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閑話#5

 騎士団の聴取に呼び出されたのは、これで三度目だ。薬師部長に至っては日に二度三度呼び出されることもあって、とにかく仕事が滞る。残業代なんて言葉は存在していない。今日も事務所に泊まり込む羽目になるから、もう同じことを何度も聞かないでほしい。

 ジェニエさんの製品の買取価格を上げられなかったのはこの町の他の薬師からの圧力があったからだ。ジェニエさんには王都での経歴があってもこの町では新参者だ。

 誰よりも効果のある薬であっても、『傷用軟膏は傷用軟膏だ。王都仕様だからって買取価格が違うのなら俺たちはもう作らない』こう言われてしまっては、買取価格は上げられない。町中の需要を満たすためには他の薬師の薬も必要なのだ。

 確かに傷用軟膏では、錬金術師のつくる低級回復薬よりも効果がなく、所詮傷用軟膏程度の薬効しかない。だが、早く治って傷跡の残らない軟膏があれば人々が求めるのはそっちだ。

 卸した先の商人が高値で売るのは当たり前だ。俺たちのせいじゃない。差額の利益で儲けたのはギルドではない。

 ここ最近の薬の質が低下したのは薬草の質が悪くなったからで、俺たちのせいじゃない。だけど、薬草採取や仕分けの段階で品質の低下を抑えることができることが分かったので、結局俺たちが講習会を開くことになった。

 仕事は増えるばかりで結果が見えないときほどむなしいものはない。

 昼飯を食べる時間を惜しんでも働かなくてはならないのだが、もう商業ギルドの事務所に帰りたくない。どうせ錬金術ギルドの誰かが文句を言いに来ているだろう。ジェニエが錬金術ギルドに登録しないのはジェニエさんの意向で俺たちは妨害なんかしていない。

 …ああ、腹が減った。

 誰か彼かに文句を言われて時間を消耗するのなら昼飯ぐらい食ってやろう。

 騎士団の食堂は安くて早くて量が多い。たっぷり食べたら眠くなるが、次にいつ食べる時間が取れるかわからない。腹がはちきれるほど食ってやろう。

 食堂は昼飯時を過ぎていたがそこそこ人が並んでいた。騎士は仕事柄交代で飯を食うからだろう。

「お前は見かけない顔だな」

 注文の列に並んでいると後ろの騎士の声をかけられた。

「商業ギルドのシムといいます。所用でこちらに来ましたが、昼食がまだだったのでお邪魔しました」

「いや、いいんだ。ここの食堂は部外者も利用ができるから。飯は美味いから沢山食っていけばいい」

 笑顔でよかった。薬師部だって言ったらこうはいかないだろう。

「初めて来たんだったらラーメンにしてみろよ。食いにくいけど、目茶目茶うまいぞ」

「正式名称はうどんだぞ」

「なに、ラーメンでも通じるぞ」

 この領の騎士団員は市民にも優しい人が多い。日頃だったらこんなに怖がることはないのだが、三度の聴取は恫喝まがいの迫力があったのですでに心が折れてしまっている。

「ラーメンもうどんも聞いたことがありません。お勧めのようなので、それにしてみます」

「天ぷらも忘れずに注文するんだよ。おれのお勧めはとり天だな」

「季節の野菜天だろ。あれは必ず三品ついてる」

「腹ペコだったらかき揚げ一択だろ。あれは俺の顔位の大きさがある」

「ああ大きさでかき揚げに敵う物はない」

 並んでいる全員が話に参加してきた。

 俺の腹の具合と相談するなら、かき揚げもいけそうだ。行列は順調に進んでいる。俺の順番が来た。

「おばちゃんラーメン一つにかき揚げ付けて!」

「上に乗せるんじゃなく、別皿に盛ってもらえよ。サクサクと味シミの両方を堪能するのが、かき揚げの醍醐味だ」

「そっ、それでお願いします」

 常連の指示に従えば間違いないだろう。お金を支払い、受取の場所で待つ。

「お前の席取っといてやるぞ」

 空いてる席が沢山あるのに、先ほどかき揚げを薦めてきた騎士がテーブルごと確保している。すっかりみんなで一緒に食べることになってしまっている。

「ありがとうございます」

 この状況で断れるような強い心は持ち合わせていない。

「はい、お待ちどうさま。かけうどん、かき揚げ付き」

 大きなトレイには、本当に騎士の顔と同じぐらいの大きさの揚げ物と黄金色のスープ中に細長い何かがたくさん入った、“かけうどん”が乗っていた。スープをこぼさないように席に移動しようとすると、他にかけうどんを注文した騎士が声をかけてきた。

「ああ、待て。この“おろししょうが”を入れるとまた美味いんだ」

 自分はうどんに直接入れているのに、俺の分は味の好みを気にして小皿に取り分けてくれた。

 生姜を食べるのか!これは生薬ではないか!!なんて贅沢な、いや生姜はそこまで高価ではない。ただ薬だと思っていた。

 席に着くとなぜか周りが俺のことを見ている。なんでだろう。食べにくい。

「カトラリーはフォークでもいいが、この“はし”ってのを使えるようになると格段に食べやすくなる」

 二本の細い棒を使ってその騎士は器用にうどんを啜る。音がするけどいいのだろうか?

「食堂なんだ、マナーは気にせず食べていい。好きになってしまったら、この音さえ食欲をそそるようになる。まあ、とにかく食べてみろ」

 先ずは、すきとおるように黄金色に輝くスープを飲む。…。具は“うどん”以外入っていないのに鶏、野菜、茸の香りと味がする。スッキリした味わいなのに奥深い何かがある。語彙の少ない俺にはこの味の説明などできないのだがスープを飲む手を止められない。

「どうだ、美味いだろう?うどんもさっさと食ってみろよ。この食感は初体験だぜ」

 俺は騎士たちを真似てうどんを食べた。遠慮がちに啜ってみると、するんと口の中に飛び込んできた。小麦粉を練って茹でただけだろうに、固すぎずそれでいて噛み応えもある初めての食感に、スープの旨味がまとわりついている。なんだ、このうますぎる料理は!

 うどんを食べてはスープを飲むこの幸せの繰り返しを無言でしていると、同席している騎士に止められた。なぜだ!!何のつもりなんだ!

「お前さん、生姜とかき揚げの存在を忘れている。試しにこの“レンゲ”と呼ばれるスプーンに生姜を入れてスープを飲んでみろ。気に入ったら“どんぶり”と呼ばれるスープ皿に好みの量を入れたらいい」

 ああ、夢中になり過ぎていてすっかり忘れていた。確かに、薬になる生姜は全部に入れてしまってはまずかった時に取り返しがつかない。助言通りに試してみよう。

 生姜を入れたスープはぴりっとした刺激と体の奥から温まってくるような感覚が心地いい。好みが分かれそうなものだが、俺は好きな味だ。スープの味がより際立つ気がする。

「これは美味い」

 小皿の生姜は全部どんぶりに入れた。

「ほら見ろ。うどんはやっぱり生姜ありのほうが美味いよ」

「薬味はスープそのものの味を損なうよ。俺はなしだな」

 騎士たちは口々に自分の好みを主張しているが、俺は自分のうどんと真剣に向き合っていてそれどころではない。だが、またしてもフォークを持つ手を止められた。

「かき揚げを食べる前にうどんが無くなっちまう。俺の好みはカリカリ、半カリ、しっとり、の三段階で味わうのが好きだ」

 なんだ、その呪文は。

「先ずはスープに浸さずそのまま口に入れろってことだよ」

 よくわからないまま、大きなかき揚げにそのままかぶりつく。カリっとした食感に野菜の甘味が口に広がる。細かく刻んだ野菜が数種類入っている。ほろ苦い葉物野菜、甘い人参玉葱、ちっと固くて歯ごたえの良い野菜は何だろう?

「美味しいです。はじめて食べる野菜もあります。この白っぽいもの何でしょうか?」

「そいつは、おれもかき揚げが初めてだった。“ごぼう”という根野菜だ。作付面積が少ないから滅多に入っていないんだが、お前は運がいいな。おれも今日はかき揚げにすればよかった」

 とり天を注文した騎士が嘆いているが、俺は自分が聞いた言葉が信じられずにいた。

 牛蒡(ごぼう)、これまた生姜と同じく薬用の植物だ。煎じて薬茶にすれば、お腹具合をよくするものだから食事として食べても問題ないだろう。だが…………。うまい。理屈などいらない。

「次はスープに浸して食べてみろ。味の感想とかは後からでいい。スープを吸うと食感がどんどん変わるからその変化を楽しむんだ」

 俺は言われるがままに残りをスープに入れて、その食感の変化を楽しむつもりだったのに、スープを含んだかき揚げの美味さにすっかりやられてしまった。

 かき揚げ、かき揚げ、うどん、スープ、かき揚げ………。気が付いた時はどんぶりを両手で持ってスープの最後の一滴まで飲んでいた。

「見事なまくり食いだ!」

 なぜか拍手が巻き起こった。

「まくり食いって、なんですか?」

「両手でどんぶりを持ち上げて料理の神様を崇めて最後の一滴までスープを飲み干す儀式のことだ」

 料理の神を崇めるだって!?うどんは神様の食べ物なのか!!

「ああ、これでお前もラーメン親衛隊の一員だ!」

 ラーメン親衛隊?うどんじゃないのか?

「ラーメンという小麦粉料理の最高峰があるのだが、どうしてもこの食堂では再現できないのだ。どうにも“なんすい”という神の水を入手しなければいけないとのことなのだ」

 なんだかわからないが、うどんとラーメンは違う食べ物だということはわかった。

「おまえら、冗談が過ぎるぞ。軟水はジュエルのうちの井戸水だ。ラーメンが食べたければ自分で井戸を掘ればいい。運がよければ軟水の地層に当たるかもしれない」

 あははははと、笑い声が広がる。どうやら俺は担がれていたようだ。

「悪かったな。みんな、自分が初めてうどんやラーメンを食べた時の感動を追体験したくて、初めて食べる奴を見つけると絡んでくるんだ」

 なんだかその気持ちはわかる気がした。人生は毎日大変で、やらなくてはいけないことは同じようなことの繰り返しで変化はまずない。新しい味覚は衝撃的な刺激だ。こんなに感動したのがいつぶりだったかわからないくらいに、自分は疲れていた。

「いえ、私もこんなに食事を楽しんだのは初めてです。みなさんありがとうございました。午後の仕事も頑張れそうです」

「ああ、そういえばお前さん商業ギルドの者だったな。ジェニエさんの傷用軟膏の次の入荷日わかるかい?」

「いいえ。当分入荷の予定はないはずです。お忙しいと伺っております」

「そうだよなぁ。ああ、騎士団で入用なわけではないんだ。うちの嫁がジェニエさんの傷用軟膏は顔のシミまで消えてすごくいいって言い出して、そしたら嫁の姉も欲しがるんだけど、どうにももうどこも品切れで売っていないんだ。今さらシミなんか気にする年でもないけれど、そんなこと言ったら半殺し確実だ」

 がっはっは、と笑って見せるが、俺が忙しい元凶はここにもあったのか!!

 医薬品は目的外使用禁止だろ。

 そんな常識をここで声に出して言う勇気は、俺は全く持ち合わせていない。

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