閑話#16 とある元騎士の呟き
俺の生まれた地は過酷なほど厳しい冬が長い土地だ。
体が丈夫なだけが取り柄の俺の家族たちは、六人兄弟揃って洗礼式を迎えられそうなほどみんな健康だった。
下級貴族の親父やお袋の稼ぎだけでは兄弟たちを食わしていけないので、王都の魔法学校に奨学金で進学した俺は、夜間は王都騎士団の下請けの夜勤のバイトをして家族に仕送りをしていた。
昼間は学校の講座が終われば商店街で魔力供給のバイトに精を出した。
それでも成績は上位だったぜ。
授業は一発合格したらその分時間が出来る。
夜勤の間に脳内でその日の授業を復習すれば二、三回同じ講座に出席したら合格できた。
睡眠時間を削って頑張った結果、中級学校在学時に王都の騎士団に推薦された。
地方の下級貴族が上級の資格を取得しても就職口が無いと聞いていてので、一も二も無く受諾した。
成人前なので予備騎士として入団してすぐ俺の命に値段がついた。
危険任務手当。
俺の下には五人の兄弟がいた。
あいつらを腹一杯食わしてやりたい。
おれは危険任務ばかり選んで志願した。
そんな俺が成人した暁には高給取りの婿候補として、お見合いの相手を次々と紹介された。
そんな中に嫁が居たんだ。
中級貴族の三女だから嫁ぎ先の身分に拘らない、と言って微笑むと出来るえくぼが可愛い娘だった。
俺はすっかり一目ぼれしてしまった。
帝国軍への派遣が決まっていたので、俺は帰ってから挙式を挙げるつもりでいたのに、こういうことは先に祝言をあげなければ縁起が悪い、と嫁が言うので急ぎで挙式を済ませた。
純白のドレスを着た嫁はとても美しくて、外国に出兵する前にこの姿を見れて良かった、とその時はつくづくと思っていたよ。
初夜はお預けだ。
俺の出征の間に子が生まれたら俺は赤ん坊の顔を拝めないからな。
俺は挙式の翌日に帝国の南方戦線に派遣された。
一年の派遣期間のはずが帰国するまで三年かかった。
三年の間に王都が魔獣暴走に襲われていたので、俺は嫁と嫁の家族が心配でならなかった。
幸いにも、魔獣暴走は貴族街まで被害を及ぼさず、嫁の実家も俺の借家も被害はなかった。
しかし、安心したのはつかの間のことだった。
自宅の玄関を開けると知らない男と嫁と二才くらいの男の子がいた。
頭に血が上ったが、黙って玄関のドアを閉めた俺の自制心を褒めたい。
そのまま騎士団の詰所に戻ると法務部へ駆け込んだ。
新婚初夜を騎士団の寮で過ごした記録があったので、子どもの魔力を調べなくてもあっけなく立証されて婚姻無効が成立した。
俺の貯金を食いつぶして俺の名を騙って子の出生届を出していた詐欺と偽証罪で俺の幻の嫁とその家族、間男とその親族を王立騎士団の法務部が追い込んだ。
俺は預金を取り戻し、慰謝料を手にしたけれど、法廷で左足欠損の田舎者の下級貴族風情が、と幻の嫁の親族に罵られた。
田舎者は田舎に帰るだけだ。
俺の家族は泣きながら俺を迎えてくれた。
仕送りの金で兄弟たち全員健やかに育ち王都の学校にも通えた、と涙ながらに近況を報告してくれた。
三人の弟は騎士コースに通っているが危険なアルバイトはしておらず、妹の一人は飛竜騎士と結婚して王都で暮らしているし、末の妹は王都で薬学を学んでいた。
家族が幸せでいてくれるのならば俺の苦労も報われる……。
妹の旦那の部隊はほぼ全滅だった。
未亡人になった妹は末の妹と辺境伯領に帰ってきた。
人生に悲しみはつきものだ。
妹は気丈に振舞っていたが、時折空を眺めては、ため息をついている。
結婚なんてするもんじゃないな。
俺は左足の膝から下が無くても健康なガタイを活かし、辺境伯領騎士団の雑用を請け負って生活していた。
貯蓄は十分あるが、年老いた両親と未亡人の妹の行く末を考えると、何かしないではいられなかった。
そんなある日、妹の戦死した旦那の同僚が我が家を尋ねてきた。
そいつはゴール砂漠の戦いの英雄とされていたが、左腕を失った傷痍騎士だった。
「遺品はこれだけしか回収できなかった」
イシマールと名乗ったそいつは妹の旦那の結婚指輪を持ってきた。
妹はそれを見るなり全身を震わせた。
おれはどうしようもなく胸がつぶれる思いがした。
戦死するなら俺で良かったのに……。
愛されて必要とされていた若者が命を落とし、俺のように死ぬことを期待されていた男が帰ってきてしまった。
妹はイシマールから指輪を受け取ると、お帰りなさい、と小さな声で言って指輪に口づけした。
俺が直視できなくて横を向くと、イシマールは俺が死ねば良かったのに、と呟いた。
俺と妹はそんなことはない、と即座に言った。
「俺の妻には子どもがいた、子どもが居たから頑張れた、と妻が言ったんだ」
イシマールは震えた声で言った。
「あいつはまだ生きていなくてはいけなかったんだ、あいつは良い家の出で、生まれ順が違ったなら家督を継げる魔力量があったんだ。そんな有望な若者が散って中年に差し掛かる俺が、おめおめと生きのこるなんて……」
イシマールはそこで言葉を詰まらせた。
「……全滅にならなくて、良かったのです。命の価値なんて誰にもわからないのですから。夫は良い家の出だったかもしれないけれど、だからと言って、貴方や兄さんの命が軽んじられていいはずがないのです。あの戦いで貴方が帰って来てくれたから私は夫の遺品を手にすることが出来ました。ありがとうございます」
体を震わせて妹が俺たちに言った。
……生きて帰って来てくれてありがとう、と。
私たちは子どもを授からなかったけれど、夫の志を伝えていくことは出来る。わたしが夫のことを覚えている限り私の中で夫は消えてしまわない、と。
ああ、おれは、こういった絆を死ぬ前に求めていたんだ。
幻の嫁への幻想が消えた。
俺があの時ほしかった家族の姿を幻の嫁の中に見ただけなんだ。
俺はきっと幻に恋をしていただけなんだ……。
イシマールとはその後も連絡を取り合った。
辺境伯領に越してきた平民出身の上級魔術師に義足を作ってもらえたのもイシマールの紹介からだった。
ある日、そんな奇才の上級魔術師の息子たちが誘拐されたのだ。
騎士団の雑用しかこなしていなかった俺だが、出来ることならなんでもしたかった。
すでに領都を出たらしいという情報に、俺は長期戦を見越して騎士団の野営で装備する魔術具に魔力を充填しまくった。
即時に保護されればいいが、夜になったからといって捜索を断念させたくなかったのだ。
上級魔術師の家族はそんな俺たちを労って、夜食や回復薬を沢山差し入れしてくれた。
混雑する市で誘拐された子どもたちは丸一昼夜かけて捜索された結果、大きなけがも無く騎士団に保護された。
魔獣はびこる原野で五才から三才の子どもが三人だけで生き延びたのだ。
無事保護の一報を聞いた時はただ神に感謝した。
子どもが死ぬ世界は最低だ。
心汚れた大人から順に死ねばいいのに……。
そう感じた俺はまだ、元嫁の呪縛に縛られているのかもしれない。
……ラーメン食べたい。
ジュエルの子どもたちが保護された話は、一部かん口令が敷かれたが、あの時手伝いをした全員があの味を忘れられなくなっていた。
あの時食べたスープの中の小麦を練ったものは種類が色々あったようで、俺が食べたのはラーメンだったらしい。
騎士団の食堂でうどんが販売されるようになったが、俺の思い出の味はラーメンだ。
ジュエルの家に行って作り方の教えを乞うと、誘拐された養子の長男が詳しく教えてくれた。
「良いのか、こんな秘密を簡単に教えて」
俺がそういう言うと、カイルは笑顔でこう言った。
「作り方なんて、うちで購入する材料から誰だって想像できますよ。でも本当に美味しいものにするには、手間を惜しまず研究し続けた人だけが、本当に美味しいものが食べられるんです。料理は人を裏切らないのです!」
素材を見極めてかけた手間の分だけ味に差が出る。
同じ材料でも季節によって味が変わる。
「だって、素材から命を頂いているんだもん。収穫したての玉葱と、春を迎えて畑に植えられたら今すぐ芽を出す玉葱が、同じ味なわけないじゃないですか」
どの時期の玉葱も美味しいことには違いがないから、特徴が変わったことを考慮して料理すればいい、とカイルは言った。
古い腐れかけの味なのか?
俺の戸惑いを察したのか、春を迎えて皺皺になったジャガイモの皮を厚めに剝いた。
グラグラ煮立つ鍋の上のざるを置いて剥いたジャガイモを置いてふたを閉めた。
「素材の味を味わうには蒸し料理が一番ですよ」
そう言って柔らかく蒸したジャガイモを俺に食べさせた。
……甘い。
南国の果物に優るとも劣らない甘さが口の中にひろがった。
「春先のジャガイモは見た目が悪いから潰して混ぜ物にしてしまうことが多いけれど、熟成されてとっても甘くなっているんだよね」
カイルはそう言って、弟やスライムたちと蒸し芋をおやつとして食べた。
「美味しいを追求するのはとても手間がかかって難しいことなんだよね」
そう俺に教えてくれたカイルに、これは旨い!と言わせたくて、日夜研究した。
臭い豚の骨を持ち込んでこれで出汁を取れ、と言われた時は本気で口げんかした。
やってみなければわからない。
カイルはいつだってそう言って、色々な食材を試してみた。
満足のいく豚骨スープが出来上がった時には二人で手を取って踊り出したほどだ。
そんなこんなで出来上がったラーメンのチャーシューや味玉を仕込んでくれるのは未亡人になった妹だった。
俺たち兄妹はカイルの進学に合わせて王都に移住した。
最高の一杯を食べさせたい人のところで作るためだ。
賛同する仲間は多く、放浪する屋台一同として連合体で商業ギルドに登録した。
税金や出納の講義を経て王都に乗り込むと、俺たちは王都で無双した。
ラーメンには人を虜にする魅力があるんだ。
腹いっぱい食べても、数時間後に近いうちにまた食べたいと思わせるんだ。
屋台は良いぜ。
どえらい身分の高いお貴族様も、平民の魔法学校の生徒も、横板一枚張っただけの簡易の椅子に並んで腰かけて、どんぶりをかかえて麺を啜るんだ。
ラーメンどんぶりの湯気の向こうに身分差なんてものは存在しない。
仕込みがどんなにきつくても、客が空になったどんぶりを差し出して、旨かったよ!おっちゃん、と言ってくれるだけで、明日の仕込みも頑張ろうと思えるんだ。
屋台の良さはどこででも店を開けることだ。
カイルの実習先まで屋台を引いて行ったら、温泉を掘り出す魔法を拝むことが出来た。
義足の俺がどうしてそんなに走れるのかって?
ジュエルの腕がいいから義足が凄いって言うのはもちろんだが、義足と足との間に居る俺のスライムが優秀なんだ。
カイルが度々差し入れしてくれる、スライム専用の回復薬のお蔭なのか、俺の魔力との相性がいいのか利き足の機能を完全に取り戻した。
スライムは夜に熱心に勉強するから、いつの間にか文字を覚えて料理本を借りてくるように要求するようになった。
なんでスライムの考えがわかるかって?
そりゃぁ、俺と俺のスライムは一心同体のような相棒だからだよ。
そんなスライムを飼育することになったのも、ジュエルが勧めてくれたからなんだ。
カイルの家族には世話になりっぱなしさ。
だからさ、俺、カイルの卒業式に会場から卒業生代表として先頭を切って精霊たちを伴って退場してきたカイルを見ただけで目頭が熱くなったのに、家族に囲まれて祝福されている姿にグッときたんだ。
とどめを刺されたのはカイルがジュエルに肩車されて、亡き父母に報告するように天を見上げた姿だ。
俺の両目からなみだがあふれた。
ああ。
彼は精霊たちの祝福を受けるにふさわしい子だ。
俺が戦って失った左足は、こんな子どもたちが安心して暮らしていけるようにするためだったんだ。
俺の命に値段がついたことで、きっと、どこかの誰かの暮らしを守ってきたんだ。
「お前も離婚した時も涙なんか流さなかっただろうに、カイルのこととなると自然と涙が出てくるよなぁ」
そう声をかけてきたイシマールの目にも涙が浮かんでいた。
「お前の美味いものを作る才能を見込んで頼みたいことがあるんだ……」
イシマールの依頼は俺の人生を更に変えることだった。
「良い話だ。受けてみたい、いや、ぜひ挑戦させてほしい話だが、一人では決められない。……妹を一人王都に残していきたくないんだ……」
「うん。その気持ちはよくわかる。だが、妹さんときちんと話し合わなくては駄目だぞ。妹さんはお前が自分のためにでかい話を断ったと知ったらいたたまれなくなるだろう」
わかっている。
いくら家族だからって、相手の気持ちを確認しないで勝手に慮ってばかりいてもいけない。
「いい話じゃない。私も行くわ。兄さん一人にしといたら、やれ、土地が変われば水が違うから、とか言い出して研究ばかり始めてしまうでしょう。人間らしく生活するために、私が目を光らせていてあげるわ」
まったく、味の研究ばかりしないよ、馬鹿野郎。
俺が帝国に行くのはガンガイルの味を帝国でもカイルたちに食べさせたいって言うのは、表向きの理由だ。
帝国軍の直轄部隊で傷痍軍人となった俺は帝都の市民権を持っている。
帝都で商業ギルドに登録して味噌や醤油の会社を興し、ガンガイル王国から技術者として多くの人を呼び込む役割があるのだ。
帝国はオカシイ。
それは戦場でも感じていた。
だが、下っ端の軍人は考えてはいけないのだ。
考えていいのはただ死なないようにすることだけだ。
頭の良いカイルたちは帝国がおかしい理由を突き止めてしまうだろうから、俺たちは陰ながらあいつらを守るんだ。
「帝国の治安が良くないから、私を連れて行くことが心配なんでしょう?大丈夫よ。足手まといにならないわ。私のスライムは強いのよ。それにね、私もエミリア様から頼まれているのよ」
妹も辺境伯領第三師団長夫人から何やら密命を受けているようだ。
「女性の下着の話だから、兄さんには内緒!」
ああ、あの胸が大きく見える下着か。
俺には関係ない話……見ている分には、いい女が豊満な胸になるのは大歓迎だ。




