オレンジの味
聖女の分とまだ見つかっていない受難の子を見越して予備の分の呪いを閉じ込める魔術具を司祭に託し、貯蔵庫の魔法陣を改良して付属の魔術具を亜空間で制作した後取り付けた。
腐敗は生命の循環に必要不可欠なことなのだ。完全に除菌してしまうのではなく、保存する食品ごとに湿度と温度を管理するだけに留め、省魔力に徹した魔法陣にした。
孤児院の子どもたちだけで魔力を賄えば教会関係者の負担にならないはずだ。
この町ですべきことはこれで終わりだろう。
ぼくと兄貴が中庭に戻ると朝食の準備が終わっていた。
みぃちゃんのぬいぐるみを手にした聖女がぼくに近寄り何度も何度も頭を下げるので、精霊たちを使わしてくださった神々に感謝するように、と言った。
闇の貴公子様、と聖女の口は動いたが、声に出すのはとどまってくれた。
貴公子と呼ばれるのは本当に勘弁してほしい。
兄貴は愉快そうに眼だけで笑っていた。
闇の貴公子なんて、真っ黒い思念体になる兄貴の方が相応しい二つ名じゃないか、と思念を送ると、渋い顔になった。
オレンジが香る中庭で教会関係者一同と共に朝食をとることになった。
互いの料理を持ち寄ったビュッフェ形式だが、教会側の提供した食事にもベンさんの手が入っているようで、スープの香りが違う、と鼻の利く子どもが呟いた。
漏れ聞こえてきた情報では、司祭は昨晩、領城での会議に時間を取られ、早朝に教会に戻ると、儀式の荘厳さや飛竜の幼体の話題を押さえて、バイソンシチューとバインミーのことばかり聞いてしまい、味の想像がつくバイソンシチューも気になるが、バインミーが何なのか知りたくてたまらなかったらしい。
昨晩のバインミーは確かに美味しかった。
アオカビですっかり元の色がわからなくなっていた、固いパンを浄化の儀式でカビは除去できても硬くパサついているパン自体は変わらない。
そんなパンをベンさんがひと手間加えて、とても美味しいものにしてしまったのだ。
塩釜で焼いたバイソンのもも肉に、ナイフを入れる際に溢れ出た肉汁から作ったグレービーソースをたっぷり浸し、大人には辛子を利かせ、子どもたちには蜂蜜を利かせた甘辛ソースで、ローストバイソンとトマトと青菜を挟み、たっぷりと特製ドレッシングをかけたのだ。
ぼくは大人用と、子ども用の両方食べたが、どっちも美味しくて甲乙つけがたかった。
司祭は聞くだけでは我慢できず、ベンさんに直々に頼み込んでいたので、早朝から用意してもらっていた。
留学生の炊き出し班がおにぎりと糠漬けを用意し、教会の厨房でスープを用意していた。
蘇った大地で輪作の品目の中に是非米を栽培してほしいという、辺境伯領出身者の圧をひしひしと感じるメニューだった。
「どうしましょう。食欲が止まりません」
神官の一人がそう言うと、留学生たちが、日常のお勤めで魔力を消耗してしまうから、食べた分だけ働けばいい、と囃し立てた。
神官たちもハハハと笑った。
「泣きたいくらいに、それが正解なのかと思います。昨日の儀式でもう立つことさえ覚束ないと思えるほど魔力奉納をしたのに、この美味しい食事を取ったら生き返るように魔力がみなぎってくるのです」
辺境伯領出身者たちが、食は命の循環であり、命と魔力をいただいて、自分たちの明日の命を繋いでいる、と熱く語りだした。
「大地の神を信仰するこの地で命が巡ることをより意識してお勤めをしたら、自分たちが食べていくのに十分な収穫がもたらされる。だが、現状の食糧不足では満足するまで食べてしまうことに、罪悪感を抱いてしまう」
司祭が小さくカットしたバインミーを頬張った後おにぎりをじっと見ながらそう言った。
「昨日、領主様が緊急食糧をご購入されましたから、今朝にも届きますよ」
商会の代表者はぼくたちが城跡を探索している間に、当面の食糧事情の改善策を領主と話し合っていたようだ。
「名君になるべく張り切っておられたので、話が通りやすかったですよ。当面は私ども商会がこの地から購入する商品はないかと思われましたが、オレンジの産地として復活されれば、こちらも継続して取引できる利点も見込めます」
早朝はまだ青々としていたオレンジの実がいくつか黄色く色づいている。
「もう食べごろになっているなんて、食後に収穫して祭壇に奉納してからいただこう」
司祭の言葉に子どもたちの頬がぐっと上がった。
甘酸っぱい味を予想して、ぼくの顎もキュッとなり唾液が溢れてきた。
「たくさん食べてもいいんだね」
小さい子の安堵するような声に、教会関係者たちは、こんな小さい子が我慢して食事が足りないことを言い出せなかったんだね、と涙ぐんだ。
「……聖女様。司祭様。花が咲きそうです!」
ぼくたちは、たわわに実ったハンスの木ばかり見ていたが、神官の一人が干からびて元気のなかった二本の木を震えながら指さした。
司祭は昆布の佃煮のおにぎりを皿に置き、振り返って自分たちの木を見た。
萎れていた葉の一枚一枚がピンと張り、艶を取り戻している。
そんな葉の間から新芽が膨らみ、小さな蕾をつけているように見える。
ぼくたちは食事の手を止めて、老木が蘇り、白い花を咲かせる様子を見入ってしまった。
「……私たちの祈りが、神に届いたのですね……」
聖女の言葉は教会関係者全員の思いと同じだったのだろう、みんなの目に光るものがあった。
急いで朝食を済ませると、ハンスの木から熟したオレンジを収穫した。
神官に肩車されて収穫する子どもたちは楽しそうだ。
祭壇に供え、みんなで順番に魔力奉納をする姿に五歳未満の子どもたちが憧れの視線を向けていた。
領地の護りの結界が世界の理と繋がったから、みんなの祈りはきっと神々に届きやすくなったはずだ。
魔力が領地にいきわたれば、国境沿いに集まっていたバイソンの群れも、きっと分散していくだろう。
おさがりのオレンジの味は酸味が少なくとても甘く瑞々しかった。
後味にほんのりと残る苦みが、すべての厄災を一身に背負うことを選んだ、優しいハンスの木の恵みらしい味だった。
司祭や聖女の木にも小粒の青い実が、もうはや実っていた。
これからはハンス一人が背負っていく必要はないようだ。
ぼくたちが退去の準備を進めていると、上空に飛竜便の飛竜の魔術具が飛んで来るのを目視出来た。
「光と闇の神の祠の広場を着陸地点にしています」
商会の人たちは教会関係者に慌ただしく挨拶を済ませると、一足先に祠の広場に向った。
「本当になんとお礼を言ったらいいのかわかりません……」
司祭がまたしても感謝の言葉を並べようとしているので、留学生一行が両手を前に出して、いえいえ、と手を振って止めた。
「精霊たちの導きで、こういう結果になっただけです。これからが大変でしょうが、皆さんの祈りが神々に届き、豊かな土地になることをぼくたちもお祈りいたします」
ウィルが代表してぼくたちの気持ちを述べた。
大変なのはこれからだろう。
教会関係者全員と握手をして、ハンスの木のオレンジを一人一つずつもらった。
孤児院の子どもたちの手に魔獣カードの基礎デッキがあった。
また兄貴が実家からもらってきたのだろう。
「うちの家族は子どもたちが苦労をしている話を聞くと、何かしないではいられないんだよ」
……その温かさにぼくも救われたんだ。
馬車に乗り込んだぼくたちに手を振って見送る子どもたちにぼくたちも手を振った。
最近魔獣カードにはまったケニーが羨ましそうに子どもたちの手にある基礎デッキを凝視していた。
「行く先々で、孤児院に寄贈して回りそうだね」
「魔獣カードの流行が世界規模になるのかと、考えたら先行投資として悪くないと思うよ」
ロブの呟きにウィルがそういうと、世界規模の商売になるのか、と留学生たちが市場規模の大きさに夢を膨らませた。
「商会の馬車に販売用の魔獣カードが積んであるのを知っているのに、輸出価格になっているから購入したくない、だけど新しいカードが欲しい。このジレンマに悩むよ」
祠の広場の飛竜の魔術具に群がる人たちを見ながらケニーが嘆いた。
商会の人たちが商売に励んでいる間に、ぼくたちは七大神の祠に魔力奉納をしてから、この町を去るのだ。
この先の旅路に大きな問題がないことを、ぼくは祈った。




