山越えルート
人生をやり直すのに遅すぎるなんてことはない、わけではない。
ユゴーさんは気付くのが遅すぎて家族全員を失った。
でも、一矢報いてやりたい、という気持から国を救いたい、という気持ちに変化して、やる気が出たのは良いことだ。
「そろそろ戻りますね。砂糖と魔獣カードの話に戻りますから、話題に気をつけてください」
上級精霊のように時間を戻せないシロの亜空間を抜けるときは、初体験だと人前でマヌケなことを言いだしかねないのだ。
三人が頷いたのを確認してから亜空間を出た。
「砂糖の生産が我が領で出来ないと、アイスクリームの魔術具を購入しても簡単には作れないよ」
状況把握が上手くできた領主がそう言うと、商会代表者は国王陛下に直訴して、ガンガイル王国と友好国とならなければこれ以上の砂糖の輸出は認められないだろう、と現実的な話をした。
「代替する甘味を探すことから始めてみてはどうでしょう?」
「ガンガイル王国北部でも生息できる蜜蜂もいますね」
「蜂蜜ほどの甘みはなくても春先の樹液に甘い木がありますね」
学習館で樹液を舐めてみよう、というのが流行ったことがあり、辺境伯領出身者たちが白樺の樹液は美味しいけれど松脂を舐めて悶絶したことを思い出して、みんながそれぞれの思い出の樹液の味の感想を述べた。
「……地産地消なのか……。領内の植物の調査を徹底しよう」
「下心がある時は、神様に事前にお伺いを立てるように大地の神に魔力奉納をすると良いですよ」
ウィルの一言にマルコがハッとしたように顔色を変えた。
神々のご利益は有るか無いかははっきりしなくても、ご加護を得るための努力は怠らない方がいい。
何が神々のツボにはまるかわからないのだ。
やれることは何でもやった方がいい。
戻ってからの三人は飛竜の魔術具での取引内容を具体的に詰めていたが、領主夫人が食事に提供された飲み物と違うお酒の香りがする夫に怪訝そうにしているのを、ウィルが気付き表情を変えずに笑っていた。
詳しい話は大人たちに任せてぼくたちは退席した。
田舎の領主館の朝は辺境伯領にいた頃のような穏やかな朝だった。
日の出とともに起床して身支度を済ませると、兄貴がまだ自宅から戻っていなかったけれど中庭の運命の神の祠に参拝に行った。
遠くに放牧する羊を連れた牧童の口笛と犬の声が微かに聞こえ、早朝から仕事を始める人々の生活音に懐かしさを感じた。
なんだかんだといろいろあったが、この国の結界の補強をユゴーさんたちが成し遂げるだろうから、この国では結界の補強を気にせず通過できるから気楽だ。
ユゴーさんたちはこの国の王都へ行き、ぼくたちはマルコの叔母さんの嫁ぎ先の国へ直行することになるだろう。
ユゴーさんたちとはここでお別れか。
城壁の外で待機している怪鳥チーンの番を引き連れて、王都へ帰還するユゴーさんたちはきっと一悶着を起こすだろう。だけど、そこにぼくたちは付き合わない予定だ。
運命の神の祠に魔力奉納をすると、祠の周囲に精霊たちが集まってきた。
みぃちゃんやキュアとスライムたちが魔力奉納をすると、精霊たちも楽しそうにぼくの魔獣たちの側でくるくると回りながら輝き、みぃちゃんがキメ顔で踊り出すと精霊たちはさらに増えた。
「まあ、なんてきれいなんでしょう」
振り返ると屋敷の使用人や兄貴と留学生一行や、ユゴーさんたちだけでなく、まだまだ寝ていてもいいような幼い領主の孫娘まで中庭に出てきていた。
なんだか急に懐かしくなった。
ケインとぼくとボリスでシーツのような白い布を被って辺境伯領領城の精霊神の祠を参拝した時を思い出した。
ウィルが洗礼式前の領主の孫娘の前で掌を広げると、ウィルを慕う精霊たちがピンポン玉サイズにまとまってクルクルと舞って少女を楽しませた。
女の子が精霊たちに手を伸ばすと光はスッと消えてしまった。
悲しげな顔で女の子がウィルを見上げた。
「神々の祠にお友達と魔力奉納を毎日して、精霊たちと仲良くなれるように励んだら、きっと君のところにも精霊たちは遊びに来てくれるよ」
精霊と踊るみぃちゃんとキュアを見て女の子が不思議そうな顔をした。
「ねこも、ひりゅうのこどもも、まりょくほうのうをするの?」
留学生一行はハハハ、と笑い、もちろんだよ、と言った。
踊り終わったみぃちゃんとキュアが消えていく精霊たちに手を振る様子を見ながら、領主の孫たちは、魔力奉納を頑張る、と誓い合っていた。
子どもたちの世代から、きっとこの地の魔力量は増えるに違いない。
郷土料理のジャガイモのパンケーキと野菜スープの朝食を領主の孫たちと一緒にいただいて、魔獣カードの基礎デッキで遊んだ。
ユゴーさんとエリックさんは朝食を終えると王都へと出立した。
そうこうしていると、飛竜の魔術具が光と闇の広場に到着したようで、商会の人たちが慌ただしく一足先に退去の挨拶をして出発した。
領主の孫二人が寂しそうにぼくたちを見るので、大人たちはお仕事があるから先に出発したけれど、ぼくたちは町の祠巡りをしてから出発することを告げた。
一緒に祠巡りをしたい、と言い出すことは大人たちも理解していたようで、すでに支度を済ませていた。
ぼくは万が一のために幼児でも使える回復薬を二人分付添の人に渡しておいた。
小さい子はいきなり大人が驚くような無茶をして倒れるかもしれない、とぼくが言うと、あなたの小さい頃はそうだったのでしょうね、という付添人の心の声が、顔に出ていた。
小さい子の歩く速度に合わせていられないので、魔法で少しだけ浮いている台車に乗せて上げると二人とも喜んだ。
七つの祠を回っても二人ともふらつくことも無く、ほどほどの魔力奉納で済んだようだ。
行く先々で、坊ちゃま、嬢ちゃま、と声をかけられて笑顔で手を振る二人は町の人気者だ。
光と闇の神の祠の広場で飛竜の魔術具を見て大喜びする二人だったが、ここでお別れだ。
ギャン泣きする二人に、精霊たちが遊びに来るような領地になるように魔力奉納を頑張る、と約束をさせて、みぃちゃんとキュアの飴細工をプレゼントした。
留学を終えた後、帰りに立ち寄る約束をしてぼくたちは旅立った。
怪鳥チーンの番は町を出たぼくたちの馬車の上を挨拶するように旋回した後、王都の方角へ飛んで行った。
ユゴーさんたちの行く末を見守るのだろう。
怪鳥チーンは本当にこの国の守護聖獣なのかもしれない。
「本当に叔母の国まで送っていただけるのですか!」
「この国の用事はユゴーさんたちが解決してくれそうだから、日程に余裕が出たから問題ないよ」
恐縮するマルコにウィルがそう言った。
「せっかく諸国漫遊をしているんだから、予定外の国に行くのも楽しそうでいいよ」
「そうですが……」
アルドさんがそれでも恐縮する理由は地形の問題だ。
この国とマルコの叔母さんの国は隣同士だが、大きな山脈を挟んでいるので、大型馬車では山越えは出来ない。
冒険者の装備をした肉体派の商隊が強行突破をする山越えルートが存在しているが、ぼくたちの装備では遠回りの迂回ルートを選択すると考えているんだろう。
「迂回しないで山越えルートを行くから、昼過ぎには叔母さんの国に着くよ」
ぼくがそう言うとマルコとアルドさんとエンリコさんが驚いた。
「いやはや、もうそんなに簡単には驚かない覚悟はできていたのですが、この大所帯で山越えですか!」
エンリコさんが頭を抱えた。
「真の国王陛下に出入国の手続きを簡略化する手紙を一筆もらっていますから、国境を飛び越えてしまいます。叔母さんの国の入国手続きではマルコの名前を使わせてくださいね」
「よくわかりませんが、わかりました。叔母の国ではわたくしのことはマリアと呼んでください」
覚悟を決めたマルコが本名を教えてくれた。
人気の少ないところまで馬車が進んだようで、予定通り二台の馬車が止まった。
マルコが秘密を打ち明ける決心をしたように、ぼくたちもマルコたちに隠していた馬車の秘密を打ち明けた。
「「「馬車が空を飛ぶのですか!」」」
説明するより見た方が早い、とみんなが言うので、街道脇を整地して馬車を隠してから変形させた。
「飛竜の魔術具が国境を越えて行き来できるのは、目視できないほど上空を飛行して国境を越えているからです。確認できないものは、いないのと一緒です」
強引な理論で、着陸地点の領地にだけ許可を取って飛行しているのだ。
領空侵犯をしていると主張する国があるのなら、上空を飛行した証拠を出してみろ、という強気の理論でガンガイル国王陛下が商会に許可を出しているのだ。
問題が起これば国家間の話し合いになるらしい。
ぼんやり国王陛下にここまでの決断力はないだろうから、ハルトおじさんが暗躍しているはずだ。
「今回、マルコの叔母さんの国で事前に入国許可や飛行許可を取っていないから、山越えルートの登山口付近で着陸する予定だよ。登山口の最寄りの町で入国手続きをする予定だから、よろしくね」
ぼくはそう言うとコックピットに変形した御者台に乗り込んだ。
商会の馬車の操縦は今回も兄貴が担当する。
キュアは自分で飛ぶことを選択して、助手席にみぃちゃんが乗り込もうとしたら、ウィルがみぃちゃんと助手席に座る権利をめぐってじゃんけん勝負を申し込んだ。
助手席に乗りたいのは留学生全員だった。
みぃちゃんはポーチから顔を出すだけでスペースを取らないし、犬型のシロは姿を消せる(いつの間にかバレていた)から、助手席をめぐってじゃんけん大会が行られた。
熾烈な戦いを制したのはウィルとマルコだった。
じゃんけんは運より瞬発力もあるから……いや、精霊たちの思考誘導がないとも言い切れないか。
シロがそっぽを向いている。
きっと精霊たちも面白がっていたのだろう。
マルコとウィルのどっちがぼくの隣に座るかで、最後のじゃんけん勝負になるはずだったが、マルコは兄貴の隣を選んだ。
助手席に乗れるのならどっちでもよかったようだ。
今回は最初からポニーたちは専用の席に搭乗して、二台の馬車は離陸した。




