帝国留学直前会議
帝国への旅立ちは神々の依頼を引き受けたため、予定より前倒して出発することになっていた。
ぼくは飛行機を作ってぶっ飛んでいきたかったけれど、現実には滑走路の問題もあり、最新型馬車に水陸両用で少しだけ飛べる機能を搭載させただけだった。
それも緊急時に使用する想定なので、無難に旅が出来ればお披露目する機会は無いだろう。
初級魔法学校入学の際の王都への旅立ちよりずっと遠い外国に行くのに、ハルトおじさんの別邸で別れる三つ子たちは特に泣きもせず笑顔で見送ってくれた。
すぐに帰って来れることを知っているからにしても、ちょっとくらいは寂しがってほしかった。
むしろ、お手伝いさんたちが今生の別れかと言うほど落涙するので、ハルトおじさんが指をさして笑った。
次に会う機会があったとしてもぼくはきっと成長している。
一期一会の状況に涙はつきものじゃないか。
家族全員とハグをして別れの言葉を告げると、辺境伯領学習館時代から付き合いのあるポニーのアリスが牽く最新型の馬車に乗ってハルトおじさんの屋敷を後にした。
この後、辺境伯寮とラウンドール公爵家で同じような儀式をしなければならない。
辺境伯寮で幼馴染の男子を五人乗せるとラウンドール公爵家に向った。
ウィルの他二人の男子生徒が待っていたが、挨拶で大げさにボディータッチしてきたウィルが耳元で、亜空間に行こうと誘ってきた。
「出発前の慌ただしいときにごめんね。ご先祖様のクレメント叔父さんが信じられないことを言い始めたんだ」
亜空間に着くなりウィルが切り出した。
「何を言っているのか理解に苦しんだけれど、要約するならクレメント叔父さんは三回目の人生を歩んでいるらしいんだ」
異世界転生じゃなく、転生三回目なのか?
死にそびれた分を除いて三回も転生したのか?
情報が少なすぎる。
「情報を共有すべき人を全員召喚することは出来るかな?」
「それは出来るよ」
ウィルが招待すべき人物をリストアップしていった中に父さんの名前があった。
このメンバーに加わるのは父さんも胃が痛いかもしれないけれど、事後報告になるより最初から知っていてほしい。
帝国留学直前会議の出席メンバーは、ハルトおじさん、ハロハロ、ラウンドール公爵、クレメント氏、父さんと兄貴とケインとウィルとぼくになった。
いきなりの亜空間への招待にほとんどの参加者はなじみがあったが、クレメント氏だけが狼狽えていた。
精霊使い様、とひれ伏すクレメント氏に、参加者一同が、まだギリギリ精霊使いではない、と平身低頭するクレメント氏を止めた。
「あながち間違ってはいないのだけど、世に言う精霊使いの契約とは少し違う状態なのです」
父さんがクレメント氏をそう説得しても、外聞を気にしなくていい空間だからこそ敬意を表したい、と言って譲らなかった。
仕方がない。
「ラーメンでも食べましょうか」
ぼくがそう言うとシロが屋台を出現させた。
共同作業で意識の壁を壊そう。
「亜空間で経過する時間が現実世界と違うのはクレメント氏も理解できますよね」
ぼくはそう言ってクレメント氏に鳥ガラ洗いの仕事を任せた。
ウィルとハロハロは玉葱の皮を剥き始め、父さんは調味料の調合を始め、ケインはメンマの塩抜きを始めた。
ハルトおじさんはニンニクマシマシが良いと主張し始めて、鶏ガラあっさりラーメンじゃない!と叱責を食らっていた。
「この亜空間に人間の身分差はありません。今ここにある共通意識は、どうせ食べるんだったら旨いものを食べたい、という気持ちだけです」
チャーシューの仕込みに圧力鍋を出してくれ、とシロに頼む父さんに、何それ何なの、と、ハルトおじさんは食いついている。
細々とした雑用のすべてをスライムたちがこなした。
みぃちゃんはラーメンに興味がなく、キュアはチャーシューの仕込みの量が少ない、と追加の肉を入れていた。
「鳥の骨があの屋台のスープの旨味の正体なのか?」
クレメント氏は屋台のおっちゃんのラーメンを食べたことがあるようだ。
「今回は豚骨を抜いていますよ」
亜空間中に豚骨を炊く匂いが充満するのを避けて、あっさりラーメンを採用したのだ。
「私が三回生きた人生は過酷だった……。そう思っていたのは何も知らなかったからなのかもしれない」
クレメント氏は三度も人生をやり直したのに美味しい調理法なんて何も知らなかった、と言った。
「食は命を繋ぐ行為であると共に文化であり家族との絆なんです」
食べることは生きるために必須の行為であり栄養の摂取を出来れば良いだけなのに、体に良いものより、美味しいものが食べたいし、その味さえ、人間は記憶で味を補正する話をした。
「風邪を引いた後にようやく飲み込めるようになった時に食べる母さんのパン粥の味が特別な味になるように、記憶が味の補正をしてしまうことだってあります」
「……思い出が記憶を補正する……」
クレメント氏は心当たりがあったのか、そう言うと黙り込んだ。
ケインと兄貴はダブルスープだと言ってアサリとシジミから出汁を取っている。
結局、濃厚出汁の醤油ラーメンが出来上がった。
「海鮮出汁が効いていて良いな」
ハルトおじさんは港町グルメ旅が中途半端に終わったせいか、磯の香りを喜んだ。
ラウンドール公爵が自在に箸を使えるのは三年も努力する時間があったからだけど、クレメント氏が上手に箸を使えるのに啜れないのは何か不自然な印象を受けた。
「ラーメンとは凄い食べ物ですね。以前食べたラーメンと全く違う味なのに、あれもこれもラーメンだという強い主張があります。このラーメンは自分で作ったせいか、より一層美味しく感じられます!」
クレメント氏の発言に大人たちが頷いた。
普段自分で料理する人たちではないから、なおさらだろう。
「それで、お腹も満たされたことだし、呼び出された理由は何なのかな?」
後片付けをスライムたちに任せたハルトおじさんがそう言うと、ぼくはクレメント氏を見た。
「クレメント氏の不思議なお話を伺うためです。素朴な疑問なのですが、いつからお箸が使えるようになったのですか?」
「使い方を思い出したのは火山口に身投げした後からで、実際に使ってみたのは祠の広場で屋台料理を食べた時が初めてです。私はいつも死の直前に、かつて自分が違う人生を生きていたことを思い出すのです」
クレメント氏の言葉にランドール公爵家以外の全員が驚いた。
「死への恐怖から思い出すのか、他の人も死ぬ直前に思い出すのに死んでしまうのか知りようがありません。私は偶々死にそびれて救出されたからこうしてお話しできるのです」
死に直面して前世を思い出したのは、ぼくと一緒だ。
「三回生きたと伺いましたが、すべて人間として生まれたのですか?」
異世界の話はまだ持ち出さない方が良いだろう。
「人間以外に生まれ変わることもあるのか!」
ハルトおじさんには輪廻転生と言う概念がないらしい。
「恐らくすべての生物、精霊たちでさえ、一生を終えたら別の命に生まれ変わります。精霊たちは魂の練成と呼んでいます」
「ああ。さすが精霊使い……のようなお方だ」
父さんに一睨みされたクレメント氏が言い方を改めた。
「私が思い出したのは……その昔に別人として一生を終えた記憶は二回の人生だけで、三回目の人生はお陰様で繋ぎとめることが出来ました。別の生物に生まれ変わった記憶はありません」
クレメント氏が最初に生きた時代は、邪神の封じられた直後の混乱した世界に新しい言語や魔法陣が開発され、上級貴族が力を増していった時代だったそうだ。
過去二回ともこの世界の人間で、異世界から転生した記憶はなかったようだ。
「二つ年上の従弟がとても頭がよくて、私が知らないことを何でも教えてくれました」
クレメント氏が思い出すように視線を左に向けたので、思念の漏れを探ってみた。
……この世界は創造神が創った箱庭なんだよ。
……砦の向こうの世界では魔法が使えないんだよ。だから、こうやって火をおこすんだ。
少年時代の逸話なのか、洗礼式を迎えたくらいの年頃の少年が、きりもみ式で発火させたことをクレメント氏は思い出しているようだ。
「一度目の人生で私は、彼は焚書になったはずの古文書をどこかに隠していて、密かに勉強していたのだろうと考えていました。だが、二度目の人生で、私は死に目に一度目の人生を思い出した時に、彼の言葉の真の意味が理解出来ました。何故なら、二度目の人生で彼と思しき人物が居たからです」
二度目の人生での彼を思い浮かべたクレメント氏の思念では、火おこしを実演した少年と全く違う容姿の少年だった、
「この世界は神の創り給うた箱庭で、生き物たちは死ぬと、魂が天界の門を潜り、その後また生を受けることを繰り返している、と一度目の彼も二度目の彼もたびたび言っていたのです。それで、彼は生まれ変わった記憶を幼いころから持っていたのではないかと推測したのです」
「いわゆる知識の神のご加護か」
ハルトおじさんが当てはまるご加護を言った。
「そうだと思います。死にかけるとご加護を授かるのか、授かっていたご加護が発動するのが死にかけている時なのかは、わかりません」
試して本当に死んでしまっては検証にもならない。
「お箸が使えるのは、初回の生活で、彼が使い方を教えてくれたからです。東方の民族のカトラリーだということですが、私たちは細かい作業をするときの摘まみ上げる道具として使用していました」
お箸がピンセット代わりだったのか。
というか、思い出した時には死んでしまうのだから、三度目の救助後の今しかその知識を活かせないではないか。
「亜空間では考える時間はたくさんありましたから、彼の言葉をたくさん思い返していました。ですが、私の記憶の補正が入っているかもしれません」
クレメント氏は自分の話を理解してくれているか確認するように、ぼくたちを見回した。
「生まれ変わるということは理解したよ。その彼が何度も生まれ変わっているのなら、現代にもいるかもしれないということかな?」
ハルトおじさんの問いにクレメント氏は頷いた。
「二度目の人生の時は親族ではありませんでした。まだ帝国がこれほど台頭してくる以前に交換留学で東の国に滞在したときに彼に会いました。もちろんその時、私には前世の記憶がありませんでしたから、彼だと気付いたのは病死する寸前でした。当時の私の名前はクレメントでした」
「ラウンドール王国五代目国王!」
ハルトおじさんが驚きの声をあげた。
「同じ家系に生まれたのは偶々だったのか、神々のお導きなのかわかりませんが、一回目の人生はもっと温暖な気候の土地だったので、毎回ラウンドール家に転生しているわけではないようです」
クレメント氏は異世界転生者ではなく、この世界で転生を繰り返している。
クレメント氏が出会った転生者もこの世界で何度も転生しているだけなのだろうか。
「二度目の人生では友人だった彼は、私のことに気が付いていたような素振りがありました。教えたことも無いのに、私の好みの焼き加減を知っていたり、好みの本を差し入れしてくれたりして、相変わらずだな、と言ったのです」
精霊言語を取得して心を読んでいるというより、旧知の友人に接しているような雰囲気なのか。
「三度目の人生にも彼は居ました。彼は帝国の皇子でした」
ハルトおじさんと父さんが顎を引いたが、この時点で二百年以上前の話だ。
「当時の私が選んだ留学先はガンガイル王国でした。王都はすでにガンガイル領ではなかったのですが、彼がガンガイル王国に執着していたのは魂への擦りこみがあったのかもしれません。彼が私の二度の人生の中で繰り返し語っていたのは、精霊神と共に戦った、ガンガイルの建国王の英雄譚だったのです」
「伯母上が帝国に嫁いで二十数年?いやもっと前か?でもそのくらいだ。それ以前に帝国から我が王国に帝国の皇子が留学した記録はないはずだ」
「彼はお忍びでした。私もお忍びで当時のガンガイル王都に一年だけ留学したのです。彼も帝国出身の普通の留学生として在学していました」
……魔本が生徒名簿に残っている、と精霊言語で伝えてきた。
「ハロルド。三度目の人生で二百年以上クレメント殿は亜空間で過ごしたのだ、その間に遷都をしている。当時領都だった地の魔法学校の名簿を調べなくてはわからないことだ」
ハルトおじさんがハロハロを窘めると、ケインがおずおずと挙手した。
「その彼と呼ばれている方はもう亡くなっているでしょうが、お話を伺う限り、クレメント氏が亜空間に囚われていた間に二回くらい転生されていてもおかしくない時間が経過しています。留学に向かう兄の足を止めてまで確認しなければいけない事とは何でしょうか?」
ラウンドール公爵とクレメント氏の表情が引き締まった。
「彼はこの世界を抜け出すことを夢見ていました。二百年以上経過した世界情勢を知ると、世界の理から土地の結界が離れすぎているのです。これだけ世界は弱っている……、もし彼が現世で生きているのならば砦を破壊して外の世界を目指すでしょう」
なんてこった!
この魔法世界を破壊してでも外の世界を目指す人物が、どこかに居るかもしれないということか!




