受難の子
「あの子はどのくらいまで潜ったのかしら?」
みぃちゃんはジャンプしてぼくの膝に飛び移ると、地下に潜ったぼくのスライムを心配した。
「あの子は頑張り屋さんだね。中央広場の闇の神の祠から地下に潜り、教会の結界がかろうじて残っていたため途中までは加速して進めたようだ。ああ、魔獣カード大会の活躍で神々もあの子を可愛がっているからお迎えが来ているようだ」
上級精霊に褒められているなんて知ったら、ぼくのスライムは大喜びするだろう。
真っ暗な亜空間で世界の理に触れたことで授かった魔法陣の話を上級精霊が出さないということは、ウィルは魔法陣を授からなかったのだろう。
七大神の祠で構成されている結界に辛うじて残っていた結界の根の残骸を伝って、ぼくのスライムは掘り進めた。
さいわい細いながらも教会の結界にも根が残っていたので、それを頼りに新たに入手した魔法陣による加速で滑らかに地下に潜ることができたのだ。
辺境伯領主のスライムが行き止まりになった付近で、ぼくのスライムも減速を強いられた。
岩盤が固いというより、ここがここから先が神々の領域とはっきりと区別されているからこのような境界があるのだ。
飛竜の里での教会で結界を張る補助をしたときは、そもそもガイドになる飛竜の里の護りの結界が盤石だったうえに、オムライス祭りで祈る里の人たちの魔力の流れが、新たな結界を世界の理に繋ぐ後押しになったのだ。
けれど、この切れた結界を繋ぐ作業は飛竜の里のような後押しがない。
闇雲に地下に潜っていく、孤独なぼくのスライムに、こっちに来なさい、というような精霊たちの導きがあったのだ。
かつて、精霊たちに罵られたり、からかわれたりした経験のあるぼくのスライムが、ありがとう、あたいはやりきるよ、と心を震わせながら世界の理を目指してひたすら地下に進んだ。
神々がこたえるように土竜の魔術具に乗り込んだぼくのスライムを温かい魔力で包んだのだ。
「努力が認められるから、さらに努力するのかな」
みぃちゃんがぼくのスライムが神々の魔力に包まれた時に、そう言った。
みぃちゃんにもスライムの気配が追えるようだ。
“……ご主人様。みぃちゃんは上級精霊が繋いだ世界の理に触れています”
みぃちゃんも何か魔法陣を授かっているのか。
神獣っぽくってカッコいい。
「そうだね。努力し続けるから、神々も後押ししてくださるんだろうね」
みぃちゃんの背中を撫でながら、ぼくのスライムが世界の理までたどり着いた、と思念を受け取った。
「準備はできたようだね。さあ、小芝居の続きをするが良い……」
上級精霊の言葉が終わらないうちに、亜空間から謁見の間に戻されてしまった。
「ガンガイル王国国王勅命親善大使に無体を働くつもりは……。私は……馬鹿で、見栄っ張りで、真実から目を背けていた……」
床に両手をついて項垂れた領主は、亜空間に飛ばされる直前に戻されると、前回と違うことを言い始めた。
亜空間に飛ばされる直前の領主は、ぼくたちを呼びつけた言い訳をしながら土下座で誤魔化そうとしていたから、亜空間から帰還後、改心して泣きながら土下座をする姿に他の留学生たちには違和感を覚えなかったようだ。
「ぼくたちも、いつまでもここに滞在しているわけではないので、サッサと済ませようよ」
ウィルもその流れに乗って、領主に近づいて立ち上がるように促した。
顔を上げた領主はウィルとウィルの背後にいるぼくと兄貴を見て、ヒェッ、と肩をびくつかせた。
「か、か、かみ……」
もしもの亜空間でよほど酷い目に遭ったのだろう、領主は言葉にならない声を発した。
「そうですね。教会に行かなくてはいけませんね。案内してください」
「内緒話の結界を外すのでシャンとしてください」
ぼくと兄貴がそう言うと、領主は素っ頓狂な声を上げた。
「きょ、教会!?」
狼狽える領主に、ぼくはとびっきりの笑顔で言った。
「バイソンのお肉を教会に奉納しに行きましょう!」
「ぼくたちが国境の町から飛んでこれたのも、大地の神のご加護をいただけたからです。感謝を示すために魔力を奉納しなければいけませんからね」
ぼくと兄貴の言葉ことばに留学生たちは頷いた。
謁見後の予定変更に城内に大混乱が起こったが、領主様が教会に参拝に行くだけなのに警備計画を立てなければいけないほど領都の治安が悪いのか、と主張して強行した。
連行するようにぼくたち留学生一行が領主を取り囲んで、徒歩で教会まで出かけた。
献上品を運ぶという名目で、商会の人たちは先ぶれと一緒に馬車で教会に向った。
「足に魔力を薄く流して……そうです。上手に出来ましたね」
ぼくたちの速度に合わせて歩かせるために、領主に身体強化で歩くコツを教えながら城を出た。
「君たちはいつもこうやって歩いているのかい?」
ぼくたちは内緒話の結界の中で意気投合した設定の小芝居をしているのだが、辛い経験の後、優しくされた領主の心に響いたようで、領主は人懐っこく聞いてきた。
「ぼくたちは成長期ですから、黙って歩くだけでも鍛錬しますよ」
「祠巡りも馬車に乗るより走った方が鍛錬になるので、毎日の日課にしていました」
「そうなのか。心構えが素晴らしい。私も学生時代に騎士コースを少しだけ受講したが、そこそこの成績で満足していた。やっぱり私は何をしても中途半端だ」
「護衛の立場からすると、護衛対象者の腕っぷしが強すぎると、ご自身が戦おうとしてしまいますから、ほどほどであるほうが、ありがたいですね」
留学生たちも素直になった領主に、小芝居の続きがしやすくなったようだ。
城下町では先ぶれが人払いをしたようで、誰も歩いている人はいなかったが、二階の窓からのぞく人たちに、笑顔で手を振るように領主にウィルが促した。
「こうやって市中での好感度を上げておけば、万が一公開処刑になった時も、一族の誰か一人でも生かしておいてもらえるかもしれませんよ」
小声で唇を動かさずにウィルは怖いことを言った。
「ああ、もう選択を間違えない」
領主も腹を決めたようだ。
教会では商会の人たちや先ぶれが話を通していてくれたので、ぼくたちは司祭に挨拶をすると、すぐに祭壇に案内された。
領主から順に魔力奉納を済ませると、留学生たちの祭壇が輝くほどの魔力奉納の多さに、領主も教会関係者も驚いた。
「大地の神のご加護を得て、このようにすみやかに移動できたのです。お礼の奉納なのですから当然のことです」
ウィルが留学生を代表して恐縮する司祭に答えた。
「この町の安寧と、旅の安全を祈願して七大神の祠巡りをします。案内役にあの方をお借りしたいのですが、宜しいでしょうか?」
ぼくは窓の外を指さしてそう司祭におねだりをした。
みんなが一斉に窓の外を見たが、ちらりと見えていた人影は隠れてしまっていた。
司祭には誰のことかわかったようで、顔をしかめた。
「ああ、あの子はちょっと変わった子なのです。魔力は高いのですが文字が読めず、神学を学ばなかったので神籍に登録していません。頭の悪い子ではないので、初級魔法学校には通わせましたが、誰かに読んでもらわなければ教科書も読めないので、必要最低限な生活魔法だけ履修させて、教会の下働きをしております。留学生一行のみなさんの案内役としては不適切かと思われます」
「いえ、彼に案内を頼みたい。彼に是非会わせてほしい」
司祭がやんわりと断ったのに、領主は頑なに主張した。
「あの、こちらにも事情がありまして……」
言葉を濁す司祭に、ぼくは内緒話の結界を張って話の続きを促した。
「あの子は預かり子のハンスと申しまして、来年成人を迎える十四歳です。我々はあの子を受難の子ではないかと考えております」
一般家庭の子どもで、大事に育てられていたのだが、とにかく、いつも死にそうな目に合っていたようで、家庭内ではよく食中毒になり、外に出れば馬に蹴られる事故にあっていたそうだ。
家族はそのたびにお金をかき集めて教会の診療所に駆け込んでいたが、見かねたおばあちゃん聖女が教会に住むように勧めたのだ。
洗礼式前から教会の孤児院で暮らすようになっても、食中毒はしょっちゅう起こり、寝たきりで過ごすことも多かったのに、なぜかいつも後遺症も無く回復することから、孤児院では不死身のハンス、とあだ名がついたらしい。
「なぜ食中毒だとわかるのですか?普通に毒が盛られているだけではないのですか?」
ウィルがもっともな指摘をすると司祭が、お恥ずかしながら、と前置きしてから、教会の台所事情を話し始めた。
庶民も教会もカビた小麦より分けてでも食べなければいけないほどの食糧難で、毒といえば食事に問題があることが大半だということだった。
「小麦のカビは調理過程で加熱してもなかなか死滅しませんから、食あたり程度で済むようなものではありませんよ」
「ええ、ですから受難の子と呼んでいるんです。我々が受けるはずだった厄災を代わりに引き受けてくれているのではないかとさえ思えるのです」
「同じ料理を食べた他の子どもたちは軽症で済んでいるのですね」
ぼくたちの話を聞いた領主は青ざめた顔で、言い伝えは本当のことだったのか、と言った。
「この国が、帝国との戦争に敗れて属国になった時に、新国王から我が一族がこの地を賜った。この地を治めていた領主一族は現ガイル王国との併合案を支持していたため、ご先祖様がこの地を訪れた時にはガンガイル王国に亡命していた。だが、この地を守るため亡命は見せかけで一市民として隠れ住んでいる、とも言われていた」
そこまで言うと、ご先祖様は酷いことをした、と領主は渋い顔で告白した。
「貴族の位を捨ててでもこの地に残り、結界が上手く構築できない我らの隙を狙っているのだろう、と疑ったご先祖様は、この町の災いを旧領主一族に押し付ける呪いの魔法をかけたのです」
……町中の災いを一身に受けて育ったのが、あの少年なのか!
そんなの可哀相すぎるだろ!!




