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オレンジの香り

 スライムのテントから朝日が透けて入るころオレンジの香りがした。

 身支度を済ませて外に出ると、留学生のみんなも起きてきた。

「いい香りだね。この木はオレンジの木だったんだ」

 二台の馬車の間にあった木にたわわにオレンジの実が付いていた。

 辺境伯領では寒すぎて柑橘系植物は温室にしかなく、実をつけたオレンジの木を初めて見る辺境伯領出身者たちが喜んでいる。

「いや、これは神々からの贈り物だね。昨日は花一つ咲いていなかったオレンジの木が一夜にしてたわわに実るなんて普通はないよ」

 ラウンドール公爵寮では南部の地域で酸味のキツい柑橘類が自生しているらしい。

 ラウンドール公爵寮にもっと興味を持っていたら、ポン酢が作れたかもしれない!

 国外に出てから自国の文化を熟知していなかったことを嘆いても仕方ない。

「おはよう。よく眠れたかい?」

 ハンスがぼくたちに無理をしなかったかい?と目で訴えた。

「よく眠れたよ。オレンジの良い香りで目覚めたんだ」

「本当にこれはすごいよね。昔はたくさんの木に鈴なりにオレンジがなっていたらしいんだけど、ぼくは初めて見たよ」

 そんなに長い間魔力が足りていなかったんだ。

 ハンスは城跡の礼拝室に入れる貴重な人材だ。健康でいてもらわなくてはいけない。

 出来立てほやほやの受難の呪いを閉じ込める魔術具を収納ポーチから取り出し、ハンスに見せた。

「友だちになった記念にぬいぐるみを作ったんだけど、どっちがいいかな?」

 ぬいぐるみはキュアとみぃちゃんとウィルの砂鼠をモデルにした三種類で、ハンスは全部可愛い、と言いつつもキュアを選んだ。

「ありがとう。これを握ると体が軽くなったような気がするよ」

 早速効果が出たようだ。

 ポケットに入れていつも持ち歩ける大きさにして良かった。


 ぼくたちは朝飯前の一仕事に孤児院に面する中庭の一角で畑をつくることにした。

 昨晩の孤児院長の話だと、すぐに食べられる青菜も良いけど、エンドウ豆やトマトのように収穫期間が長いものがいいと言っていたので、畑を作る組と苗を作る組に分けて作業をしていると、早起きの子どもたちが興味津々にやって来た。

「おにいさんたち、まじゅうさんたち、おはようございます!」

 可愛い。

 小さい子たちが元気に挨拶するだけで、みんなの頬が緩む。

 土の作り方や、発芽の仕組み、真剣に取り組むと無意識に魔力を使ってしまう注意点を、留学生たちが丁寧に子どもたちに教えた。

 二回目なのでみんな手馴れていていた。

 畑はみんなに任せて、ぼくと兄貴とぼくの魔獣たちは、食料貯蔵庫の魔法陣を書き換えるために、教会の貯蔵庫に案内してもらおうと教会の本堂に入った。

「いました!ここです!!」

 神官の一人に挨拶をすると、鬼ごっこの鬼を見つけたかのような大きな声を上げられた。

 目の下にクマを作って、明らかに寝ていない司祭が駆け寄ってきた。

「全面勝利だ!私たちの長年の願望が一日で実現したのです!!」

 司祭はこの町の出身者で、最後のお勤めになるだろうと、高齢になってから最終勤務地として故郷を申請して帰って来たようで、道中のあまりの荒廃ぶりに帰路に涙したことを、ぼくに切々と語った。

 赴任して神に祈れども、年々乾いていく大地に暗澹たる思いでいたのに、神事に手ごたえを二年前から感じていたらしい。

 すべての良好の兆しはガンガイル王国から派生されているのは、礼拝室の魔力奉納から感じていたこと、領主がガンガイル王国の留学生一行に無理難題を言いつけて呼び出したことを知ったその日の午後にぼくたちが教会まで足を運んでくれたこと、そしてついに、その日が来た、とぼくの両手を握りしめた司祭が涙ながらに語った。

「ガンガイル王国から、支援が必ず来る。だから、例え本意じゃなくても、時流に乗り、今自分が生きのこるための行動をしろ、というのが旧領主一族からの最後の通達でした。良心に反することであっても、生きのこれなければ繋がらない。何世代後になるかわからないが、必ず我々住民たちが領主に物申せる機会が再び出来る、そう言い伝えられていたのです」

 こんなことが、私の生きているうちに起こるなんて信じられない、と声を震わせてぼくに縋り付いた。

 旧領主一族の領政は、小さい連合国のように独立自治が認められており、国境の町のように各農村で独自の慣習で運営される土地の集合体だったのだ。

「この町は協議会という制度で運営されておりました。各ギルドと町内会区長、教会代表者が参加して領の諸問題を話し合うのです」

 議会民主制の原型がこの領地にはあったのか。

「私たちは伝承で知っていましたが、伝説の世界でしかありませんでした。ですが、信じていたからこそ、皆この地にとどまっていたのです」

 司祭がオレンジの木を指さして言った。

「この中庭は果樹園だったのです。中でもこのオレンジは開花から二年近くかけて完熟する不思議な果物で、年中花を咲かせるので一年中オレンジの収穫が出来ました。神々のご加護があってのことは明らかです。教会の外では収穫時期は一定でした」

 一年中オレンジが実るなんて、まるで楽園じゃないか。

 中庭に目を向けると、現状は枯れそうな二本の木と、今朝実をつけた元気な一本と、小さな苗木が二本あるだけだ。

「ああ、あれはハンスの木です。この教会には本当の領城の礼拝室に入れる人物が誕生したときにだけ芽を出すオレンジの種があるのです」

「迷いの森の礼拝室ですか」

 兄貴がそう言うと、迂闊に礼拝室の仕掛けに触れたら命にかかわるから、知らないものが入らないようにそういう名称を付けられたらしい、と司祭が快活に笑った。

 この木の数だけ受難の子が存在しているのだろうか?

「司祭様や聖女様はあの二本の枯れそうな木の主なのですね」

「私はハンスほど明確に受難を引き受けたわけではなかった。ですが、私が町を出た後、私の背負っていた受難が聖女にいってしまった」

 司祭の瞳に浮かんだ涙が小刻みに震えた。

 呪詛の反発を考慮せずに領外に出たことを後悔していたのだろう。

「少なかったとはいえ、蓄積された受難を一度に背負ってしまった聖女は数年間寝たきりになっていたのですが、ハンスが誕生したことで聖女は起き上がれるようになったのです。こういったことは教会に下働きも知っていましたから、三才児登録からハンスの名前が領主一族に知られてしまったのでしょう。受難の子が何人もいると告げると、闇の貴公子様が悲しまれると思って、黙っていたのです」

 ……闇の貴公子?

 誰だ?

 ぼくが兄貴と顔を見合わせて首を傾げると、ご本人はご存じない二つ名だったのですね、と司祭が笑顔で言った。

「私も昨晩の出来事でようやく合点がいったのです。風はガンガイル王国から吹く、と言われていても伝承での特徴は黒髪に緑の瞳、とあったので緑の一族の末裔かと、推測していました。ですからガンガイル王国からの留学生一行と聞いても男児ばかりだということなので伝承通りのことが起こるとは考えてもいませんでした」

 緑の一族が女系一族だという知識があれば、男子留学生の中に緑の一族がいるとは思わないだろう。

 ましてや、ぼくの瞳は灰色だ。

「ぼくの母は緑の一族です」

 ぼくの言葉に、司祭がウンウンと何度も頷いた。

「ああ、先入観だね。この町は旧領主一族の末裔によってかろうじて維持されていた。生まれてくる受難の子は必ずしも旧領主一族の特徴を引き継いでいないのにもかかわらず、救世主は伝承のままだと思い込んでいた」

 その伝承はあながち間違いでもない気がする。

 ぼくがクラーケンの件の後、夢枕に立った精霊の言葉を無視していたとしたら、この地に来たのはマナさんだっただろう。

「緑の一族が世界各国の土地の魔力差を整えるために移住しているのは事実ですから、これ以上荒廃が進んでしまえば、うちの族長が移動することも十分あり得るでしょうね」

 ぼくがそう言うと、兄貴も頷いた。

 旧領主一族は町の存亡がかかった一大事に精霊たちが夢枕に立ったのだろう。

 ……希望を失わないために。

「緑の一族は地脈の魔力を整えるために、大陸を移動しているという話は本当だったのですね」

 ぼくたちは頷いた。

「緑の一族は今分散して世界中に散らばっていると聞いています。それだけ、魔力が極端に少ない土地が増えているようです」

 司祭が頷いた。

「私の派遣された土地で、豊かと言える地域は少なかった。私がそんな地域にばかり派遣されていたせいかもしれません。……決して口外しないと神に誓って約束しますから、一つ質問をして宜しいでしょうか」

 司祭が声を潜めて言ったので、ぼくは小さく頷きながら内緒話の結界を張った。

「昨日城跡の礼拝室の方角から光の筋が立ち上り、大地の神の祠へ続く参道が整備されました。あれがあなた方のお蔭なのは推測できます。礼拝室に入ったのはハンスでしょう。オレンジが実ったのはハンスが礼拝室で祈った魔力が教会の結界まで流れてきたからでしょう。私のオレンジの木が実らないのは城跡の礼拝室の結界の起点まで教会からの魔力奉納が届いていないからだと考えていました。重なる二つの結界はどうやって繋がったのでしょう?」

 司祭の疑問はもっともだが、教会関係者を全面的に信頼できないぼくは出来れば話したくない。

 “……ご主人様。世界の理について質問してください”

「質問を返すようで申し訳ありませんが、世界の理について何かご存じでしょうか?」

 司祭はキョトンとした顔をして、よくわからない、と即答した。

「世界の理に則った世界の実現を目指す教会内の派閥があるようだが、私はそう言った派閥や組織に属したことがないから詳しくないんだ」

 詳しくない方がぼくにとってはありがたい。

 “……ご主人様。この司祭は嘘をついていません”

「そうですか。緑の一族が、精霊たちと仲がいいように、ぼくも精霊たちに好かれているようなのです。精霊たちから好かれて恩恵を受けると、神々の僕たる精霊を通じて神々から依頼を受けるのです。緑の一族は地脈の魔力を整えること、ぼくの場合は不安定になっている護りの結界を強化することです」

 司祭は驚いた表情をしつつも、やはり天啓を授かったのは領主ではなく闇の貴公子だったか、と呟いた。

「いや、神の声は聞いたことがありませんよ。上位の精霊から伝え聞くだけです。……それより、闇の貴公子、って誰が言っているのですか?」

「ラウンドール公爵子息が冷笑の貴公子で、エントーレ準男爵のご子息が闇の貴公子、として二人の絵姿がガンガイル王国の魔法学校の女生徒たちに人気だと商会の人たちから伺いましたよ」

 ぼくと兄貴は顔を見合わせて噴き出した。

「正直、貴公子なんて呼ばれたくないですね。恥ずかしいです」

「わかりました。教会関係者にそう呼ばないように周知しておきます」

 闇の貴公子の話題を打ち切るべく、収納ポーチから受難の呪いを閉じ込める魔術具のぬいぐるみを取り出して、司祭に見せた。

「このぬいぐるみは受難の子の呪いを閉じ込める魔術具です。司祭も少ないながらも受難を受けているとのことですから、お一つ選んでください」

 三種類のぬいぐるみを見て司祭は再び涙ぐんだ。

「これはまずハンスに渡さないと!」

「もうあげました。これは他にも受難の子がいるかもしれないと推測してたくさん作ったのです。司祭様や聖女様や、まだ見つかっていない他の受難の子の分もありますから、お好きなぬいぐるみを選んでください」

 司祭はもう一度ぼくと固く握手をしてから、キュアのぬいぐるみを選んだ。

「ああ、ありがとう。体が軽くなったように感じる」

 司祭の両目から涙がとめどなく流れるのを見て、ぼくも瞳が熱くなった。

 長年ずっと体が辛く領外に出て一時期楽になったのに、再び受難を受けるのにもかかわらずこの地に戻ってきた、鉄の意思の持ち主だ。

「早く聖女にも渡してあげたいが、飛竜の幼体のぬいぐるみを好まれるだろうな」

 残念そうに司祭が言うので、キュアのぬいぐるみをもう一つ取り出した。

「ああ、ありがとうございます!昨日の浄化の儀式は飛竜の幼体が出現したお蔭で成功した、と町の噂になっているのです」

 領主の威光で精霊たちが出現したと考えるより、飛竜の幼体が人々を憐れんで精霊たちを呼んでくれたと考えてしまうほど、領主の人気がないのだろう。

 まあ、下衆な領主一族だから仕方ない。

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