ユゴー
小鍋のラムシチューはおかわりがなかったが、懐かしい味だけどカレーの方が美味しい、と裏国王はカレーのおかわりをたっぷり食べた。
「食事はいつも一人で取っていたから、みんなで食べることがこんなに楽しかったことを忘れていた。ありがとう。ごちそうさま」
まるで自分が洗礼式前の子どもの頃に戻ったようだった、と笑顔で言う裏国王は、幼いころは素直な子どもだったのだろう。
「ご家族は健在なのですか?」
ウィルが訊くと裏国王は首を横に振った。
「儂が成人する前に親兄弟は流行り病で亡くなったらしい。家督は遠縁のものが継いでいた。怪鳥チーンの伝説さえ知らん男だった」
「私の両親もすでに亡くなっていました」
裏国王と従者は従兄弟で時を同じくして同じ流行り病で亡くなったらしい。
「そんな致死率の高い流行り病があったのですか?」
人口統計を集めている商会の代表者が怪訝な顔をした。
「我が一族だけ罹患した特殊な流行り病だそうだ」
裏国王と、そのスペアが確保できたから、裏王家の存在の秘密が漏れそうな親族は内密に殺されてしまったのだろう。
「死人に口なしですか……」
みんなが思っていても口に出さなかった一言をマルコが口にして場を凍り付かせた。
「片付けたらデザートがある!サッサと下げるぞ!」
ベンさんが一声かけると、みんなが立ち上がって皿を食洗器に入れ始めた。
「何をどこにどういう状態で片付ければいいのだ?」
皿を洗った状態でこの籠にこういう状態で収納する、とベンさんが説明すると、裏国王はササっと魔法陣を指で空中に描いて使用したすべての食器を洗浄して収納した。
おおおお、とみんなが拍手した。
さすが優秀な上級魔術師と囃し立てると、みぃちゃんがにやっと笑った。
掃除洗濯お片づけは母さんの魔法陣で学習済みのみゃぁちゃんは、ニャァと一鳴きするだけでカレー鍋の洗浄を済ませた。
おおおお、とまたしても拍手が起こると、得意気なみぃちゃんの隣でみぃちゃんのスライムがデザート皿とスプーンをテーブルに並べた。
みぃちゃんのスライムが得意気に胸を張るようにプルンと震えると、留学生たちはみぃちゃんのスライムにも拍手をした。
「ハハハハハ、これは愉快だ。後片付けの魔法は離宮では儂しかやらないから、なかなか評判が良かったのに、カイルの魔獣たちでも出来ることだったか」
孤立した離宮生活で魔力奉納を済ませた一日の終わりに、従者たちに受けるために披露した生活魔法だったようで、魔力豊富なお子さんたちがお手伝いをしたい時期にやる魔法ですね、と従者が言うと、留学生たちは一斉に首を横に振った。
常識知らずの裏国王は離宮生活で色々とやらかしていそうだ。
「おお、いいな。みぃちゃんのスライムには仕込んでいたデザートがバレていたようだ」
キンキンに冷えたデザート皿を見てベンさんが笑みを浮かべた。
その手の中にあるのはアイスクリームの魔術具だ。
新鮮な牛乳が手に入った時だけ作ってくれる特別なデザートに留学生たちは大喜びだ。
キンキンに冷えたアイスクリームをベンさんに掬ってもらうと、今日は特別だ、と、熱いキャラメルを上にかけてくれた。
わぁぁぁぁぁぁぁ。
これはみんなの給仕が揃うまで待っていてはいけないやつだ。
「早く食えよ!」
言われなくてもわかっている。
目を丸くしている一番手のマルコに、みんなが早く食べろとけしかけた。
「……冷たくて、温かくて、甘くて、香ばしくて、美味しくて……幸せです!」
完璧なマルコの食レポを聞き終わらないうちに、ぼくたちも次々と口に入れて小さな幸せに浸った。
おおおおお、と大人たちが低音を響かせて色めき立った。
匂いでわかるよ。
ベンさんは大人のキャラメルにリキュールをたっぷり混ぜている。
「死ぬ前の最後の食事はこれがいい!」
口に含むなりにんまりした裏国王の言葉に、大人たちが無言で頷いた。
美味しいアイスクリームを堪能し終えると、従者は名残惜しそうにアイスクリームの皿を見つめた。
「いえ、最初で最後の味わいなのかと、出会いがあれば別れもあるので当然のことなんですけど、切ないですね」
ぼくたちと過ごすこの一時のことか、人生に一度きりの味わいになるアイスクリームのことかわからないが、しんみりと言った。
「まあ、原材料はそこまで珍しいものではないので、作ろうとすれば誰でも作れますよ」
バニラービーンズを使わないミルクアイスクリームは冬の辺境伯領では子どもたちが瓶の中に材料を入れて外で転がして作っていた。
「永久凍土のガンガイル王国だから出来ることでしょうに」
辺境伯領出身者たちは、冬が長いだけだ、と一斉に訂正した。
「たくさん作るんじゃなかったら、氷結魔法で調理台を凍らせて材料を垂らしてヘラで練ればできるんじゃないかな?」
ぼくがそう言うとベンさんもそれで出来そうだな、と頷いた。
明日の朝試してみようと話がまとまると、みんなが笑顔になった。
「朝から酒はかけないぞ」
ベンさんの一言にみんながどっと笑った。
「貴重なお砂糖をふんだんに使うでしょうに宜しいのですか?」
従者が心配そうに商会の人に尋ねると、近日中に補給の目処が付いているからかまわない、と返答した。
「次の目的地が商会として正式に取引のある領で、ガンガイル王国から直行便がくるのですよ」
飛竜の魔術具を説明せずに、他の商隊がいるかのように説明した。
「あのう、多分そこは自分の出身地です。ガンガイル王国から定期的に商隊がやってきます」
護衛の一人がおずおずと口を開いた。
「もしかして今日の宿泊予定地でしたか?」
ぼくたちも街道がふさがっていなかったら今日はそこまで移動する予定だった。
四人が頷くと、情が移ってしまっているぼくたちは、このまま四人を送り届ける話になり異論を言うものは居なかった。
この四人とは知り合いにならなければいけない運命だったのかもしれない。
「こんなに世話になってしまって、かたじけない」
裏国王はぼくたちに頭を下げた。
「出会いの態度は最悪でしたが、離宮の結界を維持するためになるべく早めに帰らなければいけない立場なのは理解できます」
国を守る結界、と明言するわけにはいかないので、ウィルが結界の場所をわざと外して言った。
「いや、代わりの人形を置いて来たからそこまで急いでいない」
代わりの人形?
ぼくたちは椅子を引く勢いで驚いた。
身代わり人形なんて物語の中でしか知らない魔法使いじゃないか!
「実在していたんですね!人形遣いですか!」
伝説の魔法使いだ、と留学生たちが騒めいた。
“……伝説の人形遣いは死んだそいつのご先祖様だよ。具体的な死因は明文化されていないが精霊使い狩りでやられたから、大賢者様の同時期に死んでおる”
魔本が懐かしむように人形遣いの小話を披露した。
「だから儂は優秀な上級魔術師だ、と言っただろう。まあ、まだ二体の人形を操作することしか出来ないから伝説の人形遣いといわれるお方には到底及ばないがね」
「いやはや、本当に優秀な魔術師だったのですね。申し訳ありません。ぼくたちは生意気な口をききました」
ウィルがそう言うと、ぼくたちは起立して、申し訳ありませんでした、と声をそろえて謝罪した。
「儂の方こそ済まなかった。計画通りに行かないことに腹を立てて命の恩人に当たり散らしたのだ」
裏国王も起立してぼくたちに頭を下げた。
「離宮に籠って頭でっかちになっているただの老害だよ。とっさに癒しの魔法をエリックに施すことも出来なかった」
「実戦で適切な行動をするためには入念な訓練を必要とします。知識だけでは対応できなくても当然です」
ベンさんがそう言うと、護衛たちも頷いた。
ぼくたちが互いに謝罪しあって座った後、裏国王があらためて自己紹介をした。
「まあ、ここまで話して身元を隠すのもおかしいな。儂はユゴー。帝国の属国になる前のこの国の王家の傍系の末裔で、この領の領主一族であった。儂が王宮に入ってからすっかり乗っ取られてしまったが、家宝の怪鳥……いや、聖鳥チーンの羽を取り返すことが出来た」
「うん、察していました。この国の本当の意味での国王は、国の護りを担っているユゴーさんで間違いないのだから、堂々としていればいいじゃないですか」
「離宮内の部屋を整えたということは儂の次が見つかったのだろう。もう八十を過ぎたのだからいつ殺されたって惜しくはない人生だが、儂のような人生を送る子どもを、儂が育てるのはたまらなく嫌なんだ」
裏国王、ユゴーさんの声は震えていた。
深い息を一つは居た後、従者に優しい眼差しを向けた。
「……エリックを伴って身代わり人形を置いて旅に出たのは、エリックを逃すためだったんだ」
ユゴーさんの打ち明け話に、従者エリックは驚いて護衛たちを見たが、二人は目をそらすように下を向いた。
「儂が離宮に入ったときは教育係のような老人が一人いただけで、その老人の世話をする従者に親しそうなものは居なかった。新しい少年が離宮に来たら従者たちは入れ替えになるだろう。儂の代わりに魔力供給の候補として離宮に入れられたエリックは生きて離宮を出られないだろうと踏んで、聖鳥チーンの羽を取り返す旅の計画を立てたのだ。護衛のルーカスの地元は領主もしっかりしているし、そもそも儂らに縁のない土地だからそこで逃げたとは気付かれないだろう」
「ユゴー様が国を見捨てるはずはありません。お一人で離宮に戻られるおつもりだったのですか?」
「引継ぎ教育を終える前に儂が殺されることはない。だが、お前はおそらく少年を迎える前に殺されてしまう。逃げろ!エリック。……お前の人生はお前のものだ、もう儂のために生きるなんてことをしなくてもいいんだ」
裏国王ユゴーは穏やかな口調で諭すように従者エリックに語り掛けた。
「貴方は……私の人生の光でした。貴方に憧れて私は私の人生を選んだのです。最期までご一緒いたします」
涙を流しながら裏国王の前に歩み出て、膝をついた従者エリックは自分の罪を告白した。
「私は両親の言いつけを破って洗礼式で魔力を阻害する魔術具を使用せず、洗礼式の魔術具に触れてしまいました。……一族を滅ぼしたのは私なのです」




