下衆一族
領主の先祖は闇魔法の手練れで、戦争では大活躍だったが、領地を安定させる知識は足りなかったようだ。
領地の護りの結界がまともに張れなかったので各町や村の結界を領城の結界で繋ぐことさえできなかったようだ。
バイソンのような大型魔獣の群れが集合体で移動することを防ぐことは出来なかったのは、領主一族の失態で、もっと東方に生息しているバイソンの群れがこんな西方まで押し寄せてきているということは途中の国々の領地も同じような状態なのだろう。
「ハンスが旧領主一族の末裔だという可能性は、ないわけではないのですが、本当に一般的な市民の家族で代々大工や家具を製作する家系です。家族の中に受難の子は他にいません」
司祭がそう言うと領主は首を横に振った。
「わたしがこの言い伝えを信じなかったのは、この話の続きに市中に領主一族が隠れていたという報告が実際の記録に残っていなかったからなのです」
領主の先祖は暗殺を恐れて領城の住民の身元調査を徹底的に行った記録はあったが、旧領主一族らしき人物は確認できなかったらしい。
“……当たり前だ。旧領主一族は一般市民に直筆の礼状を書くほどの素晴らしい人格者だ。市民の人気も高く、亡命の手配も市民が一丸となって手助けしただろう。文書化されていないことは推測でしかないが、記録に残すようなヘマをしなかっただけだ”
領主の話に魔本が精霊言語で補足した。
「御落胤の子孫だった可能性もありますよ。魔力だけ先祖返りしたせいで、呪いを一身に受けてしまったのかもしれません」
ウィルがそう言うと、ありえることだ、と司祭も納得した。
受難の子、ハンスを呼び出すより、年の近いぼくたちが中庭に行って声をかけてみることにした。
「やあ、こんにちは。ぼくたちは隣の国から帝都の魔法学校に留学しに行く途中、この町に立ち寄ったんだ。ぼくはウィル、こっちがカイル……」
中庭で草むしりをしていたハンスにウィルが声をかけた。
一方的に自己紹介が始まっておろおろするハンスに、ウィルは隣にかがみ込んで草をむしりながらしゃべり続けた。
「司祭様に許可を取ったから今日は教会の手伝いではなく、ぼくたちに市中を案内してくれないかな?」
立ち上がったハンスは痩せ型で背の高いひょろっとした少年で、ぼくたちの後ろにいた司祭に、目でどうなっているのか尋ねた。
「彼らはこれから町の七大神の祠に魔力を奉納してくださいます。案内役として、年の近いハンスがふさわしいから頼みますよ」
突然に指名に驚いたようにぼくたちを見て、自分の汚れた身なりを恥ずかしそうに見た。
「たくさん働いた証ですね」
「土のついた服は働き者の証拠ですが、もしよろしければ清掃の魔法を使用してもかまいませんか?」
ウィルとぼくはそう言うと、躊躇いながらもハンスは頷いた。
魔法の杖を一振りしてハンスを綺麗にした。
気軽に魔法を使うことに驚く教会関係者を気にすることもなく、他の留学生たちはハンスの残した草むしりを高速で終わらせた。
「なんだか……、その……、い、いろいろと、ありがとうございますっ」
身なりがいい留学生たちが草むしりのような雑用を手伝ったことにも、ハンスは動揺しているようだ。
「ぼくたちの用を優先してもらうのだから当然だよ」
「みんなでやれば早く終わるからね」
「今日の宿泊先にここを使わせていただけたら、という下心もあります」
ウィルはそう言うと、司祭に中庭の使用交渉を始めた。
領主が城に滞在するように、と割って入ったが、夕食を孤児たちと取りたい、とウィルがやんわり断った。
ベンさんが張り切ってメニューを提案すると、司祭もベンさんの熱量に押されてぎみになった。
「滞在のお礼に食品貯蔵の魔法陣を改良します」
それぞれの食品に合わせた温度や湿度を保てるようにしておけば、食品の長期保存と食中毒の被害を防げる。
「お恥ずかしながら、私たちには魔力の余裕がありません」
司祭が自分たちの生活向上のためには魔力を使えない、と断ってきたので、洗礼式前の子どもたちの魔力でも貯められる魔術具と連携させることを提案した。
教会併設の孤児院の子どもたちは日常的に祈りながら魔力奉納をする機会が多いから、一般家庭の子どもたちより魔力が多いはずだと、ウィルも補足説明をした。
「さすが省魔力の達人エントーレ準男爵のご長男です。我々と発想が違います。ラウンドール公爵御子息の慧眼も素晴らしいです」
領主がぼくたちをおだてるように持ち上げたが、貴族階級を持ち出さなくてもいいじゃないか。
「身分によって質の良い教育を受けたことは事実ですが、ガンガイル王国の魔法学校生たちの成績は身分と比例していません。平民の優等生も多く、彼らは留学までする生徒は少ないですが、将来ガンガイル王国を支える優秀な人材になるでしょう。そう言った観点から私たち留学生一行は身分差の壁を排除して生活しています」
城であんなに身分で圧力をかけたウィルが、涼しい顔で司祭とハンスに身分は気にしないで接してほしいと語った。
貴族階級の留学生たちが草むしりをして、これで堆肥を作ろうなんて話している姿を見たら納得するしかないだろう。
そんなこんなで、留学生たちに清掃魔法をかけてから、中庭で馬車をキャンプ仕様にする作業は商会の人たちに任せて、ぼくたちは祠巡りに出かけた。
「そう、足に魔力を薄く流して、そうそう。上手だね。すぐにできた」
留学生たちがハンスに身体強化を教えると領主の時より早くコツを掴んだ。
「初級生活魔法の資格しか取っていないなんてもったいないよ」
「辺境伯領なら試験官が問題文を読み上げて口頭で答える、口頭試験が出来る試験監督がいるから、魔法陣さえ描ければ、文字を読むのが苦手な人でも専門知識を身に着けて資格を取れるんだよ」
そうなんだ。知らなかった。
「辺境伯領は昔から基礎教育のレベルが高いんだよね」
「奨学金の種類も多いし、あのどうしようもないほど長い冬さえなければ移住したいよ」
ウィルとケニーがそう言うと、ロブも頷いた。
幼い頃は、辺境伯領主はちゃらんぽらんな領主だと思っていたけれど、教育にかける情熱や、いざという時に廃鉱の現場まで乗り込んでくる行動力が頼もしい人だった。
後ろにいるこの地の領主にそんな気骨があるのだろうか。
胸にモヤモヤとした嫌な感情が溢れてくるが、ぼくは自分が出来ることしかしないつもりだ。
ウィルもチラッと後ろを見やったが、ぼくたちが何かすることで内政干渉にならないように言動に細心の注意を払っているのだろう。
七大神の祠を一日巡る場合と、今日はこの祠だけと決めて魔力奉納をする場合とでは、一つの祠で搾り取られる魔力量が全く違う。
一つ目の祠で魔力奉納しただけで移動中の身体強化が億劫になっている領主は、総魔力量に対して一日の魔力消費量は少ないことを露呈している。
己の総魔力量を使い切って寝るという行為は、自分が安心安全な環境にいるから出来ることだ、ということはみんなも理解している。
それにしても一つ目の祠でここまで疲弊しているなんて、日頃から魔力の出し惜しみをしているとしか思えない。
土埃を被った建物を見ながら祠巡りを続ける留学生たちのみんなは、ぼくと同じようなモヤモヤとしたやるせなさを胸に抱えていた。
苦境に立たされたこの町の人々は魔力奉納でポイントを稼ぐために懸命に努力しても、露店の値札を見れば、物価高騰でポイントの価値がガンガイル王国と全く違う状態になっているのがわかる。
ハンスと世間話をしながら留学生たちはこの町のどうしようもない閉塞感に、鬱々としていった。
ウィルは視線だけでぼくに決断を迫った。
このままこの町の結界を補強して良いのか、と。
ガンガイル王国に隣接するこの土地を安定させることは必要だ。
だが、ウィルは後ろにいる領主の功績となるのが気に入らないのだろう。
この人の罪は怠惰だったことだ。
自分の責任の範囲を知ろうとしなかった。やるべきことを教えられた範囲でしか行うことが出来ず、荒廃していく領土をこういうものだ、と改善を試みなかった。
小綺麗な城に住み、くすんでいく城下町を顧みず、起こり得た厄災を旧領主一族に押し付けてしまっていた。
一族の歴史の学習で呪いの存在は知っていたはずなのに放置した。
私情で考えたら、この領主にカビた小麦を食べさせたい。
“……ご主人様。神々のご加護がない人間がカビた小麦を食べたら死にます”
物の例えだよ。本当に食べさせたいわけじゃない。
この人が死んでも、帝国から別の領主がやって来るだけで、何も解決しない。
自分の罪を自覚した分、この人の方がまだマシだろう。
「少し休憩しないかい?」
後ろから領主の情けない声がした。
「体の中心にある魔力を循環させるよう意識して足を動かしてください。神々は魔力枯渇を起こすほど魔力奉納は求めません」
領主の真横に移動したウィルが唇を動かさずに呟いた。
「毎日魔法学校の授業を受けて、七大神の祠の参拝もするなんてすごく大変そうですね」
ハンスが後ろの会話を知らずにそう言った。
「寮に精霊神の祠もあるし、市内の小さな祠を回るのも楽しかったよ」
「アルバイトで商店街の魔術具に魔力装填もするし、初級錬金術を取得してからは仕事の幅が増えたなぁ」
「ハンスも辺境伯領に短期留学したら、資格を取得できるんじゃないのかな?」
留学生たちがそう勧めると、お金がないから、とハンスは、はなから無理だと決めつけた。
出来ないことをどうするのかを考えるのが好きな辺境伯領出身者たちは、屋台を出すか、畑を作るか、と様々な案を出してきた。
光と闇の神の祠がある中央広場まで戻ってきても、ハンスが留学するためには、という話題で留学生たちは盛り上がっていた。
「今すぐには無理かもしれないけれど、数年単位で目標を決めたらきっとできるよ」
「まずは商業ギルドに登録して、商会の人たちとの連絡を欠かさないようにしろよ」
「商会の人たちの下働きになれたら、旅の費用を抑えて辺境伯領まで来れるよ」
留学生たちが具体的なアドバイスをし始めると領主の顔色が変わった。
「そ、それは認められない!」
領主の言葉に全員が足を止めて領主を見た。
「ハ、ハンス君は魔力が豊富で、この町に必要な人物だ。外国留学などとても認められない」
取り繕うように領主は言ったが、ぼくと兄貴とウィルはピンときた。
内緒話の結界をぼくがかけると、ウィルは冷酷な微笑を浮かべて遠慮なく本音を言った。
「もし、ぼくの想像したことが正しいのならば、この沸きあがる怒りを抑えきれる自信がない」
領主は首を小刻みに横に振った。
「げ、現状として、この町の魔力が足りていないからであって、け、けして呪いに関することではない」
「ぼくたちは数年後の話をしているのです。ここから発展したら不可能なことではないじゃありませんか」
兄貴がウィルのような冷たい笑顔で言った。
「ラウンドール公爵家に伝わる呪詛返しをいたしましょうか?ハンスの髪の毛とあなたの髪の毛の二本あれば十分です。伝承されている呪詛なんてなければ、ハンス君はただの虚弱体質で、貴方には何も起こらない」
ただの虚弱体質なら小麦のカビや、馬に蹴られたら死んでしまうよ。
「伝承の内容を正直に話した方がいいですよ。脅しじゃなくて、ぼくたちはそこそこ優秀なので本当に出来るんですよ」
領主は顔色が真っ白になった。
「あ、あ、あ、あ、あれは、白昼夢ではないのか!」
「この埃っぽい城下町を見たらわかるじゃないですか。この町の結界は根無し草のようにガンガイル王国からの魔力に寄生している」
「ネナシカズラか、言い得て妙だね」
ウィルがそう言うと、ネナシカズラは寄生植物で宿主から栄養を奪って成長し、駆除するには焼き払うしかない厄介な雑草なんだ、とケニーがぼやいた。
「白昼夢でないのなら、なおさらハンスが必要じゃないか。この町が死霊系魔獣に襲われてしまう!」
ハンスは自分の名前を連呼されているのに何のことだかさっぱりわからず、唖然とした顔で領主を見ていた。
「ガンガイル王国の隣国で死霊系魔臭の巣窟が誕生したら厄介だから、ぼくたちはまだここに滞在しているのですよ。でも、ぼくたちはあなたの手助けをしたくない」
兄貴が正直に心情を語ると、領主は項垂れた。
「……呪いが及ぶ範囲は我が領地内限定だ。ハンスが領外に出てしまうと、この地の災いを引き受けるものがいなくなり、カビの生えた麦でも食べねば食料のない領民たちが大勢死んでしまう」
こいつは本当に下衆野郎だ。
この町のどこかに生まれた時から厄災を引き受ける赤子が居ることを知っていて放置した上に、受難の子の存在が暴露されてもなお、ハンスに受難を背負わせ続けようとしたのだ。
それも領民の命を盾に、自分の保身を図っていた。
「あなた方、領主一族は領民の死亡率が下がると受難の子が誕生したことを知り、そのたびに領民にカビた麦を食べさせなければいけないほど税率を上げていたのですね」
ウィルが領主に確認を取ると、魔本が記録上矛盾はない、と精霊言語で伝えてきた。
……吐き気を催すほどの下衆。
最上級の下衆一族だ。




