛らしく見えた。

「でも、お手伝いしたかったのです」

「ああ、座ってお姫様のようにかしずかれていてくれた方がおそらく今後の話が通りやすいんだよね。間もなく国境警備の騎士団の分隊に取り囲まれるから、王太子妃の姪御さんはお姫様のように敬われていた方がいいでしょう」

 兄貴がそう言うと七輪から離れた席に案内した。

「事情は理解しましたが、焼肉は煙にまみれて七輪の前で自分好みにお肉を焼くのが一番美味しいです」

「マリア様。交渉事は第一印象が勝負です。キリシア公国の姫様として凛としていてくださいまし」

 落ち着いたベージュ色のドレスを着たアルドさんは、ゆったりと髪を結った優しそうな美女になっており、侍女頭らしくマリアの姿勢や手の置き方まで細かく指導した。

「……アンナはアルドの時の方が優しかったですわ」

「マリア様が淑女の身のこなしをお忘れになっているからです」

 男装している時は女の子っぽい仕草を出来るだけ抑えていたのだから仕方がないよね。

「さあ、お姫様。お好みのお肉をアンナさんに囁けばよいのです。『牛タンは焼き過ぎないで炙る程度で、葱塩は葱抜きで、大蒜の代わりに胡麻を効かせてちょうだい』と長めに指示を出しても、お姫様っぽいでしょう」

 ウィルがマリアのそばで膝をついて恭しく話しかけると、留学生たちはどっと笑った。

「お姫様と十人の(しもべ)です」

 悪ノリしたウィルに便乗したぼくもウィルに倣って片膝をついて恭しく言った。

 マリアは顔を真っ赤にして恥ずかしがったが、偵察の騎士団に囲まれて観察されていることを察した留学生一行は、お姫様と十人の僕ごっこをノリノリで始めた。


「そこら辺の草と羊のチーズにジュレドレッシングを添えたサラダです」

 そこら辺の草じゃなくてクレソンのサラダだ。

 悪ノリした野菜嫌いの留学生は野菜の名前を覚えていないのに、美少女の前でカッコつけようとして失敗している。

「そのままでも美味しいですが、こちらの薄切りのパンの上にお好みのお肉と一緒に載せてお召し上がりになっても、大変美味しゅうございますよ」

「こちらのシュワっとするお水はお口がさっぱり致しますよ」

 みんなが面白がってマリアに恭しく給仕をすると、マリアも小芝居に段々慣れてきたのか次第にお姫様らしい仕草が自然に出るようになった。

 いつもは一緒に食事をするエンリケさんが護衛としてマリアとアンナさんの背後に立ち、次々と給仕をする留学生たちを見張っている。

 ぼくたちは肉を焼く班は遠慮なくガツガツと肉を食らい、給仕の班と交代しながら小芝居を楽しんだ。

 エンリケさんに交代人員が居ないから可哀想だな、なんて考えていたら、ベンさんがさり気なくエンリケさんの背後に立って交代を申し出た。

 七輪の前にやって来たエンリケさんは満面の笑みを浮かべていた。

 焼肉の美味しさを知っているのに煙を浴びているだけなんて辛いよね。

「ちょっと塩ホルモンを多めに焼いて、もっと煙を出そうかな」

 ウィルは国境警備の騎士団が取り囲んでいるのに、いつまで経っても話しかけてこない状況に、しびれを切らしてちょっとした嫌がらせを仕掛けようとしている。

 昼時に肉の焼ける匂いを嗅げば、焼肉文化のない国の人にもきついに違いない。

 エンリケさんも賛成のようで網の上にどっさりと塩ホルモンを載せた。

「エンリケさん!道中にビールを仕込んでいたのですが、食後に洗浄魔法をかければ酔っぱらいはしないので味見してくれませんか」

 商会の人たちが焼肉にビール、という大人には堪らない組み合わせを提案した。

「移動中にビールを醸造していたのですか!」

「自分たちで飲む分なので売り物じゃないから商品として移送申請はしていませんよ。水と同じ扱いです」

 密輸じゃないと、強調したが国境を移動中に醸造したら酒税を治める国がないから密造酒だろう。

 証拠隠滅のために今飲んでしまう気だな。

「商会の馬車に乗っていたのに醸造していることに全く気が付かなかった」

「着の身着のままで歩いていたように見えたのに、豪華なドレスを持参していたんだからお互い様です」

 アンナさんの鞄は衣服限定の収納魔法の魔術具で王家の家宝だ、とエンリケさんは告白した。

 みぃちゃんがポーチから顔だけ出すと、エンリケさんは似たようなものと言いたいけど、生き物を収納できる魔法は高度過ぎる、と小さく首を振った。

「まあ、飲みましょう」

「いえ、ベンさんに代わってもらっているのに自分が飲むわけには……」

「もうベンさんは試飲済みです。洗浄魔法なら全くわからないでしょう?」

 エンリケさんは嬉しそうに頷いた。

 せっかくの焼肉なんだから、楽しまないといけないね。

 カルビから滴り落ちる脂に火が付いた。

 黒焦げになる前に救出しなければ……タレの皿に浸してからレタスで巻いてお姫様に給仕しよう。


 深緑の森の方からお腹が鳴っているような音があちこちからした。

 責任者が到着するまで現場で動けない状況だとしたら気の毒だな。

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