救出と混乱
馬車がゆっくりと停車すると、御者が前方を見てきますね、と言った。
「前方から血なまぐさい匂いがします。いざという時に馬車を即座に動かせるように残っていてください。応急処置の講座を受講済みの人手を上げて」
ぼくが声をかけると、ケニーとマルコ以外の留学生たちが手を上げた。
ぼくと兄貴とウィルとロブでひとまず様子を見に行こうとしたら、商会の馬車からベンさんが降りてきて、一緒に行くことになった。
不安そうな顔をするマルコに、シロを残していくし、この馬車から顔を出さなければ危険はないよ、と言うと、みんなが残念な子を見るかのような視線をぼくに向けた。
ああ、ぼくたちが心配されていたのか。
「キュアやみぃちゃんを連れて行くから大丈夫だよ。それに、怪我をした人がいるなら何とかしてあげたいでしょ」
キュアとみぃちゃんがそれぞれ自分の鞄に入ると、留学生たちと合言葉を確認した。
「山、川、といえば」
「「「「「「豊」」」」」」
「海は広いぞ」
「「「「「「クラーケン!」」」」」」
ノックされても合言葉が合わない時はドアを開けないことを約束させて、ぼくたちは渋滞の先頭に向った。
街道脇には道草さえまばらで、この国も土地の魔力が低いことが伺えた。
渋滞に巻き込まれた馬車の御者たちの立ち話から察すると、街道を順調に走っていた一台の馬車の馬が突然暴れ出して数台の馬車を巻き込んだ大事故が起こったようだ。
地元騎士団と冒険者ギルドへの緊急依頼を出すために先駆けの早馬が出ており、ぼくたちが介入できる条件は整っていた。
渋滞の中心には足が折れたのか一頭の馬が倒れており、横転したり破損したりした馬車が五台もあった。
「怪我人はいませんか?治癒魔法の使える留学生たちがいます」
ベンさんが大声を出すと、こっちだ、こっちが先だ、という声が倒れた馬車から聞こえた。
「怪我人を並べてください。一番容体が悪い人から見ます」
ウィルも声を張り上げた。
「こっちが一番酷いんだが、子どもに見せるような状態じゃない」
ベンさんに駆け寄って来た男性が横転した馬車を指さした。
「俺よりこの子たちの方が治癒魔法にたけている。軽症者は俺とロブ、重傷者たちはお前たちに任せた」
ぼくと兄貴とウィルは横転した馬車に向い、その他の軽症者たちをベンさんとロブに任せた。
横転した豪奢な馬車の中は壊れた座席が二人の男性を押しつぶしていた。
一人は内装の一部が腹部に刺さっておりどう見ても重傷で、もう一人も壊れた座席に挟まれており、直接の傷はわからないが自力で脱出できないようで、どこか骨が折れているかもしれない。
座席に挟まれた男性は上等な衣装で、大勢の人々が優先して座席を壊して引きずり出そうとしていた。
明らかに重症なのに放置されている腹部から血を流している男性にぼくたちが近寄ると、視線を座席に挟まれている男性に向けて、口をパクパクしている。
座席に挟まれている男性の従者なのだろう。
パクパクと動く口から声が出ていないが、主人を気遣っているのがわかる。
ウィルはそんな男の耳元で、大勢の人々が救助しているからあなたは自分のことを考えなさい、ときっぱりと言った。
「あなたが回復しなければ誰がご主人のお世話をするのですか!」
ウィルが発破をかけるように言うと、男の背筋がしゃんとして、痛みに顔を歪めた。
カツを入れ過ぎたら怪我人の苦痛になる。
「ウィルはこの男性の洗浄を担当して、ジョシュアは痛みで暴れないように全身の拘束を担当、ぼくは体内に刺さった異物を排除しながら癒しの魔法を並行してかけるよ」
二人が頷くと魔法の杖を取り出して、3,2,1、と声をかけた。
0のタイミングで兄貴が暴れそうになる男の魔力を利用して拘束し、ウィルが洗浄魔法をかける傍ら、ぼくは体内の異物の除去と内臓が元に戻ることをイメージして癒しの魔法を行使した。
男は痛みのあまりに失神してしまったので、兄貴は拘束を解いた。
「こちらの御仁も癒しを頼む!」
椅子を除去された男性にぼくが近寄ろうとすると、ウィルが間に立ちふさがって厳しい声で言った。
「ぼくたちの治療の前に、光と闇の神に治療に伴う後遺症を訴えないと宣誓してください」
「わ、儂を早く治療せよ!」
「声が出るほどお元気のようですから、宣誓を先にお願いします。生きるか死ぬかの瀬戸際での緊急治療では治癒者が訴えられる心配はありませんが、あなたは意識もはっきりしていらっしゃるから、騎士団の医療班をお待ちになる余裕があります。通りすがりの冒険者が緊急依頼を受けて治療して、後から後遺症を訴えられては堪りません。さあ、宣誓の言葉を」
ウィルは冷静に緊急救助の鉄則を持ちだした。
癒しの使い手たちだって、万能なわけではない。
緊急処置で完全に癒せなかった時に後から訴えられないために、意識があって受け答えが出来る相手には宣誓を行ってもらってから治療を行うのが、この世界の治癒魔法の使い手が身を守るために一般的に行われていることなのだ。
国内では大概のことはハルトおじさんが後始末をしてくれていた。
外国に来たのだから予防線は自分たちで張らなくてはいけないのだ。
「……光と闇の神に誓って、今我が苦痛を癒すこの者たちを治癒が終わってから訴え出ないことを宣誓する」
渋々といった態で男性が宣誓した。
従者が治療の過程で失神したことに怯えているのだろう。
ウィルは痛いところはどこか、馬車が倒れたときにどこにどこをぶつけてどうなったのかを問診した。
“……肋骨と大腿骨が折れているけど内臓には問題ないかな”
兄貴が男の体内の状況を確認した。
「今回はぼくが洗浄の魔法を担当するから、ウィルが骨つぎの治療を担当してくれるかな。肋骨は折れているけれど内臓が無事なようだから、保健室にあった骨格標本通りに体の骨が繋がることを意識すれば省魔力で治癒が可能だよ」
「そそ、そんな適当な治癒魔法なんて、もっと手練れを連れてこい!」
「うーん、善意で行動するぼくたちに文句があるのなら、この魔力をもっと有意義な方向に使うべきだね。貴方は騎士団の救援部隊を待ったらいい。ウィル。骨折した馬が殺処分になる前に治癒しよう」
ぼくがそう言うとウィルも頷いた。
この期に及んで悪態をつける元気があるのなら後回しにしよう。
「馬を回復させて馬車を移動して街道を通行可能にしなければ、ここに留まっている人たちが日没後に死霊系魔獣の餌食になるだけだ」
後回しにする正当な理由を述べたが、痛みと殺処分の気配を感じて高音を響かせて嘶いている馬を何とかしてあげたい気持ちが優先したのだ。
ぼくたちが横転した馬車から離れると、ベンさんがそっちはどうだ、と進捗状況を問いかけてきた。
治療拒否にあいました、と宣言して倒れている馬に駆け寄った。
苦痛に嘶く馬に魔法の杖を一振りすると、この状況を楽しんでいる精霊たちがキラキラと馬を包み込み苦痛を和らげ回復魔法の効果を上げると、サッと消えてしまった。
なんだかぼくが凄い治癒魔法をしたように見える演出になってしまった。
苦痛から解放された馬が、先ほどまで折れていた足に力を入れても大丈夫だということに気付き、ブルブルっと低い声を出した。
“……ありがとう。ありがとう”
感謝の思念を送ってくる馬の頬を、良かったね、と撫でた。
“……おどろいて、にげた、うまがいる”
ぼくの顔に馬が顔を摺り寄せながら思念で知らせてくれた。
ぼくは魔力探査を広げると街道を逸れて逃げる二頭の馬の気配を見つけた。
……戻っておいで!外の世界は危ないよ!!
ぼくの思念を風に乗せて、逃げている馬に思念を届けた。
落ち着いて、街道に戻っておいで。混乱はおさまったよ。
兄貴が人間には聞こえない高周波の指笛を吹いた。
遠くで馬の嘶きがした。
兄貴が拡声魔法を使って、ブルル、ブル、ブル、と馬語を話しだした。
なんだかわからないが、凄い!
聴力強化をすると、逃げた二頭の馬も答えるように嘶いている。
「……なんか、逃げたっぽい馬も戻ってきそうだね」
ウィルがそう言うと、渋滞後方のぼくたちの馬車の辺りが騒がしくなった。
留学生一行と商会の馬車を乗っ取ろうとした無法者たちが、護りの結界に弾かれて麻縄で両手足を縛られた状態でぼくたちの足元まで飛んできた。
「善意で救助活動に参加した留学生一行の馬車を襲うなんて、火事場泥棒よりも下衆な野郎どもだ!この国には他人の不幸に善意で対応した人を襲い、荒稼ぎしようとする不届きものしかいない国なのか!」
合言葉を言えずに、ドアをこじ開けようとした人たちかもしれない。
弾き飛ばされたからといって、本当に強盗かどうかは定かではない。
だが、当人たちが、護衛が護衛対象から離れるなんて襲ってくれといっているようなもんだ、と自供をしたため、兄貴が即座に自重の三倍の重力を課す懲罰をくだした。
「馬が狙いか馬車が狙いかどっちだっていい。お前たちはそのまま放置するだけだ。日没前に騎士団か応援の冒険者が来たら助けを請えばいい」
ベンさんがそう言って強盗たちを放置した理由は、強盗たちのおでこに馬車泥棒とくっきりと文字が浮かび上がっていたからだ。
正直に罪を告白しなければ解けない魔術具の麻縄と、一目で罪人だとわかる目印をつけられているから誰がどう見ても犯罪者として扱うだろう。
「た、た、助けてくれ!宣誓はしたんだから治癒魔法をかけてくれ!」
横転した馬車の方から悲痛な声がした。
「治療に文句を言う人間より、殺処分寸前の馬の治療の方が切羽詰まっていたからそっちを優先したんだよ」
横転した馬車に戻ったウィルが言った。
偉そうな男は馬車から引きずり出された苦痛に顔を歪めていた。
余計なことを言わなければサッサと治療を受けられたのにね。
「ウィルの治療に文句は付けないよね?」
再び男に確認を取ると頷いた。
兄貴が偉そうな男を拘束し、ぼくが洗浄魔法をかけるとウィルが慎重に魔法陣を描き、もったいつけたようにゆっくりと治癒魔法を施した。
「ああ、折れた骨は綺麗に繋がったね。さすがウィルだ。どこが折れていたかもわからないほどの見事な治癒魔法だ。本人に痛みが残っているとしたら錯覚だよ」
兄貴が偉そうな男の体をしげしげと見た後そう言った。
強烈な痛みの記憶は時として完治した後もひどく苦痛を感じることがある。
誓約したから男が訴えてくることはないが、その後恨まれないように、ウィルの治療が完璧であることをあえて強調したのだろう。
そうこうしている間に、逃げてきた馬たちが戻ってきた。
……何か臭う。
ぼくは魔法の杖を一振りして周囲の浄化を図ると、逃げた二頭の千切れた手綱の周りに精霊たちが現れてぱっと光って消えた。
これは偶発的な事故ではなく、何か仕掛けられていたのかもしれない。




