民主化の足音
「誓約書に記名するよ。それ以外に私たち一族が生きのこるすべはないようだ」
領主の瞳には涙が光っていた。
「上級精霊様に未来を見せられてから、ずっと夢の中にいるような気がしていた。馬鹿な領主だよ。ただ、この馬鹿が正しいと教育されてきた」
馬鹿に馬鹿だと自覚させるのがこんなに大変だとは思わなかった、とウィルが呟いた。
領主はウィルの言葉にハハハ、と乾いた笑い声をあげて、頷いた。
「砂漠化が進んでいるから寒暖差の結露で穀物がカビる。それなのに領民の死亡率が落ち着くときは受難の子が誕生しているんだ。受難の子にすべてを押し付けてしまえば領地運営はつつがなく行える。私はこの矛盾に目を閉じていた」
数字を比べるくらいはできるから、小麦の悪い病気が流行していることは推測出来た。だが、収穫後の貯蔵でここまで被害が拡大した例はなく、呪いの破綻が起こっていることが容易に推測できた。
一族の子どもは極端に生まれにくくなり、呪詛の反発が脳裏に浮かんでも受難の子の誕生による楽な領地経営の旨味を知ればそれを止めるなんて思考は停止してしまう。
このままでいいのかと迷えば迷うほど受難の子の誕生を待ちわびてしまうのだ。
「赤子が乳を求めて飲めばその乳が毒なんだ。四肢の先端まで千切れるような痛みだった。翌朝は迎えられないかと思う苦しみのなか、小さな光の粒が体内に入ると朝が来るんだ。朝が来て腹を空かせると、毒入りの乳を飲むのだ。……生きるために体が求めるんだ。それを飲め、と」
シロに送り込まれた亜空間でハンスが経験した、本人も忘れている乳幼児期だろう。
「私のぼやけた視力でもわかるのは、熱を出すたび必死に神々に祈るハンスの両親の姿だ。その姿は私が私の息子が熱を出した時の私の姿と重なり、命に貴賎があるのかと無言で真理を突きつけに来たのだ。そんなハンスを三才児の出生登録で見つけたと連絡がきた時に、当時の私は心の底からワクワクした言いようのない歓喜に沸き立った。これで、帝国からの理不尽な課税を乗り越えられる、と本気で考えていた」
ハハハハハ、自嘲の籠もった乾いた笑いは、返す返す悪態をついてきた領主の笑い方ではなかった。
「上級精霊に見せられた二つの未来も、ハンスの過去も、真剣に考察したら推測出来ることなのに、長年の継承されてきた家訓を優先して考えてしまうのは当然だろう」
言わんとしていることは理解できる。
本当に反省しているかのようだ。
ハロハロの時のように何らかの思考誘導を受けていたような気配がない。
“……ご主人様。この者は天然です。他人に何とかしてもらえる方を選ぶことが当然と考えています”
「この思考回路だから、ガンガイル王国に隣接した領地が下賜されたんだろうね。短絡的なうえ、統制の利かない闇魔法の使い手なんて、死霊系魔獣を呼び込む撒き餌のようなものじゃないか」
ウィルの呟きに領主が首をすくめた。
「ああ。皇帝陛下はこの領地を破壊したいのではないか、という疑問は脳裏にあった。そんなはずは無い、と思い込むことで、自分を正当化していた。……世界はこんなにも美しく、人々は力強い。これが旧領主一族たちの末裔の底力なんだな」
精霊たちが浄化の魔法陣の中でキラキラと輝き、顔を上げた人々がうっとりと眺めている。
精霊たちが魔力奉納を促すかのように祠の方に集まって来た。
祠の後ろにいるぼくたちを見つけて、領主様、と人々が後退りした。
「見事な浄化の儀式であった。教会関係者、魔力を提供してくれた住民たちのお蔭でこの食糧危機を乗り越えることが出来るであろう。今年の豊作を願って、大地の神にも魔力奉納をお願いしたい。私は今日二度目の宣誓を行う!領地経営に市民の魔力を求めるゆえ、領政に市民の意見を反映させる」
大芝居の幕引きを自ら取り仕切り出した領主が、拡声魔法でそう言った。
ウィルから誓約書を受け取ると両手で広げて市民に見せた。
精霊たちは楽しそうに領主を取り囲み、読み上げろ、と囃し立てるようにグルグルと回りながら光った。
受難の子の記述があるのに読み上げるのはマズいだろう。
「成人市民が議論をかわせる議会の成立を確約する!」
やっぱり都合の悪いことは隠すよね。
「七大神に感謝の祈りを!大地の神の魔力を奉納せよ!!」
領主の言葉に何を言い出したのだ、とポカンとしていた住民たちは、神の感謝と祈りと魔力奉納が必要なことだけは理解できたようで、歓声が起こった。
明日からいきなり議会民主制とはならないだろう。
人々は司祭に礼を言って、持ち寄った食材を持ちかえり始めた。
精霊たちは帰り道を照らしながら、町中に点在する小さな祠に住民たちを誘導している。
「領主の威光がそもそもないか、住民たちに慕われていない領主ですね」
小声でウィルがそう言うと、領主一族なんてそんなもんだ、と小声で領主が言い返した。
「サッサと記名してください」
魔法の杖を一振りしてペンとテーブルを出した。
魔力を充填して書くペンを領主は欲しがったが、一般販売していないと断った。
領主はもうためらうことなく記名した。
「急遽呼びつけて、悪かった。今日の午後だけで、もう何年もたったような濃密な時間を過ごすことが出来た。一族の過ちを正していくことが、きっと私に与えられた使命だったのに、長きにわたって抗ってしまった」
上級精霊の言う通りだった。
領主は知っていた。受難の子にすべて押し付けて問題を無かったことにしたかったのだろう。
散り散りに去っていく住民たちを見送る精霊たちも消えていった。
護衛の騎士団員が領城から駆け付けた時には、教会関係者と各ギルドのギルド長たちが領主に市民議会とは何か、と問い詰めていた。
ぼくたちはこれ以上介入する必要がなさそうなので、魔法陣の布を回収して、ハンスと教会に戻ることにした。
「お腹すいたね。バイソンシチューが楽しみだよ」
「いや、カレーかもしれないよ」
「孤児院の子どもたちにも振舞うだろうから、カレーはないよ」
留学生一行が呑気に夕食の話題を始めると、よくわからないけれどどっちも美味しそうだ、とハンスが笑った。
「なんだかすごいことだらけだったのに、夕食を楽しみにして家路につく、なんて変な感じだ」
「子どもが日没前に家に帰るのは当たり前のことだよ」
黄緑色の精霊たちがぼくたちの周りを飛び交った。
教会の中庭で孤児たちとバイソンシチューとバインミーの夕食を取りながら、中庭の一角で畑を作る計画を孤児院長と話し合った。
その日、司祭は領城に行ったきり帰ってきた様子はなかった。
後は大人たちが何とかすればいい。
寝る支度を済ませた後、ハンスをコッソリ馬車に呼ぶと、留学生一同も集まった。
ハンスの呪いをこのままにしておくわけにはいかないけれど、浄化しきれなかった食品が存在しているうちは呪いを解きたくない、とハンスは主張した。
「ぼくが精霊に守られていたから死なずに済んだんだ。ありがとう」
ハンスが呟くと、黄緑色の精霊がハンスの前に現れた。
どういたしまして、と言っているのだろう。
「そう言い出すだろうから考えていたんだ。呪いを溜めておくことができないかな?」
ラウンドール公爵家の呪詛返しは呪いの対象を入れ替えているように、受難の子の呪いを返してしまうと領主一族が死んでしまう。
そうするとせっかく民主政治の実証実験ができるのに、死んでしまっては新しい領主に首がすげ変わり、検証できなくなってしまう。
だったら、領主一族の呪いを魔力電池のように溜めておけば、ハンスは苦しむことも無いし、領主一族が悪巧みをしたときに牽制の手段にすることが出来る。
ぼくの考えを披露すると、ウィルが一番に頷いてくれた。
「呪いはかけた本人、もう死亡しているから、この場合は領主一族が解く方が悪影響も少ない。領主一族が研究して解除すべきだね。それまでの間の受難の子のために魔術具で対処するのは賛成だ」
みんな概ね賛成してくれたが、兄貴は渋い顔をした。
「当面の解決策として良さそうだけど、乳幼児の受難の子は見つけにくいから救済が遅れてしまうよ」
三才児登録まで家庭内から出ることがほとんどない、乳幼児は確かに発見されにくいだろう。
精霊神の祠を作って、精霊たちに受難の子を探してもらうのはどうか、とか、産婆さんに出産後も家庭訪問してもらう、とか、いろんな意見が出た。
「具合の悪い子に触れるだけで原因不明の体調不良を治すぬいぐるみがあったら、親が教会に連れてきてくれるんじゃないかな?」
訪問型だと具合が悪くても家で耐え忍んでいることがあるが、病気を治すかもしれないぬいぐるみがあるのなら、治癒魔法が受ける余裕のない人たちでも、乳幼児を連れて来てくれるだろう。
「「「「「「「「「「いいね!」」」」」」」」」」
ぼくが早速、収納ポーチに手を突っ込んで材料の確認を始めると、兄貴に今日はもう寝た方がいい、と釘を刺された。
「亜空間に行こうよ。ぼくがぬいぐるみの外側を作るから、カイルは中の魔術具を量産してくれるかな?」
ウィルは兄貴の制止に、亜空間で睡眠や休息をとるから、受難の子の対策は早ければ早いほどいい、と主張した。
ハンスは申し訳なさそうにぼくたちに頭を下げたが、今まで人々の受難を一身に受けてきたハンスが頭を下げられる立場なんだ、とみんなが口々に言った。
「ちゃんと休憩も取るから、大丈夫だよ」
ぼくたちはハンスと無理はしないと約束して、ハンスを自室に戻した後、みんなで亜空間に移動した。
少しでもたくさん作っておかないと、この町の人たちの魔力が増えたら、後天的に受難の子になってしまう人もいるかもしれない。
ぬいぐるみは手先が器用なウィルがみんなの指導役になった。
ぼくは魔術具の製作に専念し、効果の検証にスライムたちが名乗りを上げた。
スライムたちに呪いをかけるのが嫌だったので、蝸牛の魔術具のくすぐりの刑で検証した。
スライムたちは蝸牛の魔術具に触れて青い炎に包まれたがまったく様子を変えずに、大丈夫だよ、と魔術具の性能に太鼓判を押した。
「これは競技会に使える有用な魔術具になりそうだね」
「ハンスが自分で作れるようになれば、呪いが満タンに溜っても心配いらなくなるのにね」
ウィルが状況によっては魔術具におさまりきらない厄災があるかも知れない、と心配した。
「オーレンハイム卿に連絡を入れたから、魔力奉納の応援が来たら、ハンスは辺境伯領に留学して、呪いは領主一族に返せばいいよ」
兄貴はそう言った。
「その方が万事丸く治まりそうだ」
とんでもない厄災が起こらないように領主は真面目に領政のことを考えるようになる、とウィルが笑った。
ちゃんと休憩を挟みながら作った魔術具を収納ポーチにしまって、ぼくたちはそれぞれの寝室に戻った。




