大地の神の祠
「じゃあ、今頃城下町は大騒ぎになっているんだね」
台本の筋書きをいまいち読めていなかったハンスが尋ねた。
「領城には腐った食べ物を持ち込む住民たちが押しかけているだろうし、洗浄の魔術具を改造した浄化の魔術具では追いつかないだろうね」
「ロブに浄化の魔法陣を渡してあるから大布に拡大転写してあるはずなんだ。それを商会の人たちがそれなりの価格で領主に貸し出しして、光と闇の祠の広場に住民たちを誘導できていれば上出来かな」
「ああ、なるほどね。そうきたか!」
ウィルはぼくの説明の途中で合点がいったようだ。
「食料の浄化を市民たちが中心になって執り行うことで、領主の影響力を低下させるんだ!!」
あの領主の影響力を削るために、住民たちに自分たちの力を認識してもらう予定なのだ。
「それなら、そのままこの城跡まで来てもらって、大地の神に魔力奉納してもらえば良いんじゃないかい?」
兄貴が一石二鳥の提案をした。
「そうだね。だっだらこの森の下草を一気に刈り取ってしまおう!」
ぼくはスライムと合体して翅を生やすと、ウィルとハンスに危ないから礼拝室に待機するように言った。
「ジョシュアはスライムがいないのに飛べるのかい?」
少し浮いた兄貴を見てウィルが驚いてそう言うと、驚き過ぎてなんて言ったらいいのかもうわからない、とハンスが言った。
「内緒だけど、魔法の規模でいったら、ぼくよりジョシュアの方が凄いことが出来ると思うよ」
いちいち驚かれるたびに説明するのも面倒なので、兄貴はぼくより凄いらしい、という認識でいてもらおう。
実際のところ人間ではないのだ。
ウィルとハンスが礼拝室に入ったのを見届けると、ぼくたちは飛行して、迷いの森の全貌を確認した。
森を住処にしている魔獣たちに避難場所をいくつかに分けて指定し、精霊言語で伝えた。
魔獣たちの移動を確認してから大地の神の祠の周辺を重点的に土魔法と風魔法を駆使し、木の枝を払い、下草を根っこごと搔き集めて一か所に堆積した。
市街地からの参道を整備して城下町を見ると、七大神の祠の魔法陣と旧領主一族の護りの結界をさらに補強するように大地の神の小さな祠が点在している。
その大地の神の祠の魔法陣の起点がこの祠だった。
この地の守り神は大地の女神だったのがよくわかる祠の配置だ。
“……タスケテクレテ、アリガトウ”
上空にいたぼくたちのところに黄緑色の精霊たちが集まってきた。
“……アリガトウ。ナカマ、フエタヨ”
ぼくの鼻先まで近寄ってきた一つの光がぼくの夢枕に立った精霊だろう。友だちを連れてきたようで仲間の精霊たちを紹介してくれた。
光る苔の洞窟はこの精霊のように傷付いて消えかけた精霊たちが憩う場だから、どこかにあって、どこにもない空間なのかもしれない。
黄緑色の精霊たちはぼくと合体しているスライムにもアリガトウ、と思念を送ってきた。
君が諦めなかったから、その思いがぼくに届いたんだ。
君たちが諦めなかったから受難の子のハンスは生き延びたんだ。
これから先のこの土地を護るのはハンスや住民たちだ。
ぼくたちは地上に降りて、大地の神の祠に魔力奉納をした。
もちろんキュアもみぃちゃんもスライムたちも、この地の安寧と精霊たちのために祈った。
ぼくたちは神々の掌の上で転がされているだけだとしても、こうやって以前助けた精霊に会えるのは嬉しい。
祠から出ると犬型のシロの瞳も潤んでいた。
ああ、シロも頑張ったからこの結末にたどり着いたんだ。
ぼくは、オーレンハイム卿の庭に忍び込んでシロに言われるがまま大地の神の祠に魔力奉納をしたことを思い出した。
あれ?
オーレンハイム卿の一族って、帝国由来の血筋だったような……。
「オーレンハイム卿はここの旧領主一族とは血縁関係にあるよ。帝国と交戦する前に連合国案があったんだ。ここから先の滞在予定地にもオーレンハイム卿の遠戚はいるから、神々のいたずらなのか不思議な縁が続きそうだ」
魔本がそう言うと、兄貴が声を上げて笑った。
「何が、どんな因果で繋がっているのかわからないよね。この町の住民から他の受難の子が見つからなくても、オーレンハイム卿の親族と交換留学することにすれば、ハンスはガンガイル王国の辺境伯領に留学することが可能になるかもしれないんだね」
礼拝室に入れる人が他にもいるのなら、ハンスはこの地を離れても大丈夫だ。
「駄目だよ、そんなの待てないよ。ハンスがいつまでも受難の子でいるなんて可哀想だよ」
みぃちゃんがぼくの腕に飛び込んで、そう言った。
「落としどころを間違えなければ、この台本で大団円を迎えられるはずだ。そうならなくてもシロに頼んで転移して、いったん領外に逃れてからお守りを携帯させればいいだけだよ」
台本通りに進まなくてもハンスに救済の手段があると知って、魔獣たちも精霊たちも喜んだ。
生まれ落ちたその日から他人の厄災を一身に背負うなんて不条理すぎる。
落とし前をつけるべき領主の先祖はもうとっくに転生してしまっているだろう。
それでも現領主は受難の子の存在を一族の歴史として認識していたのにもかかわらず、放置していた罪がある。
内政干渉にならないギリギリのところは責めさせてもらおう。
“……ヤッテヤロウ。アイツラヲ、オイツメロ”
精霊たちは領主一族に激怒している。
死なせてしまうと帝国からもっとあくどい領主を派遣されかねないから、ほどほどに懲らしめようね。
礼拝室にいるウィルとハンスに終わったことを伝えに入ると、黄緑色の精霊たちに囲まれたぼくたちを見た二人に、黄緑だらけだ!と驚かれた。
「クラーケン襲来の後に、夢で精霊が助けを求める声を聞いて、大地の神の祠に重点的に魔力奉納をしたことがあったんだ。どうやらこの子たちはその時の魔力で助かったようで、なつかれてしまったんだ」
「クラーケン駆逐の帰りにオーレンハイム卿のご子息の領地で魔力奉納し忘れた祠があるから、と立ち寄った祠だね」
ハンスは、クラーケン駆逐って……、カイルとジョシュアの二人だけ超人がじゃなくてウィルも同類だよ、とブツブツ言っている。
領民の厄災を一人で背負っているハンスもじゅうぶん超人だよ。
「ハンス。他人事じゃないよ。オーレンハイム卿はおそらくハンスの遠縁の親戚だから、お手紙を書いておくね。ああ、二人とも大地の神の祠に魔力奉納するんでしょう?回復薬をあげようかい?」
ハンスは首を横に振り、ウィルからもらって飲んだ、と言った。
休憩できていたようで良かった。
参道を整理された森の様子に二人は驚き、祠に魔力奉納をした。
「精霊たちが喜ぶのも無理はないよ。見違えるほど綺麗になった」
「昔はもっと綺麗な庭園だったんだろうね」
「領民たちが足を運ぶ場になったら、綺麗に整備しようという動きになるはずだから、これからもっと綺麗にしていくよ」
ハンスは自分たちでやれることは自分たちでする、と決意を語った。
堆積されている雑草が食べられる種類により分けてある!とウィルが喜んでいる。
感覚がすっかり庶民になっているウィルを見てハンスが笑った。
「精霊たちの贈り物だ。教会に持って帰ろうか」
山菜や茸を入れる袋にスライムが変身したので、ぼくたちはたくさん持ち帰ることができた。
帰路は移転ですませ、司祭に山菜や茸を奉納してもらい、ベンさんに追加の食材があることを伝えた。
森に入ったのを目撃されているのに、出てくるところを目撃されていない、とハンスが呟いた。
迷いの森に参道が出来た時点でもう、迷いの森じゃないからいいんだよ。
ぼくたち四人は留学生たちと合流し、山菜や茸を下処理して乾燥機に並べていると、領主から救援を求める伝令がきた。
どうやら浄化の魔術具や魔法陣を起動させる魔力が足りないらしい。
すべてを魔術具ではなく魔法陣にしたのはそのためだ。
「初級生活魔法を履修していたら発動する仕組みになっていますから、住民だけで何とかなる魔法陣ですよ」
ロブが伝令にそう言った。
「……一般市民が魔法学校に通うことは、ほとんどありません」
「つまり、ぼくたちの魔力を当てにしているということでしょうか?」
ウィルが直球で尋ねると使者は言葉に詰まった。
騎士団員を総動員すればできそうなことなのに、七大神の祠の魔力奉納を短時間で済ませたぼくたちの魔力を当てにするなんて、安易に楽な方に流される領主だ。
「ハンスは光と闇の祠の広場に行ってくれるかな?有資格者の親族たちで手を繋いで魔力を流せば資格のない人たちの魔力を集められるかもしれないから、試してみてくれるかな?」
小芝居が苦手だと言っていたハンスは黙ってうなずいた。
「神に祈るのなら、私も同行しよう」
町の現状を嘆いていた司祭は小芝居にノリノリで参加している。
食材を浄化する儀式として教会が介入すれば領主の手柄にはならないだろう。
「まあ、呼ばれているのなら、顔だけ出しますか」
ウィルが渋々な表情で言った。
中庭ではバイソンシチューを煮込んでいる美味しいそうな匂いが立ち込めている。
「夕飯前に終わらせるために急いで行こうか……」
ぼくがそう言い終わらないうちに、留学生たちはシロによって領城の正門の前に転移させられていた。
またしても、伝令を置き去りにしてぼくたちが先に登城してしまった。
正門の前にはたくさんの騎士たちが、本日の受付は終わったから、今すぐ食料の浄化を望むものは光と闇の神の祠の広場へ行くように、と住民たちを促していた。
領主が七大神に誓ったのだから、住民たちを無下に扱うと領主に神罰が及びかねない、だが、自分たちの食糧を提供しなければいけないことに騎士たちが抵抗しているようにも見えてしまう。
突然現れたのにもかかわらず、ぼくたちを目にした騎士はこの場を離れるきっかけになるから、そそくさとぼくたちを領主のもとに案内した。
「この魔術具ではキリがないではないか」
宣言した以上やり遂げなくてはならない領主は、何とかならないか、とウィルに詰め寄った。
「祠巡りはこの地に滞在するお礼でしかありません。他国民のぼくたちはこれ以上魔力は使いません」
ウィルはきっぱりと断った。
「ご自身で何とかできるすべをお持ちですよ」
「小麦に呪いをかけてみればいいじゃないですか」
領主は何を言っているんだ?という顔で、突然呪いという言葉を持ち出したケニーを見た。
「そうか、受難の麦をつくることで、他の小麦のカビを全て受難の麦に押し付けてしまえばいいということですね」
兄貴がとびっきりの笑顔でそう言うと領主の顔が曇った。
「物は試しです。やってみてください」
ぼくは正門にあったカビた小麦を一袋だけ移転させた。
「……無理だ。本当に無理なんだ」
首を横に振る領主に、ぼくの見解を述べた。
「受難の麦が領地を出ると、受難の麦が引き受けた厄災がもとの小麦に戻り、それを食べてしまった人たちが死亡してしまう可能性があるのですね」
領民を所有物と言い切る領主が、ハンスが領外に出ることで領民が死ぬことを気にかけるはずがない。
ハンスは領主一族の誰かの身代わりで馬に蹴られたのだろう。




